アリーシャ・ヴェーバー、あるいは新井若葉と、歴史の終わり

平沢ヌル

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6章 歴史の終わり

6章7話 リセットモード *

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【新帝国歴1132年8月20日 アリーシャ】

 蒸気機関の歴史は、地球環境破壊の歴史でもある。
 人類は地下に眠る化石燃料の持つ化学エネルギーを、運動エネルギーに転換し、自らの生活の向上に役立てる手段を手に入れたのだ。それは、人類の際限のない欲望の引き金を引くことになる。
 熱源として当初から利用されていたのは石炭だ。当初行われていた露頭採炭はすぐに枯渇し、人間はその資源を求めて深く、さらに深く、地殻を掘り進めることになる。その状況は20世紀において化石エネルギーの主役が石炭から石油に変化しても、また21世紀においても、本質的には変化していない、それどころかより深刻化しているとも言えた。もし地球上で文明が崩壊し、一から発展をやり直すことになったとしても、産業革命は不可能であると言われているのは、地表近くから採取できる化石燃料資源及び鉱物資源の枯渇のためだ。
 化石燃料の使用はまた、肉体上の害を人間にもたらした。19世紀ロンドンはその『霧』で有名だった。そこは地理学気象学的にも霧の多い地域だが、ここで言う霧はただの霧ではない。石炭の燃焼に伴う微粒子と化学物質が大気中の水分と結合して都市に滞留し、それを吸い込み続けることで肺は不可逆なダメージを受ける。環境汚染による健康被害と、それから産業革命に伴う過酷な労働によって痛めつけられることで、19世紀ロンドンの下層階級の人々は薄命で知られていた。

 そう。
 私はその未来の引き金を引いてしまった。
 元の世界とは違う形で。
 パンドラの箱を開けたのは、この世界では、この私だったということだ。

 今、テーブルの上には、『タブレット』が置かれている。
 今は完全に充電されており、画面にはこんな言葉が表示されていた。

 リセットモード発動準備が完了しています。
 システム継承対象条件該当者1名。

 対象者識別ID:TT12578-AD1604-DE001369
 対象者氏名:新井若葉
 対象者国籍:日本
 対象者生年月日:1988年2月1日

 対象者はマップ上で指定された施設に向かい、継承作業を行ってください。
 リセットモード自動発動まで、残り時間:75:12:34:15

「状況を整理しよう。各地の遺構は、現在その姿を変えている。地下にあった機構が地面に露出しており、またその先端部は方向を変えて、全ての先端が一点を指し示している。その方向こそが、『大遺構』だ」
 こう述べるのは、ツィツェーリア・フォン・ヴォルハイム殿下。二年前の遺構攻略作戦でヴォルハイム大公マクシミリアンが戦死して以来、七人委員会において大公の名代を務めている。
 ここはランデフェルト公宮の最奥部に設けられた、小さな会議室だ。七人委員会の緊急会議として持たれたこの会合だが、今は最上座に座っているのはリヒャルト殿下。七人委員会で通常は末席として遇されるリヒャルト様だけど、今回はリヒャルト様の召集だった、と、そういう経緯だった。今日の会議には、本当に委員の七人と、書記官、それから私ぐらいしかこの場にはいない。壁の上半面は白、下半面に植物紋の彫刻がなされたパネルが嵌っていて、中央には重そうな木材のテーブル、そして絨毯。あのヴォルハイムの会議場に比べると簡素な印象だったが、一般的な感覚では十分豪華な部屋だ。
「ありがとうございます、ツィツェーリア殿。それから、例の『タブレット』については」
「……空振りだな。他の人間は必ず拒否される。自分自身の名前を入れても、適当に文字を入れても、それらしい名前を入れてみても、必ず虚偽だと判定されているようだ。また、タブレット同士は通じ合っているらしい。一つのタブレットへの登録に失敗した人間が、別のタブレットへの登録を試みると、今度は全く反応しなくなる」
 私は考える。元の世界の現代日本でよく見かけたようなタブレットだと思ったけど、それを支える技術はより高度なのかもしれない。嘘発見器や指紋認証の機能を組み合わせれば、今言われたような判定が可能というのは有り得る話かもしれなかった。
「つまり、だ。現在使用可能なタブレットは、その一つだけだ。そして、その所有者がそこにいる」
 そう言って、ツィツェーリア様はその、金属の籠手に覆われた指で、私を指し示す。
「……はい」
 私は進み出た。そうして、マップを表示する。

 画面上に映るのは、見慣れた地図。
 アルプス山脈、そしてイタリア半島だ。
 地図上の大きな輝点の位置も、私には見覚えがあった。
 ローマ。
 七つの丘と曲がりくねった川の都市。
 失われしかの帝国の中心地。
 ここに向かえ、と、『システム』は、それだけを伝えてきている。

「ここに『大遺構』がある、と。そういうことなのですか」
「そういうことだ。『大遺構』への侵入など、考えるだけでも冒涜的だった。だが今は状況が違う」
 そう、超巨大災厄が現れたあの日を境に、世界は、というか、『システム』は、その挙動を根本的に変えてしまったらしかった。各地において、大小の災厄は、隠れることもなく悠然と地上を歩き回っており、人間を排除しようとする様子を見せなくなっていた。『リセットモード』の発動準備完了とは、つまりそういうことであるらしい。
「しかし、あまり猶予はないな。日数的には辿り着けるだろうが……『大遺構』に接近したら何が起きるのかは分からない」
 リヒャルト様は爪を噛むような仕草をしていた。
 アルプスを越えてイタリアへ、それだけでも相当の所要時間を見なければならない、そういう時代だったのだから。
「『システム』は、該当者がそこに辿り着くことを望んでいますから。大丈夫……です」
 私はそう言った。

 ねえ、つまりどういうことだと思う?
 元の世界と、地図が一緒だったということ。それだけじゃなくて、植生も。この世界には魔法なんて存在していない、元の世界と明らかに違う物理法則もない。つまり、ここは私たちの知る地球そのものだということだ。
 ジャガイモと新大陸のことを思い出してみてほしい。世界を構成する様々な事物、それが部分的に似通っているだけじゃなくて、全ての要素が同じだった。違っているのは歴史だけ。
 そして、あの遺構突入作戦で見た、『システム』の管理者記録から分かったこと。

『これら諸問題の根本的解決のためには、問題発生の歴史的過程から紐解く必要がある。問題同士の絡み合いがより単純な段階での介入により、人類の歴史のより健全な発展が可能となる。……』

 そう書かれていた。
 つまり災厄、あるいはシステムの目的は、歴史に介入すること。歴史を改変することで、人類が抱える問題を根本から解決するためのシステムだったのだ。
 だから『全時空ベクトル修復システム』とは、つまり。歴史から望ましくないものを排除し、計画した通りの歴史に近づけることだ。
『擬似差分ノルムの閾値到達』とは、おそらく。現在の歴史が計画通りの歴史からずれてしまった、という意味だ。
 そして、『リセットモード』、とは。
 具体的に何が起きるのかは分からない。
 だが、システムは既に、その存在を隠蔽していない。この歴史への介入を諦めたということだろう。
 あなたはゲーム、それも長期間に渡って何かを育成するようなゲームを遊んでいて、これは駄目だ、続けても上手くいかないと思ったら、あなたはどうする?
 つまり、私たちはリセットされる、『自動発動』に間に合わなければ。
 私が行ったところでどうにかなるのかは分からない、だが、その場に向かう以外の選択肢は、私には残されていなかった。
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