2 / 16
一度目の人生
2 断れない縁談
しおりを挟む
更に数年を経て、ウィリアムは都へ遊学した。ジェイムズは領地に留まっていた。自室から出るようになったものの、社交を避け、屋敷へこもっているらしかった。
その頃、私は行儀見習いを兼ねて、バウンティランド家の侍女として、伯爵夫人にお仕えすることとなった。
伯爵夫妻は寛大で親切だった。この二人から、どうしてウィリアムのような子供が育ったのか、理解できない。
社交シーズンには夫妻に同行して都へ住まいを移したが、遊学中のウィリアムと顔を合わせることはなかった。メイドたちの噂話を小耳に挟んだところでは、時折金の無心に訪れていたようである。
領地へ戻ると、ジェイムズがいる。彼とは、図書室で偶然会って以来、言葉を交わすようになっていた。
「詩集ですか」
「ああ。パスチャー伯が貸してくださった。ある役人から贈呈されたとか」
リトマールという女騎士が、運命の人を求めて遍歴する話のようだった。聞いたこともない作者である。
「ちょっと、小さい頃の君を思い出した」
「あの頃は、楽しかったです」
発疹の痕が顔にまで痛々しく残ってはいたが、彼の持つ雰囲気は損なわれていなかった。その美しい緑の瞳に見つめられると、私はいつも体をくすぐられるような心持ちになるのだった。
「領地の管理を手伝っている。両親が婿入り先を探してくれているが、私は領地管理人に雇われれば、御の字だと思っている」
見た目を気にしているのだ。貴族は確かに外見も重視する。
彼の場合、元々の顔立ちは整っている。何より、領地管理の実務能力に長けている。近年のバウンティランド領の繁栄が、ジェイムズの手腕によるものであることは、明らかであった。
「そんな。ジェイムズ様を喜んでお迎えする家は、きっと見つかりますわ」
ウィリアムの散財に耐える収益を上げているのだ。都から離れた領地にも、彼の遊びっぷりは、噂となって届いていた。
「いや、エレイン。下手に借金だらけの貴族の家へ入るよりも、管理人を雇うほどの家の方が、豊かな暮らしが送れると思う。それに、結婚も自由だろうし」
最後の方は、大分声が絞られて、聞き取りにくかった。
ジェイムズには、誰か好きな人がいるのだろうか。私は、ちくりと痛む胸を抱えたまま、引き下がった。
幼馴染であっても、私たちはそのような繊細な質問ができるほどには、親しくはなかった。今は、雇い主と使用人の間柄でもある。
私にも、そろそろ縁談が舞い込んでもおかしくなかった。
ヴァージャー家には、弟という立派な後継者がいる。いずれ私も、父の決めた相手に嫁ぐのだ。その準備としての、侍女勤めである。
ウィリアムは、予定よりもずっと早く領地へ戻ってきた。伯爵夫妻に、連れ戻されたのだ。
彼には恐らく不本意な帰還であるが、怪我を負っていて、抵抗できなかった。
しばらく前、バウンティランド伯爵夫妻は、慌ただしく領地を出立した。私は屋敷へ居残るよう指示を受けた。夫妻が連れ出したのは、古くから仕える侍女と従僕であった。
表向きは、ウィリアムが、ある女性を巡って決闘し、敗れたことになっていた。
だが実は、平民が集団で示し合わせて、彼を襲ったらしかった。女性が原因であるのは間違いなく、その彼女は酒場の給仕だったとか。彼女もまた、平民である。
理由はどうあれ、平民が貴族を襲撃すれば、重罪だった。何人かの平民が捕まり、刑罰を受けたという。全員ではないだろう。捕まった平民たちも、処刑された者は一人もいなかった。
伯爵夫妻は、復讐よりも、事を小さく収める方を選んだのだ。平民に襲われただけでも不名誉であるのに、原因も平民の女なのだ。
ウィリアムに婚約者がいたら、契約を破棄されていたに違いない。
バウンティランド夫妻は、双子の息子たちに、未だ婚約者を定めていなかった。
幼いうちには、どちらを後継者にするか決めかねて、縁談を進めにくかったと思われる。
ジェイムズが引きこもりになってからは、ウィリアムの都行きに期待したのだろう。都の貴族と縁を結ぶことは、地方貴族にとって名誉なのだ。
それなのに、貴族の娘と婚約を取り付けるどころか、平民の娘に熱を上げ、怪我まで負わされるとは、期待外れも良いところであった。
伯爵夫妻は、ウィリアムの傷が癒えぬうちから、縁談を探し始めたが、噂の回りが早く、悉く断られたようだった。
