アリーシャ・ヴェーバー、あるいは新井若葉と、歴史の終わり

平沢ヌル

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7章 ヴィルヘルミーナ様の夢のお店

7章5話 仕切り直しと、姉の秘密 *

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【新帝国歴1135年10月2日 ヨハン】

「私が浅慮だったわ。二人には、申し訳ないことをしました。ごめんなさい」
 そう言って頭を下げるアリーシャ。
 開店の日改め投石事件の翌日だ。俺たちは公宮の応接室に招かれていた。隣では、珍しくもヴィルヘルミーナがもじもじしている。
「なあ、アリーシャ。割れないガラスを作る方法なんてのはあるのか?」
 俺はアリーシャに向けて口を開く。
「強化ガラスの作成には確か、イオン置換だけど。でも私もちゃんと覚えてないし……それに、投石にまで耐えうるかはわからないわね。硬化樹脂なんて、そんなものは遥かに調達が難しいし。それに、原因はガラスの強度だけじゃない」
「どういう意味だ?」
「ガラスが割れた、その損失を補填できないこと。この時代の人には、ガラスは高価すぎるってこと。だから、戦略を変えましょう。プランBです」

 アリーシャの提案はこうだ。
 店の正面玄関前のテラスを、ちょっとした庭のように改造する。そこに椅子やテーブルを置いて、お茶やお菓子の提供もする。室内には外の光が入るようにして、客はそこで寛ぎつつ、展示されたドレスを眺めることもできる。
「客層は当初よりも、少し劣るかもしれません。展示するドレスは高級なもので良いのですけど、それよりも手頃なドレスも、販売用の品として用意しておくのです。このお店を、ちょっとしたサロンとして活用するようにできれば、言うことはないですね」
「素晴らしい提案ですわ。……でも」
 今日はヴィルヘルミーナが、妙にしおらしげだ。
「あんな風に、開店にはケチがついてしまったし。素敵なお店って、皆様に思っていただけますかしら?」
「大丈夫です! そこは保証いたします、ヴィルヘルミーナ様であれば。それにもう一つ、計画があります。……エックハルト!」
 そう言ってアリーシャは、続きの扉に向かって声を掛ける。
「はい」
 入ってきたのは、公爵の側近、エックハルト様だ。
 すっかり公宮の女主人の振る舞いが板についた様子のアリーシャに、しかしながら俺は妙に腹立たしさを覚える。
「おい、アリーシャ」
「何よ。ちょっと。私、人妻なんですけど?」
 アリーシャの両頬を摘んで引っ張る俺に、アリーシャはなんだかよくわからないことを言ってくる。
「お前、いつからそんなに偉くなったんだ。エックハルト様だろうが」
 今は卑しからぬ身分という扱いを受けている俺たちだが、中身なんて多寡が知れているはずだ。何も知らない他人相手にはともかく、全ての内情を知っていて、そのために危ない橋まで渡ったらしいエックハルト様相手に女主人然とした態度を取るのは、どうも腹立たしいというか、申し訳ない気がしてならない。
「いや……まあ。どうでもいい、と言いますか」
「ほらね、エックハルトも気にしてないでしょ?」
 エックハルト様はあくまで淡々としていて、アリーシャはなぜか胸を張る。
「本題に入っていいですか? ランデフェルト公爵肝煎りで、舞踏会が近々開催されます。ヴィルヘルミーナ様の新事業のお披露目には、またとない機会かと存じます」

