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第三章 暗黒大陸

8 海賊アタック

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 夕食後、シャワーを浴びた。一つしかないから順番待ちである。
 どういう仕組みか、ありがたいことに真水が出る。流石さすがに温度調整はできず、今日のように気温が低めだと、肌に当たってひやりとする。

 部屋へ戻ると、入れ替わりでグリリが脱兎だっとの如くシャワー室へ向かった。
 学院寮よりは緩い競争率であるが、待たされたくないのだろう。

 俺たち日本から来た者にとって、風呂は毎日入って当たり前である。この世界、建物に必ずしも風呂やシャワーはついていないし、代わりになる銭湯も見かけたことがない。

 毎日水を浴びる習慣が根付いていないのだ。
 職業によっては、入浴を軽蔑すべきこと、と考えている節すらあった。船の乗員で毎日シャワーを浴びていると思われるのは、ヤースム船長と俺とグリリ、クレアとマイアであった。

 副船長のジャックや甲板員、司厨士は明らかに入浴していないし、エサムも怪しかった。

 鎧の着脱が面倒なのではなかろうか。
 まさか旅の間中、鎧を着放しでいるつもりか。

 司厨士が入浴しないのは衛生上問題だが、文句を言っていいのかわからない。食卓になま物が出ないこともあり、今のところ食中毒の心配もなさそうだ。さほど暑い時期でないのも幸いだった。

 「エサムの鎧って、自分で着られないのかな」

 部屋に戻ったグリリの髪を乾かしついでに訊く。火魔法の練習台である。
 最初は断られた。彼のくせ毛は、単に乾燥すると爆発したみたいに膨らむからである。

 今は互いに工夫して、グリリがブラシを使い、俺は部分毎に区切って乾燥する。彼はブラシの扱いが下手だった。俺のほうが上手いと思うが、他人の頭なので放置している。

 学院に戻れなかったら、美容師でも十分稼げると思う。

 「どうでしょうか。今後のこともあるので、聞いてみましょう」
 「今?」

 グリリが立ち上がって短剣を身につける。空の鎧はベッドで寝ている。
 討ち入りするわけではなく、常に刃物を持つ習慣なのだ。いつ何時、役に立つかもわからない。昨日も昼食に栗が殻ごと出て、クレア達の分まで開けてやっていた。

 ノックに応じて顔を出したエサムの髪は、油で光っている。臭いとまでは言わないものの、独特の匂いが漂う。

 「お、二人揃ってお出ましか。何の用?」
 「確認したいことがあって。中へ入れてもらえるかな」

 グリリが言う。丁寧語を使わないグリリにはまだ慣れない。別人に思える。

 「個人的な質問だから、無理に答えなくていい。必要なら他へ漏れないよう、トリスに結界を張らせる」
 「いや別に要らんだろ」

 不思議そうに応じるエサム。俺も、バリアを張るほどのことでもない、と思う。

 間取りは俺たちの部屋と同じだった。
 今は男三人を詰め込んで手狭だが、元は二人部屋を一人で使っている。羨ましい。ベッドは上下に二つある。腰掛けるとすれば、下段のベッドに並んで三人。
 俺たちは、立ったまま話を進めた。

 「その鎧、一人で脱いだり着たりできるか」

 単刀直入に質問するアリ。エサムは虚をつかれたようだった。しばし無言。

 「‥‥できなくもない」
 「もう一つ質問。シャワー嫌いか」
 「王宮勤めの時は毎日入っていたぞ。戦場では風呂なんぞ入っていられるか」

 容赦ない問いに、機嫌を損ねるエサム。俺は、バリアを張ろうかと思い始めた。

 「必要な時は、わたくしが従者の役を勤めよう。今後、公式の場に出る際など、身を清めるべき時が来る。あなたはドワーフで、わたくしは人間だ。おかしなことではない。シャワーを浴びたい時は、遠慮なく言ってくれ」

