死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

文字の大きさ
8 / 167
今を生きるあなたへ

追憶の雪

しおりを挟む


 ――僕の愛する、けがらわしい猟犬イヌ


 寒さに赤らむ指先が、黒い慰霊碑を一撫でして、そのまま動きを止める。白いその手に雪が一片ひとひら舞い落ちて、形も残さず解け行く。

 無記名の慰霊碑は、酷く冷たくて。――そして、虚しい。

 白百合の花束が、石碑へ寄り添うように手向けられていた。ちらつく雪が、もう、ぽつぽつと積もり始めている。

 十と少し経ったばかりの少年が、軍服をまとい、制帽を携え、外した白い手袋を手に、独り慰霊碑の前に佇む。彼がまとうのは、立襟の最高礼装だった。それも、完全なる黒。最高主権者を表す、純黒の軍服をまとっていた。その、あまりにも年齢にそぐわない、権力を誇示する礼装姿だったが、少年に浮くような柔らかさはなく、威儀を正す軍人のかがみであった。そして、彼自身の褪せた色味で、更に冷たく映り、その姿は心無き独裁者の固定観念を満たした。

 彼が最高礼装で帯剣する姿は、重荷を背負ったようであると、見えかねなかった。だが、彼は既に、重圧に苦しむ単なる子供ではなく、使い従えさせる者として凶器を携えていた。

 剣には純銀で意匠が施されている。の蛇が鞘に巻き付いていた。

 ヨルムンガンド――。

 世界を渦巻くという巨大な蛇。

 後に神々の脅威となりうると、海に捨て去られ、それでもなお生き延び、成長を続け、ついには己の尾にまで喰らいついて、世界を自らの腹へ抱え込んだ。

 伝承を好む人々は、皆、知っているだろう。の蛇が世界へ災害を起こし、毒を振り撒くと。そして、それは相反して永遠に、人間へと牙を立てられないとも。

 少年は慰霊碑に触れていた手を離すと、雪を手で受け止めた。

 降り始めだ、と、雪は数えられるくらいまばらだったのに、少年が息つく僅かな間で、彼は雪片を視線で追えなくなった。

 手の平は氷のように冷えているのに、降り積もる雪は、幾らも経たずに解けて行く。そうしていると、水滴が溜まって、それが更に、次に受け止めた雪が解けるのを誘った。

 もう、指先が感覚を無くし、赤くかじかんでいて、鈍い動きで手を握り込む。不快な感覚に、直ぐ水滴を弾いてしまった。手袋をはめ直しても、一度濡れて凍え切った手には、何の意味もなかった。

 髪を形式的に払って、制帽を被る。

 ――外套を羽織って来なかったのは、我ながら軽率な判断だった。

「ああ、また、死んだな」

 ここに居ない誰かが、今また、少年の手を離した。別段、少年の心に湧き上がるものは何も無くて。

 慰霊碑への虚しいという思いも、吹き曝しの石に、何があるとも思えなかったから。それをよすがにするの心も判らなかった。

 命は際限なく燃え尽きて消え行くから。

 それは、一生出会う事の無い人間の為に。輪郭かたちすら見えない大義の為に。言い募られた言葉の為に。

 お伽話とぎばなしという夢物語の、終わりを夢みて――。

 彼の知るヨルムンガンドは、人間へ空想の喜びと、創作の飛躍だけを、与えてくれるものではなかった。夢を、夢と知る少年に取っては、聞き流してしまう神話ではなく、永遠に縛り付ける呪いだった。

 そのヨルムンガンドは、独りで世界を抱え込んだりしない。時が来るまで、海で大人しく自らの尾を噛む事もしない。

 人間を喰い荒らし、犯し、化物となさしめる。

 そして、現実の世界蛇は双子だった――。

 一匹ならば、人は救われたものか。それとも、伝説と現実が混交するのであれば、人間は世界蛇の支配に、希望すら見い出せなくなっていたか。

 ならば、神々が二匹と与え争わせたのは恩寵か。喰い合い、殺し合い、けして交わらない死の具現。

 神話と名前は同じなのに、全てを現実と重ねる事はできない。伝承がいつしか混ざり合って、既に元のが判らない。

 ――また、光が消えて行く。

 彼は別の場所ヘ向いていた意識を、雪景色へ戻す。近付いて来る気配に、ふっと、遠くを望むと、傘を差さない大男が、走って来る。大男も黒い礼装で外套も羽織らず、白む降雪のなか、大きな身体がなおさら大きく見える。更に近付いて来ると、少年の小ぶりな外套と、傘を持って、走って来ているのが解かった。

