天上の桜

乃平 悠鼓

文字の大きさ
5 / 205
序章

いつかのあの日 《四》

しおりを挟む
 すめらぎは血だらけで、紫微宮しびきゅうの離れにいた。扉の鍵は閉められ、窓まで開かぬように固定されている。まるで、二度と外に出ることができぬようではないか、と思う。皇は自嘲じちょう的な笑みを浮かべると、先程のことを思い出していた。

をこちらへ」

 観世音菩薩かんぜおんぼさつは何の感情も含まぬ声で、沙麼蘿さばら遺骸いがいを見つめながらそう言った。

「お連れにならないで下さい」

 皇は、沙麼蘿を抱き締めるかいなに力を込め、観世音菩薩を見つめる。 

「皇、ソレは置いていてよいものではない。わかっていよう、死してなお、危険なものなのだ」

 だが、そんな言葉一つで、皇には諦められるものではなかった。

「皇」
「私から、奪われるか」

 今まで、捨て置かれたくせに。皇は、観世音菩薩を見た。

「皇、は此処には置けぬ。聖宮せいぐうの隣で眠らせることはできないのだ。ソレはだからな。連れて行け」

 観世音菩薩は後ろに控えていた童子どうじ達に命じ、皇の腕から沙麼蘿の遺骸を受け取ろうとする。童子達は皆手に鈍色にびいろの布のようなものを持っており、それを広げ近寄る。

「そんな暗いものの中に入れられるのか」

 理不尽な、と言うように皇は呟いた。 鈍色は、凶事きょうじのときに使われる色だ。だが、まるで物のように身体を布で巻きつけられ、たった一人で暗い闇の中に葬り去られるというのか。

「お待ちを……!」

 思わず皇は声を上げ、観世音菩薩を見上げた。そして、沙麼蘿の遺骸を取り上げようとしていた童子達を制する。皇は、自らの右手人差し指につけていた母の形見の指環ゆびわを外すと、それを沙麼蘿の左手の中指にそっとはめた。もう二度と動くことのない沙麼蘿の手を取り、両手を胸の前で重ね合わせ、皇もその上に手を重ねる。

「私と母上が一緒だ、これで寂しくはないだろう」

 まるで言い聞かせるように呟くと、乱れていた沙麼蘿の髪を優しく整え、皇は自らの手で鈍色の布の上へと沙麼蘿の身体を置いた。童子達の手ではなく、皇は自分の手で布をその身体に巻き付ける。

後程のちほど愛染あいぜん阿修羅あしゅらより使いが来よう」

 観世音菩薩はそう言うと、童子達に沙麼蘿の遺骸を運ばせ、仏界へと戻って行った。そして、それを遠巻きに見ていた紫微宮しびきゅうの兵達によって、まるで罪人のように皇は連れて来られたのだった。
 離れは静寂に包まれ、自分以外の誰も、この世界に存在しないようではないか。と、皇はまた自嘲じちょう的な笑みを浮かべた。そのとき、扉の前で何かが動く音がして、大神の遠吠えが聞こえた。

須格泉すうの琉格泉るうの

 皇と共に蒼宮そうきゅうに住む、金色に輝く毛並みを持つ須格泉と銀色に輝く毛並みを持つ琉格泉、二頭の兄弟の遠吠えだ。

「皇様」

 少しの間をおいて、花薔仙女かしょうせんにょの声も聞こえた。

「花薔」
「今、お開け致します」

 鍵をける音がして扉がひらくと、二頭の大神が滑り込むように入ってくる。

「あぁ……、なんとお痛わしい」

 皇の姿を見た花薔は、大粒のなみだをこぼした。二頭の大神達も、悲しそうに頭を下げる。

「戻りましょう蒼宮へ。そして、皆で御嬢様の弔いを致しましょう」

 泪にくれる花薔と共に、離れとは対照的にざわめく紫微宮をぬけ、皇達は蒼宮への道を急いだ。








「ナタ」

 托塔天たくとうてんは、手当てを終えたナタを見つめていた。
 あの時、自分がその場へ駆けつけたとき、辺りには何かの咆哮ほうこうが聞こえ、闇が消え去った後だった。多数の兵が倒れ赤紅あかべにが散り、悲惨な光景が広がるその中で、公女こうじょを抱き締めた皇が、その名を叫んでいた。そして、托塔天は見つけた。