 「わかった」

 エサムの表情が落ち着いた。

 「とりあえず、今脱がそうか?」
 「いや、いい」

 俺たちは退散した。

 「入れる時に入る、という考えもあるんですが」
 「同感」

 無理に風呂へ入れる訳にもいかない。
 自室へ戻ると、ランプの灯りが大分暗くなっていた。すすが溜まったか、燃料の油が減ったか。電気と違って、手入れなど、色々と面倒臭い。

 グリリが黒だるまのグリエルになって、ベッドの上段に乗り、寝ている鎧の隙間に挟まる。

 『まだ、雨降っていますね』

 雨音もさることながら、船が揺れて波が舷窓にまで打ちつけているのが、音と揺れでわかる。航海中で一番の揺れである。
 このまま続けば、俺も船酔いしそうだ。

 『眠ります。バリアを張ってもらえますか』
 「ああ、おやすみ」

 グリエルの周りにいびき防止用バリアを張る。ランプを消して、俺も寝よう。


 肉球で、頬を叩かれた。爪は出ていないのに、結構強い衝撃だった。頬に肉球の跡がついたかもしれない。
 目を開けると、黒猫のグリエルが暗がりの中、片目を光らせていた。俺は床に寝ていた。

 「にゃにゃにゃにゃっ」
 「え、何て?」

 寝起きで頭が働かない。

 「この船は、闇魔法の攻撃を受けたようです。あなたは魔法で眠らされていました」

 一気に目が覚める。そういえば、ベッドへ入った記憶がない。ランプもまだ細々と灯っている。俺はベッドに置いた短剣を引き寄せた。

 「敵勢は?」

 「不明です。この部屋の範囲だけ無効化しました。他の乗員は、全て眠らされたと見ていいでしょう。まず、この格好で偵察してきます」

 「猫でも寝てなかったら怪しまれる」

 「人間よりは見つかりにくいです。トリスは部屋で待機してください」

 グリエルは俺にドアを開けさせ、通路へ消えていった。
 俺も気配を窺ったが、雨の音以外は何の異状も感じられなかった。

 とりあえず、音を立てないよう移動し、もうほとんど消えかかっているランプを始末した。舷窓と扉を両睨みできる位置に座り、闇に目が慣れるのを待つ。

 冒険者の時代や、魔法学院で学ぶ間に、ゴブリンや野生動物と戦ったことがある。襲ってきたのが海賊だとすると、人間との初めての実戦になる。俺に人が殺せるだろうか。

 ゲームの中では平気で殺戮さつりくしてきたのに、いざとなると躊躇ためらってしまう。殺す以前に、戦うのが怖い。
 人に叩かれた経験すら、大人になってから皆無なのに、悪意を持って攻撃してくる相手に立ち向かえるだろうか。

 待つ身は辛い。闇に目が慣れても、グリエルは戻ってこない。
 しかも、雨音に紛れて足音がした。

 複数である。殺せるかどうか、迷う前に殺される。

 短剣を握りしめ、ドアが開いたらとびかかれるよう身構えた。
 足音は通り過ぎた。

 ほっと息をつく。たちまち良心が頭をもたげた。

 このまま待っても、いずれ見つかる。こうしている間にも、他の人が殺されているかもしれないのだ。自分だけ隠れて逃がれていいのか。

 『トリス』

 マイアが風魔法で話しかけてきた。無事だったようだ。安堵で力が抜け、剣を取り落としそうになる。

 『グリエルから聞いたわ。もう海賊たちが迫っている。総員はわからないけど、この辺にいる分は私がおとりになって甲板へおびき出す。クレアを頼むわね』

 『わかりました』

 うっかり丁寧語で応答したが、おとがめなしだった。

 すぐに通路で、バタンバタン、と大きな音がした。更に奥から、ガラの悪い叫び声が上がり、扉の向こうを足音高く走り抜けていく後を追って行った。

 俺は、扉を開けてその背中を確認し、通路へ出た。

 クレアの部屋へ向かおうとする足が止まった。エサムの部屋の扉が開いている。のみならず、中から音がする。ちなみにクレアの部屋の扉は閉まっている。
 俺は、忍び足でエサムの部屋まで歩いていった。端からそっと覗く。

