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三章 棘の迷宮
第47話 獣の王
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カイムはヘルレアへ話しかけていいものか迷った。エネラド――オウリーンとは普通に話していたが、果たして一応人間のカイムが、気安く接していいものなのか疑問だったのだ。
「……おい、カイム。躊躇うな。ヘルレアの元へ行ってこい。今更恐がっても仕方がないだろう」今までジェイドは、カイムを絶対に手放さなかったのに、グイグイ背中を押してくる。
確かにもう寒くはないのだが、素直に話し難いのは正常な反応であろう。
ヘルレアが大きな溜息を、これ見よがしに一つ。
「あの状況でカップケーキに、茶か……何だかなー。もう少し気の利いたこと言えないのかよ。ダサい奴」腕を組み天井を仰いで呟いた文句は、いつも通りのヘルレアらしい。
「そんな格好いいこと、咄嗟に出ません」
「ポエムでも書けばいい、お前見た目からポエミーだもんな」
ヘルレアは、完全にカイムをバカにしている。なので、カイムは本当に詩でも詠もうか、と、古い詩を掘り起こしていると、大きなノック音が現実に鳴り響く。
それにカイムは頷いた。女王蜂の部屋にある大扉が叩かれたのだ。
「別隊の猟犬が来ました。掃除をさせますから、ご心配なく」
「ありがとうございます、ですが、〈蜂の巣〉は外界術が蘇れば、自然と修繕清掃されますので、ご心配には及びません」
「それはよかったです。派手に壊れ過ぎましたから、どうなることかと」
「……カイムが言うと、何でもヤバく聞こえるよな。掃除とか」
「止めてください、女王蜂の前で。人聞きの悪い」
カイムがヘルレアと睨み合っていると、ジェイドが呆れ顔でやって来て、親指で扉を軽く示した。
「外界術に適した猟犬も大勢来たようだし、エルドも居る。今度こそ問題ないだろう。俺はしばらくしたら、影共のところへ行って来るからな。俺もまだここに居たいところだが、チェスカルも正常に戻ったから、まあ、いいだろう。あと、勝手にうろつくなよカイム――女王蜂、その時はよろしくお願いします」
女王蜂がジェイドの転移を了承した。
それから、ジェイドはチェスカルと何か相談を始めている。
開いた扉から別隊の猟犬が、大勢出入りしている。その中でヘルレアは直ぐにサングラスを掛けて女王蜂の元へ歩み寄った。
「湯を貸してくれ」
ヘルレアが珍しく慌てたような雰囲気で、女王蜂へ望みを述べている。ヘルレアの方が先にシャワーを借りて血を浄める事になった。
ヘルレアはどういう手際か四、五分で、血肉を清めて出てきた。あまりにも早いので、カイムは仕組みを訊きたくなったものだが、一応失礼なので黙りを決め込んだ。
――夫になればいずれ分かるもの、か……?
「カイム様、湯殿をお使いください。殺生の血というものは、身体に障るものですよ」
「ありがとうございます……ですが、女王蜂も血に、」
「なんなら、一緒に入ってきたらどうだ」ヘルレアはニタニタといやらしく口を歪めている。
カイムはヘルレアを一切無視して、女王蜂に勧められるまま、彼女より先に湯を借りることにした。
脱衣場にはバスタオルやガウンのような、どこにでもあるバス用具と、数え切れないほどのシャンプーやボディソープが揃えられている。また、香油や肌の手入れを行える高価な品々や、口にするには憚られるものも整然と並んでいた。
カイムは脱衣所を服を着たまま素通りして、湯殿の戸を開ける。蒸気の暖かさと湿った空気に、カイムは少し息をついた。
女王蜂の湯殿は、さすがに娼館という場所柄もあって広い。今は、天井照明が灯されているので、浴室全体を見渡せる。湯殿の隅に大きく窪んだ場所があって、ベッドへ寝具が整えられていた。
「……あそこでいいかな、少し休めるし」
寝台の側まで行くと、天井に大きな鏡が貼ってある事に気付いた。ベッドでの秘め事が大写しで堪能出来る仕掛けだろう。
「色々な趣味の人間もいるものだ」
カイムは主照明を消してから間接照明だけ灯す。湯殿はカイムの居る寝台だけが薄ぼんやりと浮かび上がって、お湯が流れ揉まれる音が微かにする。部屋の空間が広い為に、どのような音も良く反響する。