「ナタ……!!」

 その二人の更に奥に、うつ伏せ状態で倒れるナタを。托塔天は急ぎ駆け寄り抱き上げる。

「ナタ! あぁ……ナタよ!!」

 抱き上げたナタもまた、そのあま色のきぬを赤紅に染め上げ、酷いさまであった。身体中を傷つけられ、左のかいなはもはや無いも同じだ。
 配下の者に手伝わせ、急ぎ連れ帰ったナタの手当てには、多くの時間を要した。今は落ち着いているように見えなくはないが、その命はもはや風前のともしび

「托塔天、観世音菩薩がお越しになりました」

 突然、屋敷の者からかけられた声に

「通せ」

 とだけ、托塔天は答えた。案内された観世音菩薩は、後ろに二人の童子を従えて入ってきた。

「ナタの具合はいかがですか」

 心配げな観世音菩薩の声に、托塔天はぐっと声を詰まらせ

「何とも申せません」

 と答えた。観世音菩薩は眠るナタの顔を見つめると

「これをナタに」

 と言い、控える童子に目配せした。童子の一人が、手に持つを托塔天に差し出す。それを見た托塔天は、双眸そうぼうを見開いた。

「それは、蟠桃果ばんとうかではございませんか!」

 童子が差し出したそれは、一つの桃。平たくつぶれた形をしているが、色合いが明らかに普通の桃とは違う。全体は純白の雪のように白い、だが一部に牡丹の花が咲いたように紫がかった濃い紅色がある。
 道界と仏界の間にある、長く折れ曲がった樹廻廊じゅかいろうと言われる場所にだけ存在する、めったに見ることのできない桃だ。

「これは千五百年に一度熟する蟠桃果です。失くした左の腕を元に戻すことはできないが、食べるなり飲むなりすれば、きっとナタは元気になるでしょう」

 観世音菩薩の言葉に、托塔天は感泣かんきゅうしながら蟠桃果を受け取った。蟠桃果は、熟すまでの期間によって効能が変わる。
 上界にとって千五百年はわずかなものだが、それでも息子二人を既に亡くしている托塔天にとっては、とてもありがたかった。これでナタは助かる、そう思っていたとき

「またこちらは、釈迦如来しゃかにょらいが自らの手で摘まれた蓮華より作られたナタの防具です。目覚めたのちの、ナタの力となりましょう」

 と、もう一人の童子に目配せし、その手に持っていた荷を差し出させた。

「なんと、釈迦如来が御自おんみずから」

 托塔天は、感涙かんるいに震える手で荷を受け取る。そして、ナタの為に作られた防具を見た。非の打ち所のない、素晴らしい防具だった。

「ありがたい」

 そう呟いた托塔天に

「ナタは、この上界を救ったのです。ナタの力こそが、あの魔を滅する力となったのです」

 と観世音菩薩は言うと、もう一度眠るナタの姿を確認した。そして

「ナタが目覚めるまで、持ちこたえられよ」

 と言い残し、屋敷を後にした。

「ナタが目覚めるまで、我が一族でいかなる戦いからも護らねばなるまい」

 托塔天は、一人決意をあらたにするのだった。




********

自嘲→自分で自分をあざけること
童子→子供のこと、仏・菩薩・明王などの眷属。ここでは眷属
鈍色→暗い灰色
凶事→縁起の悪い出来事、不吉なこと
感泣→深く感じて泣くこと
蓮華より作られた防具→一説にはナタは、釈迦如来が蓮の葉や根で肉体を造って蘇生させたと言われていますので、そこからナタではなく防具を作ったことにしました
感涙→感激・感動のあまり流す涙

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

Another World-The origin

ファンファン
SF
現実に飽きた世界を、本物の「業」が震撼させる。 九十二歳、一之進。かつて国宝を打ち上げ、戦場を駆けた「生ける伝説」。 隠居した彼が手にしたのは、息子から贈られた最新のVRギアだった。 ステータス? スキル? そんなものは関係ない。 「本物」が振るう一撃は、物理演算さえも置き去りにする。 これは、役目を終えたはずの老兵たちが、電脳世界で再び「魂の火」を灯すまでの物語。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

処理中です...