死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

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二章 猟犬の掟

第19話 バロット 孵れなかった卵

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「オルスタッドを帰館させる事にしました」

 カイムは椅子に座って、膝の上にノートパソコンを無意味に乗せている。

「もういい加減、執務室へ帰れよ。面倒臭い」

「一緒にいると約束したはずです。ですからこうして仕事道具一式揃えさせました」

「お前の立場だと、そんなものでは碌な仕事にならないだろうが。というより、周りの奴らの仕事増やしているだろ」

「お気付かいありがとうございます。代表などというのはステルスハウンドでは飾りですから」

「それは自分で言うな――オルスタッドが帰って来るんだって」

「状態が完全に落ち着いているわけではありませんが、正直、猟犬を他国の病院に置いておくのは完全に褒められた事ではありません。自家用航空機を出してなるべく早く搬送するので、結果的に今が潮時だろうと話しが付きました」

「なるほどな、報告ご苦労さん」

「何か企みがあるのではありませんか?」

「言っただろう、お前達しだいだと」

「是非とも教えて頂きたい」

「全ては流れのままに、だ。聞いた事あるだろ」

「さあ、どうでしょう」

「運命なんて臭い言葉を使うつもりは無いね。放っておけば物事は勝手に進むものだ。私は結果を待つだけ。オルスタッドもどうするかは、あいつ自身が決める」

「そういう事ですか」

「お前、私に欲情しているだろう」

 カイムは何も飲んでいないのに吹き出してむせる。

「……何の前振りもなしで、物凄くストレートに来ますね」

「なに、私に欲情する人間は多い。珍しくないからあまり気に病むな。そもそも接触が原因なんだ。それを考慮すれば、お前は無実だ」

「何か犯罪を犯したようなニュアンスを、平然と入れるのは止めてください」

「私は十三才か、十四才なんだぞ。十分に犯罪じゃないか。お前三十代半ばくらいだろう。国家予算なみの資産を持つ、狂った金持ちのおっさんが、美しい子供をもてあそぶ。妄想が荒れ狂うな」

「自分の事おっさんと言ったら、スカしてるみたいだって仰っていたでしょう。それに、ヘルレアが美しい子供なのは間違っていませんが、はヨルムンガンドを弄べる程の力倆りきりょうを持っていません」

「そうなのか?」

 ヘルレアが笑っている。何故か椅子から立ち上がって、カイムの元へ向かって来る。膝に置いてあるノートパソコンを取り上げて、空いているベッドに置いた。

「何がいい? 何がしたい?」初めて聞く、高い少女のような声。

 ヘルレアが初めて中性さを自ら放棄して、カイムの性的指向へと合わせて来た。

 ヘルレアはそのままカイムの膝に跨って、肩に縋った。体勢が危うい、というか傍から見たら卑猥な行為の最中であるように映るであろう。カイムの膝へ王が座する感触――その接触する場所は――もう既に秘所を連想させるだけの柔さを、カイムに感じさせていた。

 カイムが性的な感覚から、懸命に意識を逸していると、ヘルレアが想像以上に軽い事に気が付いた。本当にただの子供を膝に抱いているような自然さがある。この身体のどこに、強大な破壊力を秘めているのか不思議に思える程だ。

 得体のしれないとする香りが鼻腔一杯に広がった。人間の体臭とは違う。その当たり前の事に脳というのは追い付いていけないらしく、香りを意識して嗅いでいる。今までヘルレアの体臭など一度も感じた事がなかったものが、何故かこの時とばかりに襲い掛かってくる。

 ――ヘルレアこそナニがしたいのか。

「どうかしら、気分はどう? 興奮するでしょう」カイムの頬を掴まえる。

 顔の距離が近過ぎる。

 子供、子供と何度も自分を誤魔化そうとしても何の意味もなかった。多分ヨルムンガンドに年齢は関係ないのだ、身体の中に生まれた熱が、どうしようもなく煽り立てられ、消したくても消せなくなってくる。暴れ狂うような欲望で、思考が混乱を起こしている。犯すさまを生々しく想像する己と、それを理性で抑え付ける己が互いに打ち消しあっていた。

 ――けして触ってはいけない。

 触れたら殺されてしまうだろう……か?