 海賊二人がエサムを縛りにかかっていた。エサムは鎧を着たまま眠っている。

 「こいつ、クソ重い」
 「慎重にやれよ、起きちまう」
 「わかっているよ」

 と応えた海賊がふとこちらに目を向けて、視線が合った。外でいなびかりがした。

 「ライトニング」

 咄嗟とっさに口をついて出た。
 俺が胸元で抱えていた短剣から、雷光が走り、目の合った海賊に当たる。光はエサムの鎧を伝い、一緒に作業していたもう一人に達した。

 「ぎゃあっ」

 「ぐあっ」

 海賊共は、狭い床に倒れ込んだ。
 エサムはベッドに落とされた。跳ね上がって上半身が起き上がり、ベッドの上段に頭を当てた。

 「うわっ、何だ?」

 一連の衝撃のどこかで魔法が解けたらしい。ヘルメットまで被っているので、ダメージはなさそうである。
 電撃は鎧の表面を伝ったのだろう。

 「海賊の攻撃を受けて、魔法で眠らされたんだ」

 他にも色々説明しようとしたが、海賊共が起き上がろうとしたので止めて、二人に戦意喪失の魔法をかけた。
 二人共起き上がりはしたが、弛緩した顔で床に座っている。

 「あのう、大丈夫ですか皆さん」

 背後から声を掛けられて、飛び上がった。

 「クレア、敬語禁止」

 エサムがにやっと笑う。振り向くと、確かにクレアだった。

 「縄ねえか、縄」
 「なさそうだ」
 「ないで、よ」

 「なら、とりあえずシーツ裂いて縛っとけ」

 クレアと二人、エサムのシーツを裂いて紐を作り、エサムが縛る。海賊たちが魔法効果で抵抗しないので、手を動かしながら、わかる範囲で状況を説明した。
 マイアが囮になった話で、エサムが縛った海賊を引っ張り上げた。うめく海賊。

 「早く、マイアを助けにいかないと」
 「しかし、この二人の見張りが」

 クレアは余ったシーツを裂き続けている。縛り紐がどんどん増える。

 「わかった。トリス、お前先に甲板へ行け。こいつらは後から連れていく。クレア、おとなしくさせる魔法使えるよな?」

 「はい」

 「よし。こいつらが暴れそうになったら魔法をかけろ。トリス、行け」

 海賊二名をエサムとクレアに任せ、走って甲板に出た。雨が顔に吹きつける勢いで、足元がふらつく。両足に力を入れ、周囲を見回し、俺は固まった。

 マイアは無事だった。ただ、疲れた感じに見えた。
 海賊共は既にマストへ縛り付けられていた。鳥人たちが囲んでいる。

 マストは二本しかない。残りは甲板に転がされていた。何故か昆布に似た物で縛られていて、目隠しと猿轡さるぐつわをかまされていた。魔法を使う奴なのだろう。

 船縁には水の塊がぶよぶよして、真ん中に人魚が埋まっていた。水から顔だけ出して、ヤースム船長とペンゲアと話をしている。

 雨の夜なのに、随分明るい。光源の方を見ると、船が炎上していた。
 よく見れば、雨に混って灰やすすが飛んでくるし、煙の臭いもしていた。もちろんウンダ号ではない。

 俺は構えていた短剣を仕舞い、マイアの元へ近づいた。雨のせいか服がきらきらしている。否、うろこだった。

 「無事でよかったです。船内でも、海賊二名を拘束しました。公使もエサムも無事です」
 「グリエルは?」
 「あ」

 忘れていた。
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