「……今回は酷く疲れた」息を吐いて首後ろを軽く揉む。
「もし、あいつ等の残った仲間が攻めて来たらどうしよう」カイムは俯いて顔を覆うと、既に乾いていた血が僅かに滑りを取り戻す。顔を上げて手を下ろすと、ベッドのシーツを握り締めた。手は振るえていた。
「どうして僕ばかり……辛い思いをしないといけないんだ」
未だ血に穢れたカイムの手を、優しく覆う手が、白いシーツから伸びていた。白くほっそりした手が、乾きかけの血に擦れて斑にくすむ。
……おいたわしい
……お辛いですか
……痛みませぬか
風を受け戦ぐ葉にのような囁きが、どこともいえない場所から、さまざまな声音で投げ掛けられる。
「とても、痛くて辛いよ」
カイムを包むように周囲へ、強風で枝葉が煽られるような音がざわめいた。しばらく続くと、何の前触れも無しにぴたりと止まる。
…………
…………
……今日も安らかにおやすみください
カイムは頭の重みに任せるまま上向き、一つ溜息を吐く。それは、安堵と、諦め、そして――息苦しさから逃れようとする、重たい息だった。
「……ごめんね、僕の番犬」
今度こそ脱衣所で衣服を脱ぐとシャワーを浴びた。十数分という短い時間で身を浄める。さて、汚れた服はと、カイムは思案しながら湯殿を出ると、脱衣場には先程まで着ていた服が、血の痕跡を一切残さず、皺一つすら無く、ハンガーへかけられていた。
カイムはたった数分入浴しただけで、巣に来たばかりの時そのままに、身繕い出来たのだった。
カイムが脱衣場から出ると、部屋の修理と清掃が行われ、争いの痕跡をまるで残さず清められていた。
「女王蜂、シャワーをありがとうございました」
「いいえ、お礼など仰って頂かなくともよろしいのです」
カイムが女王蜂の傍に居ると、あれほどカイムを嫌っていたヘルレアが、真っ直ぐに彼の元へ近付いて来る。カイムはヘルレアが何か言うものかと思って、何故か身を引きそうになったが、特にこれといって何も言われない。その代わり、カイムはヘルレアからしばらく不躾なまでに観察された。そうして王は少し瞬くと、不思議そうにしている――カイムにはそう見えた。
「……なるほどな、お前らしいや」
「え? 何ですか。僕らしい事しましたか」
ヘルレアが半眼になってカイムの腕を豪快に叩いた。尋常ではないくらい、手加減をしてくれているのは解っているのだが、凄まじく痛かった。
「痛いじゃないですか、力を入れ過ぎですよ、ヘルレア。痣どころか、骨が折れてしまいます。僕は人間なんですから、もう少し手加減して下さい。今ので絶対、痣になってしまいましたよ」
「うるさい、骨でも折れてろ」
「酷いじゃないですか」
女王蜂が楽しそうに声を上げて笑い出した。もう可笑しくってたまらない、といった具合に激しくて、でも、人を元気付けるような暖かな声だった。
つい、カイムはヘルレアと一緒になって、そんな女王蜂を見詰めていると、彼女は笑いを収め頷いて、カイムとヘルレアの手をそれぞれ取った。
「行く道は暗い事ばかりではありません。何があろうとも歩みを止めなければ、この先に幸せも見い出せましょう」
「ん? そうか、そうだな。どうもありがとさん」
「女王蜂、どうしました。僕達、何か意味深な話しでもしましたか?」
チェスカルがカイムへ断りを入れてから、遠慮勝ちに女王蜂との会話に加わる。
「先程は下品な事を言ってすみませんでした」
女王蜂は少し驚いているようだったが、穏やかに笑む。
「チェスカル殿はご自身のお役目を果たされただけ。謝罪なされる必要などございません」
「ん? 下品って何したんだ」
「私とチェスカル殿だけの秘密です。覗いて……? はいけませんよ」
叱らなくてもいいものか? ……と、考ええ、チェスカルに問いかけようとした瞬間、カイムは言葉が出なくなっている事に気が付いた。頭がぼんやりしていて熱く、何も考えられなくて、言葉を探してみても音にならずに、輪郭が暈けて意味を見失う――まただ、また。
力を使い過ぎて、思考能力が著しく低下している。唐突にカイムの身体を支えるものがあって、考えずともそれがジェイドである事が判った。
「女王蜂、寝室をお借りできますか」
ジェイドはかなり焦っていて、カイムへ寄り添っている。女王蜂の了承を得るとカイムはジェイドに身体を支えられたまま、完全に身を任せてベッドへと連れられて行った。
