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<おまけ>8.5 春恋し巳
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ーとある春の日、私は村の守り神として崇められていた『ツクオカベカガミノミコト』、いや『カガミ』様のもとへ嫁いだ。
その夜、私はカガミ様が白蛇の精である事、この地『ツキオカ』を守る主であることを知った。
そして夢か現か分からない……、なんというか心を撫でられるかのようなとても不思議な体験を通してカガミ様が何をしようとしているかを知った。
その経験により私はカガミ様を信じる事、支える事、そして愛する事を決めた。
その後『蛟の儀』を通して、おそらく人間が理解できない領域の断片を経験し、カガミ様と御霊の奥深く結ばれた……。
その数日後ー。
「奥様、無理なさっては駄目ですよ!」
「一目でいいの!カガミ様に……会いたい。」
キヨは寝巻きのままの格好で、物に掴まりながら廂の奥に進む。
時にふらつき、その体を官女に支えられる。
「儀式の後2日間も眠り続けてた程なんですから、もう少しお休みに……。」
キヨは『蛟の儀』の最後に見たカガミの姿が気がかりだった。
白い体は所々鱗が剥がれ、光を失い、頭は地面に垂らして力尽きた姿。
(支えるって決めたのに……、こんな時に2日も側に居られなかった。)
「カガミ様。奥様がお会いしたいと……。」
寝所の前で、官女が簾の反対側に居ると思われるカガミに恐る恐る話しかける。
返事は返ってこない。
「禊を終えられたばかりで、疲れてお休みになられているのかも……。」
官女が首を振り、諦めて引き返そうとした時、中から物音がした。
通せ、と部屋のかなり奥から小さな返事が返ってくる。
キヨは灯りのない暗い部屋の奥へ進む。
曇り空で、昼間であってもその外からの光は頼りない。
「カガミ様、お身体は……。」
暗闇で何か長い物がゆっくりとうねる。
「……目が覚めたのだな。」
蛇のカガミが赤紫の目をキヨに向ける。
キヨはしゃがんでカガミの顔に両手でそっと触れた。
いつもの抑揚のない話し方だが、その声はいつもより小さく威厳は無い。
「……初めての儀式の後で不安だったであろう。
でも、大丈夫だ。この後も何か必要な物があれば官女達に何でも言うと良い。何一つ不自由にさせぬようにと全てを任せてある。」
そう言いながら苦しそうに唸り、その身を人間の姿に変えた。
その顔は若干やつれていた。
「さあ、戻って休むが良い……。」
そのまま向き合ったキヨの体を両腕で抱き、優しく頭を撫でてやる。
しかし、座った状態でも上半身を起こしているのが辛いのか、やがて片手を床についてキヨに覆いかぶさるように前のめりに体勢を崩してしまう。
「お願いやめて!今その姿になるのはお辛いのでしょう?
私はもう本当のあなたを受け入れているのですから……、人間の姿で私を安心させようなんて思わなくていいんです……。」
キヨは震える手でカガミの頭を抱いて支える。
カガミは再び蛇の姿になり、
床からゆっくりと顔を上げた。その目の前では不安そうな表情を浮かべたキヨがじっと見ている。
「カガミ様……。私は儀式で何か間違った事をしてしまったのでしょうか。だからカガミ様はそんなに傷付いて……。」
「……そうでは無い。そうでは無いのだキヨ。
本来、人と精霊という異なった種族が『特異な子』を宿すというのは『自然な理』では無い。
だからこれは、『自然な理』では無い事を起こす力を得る為の代償なのだ。
しかし、それはお前が背負うような事では無い。」
カガミはキヨの腰に腕を回すように、ゆっくりとその身を巻きつかせる。
そして頭を腹の辺りに這わせた。
「お前も聞くといい。水を統べる尊き存在の鼓動を。」
キヨは腹部に手を当てて目を閉じてみる。
一瞬だけ泡の音や、ちゃぷちゃぷと水の中を何かが動き回るような音がした。
さらに意識を集中させると、雨の匂いや、霧が顔に触れる感触を感じた。
「無事に私達の子を宿したのだ。この地を守る子を。
……ありがとう。山場を越えて少し安心した。」
カガミは頭をキヨの膝の上に降ろし、そのまま地面に打ち捨てられた縄のようにぐったりとした。
「カガミ様!」
「……私はその子の誕生の瞬間をこの目で見ることは叶わないだろう。
精霊の領域の森へ行かねば。」
「新しく家族になれると思ったのに。また一人にしないで下さい……!」
キヨは上半身を伏して、膝の上のカガミの頭を両手で抱く。
カガミは力無く含み笑いをする。
「キヨよ……。何を早まっている。
この程度で死んでいたら主としても、長虫(蛇の異称)の一族としても末代までの恥であろう?
少し眠ってまた力を蓄えるだけだ。必ず戻ってくる。」
キヨは濡れた目の端を指で拭い、はい、と弱々しく返事した。
「さて、少しだけこうさせてくれぬか……。しばらくこの温もりを感じられなくなるのだから……。」
ーそれから夏を過ぎ、秋が来て、『蛟の子』である『ニニギ』が生まれた。
名前はカガミ様が森で眠る前に考えてたらしく、繁栄や豊かさを表しているらしい。
ニニギは龍のような角や尾が生えていたけれども、普通の人の赤ん坊と何も変わらない可愛らしい子だった。
それから官女やカガミ様の家臣の助けを借りながらこの子の成長を見守り、冬を過ぎ、春がやって来た。
しかし、カガミ様は戻らなかった。
官女達はこの人間と精霊の境目であるこの場所とカガミ様が休んでいる精霊の領域とは時間の流れが違うからまだ回復しないのだと説明した。
それからまた次の春ー。
言葉を話せるようになってきたニニギがある時、昼寝から目覚めてこう言った。
「かか様!森でね、とと様がおんぶしてくれたんだよ。大きくてキラキラした背中だったんだよ。」
それからニニギは私をよく外に連れ出そうとするようになった。
そしてー。
*
「……春、か。
このまま心地良い場所で丸くなっていたい所だが、寝過ごしてる暇はなさそうだ。
何せ大きくなった我が子が我が夢にまで会いに来てくれたのだから。
それにキヨとの約束も……。」
輝石の如く煌く白蛇は虫達が忙しく動き回る温かい土を出て、樹木の柔らかな若芽や花木の艶やかな花弁の色を写した水辺にその身をつける。
「行くか。愛しき我が子とキヨが呼んでいる。」
(完)
<おまけ・表紙イラスト>
その夜、私はカガミ様が白蛇の精である事、この地『ツキオカ』を守る主であることを知った。
そして夢か現か分からない……、なんというか心を撫でられるかのようなとても不思議な体験を通してカガミ様が何をしようとしているかを知った。
その経験により私はカガミ様を信じる事、支える事、そして愛する事を決めた。
その後『蛟の儀』を通して、おそらく人間が理解できない領域の断片を経験し、カガミ様と御霊の奥深く結ばれた……。
その数日後ー。
「奥様、無理なさっては駄目ですよ!」
「一目でいいの!カガミ様に……会いたい。」
キヨは寝巻きのままの格好で、物に掴まりながら廂の奥に進む。
時にふらつき、その体を官女に支えられる。
「儀式の後2日間も眠り続けてた程なんですから、もう少しお休みに……。」
キヨは『蛟の儀』の最後に見たカガミの姿が気がかりだった。
白い体は所々鱗が剥がれ、光を失い、頭は地面に垂らして力尽きた姿。
(支えるって決めたのに……、こんな時に2日も側に居られなかった。)
「カガミ様。奥様がお会いしたいと……。」
寝所の前で、官女が簾の反対側に居ると思われるカガミに恐る恐る話しかける。
返事は返ってこない。
「禊を終えられたばかりで、疲れてお休みになられているのかも……。」
官女が首を振り、諦めて引き返そうとした時、中から物音がした。
通せ、と部屋のかなり奥から小さな返事が返ってくる。
キヨは灯りのない暗い部屋の奥へ進む。
曇り空で、昼間であってもその外からの光は頼りない。
「カガミ様、お身体は……。」
暗闇で何か長い物がゆっくりとうねる。
「……目が覚めたのだな。」
蛇のカガミが赤紫の目をキヨに向ける。
キヨはしゃがんでカガミの顔に両手でそっと触れた。
いつもの抑揚のない話し方だが、その声はいつもより小さく威厳は無い。
「……初めての儀式の後で不安だったであろう。
でも、大丈夫だ。この後も何か必要な物があれば官女達に何でも言うと良い。何一つ不自由にさせぬようにと全てを任せてある。」
そう言いながら苦しそうに唸り、その身を人間の姿に変えた。
その顔は若干やつれていた。
「さあ、戻って休むが良い……。」
そのまま向き合ったキヨの体を両腕で抱き、優しく頭を撫でてやる。
しかし、座った状態でも上半身を起こしているのが辛いのか、やがて片手を床についてキヨに覆いかぶさるように前のめりに体勢を崩してしまう。
「お願いやめて!今その姿になるのはお辛いのでしょう?
