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第二章 魔法学院

11 ニイアは看板娘

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 タベルという名の食堂は、裏通りにあったが、繁盛していた。俺たちが着いた時には昼時ということもあって、二、三十人も入れる席が、ほとんど埋まっていた。

 注文を取りに来たのは、ニイアだった。質素だが清潔な服をまとい、長い金髪は後ろでお団子にまとめている。すっかり食堂の看板娘のいで立ちである。

 「昼の忙しい時だけ、働かせてもらっているの。学院に届けを出せば、院外で働けるのよ」

 彼女の母は厨房ちゅうぼうにいるとかで、挨拶できなかった。
 こう話している間にも、彼女にはあちこちからお呼びがかかる。
 ザインがまとめて注文を済ませると、すぐに行ってしまった。学院にいる時よりも、てきぱきと動いているように見える。

 周囲のテーブルから、美味しそうな匂いが漂ってくる。期待で空腹感が増した。

 「そうだ。ニイアに頼めば、さっき言っていた道具が安く手に入るかも。彼女、入学前はお針子していたから」
 「では、今度聞いてみます」
 「ところで、グェンル先輩って、あの食堂の?」

 俺は、気になっていたことを聞いてみた。ザインは頷いた。

 「そう。学院の卒業生で、同じ狼人だから、何かと相談に乗ってもらっている」

 言われてみれば、どことなく雰囲気が似ているようにも思えた。
 狼になったところを見たことがないから、何となく人間と思ってきたが、よく考えれば火魔法を扱う以上、エルフかドワーフか獣人に決まっていた。人間で多属性の魔法を扱える俺が、例外なのだ。

 「ウルサクさんは、蜂蜜を食べている時に熊の姿ですが、同じ種族でも獣になる条件は、人ごとに異なるのでしょうか」

 グリリが遠回しに訊く。俺も、どんな時に獣人が姿を変えるのか知りたい。

 「なりたい時になるよ」

 ザインの返事はあっさりしたものだった。しかし、グリリが納得いかない感じでいると、再び口を開いた。

 「なりやすい条件は、ある。本能に強く訴える場面とか。ウルサクさんの場合だと、好物を食べる時、つまり食欲が働きかけている訳だ。それに、馬人と鳥人はそのままだし、人魚は確か、繁殖期に脚が人間になるって聞いた」

 人魚でピニャ助教授を思い出した。あれは繁殖期だったのだろうか。

 「そうなんですね。よくわかりました」

 そこへ、ニイアが料理を運んできた。

 「お待たせしました。当店名物の中身ミルク煮です」

 牛の内臓を牛乳で煮込んだ料理だった。野菜も入って量も多い。
 もちろん美味しかった。

 店はますます混雑してきて、順番待ちの列が出来始めていた。俺たちは味わいつつも、無駄話をせず、黙々と食べた。
 これで七十クプなら、安い方だろう。

 昼食の後は、文具屋へ行った。ペンとインクの専門店で、これは神殿の正面の方にあった。字が読めない人も多いこの世界で、それだけの商売が成り立つのは驚きだった。

 「神殿が近いからね。専門の大学もあるし、本も出版しているよ」

 ザインが説明してくれた。印刷術が普及していないから、本を増やすには筆写するしかない訳だ。
 首都は、字の読める人の割合が多いかもしれない。

 俺とグリリは、そこでペンとインクを買った。値段は色々あったが、一番安いペンでも五アグルした。
 百クプで一アグルだから、三食外食して、数日分も吹っ飛んだ計算になる。

 グリリから金を受け取っておいて良かった。本はもっと高いだろう。

 本屋も、神殿が近い場所にあった。
 ザインいわく、他にも本屋はあれど、ここが一番大きい店だそうだ。

 確かに間口は広いし、二階建ての建物全部が本屋だった。
 入り口には、お買い得な本を積んだワゴンのような台があり、別の場所には、人目を引きやすい絵をあしらった本も並べられている。

 見ていて気づいたことがある。

 「ザイン。本屋では、新品と中古の区別ってしていないの?」

 ザインはグリリにくっついて、店の奥の棚を眺めていた。

 「うーん。難しい質問だな。誰かが本を書いて、誰も読んでいない状態が新品ってことだとすると、ほとんどの本は中古ってことになると思うんだが」

 要領を得ない。そもそも本の形状が違うし、これに関しては、常識がまるで違うと思うしかない。すると、横で聞いていたグリリが手を挙げた。

 「貴重品ですから、読まれる予定のない本は書かれない、ということでしょうか」

 「うん、そんな感じ」

 「あと、誰が筆写したか、誰が所有していたか、といったところで値段が決まるので、新しいかどうかはあまり気にしないのでは」

 「そうそう。でも、綺麗かどうかは気にするよ。宝石をつけたりとか、羊皮紙を青く染めて金を混ぜたインクで書いたりとか」

 ザインは嬉しそうに話す。
 両親が軍で働いていたということだから、貴族の指揮官にでも見せてもらったことがあるかもしれない。機会があれば、俺も見てみたい。

 例によって巻物が多い。目当ての本を探すのに苦労した。
 欲しかったのは、魔法の基本書、この世界の地理案内や風土記ふどきのようなもの、である。

 店員にも聞いて、実際に広げてみて、値段も見て、何とか魔法の解説書は買えた。貴族が自宅で、我が子に教育する時に使う本らしい。子供向けである。

 安い、とザインは請け合ったが、一アウラした。
 アウラは金貨で千クプに等しい。ここでアリから貰った袋の金の殆どを使った。

 これ以上、本は買えない。書き込みしてもいいよう自前で買ったのだが、勿体もったいないような気がしてきた。

 「それじゃあ、帰ろうか」

 ザインが言った。
 本やインクはさほどでもないものの、数着の服を持ち歩くのは、なかなかの重労働だった。

 ボリュームのある昼食を取ったのに、もう空腹だ。野宿していた頃には、なかった感覚である。
 楽な生活に慣れるのは、早い。

 「せっかく買ったのだから、存分に活用しましょう」

 グリリが俺の内心を見通したように言う。さらに、小袋から干しイチジクみたいな物を出してきた。

 「あ、ありが」

 手を伸ばすより先に、ザインがぱくりと食いついた。

 「これ、美味いな。中に何か入っている。どうやって作ったんだ?」

 「え。あ、干す前に茹でたのを詰めて、一緒に干しただけ、です」

 驚きでグリリが固まっている。指先が濡れていて、その指で再び俺の分をつまむことをためらっているようだった。
 俺だって洗って欲しいが、あいにく近くに水飲み場がない。俺は手拭き用の布を差し出した。

 「これで指を拭いて、私にも一つくれ」
 「はい。ありがとうございます」

 グリリはほっとした顔で指を拭いた。それから袋ごと俺に差し出した。一つつまみ出す。
 貰った果物は、中に木の実が詰まっていて、大きさの割りに食べ応えがあった。何とか学院まで空腹をしのげそうである。

 「助かった。小腹が空いていたんだ。ありがとう」
 「どういたしまして」
 「じゃあ、改めて。帰ろう」

 ザインは先に立って歩き出した。俺たちも後を追った。
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