 思わず生唾を飲んでしまい、気付かれる事に羞恥で顔まで真っ赤になっているのが分かる。カイムは色素が薄いので人より更に悟られやすいのだ。

強張こわばり過ぎだぞ。これでは私が弄んでいるみたいだ。おっさんが弄べよ――随分と可愛いらしいこと。いっそ、私が本当にしてやろうか」

 カイムは椅子ごと引っくり返った。彼は身を固くし過ぎて、自分で不様に床へ転がっている。

 ヘルレアは持ち前の身体能力で、しっかりと飛び退っていた。喜悦に身体を折っている。

「間抜け過ぎる。純真無垢にも程があるだろ。童貞をこじらせるとこうなるのか。三十越えて童貞だとなんとかかんとか」

「どうして、そのことを……けれどもとにかく、ヘルレアは笑い過ぎです。そこまで馬鹿にして嘲笑うなら、ヘルレアご自身で本当に僕を卒業させてください」カイムは立ち上がる。

「やはり、お前くらいになると対人能力ハンパないな。顔真っ赤で無言とはいかないか。そちらの方が可愛げがあって好ましいけどな……」

 カイムは好き放題喋っているヘルレアの元へ行く。カイムよりずっと小さな王へと頭を下げると、その額にキスを落とした。

 ヘルレアは口をぽかんと開けている。

「ただの童貞だと思わないでください。あなたの夫となる為に、今は生きているのですから」

 ヘルレアは無防備に開けていた口をもう閉じている。無表情でカイムを見つめていた。

「覚悟は出来ているな?」

「覚悟がないのなら致しません」

 ヘルレアがゆっくり近寄って来る。

 ――ああ、首を刎ねられるか。

 ヘルレアにネクタイを引っ張られ、頭を下げさせられた。

「キスっていうのはな、こうするんだよ」

 ヘルレアの冷たい唇が、カイムの唇に重なる。カイムは動けなかった。何も反応出来なかったのだ。

 重なり合う唇は、一方的に求められているものだった。ただカイムは、ヘルレアがうごめくさまに身を任せている。しかし、いつしかその強い求めに応えて、互いが激しく求め合うものへ変わっていった。小さな舌がカイムの唇を割って、更に奥の口腔に侵入しようと、歯列を舐めて抉じ開ける。ヘルレアを受け入れると、舌があまりにも容易くからめ取られる。結合し、混ざり、融け合う。唾液が溢れて泡立つ音に、本能的な興奮を煽り立てられた。

 それは溺れていくように犯し、犯されて。カイムはあまりの心地よさで、愛欲に従うままとなり、思考を蹂躪された。

 それはまるで身体の深くに埋もれた心を、暴き合うような激しい行為だった。

 ――このまま境界を失うまで、溶け合ってしまいたい。

 カイムは知らず知らずのうちに、ヘルレアの身体へ腕を回していた。しかし、当のヘルレアはそれに一切抵抗をみせなかった。むしろカイムのなすがままになって、いつの間にかリードさせ、女性的な対応を取り始めている。

 カイムはもう止まらなかった。ヘルレアの背中へ回していた手が腰から臀部でんぶへと下りてくるが、バッグが手を阻む。カイムは直ぐに、バッグの下へと手を入れて、持ち上げるように動かし始める。その尻は肉付きが悪くすんなりしていた。カイムは何故か女を相手にしているつもりになっていたので、違和感を覚える。しかし、その手は愛撫を止めなかった。

 ヘルレアの息が微かに乱れているのを感じると、頭へ一気に血が上った。

 その瞬間、耳鳴りが近付き遠ざかりを繰り返す。あまりの不快さに顔をしかめていると、男でも女でもない狂ったような笑い声が、頭の中で暴れ回る。気が遠くなりそうになると、闇の中で青い双眸が燃え盛っていた。

