アリーシャ・ヴェーバー、あるいは新井若葉と、歴史の終わり

平沢ヌル

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6章 歴史の終わり

6章13話  『前世の記憶』

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【新帝国歴1132年11月15日 アリーシャ】

 そう、私は。
 自分が一つ大きな勘違いをしていたことに、私は気がついてしまったのだった。
 
 大遺構の中枢部前、あの映像の中の、『若葉』。
 あれは、私であって、私じゃなかった。
 新井若葉はアリーシャの前世。だからこそ、新井若葉は生きている。前世の世界で死んだ後でも、生きていくことができている。
 だけど、あそこで。『アリーシャでない若葉』は、大遺構の中枢前で、私たちから去っていった。
 彼女はどこかしら、私と違っていた。それはもちろん、見た目だけの話ではなく。
 一つ言えることとして、私があの場で理解できなかった『タイムマシン行列理論』を、彼女はやすやすと解説して見せた。それは、彼女がシステム上の存在で、私が知り得ない情報を得ることができたから? それとも、彼女が言った通りで、落ち着いてよく考えれば、私にも理解できたのか。そうかもしれない。だけど、そうでないかもしれない。
 それに彼女は他の点でも、私と明らかに違う。彼女は、これから起きる死を恐れたり動揺したりしていなかった。
 もしあれが、新井若葉の本来の姿だったとしたら?
 
 もう一つ無視できないことがある。この世界は、タイムマシンによる変換によって若葉の生きていた元の世界と繋がっている。ということは、この世界と元の世界で現実性は等価だ。現実世界から物語の世界に転生したというような、典型的な異世界転生の筋書きとして私の物語を考えることはできない。若葉と私の人生を生まれ変わりとして結び付ける合理的な理由はなく、私に分かるのは、私には新井若葉の生きていた人生の記憶があるということだけだ。

 新井若葉。私の前世。でも、それは本当に、前世なのか?
 私には、『新井若葉』としての記憶がある。表面上の出来事だけじゃなくて、若葉の人生で何が好きだったとか、どんな苦渋を味わったとか、結果どんな考え方をするようになったとか、それを私は覚えている。
 でもそれは、前世であることを意味するとは限らない。私がそれを前世だと思ったのは、若葉の記憶の復活を、異世界転生もののテンプレな展開だと思ったからで、それ以外の理由はなかった。
 そのこと自体は、新井若葉が私の前世でないことを意味しない。新井若葉が私の前世なのか、それとも記憶だけの存在なのか、それは私には分からない。今までの出来事は、私にそのことは一切教えてくれない。

 もし『新井若葉』が、私の前世だったら。
 それだったら、今までとは何の違いもない。私は私として、『新井若葉』の記憶を持ちつつも、今を生きる『アリーシャ・ヴェーバー』の人生を、自分の人生として精一杯生きる。それが、『新井若葉』にとっても、『アリーシャ・ヴェーバー』にとっても、一番の選択だろうと思う。
 でももし、『新井若葉』が、私の前世ではなかったら。本来自分には関係ない、誰か別の人間の人生の記憶が、何かの拍子に私に宿っただけだったとしたら。『私』という存在が、『若葉』の記憶と知識に乗っかっているだけで、私自身にはなんの力もない人間でしかなかったとしたら。突然降って湧いた記憶は、消えるのも突然かもしれない。
 でもそうしたら、『私』は、どうなってしまうんだろうか?
 
 私は質素な上にも質素な白の上衣、病人用の寝巻だ。それに頭もボサボサで見られたものじゃない。だけど、気力が湧いてこない。自分を取り戻さなければと、空疎な励ましを自分に投げかけても、答は何も返ってこない。だって、自分を取り戻したら、その拍子に『若葉』が消えてしまわないとも限らない。
 白い壁に取り囲まれた病室で、私はそんな思考に取り巻かれながら、それを誰にも伝えることができないでいた。
 
 私の病室を、今日も訪う人があった。
「…………」
 リヒャルト様だ。質素な服装で、その姿は王宮での華美な様子とは違っていた。病室を訪れる時、彼はいつも無言だった。 
 彼はいつも、ベッドに座る私の傍らで、手を握って、それだけで一時間ぐらい。それで帰っていく。こんな忙しい人が、一時間も無駄にして。
 なんで私は、彼にこんなことをさせて、ぼんやりしているだけなんだろうか? そう、ぼんやりと思いながら、いつも身動きが取れないで、一言も発せないでいた。
 それでも。そう。前に、進まなければ。でも、前ってどっち?
 
「……殿下」
 リヒャルト様はこちらを見る。多分、一ヶ月ぶりぐらいに彼と喋ったんじゃないかと思う。
「……もし私が、『若葉』でなくなってしまったら。前世の記憶も知識も何もかも忘れて、ただのアリーシャ・ヴェーバーになってしまったら。そうしたら」
 掠れた声で私は呟く。
「もうお助けできないかもしれない。それどころか、お話だってももうできないかも。……ただのつまらない田舎娘、リヒャルト様が会話してみたところで何の興味も引かれない存在、になってしまうかも、しれません」
「…………」
 鋭い目で、リヒャルト様は私の顔を見る。口を挟んで素早く否定したりはしない、彼はそういう人だ。
「……私はそれが怖い。そうなった時に捨てられる、捨てたいと思うぐらいだったら、今すぐ捨ててください。何も言わず、この部屋から出て行ってください。哀れみをかけられても結局目障りでしかない、人生の邪魔でしかない、そんな存在にはなりたくない」
 酷いことを私は言っている。彼が薄情な人間だと、お前みたいな薄情な人間は出ていけと、そう言っているということなのだから。怖い。怖さのあまり、大事な人を傷つけてしまう、それが怖い。怖いのに、やめられない。
 