カイムはベッドへ横になると布団を掛けられて、すっかり眼を閉じてしまった。頭が熱くて堪らなかった。ジェイドが下がった気配がするが、恐らくカーテン一枚しか、その距離を置いてはいない。
床へ伏しても、早くなりつつある呼吸と鼓動に、安らぎを幾らも得られず、カイムは眉間を寄せる。
思わずうめき声が漏れて寝返りを打つ。
カイムは独り暗闇の中へ居た。
彼は塵と共に沈むように、純黒の闇に溺れる。
濡れた音がぴちゃぴちゃと繰り返し聞こえる。何か弾力のあるような物が引っ張られ、千切れて行く音がすると、重たい泥の塊が叩きつけられたように、何かが崩壊していく。濡れた音が溢れて、永遠に終わらない。永遠に永遠に、繰り返し続ける。死と苦痛を上書きして、あの仔達は死に続けた。
――ああ、止めてくれ。
――僕の、
――僕の、仔犬達が。
まるで幼い子供のようなものが、自分に縋ってくる事に気が付いた。
それは全てに縋って、縋って――でも払い除けられて、踏み躙られてきたもの。
そうして自分は、その壊れた物を掬い上げて……。
――解っている。知っている。
――だから、僕は嘘付きで残酷なんだ。
額にそっと何かが優しく触れた。ひんやりと石のように冷たくて、でも柔らかな感触がする。とても心地が良くて、急いた呼吸が本来のリズムを思い出したように、ゆったりしたものへと変わっていく。
冷たい物がカイムの額へ寄せられた。その感触が優しく、それが愛おしくてそっと笑みが溢れた。
闇は星の瞬く夜空へと変わっていく。
カイムは無意識に額へと手を伸ばし、柔らかなものへ触れていた。
――絶対に離さない。これは僕のものだ。
カイムはヘルレアへ話しかけていいものか迷った。エネラド――オウリーンとは普通に話していたが、果たして一応人間のカイムが、気安く接していいものなのか疑問だったのだ。
「……おい、カイム。躊躇うな。ヘルレアの元へ行ってこい。今更恐がっても仕方がないだろう」今までジェイドは、カイムを絶対に手放さなかったのに、グイグイ背中を押してくる。
確かにもう寒くはないのだが、素直に話し難いのは正常な反応であろう。
ヘルレアが大きな溜息を、これ見よがしに一つ。
「あの状況でカップケーキに、茶か……何だかなー。もう少し気の利いたこと言えないのかよ。ダサい奴」腕を組み天井を仰いで呟いた文句は、いつも通りのヘルレアらしい。
「そんな格好いいこと、咄嗟に出ません」
「ポエムでも書けばいい、お前見た目からポエミーだもんな」
ヘルレアは、完全にカイムをバカにしている。なので、カイムは本当に詩でも詠もうか、と、古い詩を掘り起こしていると、大きなノック音が現実に鳴り響く。
それにカイムは頷いた。女王蜂の部屋にある大扉が叩かれたのだ。
「別隊の猟犬が来ました。掃除をさせますから、ご心配なく」
「ありがとうございます、ですが、〈蜂の巣〉は外界術が蘇れば、自然と修繕清掃されますので、ご心配には及びません」
「それはよかったです。派手に壊れ過ぎましたから、どうなることかと」
「……カイムが言うと、何でもヤバく聞こえるよな。掃除とか」
「止めてください、女王蜂の前で。人聞きの悪い」
カイムがヘルレアと睨み合っていると、ジェイドが呆れ顔でやって来て、親指で扉を軽く示した。
「外界術に適した猟犬も大勢来たようだし、エルドも居る。今度こそ問題ないだろう。俺はしばらくしたら、影共のところへ行って来るからな。俺もまだここに居たいところだが、チェスカルも正常に戻ったから、まあ、いいだろう。あと、勝手にうろつくなよカイム――女王蜂、その時はよろしくお願いします」
女王蜂がジェイドの転移を了承した。
それから、ジェイドはチェスカルと何か相談を始めている。
開いた扉から別隊の猟犬が、大勢出入りしている。その中でヘルレアは直ぐにサングラスを掛けて女王蜂の元へ歩み寄った。
「湯を貸してくれ」
ヘルレアが珍しく慌てたような雰囲気で、女王蜂へ望みを述べている。ヘルレアの方が先にシャワーを借りて血を浄める事になった。
ヘルレアはどういう手際か四、五分で、血肉を清めて出てきた。あまりにも早いので、カイムは仕組みを訊きたくなったものだが、一応失礼なので黙りを決め込んだ。
――夫になればいずれ分かるもの、か……?