 そんな感じで、舞踏会の開催される運びに、ヴィルヘルミーナはすっかり機嫌を直したようだった。エックハルト様相手に、具体的な手筈について説明を受け、またいそいそと計画を相談している。それを見守りつつ、アリーシャは満足げだった。
 だが俺には、他に気にかかっていることがあった。
「おい、アリーシャ」
「何よ」
「流石に、便宜を図りすぎじゃないか?」
「どういうこと?」
「ヴィルヘルミーナにだ。彼女一人のために、国家の財産に穴を開けてしまったらまずいんじゃないのか」
「ヴィルヘルミーナ様のためだけってわけじゃないわ。分かる、ヨハン?」
「分かるかと言われても、分からんと言う他はないが?」
「人間の文明が発展していくためには、誰かが思いっきり頑張って、その頑張りに他の人が引っ張られていく必要があるわけ。ガラスのこともそうだし、それから、このお店のシステムもだけど、ヴィルヘルミーナ様の頑張りに、私たちが乗っからせてもらっているの。この方式が上手くいけば、他でも活用することができて、産業振興に役立つわ。そういうこと」
 と、これが彼女の考えであるようだ。俺に巨大なガラス窓を作らせたのも、その考えが元になっているらしい。これで、俺の全ての疑問は解消したのだろうか。本当に?
「……それから。さっき言ってた、割れないガラスを作る方法のことだが」
 ややあって、俺は再び口を開く。俺にはもう一つ、もっと重大な疑問があった。
「このお店に間に合わせることは、今は考えなくてもいい。ゆっくり取り組めばいいこと」
「アリーシャ。なあ」
「何かしら?」
 俺は、一度息を吸い込む。
「どこで、そんなことを知ったんだ。アリーシャ、お前は」
 
 これは俺が、ずっと考えていたことだ。アリーシャは、どうやってこれらの謎の知識を得たのか。蒸気機関車にしてもそうだったし、ヴィルヘルミーナの商売のアイディアもそうだ。
 だが現在の技術で再現できる話ならまあ、まだどこかに書かれていてもおかしくはない。しかし、割れないガラスに関する話は違っていた。おそらくは、現在存在している技術を超えた話だった。

「えっあっ……ええと……その」

 俺の疑問に、アリーシャはあからさまに狼狽している。
 俺は思い返す、エックハルト様の言葉を。
 エックハルト様は言っていた、『私は、あの場で奇跡を見たんだ』と。
 それと彼の脚色、アリーシャが『救世の乙女』だというその筋書きは関係があるのか。
 アリーシャの奇妙な知識は、あの大遺構と関係しているのか。 
 そのことをぽつぽつ俺が語る間、アリーシャはどこかしら、不安というか、後ろめたさというか、そんな感情が入り混じった顔で、俺の方を伺っている。

「……全てを語れとは言ってない、だけど。俺に教えられることがあったら、どうか教えてほしい」

 これを聞くことはきっと、俺の権利だろう。だが、言葉で表現できない疑問、彼女に直接聞くわけにはいかない質問もある。
 アリーシャは、俺の姉のアリーシャ、その人なのか?
 あのドジ女、傍目に見れば結構恵まれているのに、消極的で間が悪いためにその運を掴み損ねる、それと同じ俺の姉なのだろうか。

「ええと、なんというか、その」
 アリーシャはゴニョゴニョ言っていた。
「……しょうがないわね。ヨハン」
 ややあってからアリーシャは口にする。
「私はアリーシャで、生まれた頃からの同じ人間で、そう……そこは何も変わらないのだけど。でも……私の知識は。……何というか、その」
「……最初は勢いが良かったのに、だんだんと歯切れが悪くなるな」
「話の腰を折らないでよ! だから、その」
 アリーシャはまだ、何かを躊躇っている様子だ。
「……俺には、言いづらいことなのか」
「言いづらいは言いづらいわね。だけど。……ええと。ゴホン」
 アリーシャは咳払いして、それから続ける。
「私の知識は、私のものではない。それが何故私に授けられたのか、それだけは分からない。だけど、それ以外は……以外ではないかもしれない。だけど根本は一緒だということ。それだけは、理解してほしい」
「……ああ。分かった」
「それでいいの?」
「いい。お前の言葉で、それを俺に伝えてくれれば、それだけで良かったんだ」
「……ごめんなさい。今まで」
「謝るこたねえよ。わざわざ聞き出したのは、俺のわがままでもあるし」

 そう言って、俺はその場を辞することにする。
 正直、完全に納得はしていない。アリーシャだって、重要な部分を俺から隠しているだろうと、今でもそう感じるし。だがあのゴニョゴニョ言い始めた口下手さと間の悪さを見れば、アリーシャがアリーシャだってことは、俺は確信できた。
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