彼の体が元通りに動くかどうか、見通しは立たなかった。これでも都で療養し、移動に耐えるまで回復してから戻ったのである。
一時は瀕死の状態だったという。
隣人であるパスチャー伯も、よく見舞いに訪れた。親戚の誼で、私と会えば、挨拶程度には言葉を交わすのが常だった。
「エレイン、小父さん家の子になるかい?」
小さい頃、よく聞いた冗談を、久々に聞いた。しかも、それは冗談ではなかった。
子爵令嬢の私をパスチャー家の養子に引き取り、伯爵令嬢にする。
バウンティランド伯爵家へ嫁入らせるためであった。
仮に私が断っても、父が承知すれば話は進むだろう。
既に、了解済みだったかもしれない。パスチャー伯は父の意向を汲んだ上で、バウンティランド家と交渉していたのだろうから。
だからやはり、あの質問は、ある意味冗談とも取れるのだ。
「お相手は、どちらのお方になりますの?」
私の質問に、パスチャー伯は驚いて見せた。
「ウィリアムに、決まっているじゃないか」
私はそこで初めて、ジェイムズを愛している、と気付いたのだった。
その頃、私は行儀見習いを兼ねて、バウンティランド家の侍女として、伯爵夫人にお仕えすることとなった。
伯爵夫妻は寛大で親切だった。この二人から、どうしてウィリアムのような子供が育ったのか、理解できない。
社交シーズンには夫妻に同行して都へ住まいを移したが、遊学中のウィリアムと顔を合わせることはなかった。メイドたちの噂話を小耳に挟んだところでは、時折金の無心に訪れていたようである。
領地へ戻ると、ジェイムズがいる。彼とは、図書室で偶然会って以来、言葉を交わすようになっていた。
「詩集ですか」
「ああ。パスチャー伯が貸してくださった。ある役人から贈呈されたとか」
リトマールという女騎士が、運命の人を求めて遍歴する話のようだった。聞いたこともない作者である。
「ちょっと、小さい頃の君を思い出した」
「あの頃は、楽しかったです」
発疹の痕が顔にまで痛々しく残ってはいたが、彼の持つ雰囲気は損なわれていなかった。その美しい緑の瞳に見つめられると、私はいつも体をくすぐられるような心持ちになるのだった。
「領地の管理を手伝っている。両親が婿入り先を探してくれているが、私は領地管理人に雇われれば、御の字だと思っている」
見た目を気にしているのだ。貴族は確かに外見も重視する。
彼の場合、元々の顔立ちは整っている。何より、領地管理の実務能力に長けている。近年のバウンティランド領の繁栄が、ジェイムズの手腕によるものであることは、明らかであった。
「そんな。ジェイムズ様を喜んでお迎えする家は、きっと見つかりますわ」
ウィリアムの散財に耐える収益を上げているのだ。都から離れた領地にも、彼の遊びっぷりは、噂となって届いていた。
「いや、エレイン。下手に借金だらけの貴族の家へ入るよりも、管理人を雇うほどの家の方が、豊かな暮らしが送れると思う。それに、結婚も自由だろうし」
最後の方は、大分声が絞られて、聞き取りにくかった。
ジェイムズには、誰か好きな人がいるのだろうか。私は、ちくりと痛む胸を抱えたまま、引き下がった。
幼馴染であっても、私たちはそのような繊細な質問ができるほどには、親しくはなかった。今は、雇い主と使用人の間柄でもある。
私にも、そろそろ縁談が舞い込んでもおかしくなかった。
ヴァージャー家には、弟という立派な後継者がいる。いずれ私も、父の決めた相手に嫁ぐのだ。その準備としての、侍女勤めである。
ウィリアムは、予定よりもずっと早く領地へ戻ってきた。伯爵夫妻に、連れ戻されたのだ。
彼には恐らく不本意な帰還であるが、怪我を負っていて、抵抗できなかった。
しばらく前、バウンティランド伯爵夫妻は、慌ただしく領地を出立した。私は屋敷へ居残るよう指示を受けた。夫妻が連れ出したのは、古くから仕える侍女と従僕であった。
表向きは、ウィリアムが、ある女性を巡って決闘し、敗れたことになっていた。
だが実は、平民が集団で示し合わせて、彼を襲ったらしかった。女性が原因であるのは間違いなく、その彼女は酒場の給仕だったとか。彼女もまた、平民である。
理由はどうあれ、平民が貴族を襲撃すれば、重罪だった。何人かの平民が捕まり、刑罰を受けたという。全員ではないだろう。捕まった平民たちも、処刑された者は一人もいなかった。