「カイム様、湯殿をお使いください。殺生の血というものは、身体に障るものですよ」
「ありがとうございます……ですが、女王蜂も血に、」
「なんなら、一緒に入ってきたらどうだ」ヘルレアはニタニタといやらしく口を歪めている。
カイムはヘルレアを一切無視して、女王蜂に勧められるまま、彼女より先に湯を借りることにした。
脱衣場にはバスタオルやガウンのような、どこにでもあるバス用具と、数え切れないほどのシャンプーやボディソープが揃えられている。また、香油や肌の手入れを行える高価な品々や、口にするには憚られるものも整然と並んでいた。
カイムは脱衣所を服を着たまま素通りして、湯殿の戸を開ける。蒸気の暖かさと湿った空気に、カイムは少し息をついた。
女王蜂の湯殿は、さすがに娼館という場所柄もあって広い。今は、天井照明が灯されているので、浴室全体を見渡せる。湯殿の隅に大きく窪んだ場所があって、ベッドへ寝具が整えられていた。
「……あそこでいいかな、少し休めるし」
寝台の側まで行くと、天井に大きな鏡が貼ってある事に気付いた。ベッドでの秘め事が大写しで堪能出来る仕掛けだろう。
「色々な趣味の人間もいるものだ」
カイムは主照明を消してから間接照明だけ灯す。湯殿はカイムの居る寝台だけが薄ぼんやりと浮かび上がって、お湯が流れ揉まれる音が微かにする。部屋の空間が広い為に、どのような音も良く反響する。
「……今回は酷く疲れた」息を吐いて首後ろを軽く揉む。
「もし、あいつ等の残った仲間が攻めて来たらどうしよう」カイムは俯いて顔を覆うと、既に乾いていた血が僅かに滑りを取り戻す。顔を上げて手を下ろすと、ベッドのシーツを握り締めた。手は振るえていた。
「どうして僕ばかり……辛い思いをしないといけないんだ」
未だ血に穢れたカイムの手を、優しく覆う手が、白いシーツから伸びていた。白くほっそりした手が、乾きかけの血に擦れて斑にくすむ。
……おいたわしい
……お辛いですか
……痛みませぬか
風を受け戦ぐ葉にのような囁きが、どこともいえない場所から、さまざまな声音で投げ掛けられる。
「とても、痛くて辛いよ」
カイムを包むように周囲へ、強風で枝葉が煽られるような音がざわめいた。しばらく続くと、何の前触れも無しにぴたりと止まる。
…………
…………
……今日も安らかにおやすみください
カイムは頭の重みに任せるまま上向き、一つ溜息を吐く。それは、安堵と、諦め、そして――息苦しさから逃れようとする、重たい息だった。
「……ごめんね、僕の番犬」
今度こそ脱衣所で衣服を脱ぐとシャワーを浴びた。十数分という短い時間で身を浄める。さて、汚れた服はと、カイムは思案しながら湯殿を出ると、脱衣場には先程まで着ていた服が、血の痕跡を一切残さず、皺一つすら無く、ハンガーへかけられていた。
カイムはたった数分入浴しただけで、巣に来たばかりの時そのままに、身繕い出来たのだった。
カイムが脱衣場から出ると、部屋の修理と清掃が行われ、争いの痕跡をまるで残さず清められていた。
「女王蜂、シャワーをありがとうございました」
「いいえ、お礼など仰って頂かなくともよろしいのです」
カイムが女王蜂の傍に居ると、あれほどカイムを嫌っていたヘルレアが、真っ直ぐに彼の元へ近付いて来る。カイムはヘルレアが何か言うものかと思って、何故か身を引きそうになったが、特にこれといって何も言われない。その代わり、カイムはヘルレアからしばらく不躾なまでに観察された。そうして王は少し瞬くと、不思議そうにしている――カイムにはそう見えた。
「……なるほどな、お前らしいや」
「え? 何ですか。僕らしい事しましたか」
ヘルレアが半眼になってカイムの腕を豪快に叩いた。尋常ではないくらい、手加減をしてくれているのは解っているのだが、凄まじく痛かった。
