アリーシャ・ヴェーバー、あるいは新井若葉と、歴史の終わり

平沢ヌル

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2章 侯爵令嬢

2章9話 戦闘・後

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【新帝国歴1129年5月3日 アリーシャあるいは若葉】

「ヴィルヘルミーナ様、こちらへ」
 幸い、最初に飛び込んできた災厄は、私たちをスルーして工房の奥へと向かっていった。今なら、外に逃げれば助かるかもしれない。私は傍らの少女に声をかける。
 ヴィルヘルミーナ様はまた、金切り声を上げていた。その声はむしろ、金属音のように私の耳には聞こえる。逃げようという提案にすら、彼女は耳を傾けていない。
 明らかにヴィルヘルミーナ様はパニックを起こしていた。
 落ち着かせなければならない。
 なんとか壁際に彼女を引き寄せ、座らせると、背中で庇う。
「大丈夫。すぐに、助けが来ますから。今は、お静かに」
 できる限り、平静な声を出そうと私は努める。
「静かに。今は、それだけ」
 徐々に彼女は静かになったが、金切り声を上げるだけの体力が一時的に切れただけかもしれない。
「大丈夫。すぐに、助けがきてくれます。災厄なんて撃退してくれますから。リヒャルト様、とてもお強いんですよ」
 そうだ、彼は強い。
 災厄なんて追い払ってくれるはずだ。
 ここにいて、静かにしていれば安全だ。

 期待は裏切られるものだ。

 私の方に、一体の災厄が近づいてくる。
 以前私を襲ったものと、形状も大きさも良く似ている。
 だけど、逃げるに逃げられないこの状況では、その大きさは何倍にも感じる。
 災厄は近づいてきて、その『目』で私たちを覗き込み、そして。

 影が稲妻のように走る。
 飛んできた槍が災厄の胴体を貫いたのだ。

 助けが来た。助かった。

「何をしている」
 それは、細い人影。
 リヒャルト様。
 その声は、ぞっとするほど冷たかった。



 無事撃退、とは行かなかった。
 工房での戦闘は、撤退時間を稼ぐことができただけで、結局建物自体は徹底的に破壊された。人的被害が出なかっただけ幸いだった。

「なぜ逃げなかった」
 私は、主君より叱責を受けている。
 この場合、なぜ、なのか、答えるべきだろうか。
「ヴィルヘルミーナ様と共におりました」
「お前一人いても足手まといだ、お前が立ちはだかって何になる? 二人一緒に串刺しが関の山だ」
 リヒャルト様は激怒しているようだ。私は頭を垂れるしかない。
「ちょっと、そんな言い方はございませんでしょう!」
 食ってかかるのはヴィルヘルミーナ様に、リヒャルト様はにべもない。
「お前もお前だ。常に護衛を随行させ、危険があったら即座に保護を求めろと、何度言ったら分かる? お前一人を守るために、何人の臣民が命を危険に晒すと思っている」
 リヒャルト様は、声を荒らげているわけではない。だけどその分、その叱責は冷たく響く。
「ご自分では一切それを守っていらっしゃらないじゃないですの!」
 ヴィルヘルミーナ様は地団駄を踏んでいる。リヒャルト様のこの剣幕にこの勢いで対抗できるのだから大したものだ。

 それから二人が言い争いになり、叱責を受けていたはずの私が取り残される形になってしまった。この場で私が言わなければならないことって何だろう。
『ヴィルヘルミーナ様はパニックを起こされていました』
 いや違う。それじゃ、責任転嫁にしかならない。
『お互い、冷静になりませんか』
 違う。それは、叱責を受ける者の言い草じゃない。
『私は罰を受けましょう、ですが、ヴィルヘルミーナ様には、そんな風に怒らないであげてください』
 これならどうかな?
 でも、違う。
 私に対しては、彼の言葉は正しい。でも、ヴィルヘルミーナ様には正しくない。もし私が彼の指示を実行してしまったら、私が逃げて、ヴィルヘルミーナ様があの場に残されてしまっていた。そうなったら、ヴィルヘルミーナ様がどうなっていたかなんて、誰にも分からない。いくら私が戦闘では役に立たないからと言って、子供を修羅場に一人残して逃げていいわけはない。
 悪役令嬢とか泥棒猫とか、そんな馬鹿な考えを自分を私は恥じなければならない。私は別にリヒャルト様の女だったことはないし、そんな風に扱われていたわけでもない。その点ではただ単に自意識過剰だっただけだ。私はリヒャルト様の臣下で、彼に仕えている者だ。リヒャルト様は、私がその学識と智慧を以て仕えることを期待している。それは、リヒャルト様が間違っていると私が思ったら、それを彼に言うべきという意味だ。

「リヒャルト様、お話があります。お話ししましょう、どこかの部屋で」

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