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第1部
4 | 魔の力と術と - セルシウス②
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だいたい十歳のガキの面影が成人した男にのこっているわけがないのだ。覚えているオンスの記憶力がどうかしている。
十五歳の私はさぞかし自信過剰でろくでもなかっただろうし、こっちが忘れていることを覚えられているのは居心地が悪い。いま、もし魔術がつかえるなら、ベルスタの記憶から十年前のことを消してしまうのに。
目の前にカルデラ湖がひろがっていた。ずいぶん遠くまで走ってきてしまった。
月光に満ちた湖面に口をつけ、喉を潤す。息を整えてから山小屋へ引き返した。
帰り道は、兄弟子のことを考えた。
二年前。「貴様が疎ましかったよ」とマクスウェルに言われたとき、私には驚きしかなかった。だから反応が遅れ、防御できなかった。マクスウェルの魔術に臓腑は焼け、死を覚悟した。かすれる意識の中、最後の力でラザフォード家へ転移した。
結局、いくら高度な魔術が使えたとしても、底なしの魔力を持っていたとしても、所詮は人間なのだ。信用している相手には隙だってあるし、完全無欠というわけにはいかない。
姿を現さずに殺すこともできたはずなのに。わざわざ、呪いのような捨て台詞を用意して、私を殺したのだ。
そんなに嫌っていた人間を今度は探し出してどうするというか。私だったら二度と顔も見たくない。
◇◇◇
山小屋へ戻ると、ベルスタはまだ手紙を書いていた。
「なにをそんなに悩んでいるんだ。礼を伝えるだけだろう」
「ありきたりな文章にはしたくないんだ。それに近況報告を書きたいのだが…牧羊犬が話すことは書けないし、魔物と右目を交換したことも書けないし、そうなると、なにを書けばいいのか…」
「羊飼いの日常なんて、平和そのものだものな」
「ところでどこを走ってきたんだ。濡れてるじゃないか」
「その状態でベッドにあがるなよ」とベルスタは言って立ち上がる。布きれを持ってくると、雑な手つきで私の体を拭いた。
「ん、毛艶がよくなってないか」
「キュリー夫人の命令で風呂に入れられたし、櫛で毛をとかされた」
「贅沢なことだ。このペンダント、石は目の色と合わせているんだな」
「犬にはもったいない代物だろう」
片腕の元軍人は、「それだけ大事にされているんだ」と言う。かすかに微笑んでいるように見える。
生まれ故郷とはいえ、なぜこんなところで羊飼いをしているのか。もっとほかに、いるべき場所があるんじゃないのか。
「山をおりることは考えていないのか」
そう言ったのは私ではなくベルスタだった。同じことを考えていたので驚いてしまう。
「今のところは…」
ベルスタは、「そうか」と言って私の体を撫でた。
「ではしばらくは退屈しなくてすみそうだな。手紙はまた明日書くことにしよう。ああ、慣れないことをして肩がこった」
私は牧羊犬としての暮らしに満足している。シュルッセル・ラザフォードは死んだのだ。そして死んでしまった人間は、二度と生き返ることはない。どんな魔術を使ったとしても。
◇◇◇
書きあがったベルスタの手紙を読んだとき、ありきたりな文章を書きたくないとよく言えたなと思った。
まるで報告書だったが、軍人相手には貴族の気取った文章よりも、簡潔でわかりやすいほうが好まれるのかもしれない。
サッシュの礼と、羊飼いとしての暮らしぶりと、それから次の新月に催される羊の毛刈り祭りのこと。最後に相手(ジュールという名だった)の健勝を祈る文面。
ベルスタの人となりを表しているような手紙ではあった。なにより、もらった本人がとても喜んでいる様子だから、私は口出ししなくて正解だった。
「様子を見に行きたいとは思っていたんだ」と言って闊達に笑う、ベルスタよりも一回り大きな体躯から一目で軍人とわかる男。
それで、来るか? 王都から? 辺境の村の祭りに?