伯爵夫妻は、復讐よりも、事を小さく収める方を選んだのだ。平民に襲われただけでも不名誉であるのに、原因も平民の女なのだ。
ウィリアムに婚約者がいたら、契約を破棄されていたに違いない。
バウンティランド夫妻は、双子の息子たちに、未だ婚約者を定めていなかった。
幼いうちには、どちらを後継者にするか決めかねて、縁談を進めにくかったと思われる。
ジェイムズが引きこもりになってからは、ウィリアムの都行きに期待したのだろう。都の貴族と縁を結ぶことは、地方貴族にとって名誉なのだ。
それなのに、貴族の娘と婚約を取り付けるどころか、平民の娘に熱を上げ、怪我まで負わされるとは、期待外れも良いところであった。
伯爵夫妻は、ウィリアムの傷が癒えぬうちから、縁談を探し始めたが、噂の回りが早く、悉く断られたようだった。
彼の体が元通りに動くかどうか、見通しは立たなかった。これでも都で療養し、移動に耐えるまで回復してから戻ったのである。
一時は瀕死の状態だったという。
隣人であるパスチャー伯も、よく見舞いに訪れた。親戚の誼で、私と会えば、挨拶程度には言葉を交わすのが常だった。
「エレイン、小父さん家の子になるかい?」
小さい頃、よく聞いた冗談を、久々に聞いた。しかも、それは冗談ではなかった。
子爵令嬢の私をパスチャー家の養子に引き取り、伯爵令嬢にする。
バウンティランド伯爵家へ嫁入らせるためであった。
仮に私が断っても、父が承知すれば話は進むだろう。
既に、了解済みだったかもしれない。パスチャー伯は父の意向を汲んだ上で、バウンティランド家と交渉していたのだろうから。
だからやはり、あの質問は、ある意味冗談とも取れるのだ。
「お相手は、どちらのお方になりますの?」
私の質問に、パスチャー伯は驚いて見せた。
「ウィリアムに、決まっているじゃないか」
私はそこで初めて、ジェイムズを愛している、と気付いたのだった。
2
あなたにおすすめの小説
溺愛のフリから2年後は。
橘しづき
恋愛
岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。
そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。
でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして
みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。
きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。
私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。
だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。
なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて?
全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです!
※「小説家になろう」様にも掲載しています。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
冷徹社長は幼馴染の私にだけ甘い
森本イチカ
恋愛
妹じゃなくて、女として見て欲しい。
14歳年下の凛子は幼馴染の優にずっと片想いしていた。
やっと社会人になり、社長である優と少しでも近づけたと思っていた矢先、優がお見合いをしている事を知る凛子。
女としてみて欲しくて迫るが拒まれてーー
★短編ですが長編に変更可能です。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~【after story】
けいこ
恋愛
あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~
のafter storyです。
よろしくお願い致しますm(_ _)m
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる