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第三章 暗黒大陸

9 人魚の生態

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 そこへ、グリリとエサムが、それぞれ海賊を引っ立てて甲板に姿を現した。
 クレアも後ろからついてきている。更にその後ろには、ウンダ号の船員たちもいた。

 グリリとエサムは、海賊を鳥人たちの見張りに任せ、こちらへ来た。船員たちは海賊の動静を気にしつつ、船長とペンゲアと人魚の三鼎さんてい会談を遠巻きに見守る。

 「回復」

 気付くと、クレアがマイアに回復魔法をかけていた。うろこの輝きが増した。
 グリリがどこからかマントを出して、マイアに渡した。マイアが早速羽織って全身を包んだ。足首から鱗が消えていくのが見えた。

 「あれ、マイアがやったのか?」

 エサムが絶賛炎上中の船を指す。
 降りしきる雨にも関わらず、一向に消火の気配がない。よく燃えて、しかも傾いている。船底に穴が開いているようだ。

 「皆さん、船長がお話ししたいそうです」

 マイアが返事をする前に、操舵士そうだしが呼びにきた。今、誰が船を動かしているんだ?

 「ジャックが舵を握っている」

 俺の心を読んだグリリが言った。操舵士は頷いて、

 「はい。今から交代に行きます」

 と船内へ去っていった。


 ぞろぞろと、水の塊の方へ行く。船員たちはそれぞれ持ち場へ向かっていた。
 鳥人も、海賊の見張りに一名を残し、他は定位置へ戻った。

 「いやあ、助かりました。やはり、竜の威力は大したものです。圧倒的な差でした」

 ヤースム船長が、大袈裟に両腕を広げて見せた。
 エサムの見立ては正しかった。俺も竜を見てみたかった。

 「皆さんのお陰で、海賊を全員捕えることができました。可及的速かきゅうてきすみやかにレクルキスの海兵隊と連絡を取り、引き渡します」

 「ただ、今後のため、忠告しておくことがある」

 脇に控えたペンゲアが口を開いた。

 「暗黒大陸でも竜を見ることは稀だ。何か法的あるいは魔法的制限があるかもしれない。無闇に竜化しない方がいい」

 そういうことは、早く言って欲しい。ペンゲアにも、マイアが竜になることは予想外だったのだ。マイアは素直に頷いた。

 「わかったわ。ご忠告ありがとう」

 「では、私はこれで失礼する」

 ペンゲアは飛び去った。夜でも見えるのだな。

 「ヤースム船長、皆さんをご紹介くださいな」

 水塊に埋もれた人魚が口を利いた。
 明るい色の波打つ髪は長く、周囲に広がって微細に揺れている。上半身を、うろこに擬した鎧で覆っており、首から下は魚に見えた。その顔は、夜目にも蠱惑こわく的だった。夜ゆえに、と言うべきか。

 「これは失礼。プルニャさん、こちらは、レクルキス国のクレア公使御一行です。皆さん、こちらは人魚族のプルニャさんです。ご承知の通り、今回海路の案内と、海中の警備をお願いしております」

 「ご挨拶が遅れました。初めまして、クレアです」

 と身につけた小袋から何か取り出そうとするのをプルニャが止めた。

 「契約報酬は、別に貰うことになっているから大丈夫。船長さん、ご紹介ありがとう。船のお仕事に戻っていいですよ」

 「そうします」

 船長が去った後、俺たちは自己紹介した。プルニャは、クレアの大役をねぎらい、エサムのたくましさを褒め、良い気分にさせた上で船室へ上手に追いやった。
 残ったのは、魔法学院組三人である。

 「マイアさん、先程の火炎放射は、素晴らしい迫力でした。私も竜は、初めて見ました」

 可愛らしい笑顔を浮かべて言う。

 「従姉妹のピニャが、いつもお世話になっております」

 「こちらこそ、ピニャさんの才能には、大いに助けられております」

 マイアは平然と挨拶を返したが、俺は内心で大いに驚いた。同じ人魚でも、全く似ていない。外見もそうだが、何より雰囲気が全然違う。
 俺にとってピニャは、腐女子のBL漫画家だった。

 「先日久々に会い、近況を聞きました。念願の『マンガカ』デビューを果たしたと。彼女には、雄人魚の二本足化という使命があるのですが、そちらの方は全く進捗しんちょくがないとか」

 「彼女は、学院でも天才の呼び声が高い、稀有けうな存在です。研究にも、真剣に取り組んでいます」

 マイアが擁護ようごした。授業中みたいな笑顔を浮かべている。
 最近じゃ漫画の方に力が入っているのは、ザインの様子を見ればわかる。内容は、この間知ったばかりだが。

 「それで、そちらの美男子たちが、ピニャのお気に入りなのね」

 プルニャの視線が、こちらに向いた。蠱惑的な笑顔に吸い込まれる前に、視線を外した。彼女は何を見聞きして、どこまで知っているのか。

 「じゃなくて、残念だわ。あなた方が無事に戻ったあかつきには、繁殖パーティに必ず参加してくださいね。私からも、王宮にお願いしておきます」

 「繁殖パーティ?」
 「承知しました。後ほど彼らには説明しておきます」

 そこで、俺たちも解放された。
 プルニャは水の塊ごと、海へ帰っていった。雨は上がり、海賊船は海中へ没し、入れ替わるように、夜明け前の薄明るい光が、水平線から空ににじみ出した。