「お前がセルシウスだな」
見下ろされる圧がすごい。頭を撫でる力が強い。遠慮がない。
ベルスタは急な来訪に驚きつつもうれしそうに祭りを案内していた。私を放って。
やることがないのでケルビンを見習う。
逃げ出した羊がいないか祭りを巡回しているとオンスが近寄って来て、「真面目に働いているじゃないか」と声をかけられた。
人目があるから余計なお世話だと返すこともできず、むすっとオンスの髭面を見上げる。
「なんだ、機嫌が悪いな」
そんなことはない。
「ああ、立派な客人が来ているのか」
オンスは私のとなりをついて歩く。
「村の娘たちも残念だなぁ、あれじゃあ狙いのベルスタに声をかけられない。それとも客人も一緒に楽しむってのも一興か」
周囲の音楽のせいか、村人たちの陽気な雰囲気のせいか、オンスの声がいつもより楽しそうに聞こえる。のが、面白くない。
「セルシウス、今夜は儂のところへ泊るといい」
まるで私が邪魔者のようじゃないか。
村のはずれにきていた。周囲にだれもいないことを確認してから、「そういうわけにはいかない」とつぶやく。
「ベルスタの右目はリリスに取られているんだ」
「リリス? って、屋敷の使用人のか?」
「ああ、魔術が使える女だと思っていたが、正体は魔物だった」
「なんとまあ…」
「姉上はわかっているかもしれないが、念のためテスに伝えておいてくれ」
「伝えておこう。しかしだからって」
そのあとの言葉は聞いていない。ちょうど祭りからはぐれた羊が目に入って駆け出していたから。
十五歳の私はさぞかし自信過剰でろくでもなかっただろうし、こっちが忘れていることを覚えられているのは居心地が悪い。いま、もし魔術がつかえるなら、ベルスタの記憶から十年前のことを消してしまうのに。
目の前にカルデラ湖がひろがっていた。ずいぶん遠くまで走ってきてしまった。
月光に満ちた湖面に口をつけ、喉を潤す。息を整えてから山小屋へ引き返した。
帰り道は、兄弟子のことを考えた。
二年前。「貴様が疎ましかったよ」とマクスウェルに言われたとき、私には驚きしかなかった。だから反応が遅れ、防御できなかった。マクスウェルの魔術に臓腑は焼け、死を覚悟した。かすれる意識の中、最後の力でラザフォード家へ転移した。
結局、いくら高度な魔術が使えたとしても、底なしの魔力を持っていたとしても、所詮は人間なのだ。信用している相手には隙だってあるし、完全無欠というわけにはいかない。
姿を現さずに殺すこともできたはずなのに。わざわざ、呪いのような捨て台詞を用意して、私を殺したのだ。
そんなに嫌っていた人間を今度は探し出してどうするというか。私だったら二度と顔も見たくない。
◇◇◇
山小屋へ戻ると、ベルスタはまだ手紙を書いていた。
「なにをそんなに悩んでいるんだ。礼を伝えるだけだろう」
「ありきたりな文章にはしたくないんだ。それに近況報告を書きたいのだが…牧羊犬が話すことは書けないし、魔物と右目を交換したことも書けないし、そうなると、なにを書けばいいのか…」
「羊飼いの日常なんて、平和そのものだものな」
「ところでどこを走ってきたんだ。濡れてるじゃないか」
「その状態でベッドにあがるなよ」とベルスタは言って立ち上がる。布きれを持ってくると、雑な手つきで私の体を拭いた。
「ん、毛艶がよくなってないか」
「キュリー夫人の命令で風呂に入れられたし、櫛で毛をとかされた」
「贅沢なことだ。このペンダント、石は目の色と合わせているんだな」
「犬にはもったいない代物だろう」
片腕の元軍人は、「それだけ大事にされているんだ」と言う。かすかに微笑んでいるように見える。
生まれ故郷とはいえ、なぜこんなところで羊飼いをしているのか。もっとほかに、いるべき場所があるんじゃないのか。
「山をおりることは考えていないのか」
そう言ったのは私ではなくベルスタだった。同じことを考えていたので驚いてしまう。
「今のところは…」
ベルスタは、「そうか」と言って私の体を撫でた。
「ではしばらくは退屈しなくてすみそうだな。手紙はまた明日書くことにしよう。ああ、慣れないことをして肩がこった」
私は牧羊犬としての暮らしに満足している。シュルッセル・ラザフォードは死んだのだ。そして死んでしまった人間は、二度と生き返ることはない。どんな魔術を使ったとしても。
◇◇◇
書きあがったベルスタの手紙を読んだとき、ありきたりな文章を書きたくないとよく言えたなと思った。
まるで報告書だったが、軍人相手には貴族の気取った文章よりも、簡潔でわかりやすいほうが好まれるのかもしれない。
サッシュの礼と、羊飼いとしての暮らしぶりと、それから次の新月に催される羊の毛刈り祭りのこと。最後に相手(ジュールという名だった)の健勝を祈る文面。
ベルスタの人となりを表しているような手紙ではあった。なにより、もらった本人がとても喜んでいる様子だから、私は口出ししなくて正解だった。
「様子を見に行きたいとは思っていたんだ」と言って闊達に笑う、ベルスタよりも一回り大きな体躯から一目で軍人とわかる男。
それで、来るか? 王都から? 辺境の村の祭りに?
「お前がセルシウスだな」
見下ろされる圧がすごい。頭を撫でる力が強い。遠慮がない。
ベルスタは急な来訪に驚きつつもうれしそうに祭りを案内していた。私を放って。
やることがないのでケルビンを見習う。
逃げ出した羊がいないか祭りを巡回しているとオンスが近寄って来て、「真面目に働いているじゃないか」と声をかけられた。
人目があるから余計なお世話だと返すこともできず、むすっとオンスの髭面を見上げる。
「なんだ、機嫌が悪いな」
そんなことはない。
「ああ、立派な客人が来ているのか」
オンスは私のとなりをついて歩く。
「村の娘たちも残念だなぁ、あれじゃあ狙いのベルスタに声をかけられない。それとも客人も一緒に楽しむってのも一興か」
周囲の音楽のせいか、村人たちの陽気な雰囲気のせいか、オンスの声がいつもより楽しそうに聞こえる。のが、面白くない。
「セルシウス、今夜は儂のところへ泊るといい」
まるで私が邪魔者のようじゃないか。
村のはずれにきていた。周囲にだれもいないことを確認してから、「そういうわけにはいかない」とつぶやく。
「ベルスタの右目はリリスに取られているんだ」
「リリス? って、屋敷の使用人のか?」
「ああ、魔術が使える女だと思っていたが、正体は魔物だった」
「なんとまあ…」
「姉上はわかっているかもしれないが、念のためテスに伝えておいてくれ」
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そのあとの言葉は聞いていない。ちょうど祭りからはぐれた羊が目に入って駆け出していたから。
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