私はもう本当のあなたを受け入れているのですから……、人間の姿で私を安心させようなんて思わなくていいんです……。」
キヨは震える手でカガミの頭を抱いて支える。
カガミは再び蛇の姿になり、
床からゆっくりと顔を上げた。その目の前では不安そうな表情を浮かべたキヨがじっと見ている。
「カガミ様……。私は儀式で何か間違った事をしてしまったのでしょうか。だからカガミ様はそんなに傷付いて……。」
「……そうでは無い。そうでは無いのだキヨ。
本来、人と精霊という異なった種族が『特異な子』を宿すというのは『自然な理』では無い。
だからこれは、『自然な理』では無い事を起こす力を得る為の代償なのだ。
しかし、それはお前が背負うような事では無い。」
カガミはキヨの腰に腕を回すように、ゆっくりとその身を巻きつかせる。
そして頭を腹の辺りに這わせた。
「お前も聞くといい。水を統べる尊き存在の鼓動を。」
キヨは腹部に手を当てて目を閉じてみる。
一瞬だけ泡の音や、ちゃぷちゃぷと水の中を何かが動き回るような音がした。
さらに意識を集中させると、雨の匂いや、霧が顔に触れる感触を感じた。
「無事に私達の子を宿したのだ。この地を守る子を。
……ありがとう。山場を越えて少し安心した。」
カガミは頭をキヨの膝の上に降ろし、そのまま地面に打ち捨てられた縄のようにぐったりとした。
「カガミ様!」
「……私はその子の誕生の瞬間をこの目で見ることは叶わないだろう。
精霊の領域の森へ行かねば。」
「新しく家族になれると思ったのに。また一人にしないで下さい……!」
キヨは上半身を伏して、膝の上のカガミの頭を両手で抱く。
カガミは力無く含み笑いをする。
「キヨよ……。何を早まっている。
この程度で死んでいたら主としても、長虫(蛇の異称)の一族としても末代までの恥であろう?
少し眠ってまた力を蓄えるだけだ。必ず戻ってくる。」
キヨは濡れた目の端を指で拭い、はい、と弱々しく返事した。
「さて、少しだけこうさせてくれぬか……。しばらくこの温もりを感じられなくなるのだから……。」
ーそれから夏を過ぎ、秋が来て、『蛟の子』である『ニニギ』が生まれた。
名前はカガミ様が森で眠る前に考えてたらしく、繁栄や豊かさを表しているらしい。
ニニギは龍のような角や尾が生えていたけれども、普通の人の赤ん坊と何も変わらない可愛らしい子だった。
それから官女やカガミ様の家臣の助けを借りながらこの子の成長を見守り、冬を過ぎ、春がやって来た。
しかし、カガミ様は戻らなかった。
官女達はこの人間と精霊の境目であるこの場所とカガミ様が休んでいる精霊の領域とは時間の流れが違うからまだ回復しないのだと説明した。
それからまた次の春ー。
言葉を話せるようになってきたニニギがある時、昼寝から目覚めてこう言った。
「かか様!森でね、とと様がおんぶしてくれたんだよ。大きくてキラキラした背中だったんだよ。」
それからニニギは私をよく外に連れ出そうとするようになった。
そしてー。
*
「……春、か。
このまま心地良い場所で丸くなっていたい所だが、寝過ごしてる暇はなさそうだ。
何せ大きくなった我が子が我が夢にまで会いに来てくれたのだから。
それにキヨとの約束も……。」
輝石の如く煌く白蛇は虫達が忙しく動き回る温かい土を出て、樹木の柔らかな若芽や花木の艶やかな花弁の色を写した水辺にその身をつける。
「行くか。愛しき我が子とキヨが呼んでいる。」
(完)
<おまけ・表紙イラスト>
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