 厳つい大男は、少年の元へ来ると、慌てた様子で少年の肩へ外套を掛け、傘を広げた。小さな少年の為に、大男が身体を縮ませて差し掛ける。その世話焼きは乳母のようで、大男の大げさなまでに狼狽うろたえた様子に、少年は珍しく高く笑いそうになった。

「……どうして、来たんだ」

「来るな、と、命令されなかったからだ。雪が降り出して、急に激しくなったから。とにかく、風邪を引いてしまう」

「お前達は相変わらず、似たりよったりな事を言うな」

「……それに、独りで悲しむ姿を見ていられなかった」

「悲しむ? そうか、僕は悲しんでいたのか」

 少年は伏し目がちに、うっすら笑む。

「判らないのか」

「お前達は幾らでもいるから、縋り付いてくる手は絶えはしないから。――そう、思っているよ」

「……なら、今、惜しまれて、悲しんでもらえた奴らが羨ましい」

「死人をやたら、羨ましがるな」

「きっと、あなたは俺が死んだら、ただの記憶として忘れてしまうから。いつか、あなたを苦しめるだけの痛みになる」

「解っているなら、死ぬんじゃない。勝手に迎えに来る、図々しい奴は、お前だけだから……僕が不便になる」

 大男は、その厳つい顔を、少年だけに解る密やかさで、ほころばせた。

 少年は差し掛けられた傘で、もう、雪に濡れる事は無かった。隣で縮まる大男は、それを満足そうに見ている。――自らは、雪に降られながらも。



 巣立つ事がゆるされない獣――。

 永遠に巣立てない幼仔おさなご――。


 ――僕の愛する、こどもたちよ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

宍戸亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

ハズレ職業の料理人で始まった俺のVR冒険記、気づけば最強アタッカーに!ついでに、女の子とVチューバー始めました

グミ食べたい
ファンタジー
 現実に疲れ果てた俺がたどり着いたのは、圧倒的な自由度を誇るVRMMORPG『アナザーワールド・オンライン』。  選んだ職業は、幼い頃から密かに憧れていた“料理人”。しかし戦闘とは無縁のその職業は、目立つこともなく、ゲーム内でも完全に負け組。素材を集めては料理を作るだけの、地味で退屈な日々が続いていた。  だが、ある日突然――運命は動き出す。  フレンドに誘われて参加したレベル上げの最中、突如として現れたネームドモンスター「猛き猪」。本来なら三パーティ十八人で挑むべき強敵に対し、俺たちはたった六人。しかも、頼みの綱であるアタッカーたちはログアウトし、残されたのは熊型獣人のタンク・クマサン、ヒーラーのミコトさん、そして非戦闘職の俺だけ。  「逃げろ」と言われても、仲間を見捨てるわけにはいかない。  死を覚悟し、包丁を構えたその瞬間――料理スキルがまさかの効果を発揮し、常識外のダメージがモンスターに突き刺さる。  この予想外の一撃が、俺の運命を一変させた。  孤独だった俺がギルドを立ち上げ、仲間と出会い、ひょんなことからクマサンの意外すぎる正体を知り、ついにはVチューバーとしての活動まで始めることに。  リアルでは無職、ゲームでは負け組職業。  そんな俺が、仲間と共にゲームと現実の垣根を越えて奇跡を起こしていく物語が、いま始まる。

第2の人生は、『男』が希少種の世界で

赤金武蔵
ファンタジー
 日本の高校生、久我一颯(くがいぶき)は、気が付くと見知らぬ土地で、女山賊たちから貞操を奪われる危機に直面していた。  あと一歩で襲われかけた、その時。白銀の鎧を纏った女騎士・ミューレンに救われる。  ミューレンの話から、この世界は地球ではなく、別の世界だということを知る。  しかも──『男』という存在が、超希少な世界だった。

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします

Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。 相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。 現在、第四章フェレスト王国ドワーフ編

最強無敗の少年は影を従え全てを制す

ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。 産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。 カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。 しかし彼の力は生まれながらにして最強。 そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。

処理中です...