 次の食事は、昼近かった。気を遣って寝かせておいてくれたのだ。

 縛られた海賊の姿が消えていた。朝のうちに、ペンゲアがレクルキス海兵隊に連絡を取り、やってきた船へ乗せて引き渡したという。

 食後、クレアと船室へ戻ろうとするマイアを引き止めた。

 「繁殖パーティについて聞きたい」
 「そうだったわね。部屋へ行くわ」

 完全に忘れていた、と見受けられる。

 「あの、私も繁殖パーティの話聞きたい」

 クレアが言うので、俺とグリリは、まじまじと彼女の顔を見つめてしまった。クレアは赤面したが、前言を撤回しなかった。

 「ぶっ。繁殖パーティだって?」

 繰り返される繁殖パーティの単語に、エサムが反応した。平然としているのは、マイアだけである。

 「エサムからも、参考になる話が聞けそうね。船長室を借りられるか、聞いてみましょう」


 船長室では、例の如く船長が自分の椅子、マイアとクレアがベッド、俺とグリリが椅子、エサムは扉前に立つ、という配置になった。もう、定位置である。

 「『普通の』女性人魚は、繁殖期を迎えると、魚の下半身が人間の脚に変化する」

 マイアが説明を始めた。『普通の』を強調していたのは、ピニャが例外であることを暗に示したかったのだろう。ピニャはスイッチを切り替えるように、魚の尾と人間の脚を選ぶことができる。

 これに対して男性人魚は人間の脚を持つことはなく、一生下半身魚のままなのだそうだ。ごく稀に人間になれる男性人魚が生まれると、王に祭り上げられるという。しかしながら、王でも繁殖機能はない。
 つまり男性に生まれた人魚は、子孫を残せない。

 女性人魚が子孫を残すには、人間と交尾するしかない。自力で探してもいいのだが、いちいち事情を説明するのは面倒である。
 と言うのも、人魚が産むのは人魚で、水中で育つ。母人魚も繁殖期を過ぎれば下半身魚に戻るのだ。
 陸上で人間と結婚生活を送ることが、できない。

 そもそも人魚は、人間の考えるような結婚という概念を持たない。交尾だけが目的なので、本気で惚れ込んだ人間に求婚されても困るのである。
 アンデルセンの人魚と、全然違う。

 そこで、婚活パーティというか合コンのような、事情を理解する人間男性を、まとめて人魚に紹介する催しが企画される。
 男性側から参加料を徴収して、商売にする者もいるという。人魚側は、今回のような警備と引き換えに、王宮が主催するパーティを要求した。これが、プルニャの言う繁殖パーティである。

 「王宮で厳選した、身元の確かな人物だけを参加させていて、双方から毎回好評を博しているそうよ。以前、請われて学院から出席した人がいたわ。ヤースム船長やエサムも、出席したことがあるんじゃない?」

 マイアに訊かれて、二人とも気恥ずかしそうに笑って肯定した。

 「合コンというより、やりコ、うっ」

 グリリの発言を阻止すべく、足を踏んづけた。聞きとがめられて説明をすると、長くなる。グリリは口をつぐんだ。
 前世で中年まで生きたから、色々知っている訳である。もしかしたら、若い時に参加したのかもしれない。そういえば、グリリの前世について、詳しく聞いたことがなかった。まあ、興味もない。

 「そういう訳で、いつになるかわからないけれど、プルニャさんからご指名が来たら、二人とも参加してね。詳しい話は、後で経験者から聞いてちょうだい」

 マイアがまとめた。クレアに聞かせない方がいいと思ったのだろう。同感である。

 「じゃあ、私たちは部屋へ戻るから、あとは男性同士で」

 帰ろうとするマイアが、クレアを見下ろした。彼女はベッドに腰掛けたままである。

 「あの、ちょっと気になることが」
 「いやいや、クレア聞かなくても問題ないぞ」

 流石さすがにエサムが焦る。

 「別のことで。この際、聞いておきたくて」

 クレアは動かない。

 「何でしょう」

 誰も返事をしないので、ヤースム船長が応じた。

 「昨夜マイア、は海賊の襲撃を私に教える前に、猫と話していました。猫から襲撃を教わったのでしょう」

 船長相手なので、クレアは話しやすそうだ。俺の方が緊張する。

 「しかし航海中、猫を見たのは、その時限りです。ウンダ号では、猫を飼っていますか?」

 「いいえ。ただ、猫は船を守ると言う言い伝えがあります。船員が、勝手に持ち込んだかもしれません」

 船長の返答に、クレアは満足しなかった。

 「でも、その猫、右目がなかったんです」

 目線はグリリに向けられている。グリリはマイアを見ているようだ。マイアは隣のクレアが気付かないほど僅かに頷いた。

 「それはわたくしです。雌猫に変身できる」

 室内に、しばし沈黙が落ちる。意外なほど、誰も驚かない。猫人だと思っているのだ。闇魔法の使い手と知ったら、少なくともクレアは平静ではいられまい。神殿に仕える身だ。

 「わかりま、わかった。教えてくれてありがとう」

 クレアが言った。重ねて質問したいのを我慢している。俺も質問したくなった。雌猫グリエルが、繁殖パーティに参加する意味があるのか。

 「では改めて、二人をよろしく」

 マイアが退室した。俺は質問し損ねた。

 その後、船長室に残った俺とグリリは、ヤースムとエサムから、人魚の繁殖パーティについて細々とレクチャーを受けたのだった。
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