 しばらく黙った後、リヒャルト様は口を開く。
「アリーシャ。これからの質問には絶対に嘘をつかないでくれ。遠慮もなしだ」
 そうして、静かに、その言葉を発する。
「私がいなかった頃の人生に、戻りたいか?  全て、忘れたいと思うか?」
 私は彼に向き直り、叫ぶ、その声は掠れ、涸れていた。ずっと声を出していなかったせいだ。
「そんなわけない。忘れたくない、そんなの嫌だよ。若葉のことも、あなたのことも」
 顔を覆う私の手をリヒャルト様はそっと掴むと、私と真向かいに座って、じっと目を見据える。
「……じゃあ、いい。それだけでいいんだ。私の話も聞いてくれ」
 それから彼は、私の額に手を伸ばして、撫でる。こんなことが昔もあった。あれは、いつのことだっけ?
「たまにはこんな風に、弱い部分も見せてくれる方がいい。そう言ってくれたな、昔」
 そうだ。リンスブルック侯国で、私がリヒャルト様を諫めた時だった。あの時は立場が逆だった。彼は子供だったから。そして、孤独で、傷ついていて、誰も自分の味方ではないと、そう思い込んでいたから。
 じゃあ今は、私が子供で、誰も自分の味方ではないと思い込んでいるって、そういうことなのか。
「お前は言っていたな、自分は強くも賢くもないと、前世だけのことだと。それでいい、もうずっと前からそんなことは問題じゃなかった、私にとっては。強くて賢いとか、前世の知識があるとか、そういうことじゃないんだ。お前は私だ」
 お前は私だ。その言葉に、私は目を閉じる。
「それにな。お前にとっては、お前自身は強くも賢くもないんだろう。だけど私にとっては違う。そんな風には理解してくれないか」
「…………」
 どうなんだろう。だって、若葉の記憶が介在していない私と、リヒャルト様は相対したことがない。でも同時に、私は気が付いた。上手く考えを伝えられないと、ただ黙ってしまう。そんなリヒャルト様の癖は、私の癖でもあることに。それだけ似通っている、傍目では分からないかもしれないけど。
 それでも、と、私は思う。
 こんな風に躊躇する、それだって私ではあるのだから。
 それを、ちゃんと言葉にしなければ。言葉にしたい。
「……それでも、やっぱり。……それは、私にとって、失うことができないもの、です。水一滴もなく歩いているところに、突然見つかった湧水みたいな。知らなければ一生知らないままで終わる、だけど一度知ってしまうと、もうそれなしでは生きていけない」
 私は初めて彼に向き直り、正面から見据えた。
「それは、彼女が生きてきた人生と、その知識でもあります。でも、あなたでもある。そこに知性があるってことは、そこに心があるってこと。でも私のものではない」
 彼は私を見つめ返す、その鋭い目で。でももう、私は顔を背けたりはしなかった。
「リヒャルト様。私はあなたに、あなたでいて欲しい。私と一緒にいるために、あなたに自分を変えて欲しくはない」
 それは、数秒だったのか、それとも数分だったのか。彼も私に怯んだりはしなくて、今までで一番鋭い、青い色の目だった。
「元の私は、ずっと幼かった。今だって子供かもしれない、だけど今よりもずっと、自分のことも人のことも分からない、世の中と人間を舐めたガキだった。そういうことだ。完成していない存在だったんだ。お前が今の私を作った。分かっているだろう?」
(……『世の中と人間を舐めたガキ』、なんて)
 そんな風に私は思う。リヒャルト様のこんな言葉遣いは聞いたことがなかった。その彼が敢えてこういう表現をしたのは、他に良い形容がなかったからかもしれない。リヒャルト様だって自分の属さない世界のことを知っている、ただ態度や言動には出さないだけで。
「お前がいる世界では私は私でいられるし、お前がいなかったら、私はきっと私でいられない。お前は違うかもしれない。私がいない世界に行っても、新しい自分を作っていけるかもしれない。でも私には無理だ。私と一緒にいてくれ、これからもずっと」
 そうして、彼は手を差し伸べる。
 私には無理だ、なんて、彼のその言葉の意味を私は考える。
 彼は自分の軸を振れさせることができない。普通の人間ではないのだ。時として違う自分になって、人生のルートを脱線したっていい、そんな誰でも持っている人生の選択肢は彼には与えられていない。でも、別にそうでなくたっていいんじゃないか? 彼にだって本当はその権利はあるんじゃないのか? でも彼はそれを選ばない。それを私は知っていて、私しか知らない。
「リヒャルト様。あなたは私を見出してくださいましたね。私が私であることを知っているのはきっと、あなただけです。だから、あなたの前にいる今の私が、本当の私です。きっと私も、あなたによって作られた」
 人生は自分探しじゃなくて、自分を作っていくことなんだと、そんなような言葉を聞いたことがあるのは、私だったのか、それとも若葉だったのか。でも今は、そんなことはいい。私は今この瞬間に、自分自身の在り方を選んでいる、迷いがなくそう思えた。



「おかえり」/ 自筆
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