ペトリコール

三太丸太

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ペトリコール

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「今までお世話になりました。ありがとうございました」

 事務的に挨拶をし、残った私物を持って会社を出ていく。
 俺は今日、13年間勤めた会社を辞めた。

 新卒で入社して13年。
 自分なりに頑張ってきたし、上司もそれを認めてくれていた。
 順調に肩書も上がり、課長もすぐだなと周りにも言われていた。
 自分もそのために努力していた。

 しかし、それは昨年から狂い始めた。
 父親をガンで亡くし、四十九日が終わろうとする頃、母親と妹も事故で亡くした。
 2ヶ月と経たない内に家族を失った俺は抜け殻のようになった。

 葬儀が終わった後、余計な事を考えない様に仕事に没頭した。
 しかし、それに反して、今までしたことがないようなミスを繰り返す様になっていった。

 仕事しかなくなり、更なる昇進を目指していた俺には、そのミスが大きく圧し掛かってきた。
『こんなミスをしていたら評価に響く』、『昇進が出来なくなる』と考えるようになり、必要以上に確認をするようになっていった。

 確認をすればミスは減るが、1つの仕事に時間がかかる。
 そうなると次の仕事が滞り、更に焦りが生じる。
 焦れば焦るほどミスが増えていき、更に確認する時間が増えるという悪循環に陥っていった。
 家に帰っても仕事の事を考えて眠れず、眠れないとさらに頭が回らなくなり仕事が滞る。
 そして、ついに仕事が期日に間に合わなくなった。

 上司から病院受診を勧められ、近所のクリニックに受診すると抑うつ状態と言われた。
 休職した方がいいと言われたが、じっとしていると考えてしまうし、昇進出来なくなると断った。
 それならばと薬を出されたが、服薬するとぼーっとして頭が回らなくなるので、飲まなかった。
 主治医や上司には薬を飲んで元気になってきましたと嘘をついていた。
 しかし、嘘をつくことで仕事をきちんとやらなければというプレッシャーがさらに強くなり、結局、職場で倒れた。

 その後の事はあまり記憶にない。
 気が付くと病院のベッドで寝ていた。
 入院していたのは1週間だろうか、1か月だったろうか。
 睡眠や食事は摂れるようになったが、頭の中は膜がかかったようにぼんやりした状態が続いていた。
 主治医や上司は復帰を焦らなくていいと言ってくれていたが、俺にはもう復帰する気力はなかった。
 周りが止めてくれる中、反対を押し切って俺は仕事を辞めることにした。

 最後の荷物を回収し、もうこのエントランスを通る事はないんだなと他人事の様に考えながら会社を出る。
 これから先のことはまだ考えていない、というか考えられる頭ではなかった。
 全てを失った俺には生きる気力も無くなっていた。
 この先どうしようかと考えていると、パラパラと雨が降ってきた。
 俺の心模様と同じで、新たな門出も好天には恵まれないらしい。

 ふいに雨の匂いがしてきた。
 温まったアスファルトや土に雨粒が落ち始めた時の匂い。
 この匂いが好きだった。
 なぜか子供の頃を思い出すから。

 少年野球をやっていたあの時。
 みんなで雨宿りをして、もっと降れば練習も中止だと喜んでいた。
 結局、通り雨でその後練習は再開したけど、泥だらけになったユニフォームがなぜか誇らしかったな。

 友達と公園で遊んでいたあの時。
 遊具の中で雨宿りをして、秘密基地気分だった。
 照れながらクラスの女の子の話なんかもしたな。
 誰が誰を好きかなんてお互いにバレバレだったのに、当てられると必死に隠して否定していたっけ。

 どれもが懐かしく、微笑ましい記憶たち。
 思い出すのはいつも小学生の頃の記憶だった。
 20年以上も前の、遠い昔の記憶。
 全てが新鮮で楽しくて、1日が今の何倍にも感じていたあの頃。
 決して戻ることが出来ない、幸せだったあの頃。

 ただ、1つだけ不思議な記憶があった。

 小学校の裏にある小さな山で、かくれんぼをしていた時の記憶。
 突然雨が降り出したので、近くにあったお社の軒先で雨宿りをしていた。
 少しすると、近くに隠れていたであろう女の子も雨宿りに来た。
 初めは照れ臭かったけど、少しずつ打ち解けて話をしていく。
 学校のこと、友達のこと、野球のこと、昨日見たTVのこと。
 やがて雨の勢いが弱くなり、家に帰ることにした。
『また明日な』と女の子に声をかけて。
 女の子はにっこり笑って『うん』と頷いた。
 しかし、それ以降その女の子と会うことはなかった。

 今まで気にしていなかったけど、あの子は誰だったんだろう。
 同じ学校でもない、近所の子でもない。
 一緒に遊んでいた子だと思っていたけど、山の中でかくれんぼをしていたのは仲のいい男の子の友達だけだった。

