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第三章 暗黒大陸

11 噛まれてしもべ

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 「こら、お客様に失礼だぞ。すみません、皆様。これは弟のヨウィトで、つい先日蝙蝠人こうもりじん祖一族そいちぞくまして」

 ファウスティの横で、ペコリと頭を下げるヨウィト。
 こちらは、子鹿のような目元が兄に似ているだけで、彼とは対照的に妖しさがにじみ出ている。陽気な口調とも合わない。
 それは置いといて、祖一族、とまた知らない単語が出てきた。噛まれたら何なのだ。

 「ああ。普通の蝙蝠人に吸血されても、吸われ過ぎなければ何の問題もないのですが、祖一族に噛まれると、蝙蝠人になってしまうんですよ」

 俺たちの顔つきを読み取って、ファウスティが説明した。

 「そう。俺はリベカちゃんのしもべなのさ」

 イエイ、とヨウィトは空になった瓶を持ち上げて、決めポーズをとった。全く悲壮感がない。加えてファウスティも、弟の種族が変わってしまった割には淡々としている。

 「リベカさんは、この辺りの行政を任されている、蝙蝠人の祖一族です」
 「蝙蝠人にされると、どうなりますか」

 ずっと黙っていたグリリが質問した。目はヨウィトから離さない。警戒している。

 「まず、日光がダメになりますね。夜行性です」

 とファウスティ。ヨウィトの方は、何度もポーズをとっては、あれ、と首を傾げている。

 「血しか飲み食いできなくなります。大抵のことでは死にません。闇魔法を使えるようになります。ヨウィトは、誘惑だっけ?」

 クレアとエサムがびくりとして、椅子をガタつかせた。

 「うん。でも、さっきからやっているんだけど、この女の子たちには効かないみたいなんだよね。ひょっとして、君たち、魔力強いのかな?」

 「強いかも」

 ワニからご機嫌斜めだったマイアが微笑した。グリリが漸くヨウィトから視線を外す。もしかしたら、ずっと無効化していたのかもしれない。

 「闇魔法は、一つしか使えないのですか」

 効き目がない、と安心したのか、クレアが質問した。俺もそこは気になった。

 「はい。他の蝙蝠人に聞いても、それぞれ一つずつ術を授かっているようです。ああ、確かに他の魔法なら、色々な術が使えますよね」

 ファウスティが答えた。俺は、グリリを見ないよう努力した。
 奴は闇魔法しか使えないはずだが、一つどころか、複数の術を使っていた。大体、猫や人間に変身できるのも、闇魔法だろう。俺と同じく、例外的存在という訳である。

 「腹減ったなあ」

 エサムが腹を押さえる。夕食を取らずに話し込んでしまっていた。この宿には食堂が見当たらない。今から外へ食べに行くにしても、開いている店は限られているだろう。

 「折角だから、俺が夜の町を案内してやるぜ」

 客に対してその態度は問題である。兄も注意すべきだ。とは思うものの、怒る気にまではならない。兄と似た子鹿のような瞳のせいだろうか。

 「それがいい。間違っても街の外には出るなよ」
 「わかっているって。わざわざゾンビのいる方へなんか、行かないよ」
 「ゾンビって、蝙蝠人とは違うのか」

 エサムが言うと、ヨウィトが大袈裟に両手を上げた。

 「ゾンビは、血を吸われ過ぎて死んじゃった人がなる奴ね。俺たちは死んでいないから」

 いわゆるアンデッドではない、と言いたいようだ。エサムはわかったようなわからないような顔である。クレアは興味を惹かれたようだ。職業柄だろう。

 「ヨウィトさん、お食事をしながら、色々教えてください」
 「任せといて! ええっと、名前教えてくれる?」
 「クレアです」
 「クレアちゃん。そっちの彼女は?」
 「マイアよ」
 「マイアちゃん。じゃ、早速行こう」

 知らないとはいえ、竜人で魔法学院の教授を務めるマイアをちゃん付で呼べるヨウィト。大物である。


 宿の外へ出た俺たちは、思わず声を上げた。
 町は灯りに満ちていた。

 街灯の数も、レクルキスより多いが、何より開いている店から漏れる灯りで、道が明るかった。看板にも蓄光性の塗料が使われているようで、光って見える。
 『吸い過ぎ注意』とあるのは、吸血し過ぎないよう警告している訳か。

 「先ほど飲んでいた瓶には、血が入っていたのですか」
 「そうだよ。蝙蝠水っていうのさ。牛とか羊が多いけど、豚や鳥もあるよ。俺は牛派だね」

 ヨウィトは左右にクレアとマイアを並べ、俺たちを従えて歩いていた。町が明るいこともあって、行き交う人々がよく見える。昼間とさして変わらない人通りである。見た目で区別をつけるのは、不可能だった。
 まさか、全員が蝙蝠人ではあるまい。

 さほど歩かぬうちに、一軒の店へ案内された。店主が一人で切り盛りしているような、こじんまりした飲食店である。ちょうど客が出て行ったところで、俺たち六人は並んで座ることができた。

 「ここは、蝙蝠人とそうでない人の両方が、一緒に食事できて便利なんだぜ」
 「ヨウィトくん、今日はリベカさん連れていないのね。新しい恋人かしら」

 そういう店主は、スナックの美人ママといった風情である。

 「兄貴のお客を案内しているだけだよー。あ、蝙蝠がつくメニューは、蝙蝠人用だからね。食べられないことはないけど、味付けしていないから、お勧めはしないよ」

 蝙蝠水(羊、牛、豚、鶏)瓶またはグラス、蝙蝠セット(水、ソーセージ、プディング)羊または牛、単品とある。
 俺たちはメニューを見ながら、それぞれ蝙蝠人用ではないナンやスープを頼んだ。メニューには値段も書いてある。夜開いている店ではあるが、昼に食べた店と大差ない値段だった。