「痛いじゃないですか、力を入れ過ぎですよ、ヘルレア。痣どころか、骨が折れてしまいます。僕は人間なんですから、もう少し手加減して下さい。今ので絶対、痣になってしまいましたよ」
「うるさい、骨でも折れてろ」
「酷いじゃないですか」
女王蜂が楽しそうに声を上げて笑い出した。もう可笑しくってたまらない、といった具合に激しくて、でも、人を元気付けるような暖かな声だった。
つい、カイムはヘルレアと一緒になって、そんな女王蜂を見詰めていると、彼女は笑いを収め頷いて、カイムとヘルレアの手をそれぞれ取った。
「行く道は暗い事ばかりではありません。何があろうとも歩みを止めなければ、この先に幸せも見い出せましょう」
「ん? そうか、そうだな。どうもありがとさん」
「女王蜂、どうしました。僕達、何か意味深な話しでもしましたか?」
チェスカルがカイムへ断りを入れてから、遠慮勝ちに女王蜂との会話に加わる。
「先程は下品な事を言ってすみませんでした」
女王蜂は少し驚いているようだったが、穏やかに笑む。
「チェスカル殿はご自身のお役目を果たされただけ。謝罪なされる必要などございません」
「ん? 下品って何したんだ」
「私とチェスカル殿だけの秘密です。覗いて……? はいけませんよ」
叱らなくてもいいものか? ……と、考ええ、チェスカルに問いかけようとした瞬間、カイムは言葉が出なくなっている事に気が付いた。頭がぼんやりしていて熱く、何も考えられなくて、言葉を探してみても音にならずに、輪郭が暈けて意味を見失う――まただ、また。
力を使い過ぎて、思考能力が著しく低下している。唐突にカイムの身体を支えるものがあって、考えずともそれがジェイドである事が判った。
「女王蜂、寝室をお借りできますか」
ジェイドはかなり焦っていて、カイムへ寄り添っている。女王蜂の了承を得るとカイムはジェイドに身体を支えられたまま、完全に身を任せてベッドへと連れられて行った。
カイムはベッドへ横になると布団を掛けられて、すっかり眼を閉じてしまった。頭が熱くて堪らなかった。ジェイドが下がった気配がするが、恐らくカーテン一枚しか、その距離を置いてはいない。
床へ伏しても、早くなりつつある呼吸と鼓動に、安らぎを幾らも得られず、カイムは眉間を寄せる。
思わずうめき声が漏れて寝返りを打つ。
カイムは独り暗闇の中へ居た。
彼は塵と共に沈むように、純黒の闇に溺れる。
濡れた音がぴちゃぴちゃと繰り返し聞こえる。何か弾力のあるような物が引っ張られ、千切れて行く音がすると、重たい泥の塊が叩きつけられたように、何かが崩壊していく。濡れた音が溢れて、永遠に終わらない。永遠に永遠に、繰り返し続ける。死と苦痛を上書きして、あの仔達は死に続けた。
――ああ、止めてくれ。
――僕の、
――僕の、仔犬達が。
まるで幼い子供のようなものが、自分に縋ってくる事に気が付いた。
それは全てに縋って、縋って――でも払い除けられて、踏み躙られてきたもの。
そうして自分は、その壊れた物を掬い上げて……。
――解っている。知っている。
――だから、僕は嘘付きで残酷なんだ。
額にそっと何かが優しく触れた。ひんやりと石のように冷たくて、でも柔らかな感触がする。とても心地が良くて、急いた呼吸が本来のリズムを思い出したように、ゆったりしたものへと変わっていく。
冷たい物がカイムの額へ寄せられた。その感触が優しく、それが愛おしくてそっと笑みが溢れた。
闇は星の瞬く夜空へと変わっていく。
カイムは無意識に額へと手を伸ばし、柔らかなものへ触れていた。
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