 単なる記憶違いなのかわからないが、郷愁に駆られる。
 どうせ時間は沢山あるし、実家を整理するついでにあの社に行ってみよう。

 思えば両親や妹を亡くして以来、仕事以外の何かをしてみようとするのは久しぶりな気がする。
 これまでは何もする気が起きず、腰が上がらないまま時間が過ぎていた。

 思い立ってすぐに駅に向かい、生まれ育った町までの切符を買う。
 電車で3時間程度。
 いつでも帰れる距離なのに、就職してからは一度も帰らなかったな。

 電車に揺られながら、あの女の子の事を考える。
 小さな町の小さな学校。
 仲の良さは別として、近所に顔や名前を知らない子はいなかった。
 親戚などにも思い当たる節はない。
 あの場所で出会ったこと以外、女の子についての記憶はなかった。
 社に行ったところで、何かが分かる訳でも変わる訳でもないが、この先何もない自分にとって、あの場所に行く事が何よりも重要な気がしていた。

 結局、女の子の検討もつかないまま地元の駅についた。
 駅からだと小学校の方が近いので、先に社に行ってみることにした。
 久しぶりの道に懐かしさを感じながら歩いていく。

 小学校の校舎の窓には『開校115周年』と貼ってある。
 オレたちの頃は90周年くらいだった。
 通っていたころはとても大きく感じた校舎もグラウンドも山も、こんなものだったか?と感じるくらい小さく見えた。

 山に入って記憶を頼りに社を探す。
 記憶では雨宿りしながら校舎を見下ろしていたはずなので、おおよその位置も検討がついていた。
 運動不足の身体にはきつい傾斜を、息を切らしながら登っていく。
 こんなところをよく縦横無尽に走り回れたものだと、子供の頃の自分に感心した。

 山に入って10分程で、記憶にあった社を発見した。
 校舎や山と同様にやはり小さく感じるが、元々古かったせいか、当時と変わらないようにも見えた。

 25年ほど前、自分は確かにここにいた。
 遠い昔に感じるが、9000日ちょっとしか経っていない。
 昨日の俺は何をしていただろうか?
 それをたった9000回繰り返せば、あの頃の俺に辿り着く。
 あの頃の俺と今の俺は繋がっているはずなのに。

 大学を出て就職して、心を壊すまで頑張った結果、全てを失った。
 9000日前に持っていた輝かしい未来は、どこかで落としてしまった。

 喉や鼻の奥が熱くなり、涙が込み上げてくる。

 どうしてこうなったのだろう?
 何処で何を間違えたのだろう?
 俺は何か悪いことでもしたのだろうか?

 纏まらない考えや後悔が頭の中で渦巻き、堪え切れずに膝をつき嗚咽を漏らす。

 その時、再び雨の匂いがした。
 涙や鼻水で匂いは感じないはずなのに、あの時と同じように、突然雨が降り出した。

「遅いよ」

 突然声がし、驚いて振り向くとあの時の女の子がいた。

「君の1日は25年もあるのかな?」

 腕を組んで少し口を尖らせる女の子。
 記憶のままの、名前も知らない女の子。
『君は誰なの?』と聞こうとしても声にならない。

「まぁ君の事は見ていたからもう文句は言わないけどさ」

 そう言うと俺に近づき、そっと頭を抱き寄せた。

「辛かったね。でも、もう頑張らなくてもいいんだよ。もう一度ゆっくりやり直そう」

 久しく感じていなかった暖かい言葉と温もりに涙が止まらなくなった。
 名前も知らない女の子に縋るように後悔や歯痒さを吐き出した。
 女の子は優しく頭を撫でながら、黙って聞いていてくれた。

 雨の匂いがする。
 優しさと安心感に包まれて、泣き疲れて寝てしまったのか、辺りはもう暗かった。
 雨は止み、女の子の姿ももうなかった。
 感情を素直な吐き出して、子供の頃に戻ったかのような懐かしい気分に浸れていた。
 ここへ来て良かった。
 そろそろ実家に行こうと思ったが、身体がうまく動かない。
 雨に打たれて冷えたせいだろうか。

「しょうたー! どこだー!」

 俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
 ここに来ることは誰にも伝えていないはずだが、誰かが俺を探しているようだ。
 しかもひどく懐かしい声だ。
 今度は泣き過ぎたせいか、声がガラガラで上手く出てこない。
 足音が近づいてきて懐中電灯の灯りに照らされる。

「ここにいたのか! 心配したぞ!」
「と、父さん?」

 若々しく、元気だった頃の父さんが近づいてくる。

「大丈夫か!? 怪我はないか!?」
「何で父さんが……?」
「お前がいなくなったと健太達に聞いたから探しに来たんだろ!」

 そう言うと父さんは俺の身体を触り、怪我していないか確認していく。

「大丈夫そうだな。ほら乗れ」

 背中を向けて屈む父さん。
 混乱したまま負ぶさろうとした時に気がついた。

 身体が小さく、服装もスーツじゃない。
 小学生の頃によく着ていたジャージ姿だった。

「父さん、母さんと美沙は?」
「家で心配して待ってるから早く帰るぞ!」
「今は何年?」
「何言ってるんだ? 1996年だろ。寝ぼけてるのか?」

 父さんにおんぶされて、その温かさと広さにまた涙が止まらなくなる。

「怖かったな。父さんが来たからもう大丈夫だからな」

 優しい声で俺を慰めてくれる。
 あの頃の本物の父さんだ。

 あの時に戻ったのだろうか?
 それとも全て夢だったのだろうか?
 どちらか分からないが、あの子のおかげだということはハッキリとわかった。

 父親の広い背中に身を預け、何となく社の方に振り向いて言った。

「また明日な」

「うん!」

 女の子の声が聞こえた気がした。

 約束するよ。
 今度の明日は25年後じゃない、1日後だ。


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