 「蝙蝠人って大勢いるんですか」

 食事を終えたクレアが尋ねる。質問したくて早く食べ終えたようだ。

 「この町の半分くらいは、そうかもね。あ、私は違うわよ。もうすぐ交代の人が来るから、それまでの間いるだけ」

 答えたのは、店主だった。ヨウィトは蝙蝠ソーセージ(多分、牛)を食べている。

 「そんなにいるんだ。喧嘩しないのか」

 とエサム。ビールに似た薄い酒を、お代わりして飲んでいる。全く酔っていない。

 「昼と夜で棲み分けているもの。喧嘩にならないわよ。蝙蝠人のお陰で、夜中に熱出した子ども抱えて、寝ているお医者や薬屋を叩き起こさなくても済むし、夜中に起きて朝の仕込みをしなくても済むし、ゾンビや骸骨が入ってこないよう徹夜で見張りしなくても済むのよ。お互い助け合って、いい関係を築いているでしょ?」

 「夜中でも気兼ねなくお医者さんに診察してもらえると、とても助かりますね。赤ん坊は、突然熱を出しがちですし」

 グリリが食いついた。前世の経験を思い出したのだろう。店主は身を乗り出した。

 「そうなのよ。この間も、うちの末っ子が」

 仕事そっちのけで、グリリに子育ての苦労を愚痴り出した。その横では、両側にマイアとクレアを侍らせたヨウィトが、ゾンビを退治した武勇伝を語っている。兄の宿を手伝う合間に、警備隊の仕事もしているとのことだった。

 やがて蝙蝠人の女性が来たのを潮に、俺たちは店を後にした。
 朝食用にパンやチーズを買って宿に戻る。この世界に来てからすっかりご無沙汰で忘れていた、夜の買い物である。何となく嬉しい。

 「おかえりなさいませ皆様。ヨウィト、リベカさんから呼び出しがあったぞ」
 「いえーい。リベカちゃーん、今行ってやるぜ! じゃあ、クレアちゃん、マイアちゃん、またね」

 彼は踊るような足取りで出て行った。ファウスティが弟の背中を複雑な顔で見送る。やはりレクルキスの諜報員として、弟が蝙蝠人と化してしまったことに、心を痛めているようだ。


 朝食後、『よう兄弟』を出立した俺たちは、一旦港へ戻った。首都方面へ行く馬車に相乗りさせてもらうためである。馬車に乗れなくても、護衛として雇ってもらえれば、金銭面でも道案内の面でも、身元バレの危険を防ぐ意味でも、道中安心である。

 今朝はエサムも久々にさっぱりした姿で、雇い主の印象をよくするために貢献していた。
 昨夜、グリリと二人がかりで鎧を脱がせた甲斐があった。成り行き上、着せる時にも手伝った。
 一人では無理だったのだ。

 行ってみると、もう大半の馬車が出払っていた。この港町には、冒険者ギルドがなかった。こういう目に遭うと、ギルドのありがたみを感じる。
 知らない土地で、何から何まで自分でお膳立てしなければならない。

 「どうする?」

 エサムが誰にともなく聞く。

 「各自の馬を借りるか、馬車を借りるか、歩くか、ということね。予算があれば、買ってもいい」

 とマイア。

 「期限を切れないので、借りるのは難しいのでは。あと、多分馬や馬車を買えるほどのお金は預かっていま、いない」

 クレアがつかえながら言う。敬語禁止を思い出したようだ。

 「じゃあ、当面は徒歩で行く、ということで」

 俺がまとめてみた。皆賛成したので、歩いて町を出ることにした。


 港から来たので気づかなかったが、町は簡易ながらも木の柵で囲まれていた。出入り口には開閉式の扉がついていて、今は開け放してあった。門番もいない。

 町の外は、岩があちこちで小山を作る荒野だった。向こうに緑色の帯が見えるのは、森だろうか。

 「日が落ちるまでに、森まで行けるかしら」

 歩を進めながら、マイアが言う。

 「クレア。ヨウィトさんから、ゾンビの倒し方を聞いたか?」

 とエサム。考えることは同じと見える。

 「頭と足を切り離す、と言ってい、た」
 「燃やせばいいのよ」
 「あと、泳げないそうでs、だ」
 「それなら、俺でも倒せるな」

 戦士でもない一般人が倒せるのなら、まあそうだろう。

 荒地を歩いて行くと、岩の小山は意外と大きく、ところどころに穴がぽっかり開いていた。いずれも暗くて中は見通せない。風向きによって、生臭さが鼻を突く上に、何やら不穏な唸り声まで聞こえてくる。空には昼間からコウモリが飛んでいる始末であった。

 小山の間からちらちら見える森まで行けば安全、という保証はないものの、この辺りで野営するのだけは、絶対に避けたい。倒す自信があるからといって、襲われてもいいとは思わない。

 皆同じ思いからか、休憩中すら無駄口も叩かず、早足で歩き続けた。
 その甲斐あって、日が暮れる前に森へ辿り着けた。

 森の中は、茂る木々が重なり合い、更に薄暗かった。
 レクルキスで通った森よりも、葉の量が多く感じる。どちらかというと、エルフたちの実験森で見た風景に近かった。
 前の世界に例えると、ジャングルのような密生度である。幸いなことに、現在のところ、ゾンビの姿は見かけなかった。代わりに、鳥のような鳴き声が時折聞こえる。

 入り口こそつるや葉が伸びてちくちくしたが、一応、馬車が通れる程度の道があって、俺たちは難なく歩き続けることができた。
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