 ――ヘルレイア。

 ――いや、違う。

 ――これは。これは、あいつが。

 途端、薄くこわいものが粉々に握り潰される乾いた音がして、息を詰める。

 窒息しそうに感じると、カイムは自分が果てのない闇に佇んでいる事に気が付いた。すると、直ぐに星々が無限に闇へと散って瞬き出す。きらめく塵が霧として、雲として、世界へ流れ、満ちていた。

 ――いけない、これは。

 猟犬が――。

 巨大な意識の塊が際限無く集まって来る。館内以外の猟犬の意識までも手繰り寄せ始めていた。頭を万力で締められるような痛みに、ヘルレアから顔を逸らす。

 カイムはヘルレアを突き放すように、身体を遠ざけた。彼は激しく乱れた自分に愕然としていた。

 ヘルレアが口を拭っている。

「お前は駄目だ。お前の心はここにはない」

「ヘルレア、王、お待ち下さい。僕は……、」

 ヘルレアがカイムのおとがいを捕える。

「お前は弱すぎる。番がどうとか言いながら、今まで気付きもしなかったのか――部屋から出て行け。このガキは私が一人で見る。カイムは頭を冷やせ、興奮し過ぎだ」

 カイムはヘルレアの言葉に異を唱えられるはずも無く、ジゼルの部屋を出る。

 扉を閉じた時、自分の情け無さに深く目を閉じた。

 しかし今、カイムは猟犬の状態が不安でたまらなかった。あまりにも心身を乱し過ぎたのだ。

 カイムはここ数年、もうほとんど猟犬を意識する事などなかった。猟犬はほぼ人間のように暮らさせていたし、大きな出来事がなければ干渉するつもりもなかったのだ。こういった感覚は十年……あるいは、真の感覚を言うならば、二十年振りだった。

 カイムは完全に閉ざしている心と身体――それはどこか卵に似ている――を、まるで籠目のような卵細工へと切り開く。

 ただ慣れ切ったその思考を過程を経るだけで、際限無く猟犬の存在が意識に雪崩込んで来た。少しやり過ぎたかと、籠目を小さくすると、丁度、遠く星空を見るような瞬きで館にいる猟犬が全て感じられた。見回してみる――それは意識の中で――皆、誰もが平穏に働いているようだった。

 だが、気になる猟犬が二人いる。

 リディア・マクレガーという猟犬の光が歪になっている。

 彼女はランドルフ・ベイゼンの妻だ。

 ランドルフは影の猟犬ゴーストハウンドで、先頃殉職した猟犬だった。オルスタッドの部下で、東占領区へ潜入して、バラバラになった遺体から、おそらく使徒の手に掛かり命を落とした。

 ランドルフとリディアには幼い子供がいる。そろそろニ才になろうという、可愛い盛りの娘だった。

 カイムは重いため息をつく。

 閉殻を開放するという事は、こうして猟犬の心へ常に気を揉んで、触れようとしてしまうという事だ。カイムはこうした人間的では無い行為を、閉殻をする事によって殆ど止めていたのだ。

 ――非人道的過ぎる。

 その行いが良いか悪いかの問題では無い。心を土足で踏み躙る醜悪な行為であろう。

 そして、もう一頭、ジェイドも精神が不安定なようだった。彼はカイムに最も近い猟犬、謂わば事実上の側近だった。猟犬は主に近い程、主の影響を受け易いものだ。カイムの不安定さが戦闘員へ如実に表れるというのは、厄介な事この上ないが、現状カイムの能力ではこれ以上強固な閉殻状態を作り保てない。

 理由が違えど、二人の状態があまり酷ければ無視も出来まい。直接的な処置の必要性が出てくる可能性がある。

 カイムは一瞬で興奮が覚める。

 処置だけはなるべく避けたい。心の自由は出来るだけ守ってやりたい。それがたとえカイムに取って負担であろうとも。

 中性的な声が頭にまつわりつく。カイムは顔を覆う。

「アルヘリオン……まだ僕等を苦しめるのか」

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