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第三章 暗黒大陸

10 よう兄弟

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 船旅の最終日は晴れて、風も穏やかだった。目的地の暗黒大陸は水平線から姿を現し、徐々に視界を占領しつつある。
 左右の島影も、その周囲に点となって浮かぶ漁船も、至って平穏な景色の中、鳥人と人魚に護衛されたウンダ号が、ものものしく不穏に感じられた。

 船が接岸したのも、入江や船着場といった簡易な場所でなく、きちんと整備された港であった。

 結局レクルキスの港を見ずに乗船したので、これがどの程度の規模なのかはわからない。
 順番待ちするほどの混雑はないものの、大小問わず係留中けいりゅうちゅうの船への出入りがあって、倉庫も並んで、屋台や露天の店があるのだから、まずまず栄えている。

 行き交う人びとの、どこかのんびりとした風情を見ると、勝手に『暗黒』と名付けたこちら側の不明が恥ずかしくなる。

 「では、ここでおいとまです。我々は、こちらで商い物を積み込んでから、帰路に着きます。皆さんの旅の成功を、お祈りしております」

 ヤースム船長が挨拶した。船内の打ち合わせ通り、マイアが代表然として応じた。

 船と別れた俺たち一行は、物見遊山ものみゆさんに来たようなのんびりした歩き方で、港をぷらぷらした。初めての上陸だ。偵察というなら、何を見ても参考になる。

 ざっと見る限りでは、異世界から来た俺が言っても当てにならないだろうが、特筆すべき事柄はないように思われた。
 エサムほどのフル装備ではないものの、鎧姿の人もいたし、俺のように魔法使い風のゆったりとした服を着た人もいて、それぞれ働いていた。
 やや男の方が多い。屋台に『たこ焼き』とあって、思わず覗き込んだら、小型蛸の串焼きだった。

 「ああ、地面があるって、安心するなあ」

 エサムが伸びをしながら言った。連日船酔いだったグリリが、隣で深く頷いている。

 「そろそろ町の方へ行って、宿を探しましょうか」

 マイアが言った。実は行く当てがある。クレアが、王宮から情報を得ていた。
 レクルキスから送り込まれた人物の、経営する宿屋だ。まずはそこで話を聞いて、今後の方針を固めようという計画だった。

 ただ、宿屋の場所がわからない。

 税関らしきものもなく、港から倉庫の並ぶ道を抜けると、簡単に町へ入ることができた。
 町も適度に人通りがあり、ヤースム船長が上陸地点にここを選んだのも頷けた。

 「どこかで飯にしようぜ。腹が減ってきた」

 エサムが言う。どのみち道を尋ねなければならない。道行く人に聞くよりは効率がよかろう、と食事処を探した。
 知らない土地だと、何となく、という勘が働かない。
 幸い、暗黒大陸でも言語は同じだった。看板はレクルキスより大きめだ。

 喫煙の盛んな土地らしく、『吸いすぎダメ、絶対』とか、『吸うなら飲んで、飲まずに吸うな』とか、赤い瓶と一緒に書かれた看板が面白い。
 同じ言語でも、文化が違う、と実感する。街中なのに、昼間から鎧戸よろいどが下りている店があって、競争の激しさを窺わせた。

 最終的には、大衆食堂のような店に行き着いた。
 昼時をやや過ぎた頃だったと見えて、五人で一つのテーブルを囲むことができた。メニューがなく、日替わりセット一択で、その代わりすぐ料理が出た。

 魚の姿焼きに、干した何かの付け合わせ、ナンのような主食、そして白濁した飲み物。魚はハタに似た顔つき、唇の厚い大きめな目玉を持っている。

 レクルキスでは食べたことのない風味で、知らない香辛料が使われていた。飲み物の方は甘めの酒である。
 主食は小麦粉製で、もう、と呼ぶことにする。
 全体に美味しかった。
 食べている間に、どんどん客が減っていく。店員が、遠くの空いた席から片付けに入っている。

 「おーい、ちょっと聞きたいんだが」

 俺たちのテーブル担当らしい、手すきの店員にエサムが声を掛ける。店員がやや面倒臭そうに近寄ってくる。

 「この辺に、兄弟みたいな名前の宿屋なかったっけ?」
 「ああ、『よう兄弟』。最近まれた。ありますよ、裏通りに」

 「噛まれた?」
 「お客さん、宿探しているんだったら、すぐそこに、いいのがありますよ」

 と店員は紹介料でも貰えるのか、向かいに建つ大きな宿をぐいぐい推してくる。
 全員食べ終わったこともあり、エサムは訊くのを諦めて精算を頼んだ。
 ちなみに通貨も共通である。両替の手間が省けて、本当に助かる。


 食堂を出てから、手当たり次第に道を聞き、数人を経て『よう兄弟』に辿り着いた。
 店員が推した宿より随分小さく、古い建物である。
 中へ入ると、古いなりに手入れされ、おもむきのある雰囲気をかもし出していた。

 「いらっしゃいませ。ご予約のお客様でしょうか」

 人の良さそうな男性が、手もみをしながら現れた。人畜無害を実体化したような、たたずまいである。子鹿のような瞳で、俺たちを見つめる。

 「予約はしていないが、五人泊まりたい。部屋はあるか」

 エサムが言う。

 「ございます。ただ、宿泊中は、金属鎧を脱いでいただく決まりになっております」
 「何?」

 皆の視線がエサムに集中する。グリリも金属鎧を着ているのだが。

 「脱ぎなさい。ついでにシャワーも浴びたらいいのよ」

 マイアの一言で、エサムは折れた。鎧のために、一人だけ別の宿に泊まっても意味がない。

 「どちらからおいでですか」
 「レクルキスよ」

 傷心のエサムに代わって、マイアが答える。
 更に、全員の名前と種族を聞かれた。グリリは人間と名乗ったが、誰も訂正しなかった。
 男は宿帳を広げて、さらさらと記入する。宿の規模からして主人と思われる。

 時間が早いこともあり、俺たち以外に客はいなかった。

 「ノン ティメボ マラ」

 宿帳に目を落としたまま、男が呟く。独り言っぽい。

 「ナム エ シ アムブラウェロ イン ウァレ ウムブラエ モルティス」

 応えたのは、クレアであった。男は顔を上げて彼女を見た。営業スマイルが消えている。

 「お役目ご苦労様です。本日貸切にいたしますので、よろしければ、このままお話ししましょう。私は主人のファウスティと申します。お好きな椅子にお掛けください」

 子鹿のような瞳を精一杯見開いて、受付前の椅子を指し示した。


 ファウスティが最初にしたことは、宿の表へ出て伸びをすることだった。空室ありの板を裏返しながら、さりげなく周囲を見回すのは、安全を確認しているのだろう。

 「さて、最初にお断りしておかなければならないことが、あります。共和国側に知られたくないことは、日が暮れる前にお話し願います。事情は後ほど説明します」

 俺たちは顔を見合わせた。外交上のことはよくわからない。
 大体、止むを得ないとはいえ、海上でドラゴンに船を炎上させ派手に入国した後で、隠すことなどなさそうに思える。

 「私たちは、セリアンスロップ共和国の首都へ行って、国交回復について打ち合わせをしたいのです。まず首都への行き方、そして誰に会えばいいか教えてください」

 クレアが言った。ファウスティは困った顔になった。

 「残念ながら、私は上層部についての情報を持ち合わせておりません。首都パラメントゥムに行けば、バルヴィンという者がおります。そちらに当たってください。私がお教えできるのは、首都への行き方と、多少の忠告だけです」

 バルヴィンは、金属アクセサリーの店を経営するドワーフということである。

 「それで、多少の忠告というのは?」

 首都への行き方、と言っても漠然とした方向だが、を教わった後、マイアが尋ねた。

 ファウスティは、受付時から今に至るまで、彼女を見る回数が半端なく多かった。一目惚れした感じでもない。どちらかと言えば、観察とか警戒とか、同国人に対する親しみとかけ離れた感情からの視線に思われた。

 彼は再び入り口へ行き、灯りを点けて帰ってきた。陽射しが傾いて、夕刻に差し掛かっていた。

 「数日前の夜に、竜化したのは、あなたですか」

 ずばり、問いかけてきた。マイアも余計な策をろうさず、素直に認めた。

 「そうよ。海賊に襲われて仕方なく」
 「なるほど。しかし、なるべく竜人であることは、隠した方がいいと思います」

 俺たちから視線の集中砲火を浴び、ファウスティの子鹿のような瞳が揺れる。しかし、彼は引かなかった。

 「竜人は、ほぼ全員が首都に住んでいます。前支配者ということで、恐れられていても、好かれている訳ではありません。私も、竜人を見たのは、あなたが初めてです。奥地へ行けば、わに人という存在があります。見た目も似ています。今後は、そのように自称なさるのが良いでしょう。宿帳にも、そのように記載しました」

 「ワニ?」

 マイアはもちろん、エサムもクレアも知らない様子だった。ファウスティも説明に困っている。
 俺は黒板を見た。先ほど、首都への行き方を説明するのに使っていた。既に情報は消されている。

 「これ、使っていいですか」
 「え? あ、どうぞ」

 チョークを使い、ワニの絵を描いた。久々に腕を振るった。細部にもりたいところを我慢して、シンプルに線描画で仕上げた。

 ファウスティがおおっ、と声を上げた。

 「それです。そんな感じです。鰐人は後ろ足で立ちますけど、後はそっくりです」

 こちらの世界のワニも、俺の知っているワニと、同じ外見だった。

 「トリス、よく知っているな」

 とエサム。マイアは、侮蔑ぶべつの視線を送っているが、きっと俺にというよりは、ワニに対してだろう。
 俺の知るワニは、人間を丸呑みしたり、なかなか強い動物である。ただ、海賊船を火炎放射で沈めた竜とは、比べ物にならない。

 「ちょっとちょっと、お客いるじゃない。もっと火を入れなきゃ、ダメじゃん」

 奥から新たな声がした。
 現れたのは、片手に火皿、片手に瓶を持った若い男だった。彼は瓶に口をつけて、中身をラッパ飲みした。

 いつの間にか日は落ちて、室内も相当暗くなっていた。

 ファウスティが慌てて、あちこちのランプに点火して回った。その間に、若い方は瓶の中身を飲みながら、受付の内側へ移動した。
 同宿者ではなく、宿屋側の人間だ。

 「おお~、ワニじゃん。上手いもんだなあ。あんた描いたの?」

 客に対して、随分と親しげな態度であった。俺は、久々に描いた絵を褒められて嬉しかったので、頷くだけにした。
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