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第四章 セリアンスロップ共和国

9 竜人と蝙蝠人

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 「わかりました。いずれ昔の話もお聞きしたいと思います。現在の問題として、私をクレア公使から離してこちらへ留めおく理由は何でしょう」

 キリルがネルルクを見る。もとより、マイア=ニーカは彼に問いかけている。彼の微笑に気遣わしげな翳りが生じた。

 「一言で言えば、貴女を守るためです」

 「本当かあ?」

 「キリルは混ぜ返さないでくれ」

 父親の疑問を一蹴し、ネルルクは俺たちの方を見た。

 「長くなると思います。お疲れでしょうから、皆様は先にお休みになられてはいかがですか」

 「残ります。私としても、詳しい事情をお聞きしたいです」

 クレアが即座に応じた。一番疲れていそうな公使が残るのだから、後は聞くまでもない。
 ネルルクは頷くと、メリベルを側に呼び、耳元に何やら言いつけた。
 彼女がかしこまって部屋を出て行く。

 「まず、私は蝙蝠人こうもりじん祖一族そいちぞくと呼ばれる一団に属します」

 ネルルクの自己紹介は三度目になる。その度に新しい話が出てくる。

 「祖一族は三派に分かれます。長老派、これは現在蝙蝠人の頂点に立つ長老が属す最大の派閥です。遡行そこう派、増殖ぞうしょく派、私は増殖派です」

 難しい単語が並ぶ。クレアは疲れが飛んだようだ。濃い碧眼が生き生きとしてきた。

 「この三派は繁殖方法が異なります。増殖派は、吸血した個体を同じ一族として迎え入れます。遡行派は、吸血して若返ることにより、一族の子を作ることができます。そして長老派は、竜人と交配することによって、不老不死と引き換えに一族の子を得ることができます」

 「なるほど」

 マイアが相槌を打った。エサムは眠気が差してきたようだ。今頃、酒が回ってきたか。

 「ところで、先ほどキリルも触れましたが、竜人の女性は稀です」

 「そうだそうだ。だが、ニーカはそうじゃなくても大切な娘だぞ」

 「更に、竜人はおよそ五十年に一度しか、子を産むことができません」

 キリルの発言を、完全に無視するネルルク。随分と親しい仲に見える。

 「その貴重な竜人の女性を、祖一族の最大派である長老派に差し出すことで、竜人と蝙蝠人は互いに対立を避けてきました。現長老は、過去に三人の竜人をめとりました。最後に竜人を娶ってから、今年で六十年になります」

 マイアは無言だったが、緊張したのは俺にも分かった。エサムも目が覚めた顔になった。漸く話が見えてきた感がある。

 「六十五年前にレクルキス襲撃が失敗した後、当時の皇帝フセヴォルド=ドラゴは暗殺され、ドラゴニア皇国は瓦解がかいしました。その後内戦状態になり、竜人を殲滅せんめつしようという動きがありました。皇国時代、代々竜人の皇帝の下、竜人であるというだけで、国内で高い地位を占めてきたからです。その先鋒に立ったのが蝙蝠人、特に長老派でした」

 ここでメリベルが戻ってきた。
 菓子が山盛りの、洒落しゃれた器を手にして、俺たちの間を回り始めた。つまんでみると、ウイスキーボンボンだった。
 エサムの目がカッと開き、もっと欲しそうな様子を見せた。グリリは勧めを断っていた。見た目か香りで何かわかったのだろう。

 「他に竜人の女性はいないのですか。女性を全員差し出したら、どのみち竜人は滅びてしまうでしょう」

 クレアが言った。菓子を口にして、リラックスした表情である。

 「結婚しているか、赤ん坊しかいないんだ。でもニーカだって、あと三十年ぐらいしないと子ども産めないけどな」

 答えたのはキリルだった。菓子を一度に五粒ほど掴んで口に押し込んでいた。途中で割らずに済ませた辺りは、なかなか器用だった。ジャリジャリという音がここまで聞こえる。

 「三十年」

 マイアが呟いた。爬虫類の瞳は見えているが、その胸中は窺えない。
 俺は複雑な気持ちで見守る。マイアは要するに未成年で、言ってみれば、小学生に見知らぬいけすかない爺と結婚しろ、と迫っているようなものだ。

 教授として俺たちを育てるほど、大人並みに優れた能力を持つとはいえ、余りにも酷な話である。ネルルクが頷く。

 「そうです。あと三十年ほど余裕があります。しかしその後は、純潔は守れても、吸血を防ぐのは難しいでしょう」

 「よくわからん」

 エサムが言う。メリベルにお代わりをもらい、ご機嫌である。

 「長老派が竜人との間に子をなすためには、まず純潔の状態で吸血する必要があるとか」

 「げ」

 隣から声がした。グリリである。ゲップではなさそうだ。
 俺は、手を挙げた。

 「これまで嫁いだ三人の竜人は、どうなりましたか」

 ネルルクが躊躇ためらった。

 「長老の嫁になると、十年ぐらいで寿命が尽きるんだよ。そんなところに、ニーカを嫁に出せるかっての」

 キリルが吐き捨てるように言う。場が静まるような感覚。

 「その代わりと言っては何ですが、毎年子どもを産めます」

 「竜人のままなら、五十年に一度でも二十人ぐらい産めるぞ」

 「三人は、どのようにして選ばれたのですか」

 マイアの問いに、キリルが記憶を手繰るように宙を見る。

 「ええっと。前の二人の時は何人か候補がいて、希望した娘が嫁いだ筈だ。最後の時は、一人しかいなかったんだが、竜人の存亡がかかっていたから、どうせ死ぬなら平和に暮らしたいと言って、納得して嫁いでいったな」

 「長老も昔は見目麗しかったですし、嫁いだ竜人は大切に扱われたと聞いております」

 ネルルクが言い添えた。

 「今は見る影もない爺だがな」

 「断ったら、どうなりますか」

 聞いたのは、クレアだった。皆が聞きたかった事だ。

 「心配するな。ニーカは俺が守る!」

 それは、まずい状況になる、と同義である。

 「私が行かなくても、いずれ誰かが嫁さねばならないのですね。でなければ、蝙蝠人が滅んでしまう」

 「その『いずれ』を引き伸ばすことができるかもしれません」

 俺たちの視線が、ネルルクに集まる。

 「蝙蝠人は不老不死です。普通の蝙蝠人を含めると、蝙蝠人は現在獣人の中で最大勢力を誇っています。今は平和ですし、寿命を得た長老以外は、繁殖を急ぐ理由がありません」

 「その長老が、竜人を要求しているのですよね」

 とクレア。

 「はい。ただ、長老はすでに三人も竜人を娶り、寿命も尽きかけています。引退とはいかぬまでも、繁殖はより若い蝙蝠人に任せるべきではないか、という意見も同族から出ているようです」

 「繁殖するためには、不老不死を捨てなければならないのに、希望する蝙蝠人がいるのでしょうか」

 「仰る通り、そこは問題点です」

 クレアの指摘に難しい顔をするネルルク。しかしまた口を開く。

 「だからこそ、繁殖者を交代させることができれば、その者が不老不死を諦めるまでの間、竜人の嫁入りを引き伸ばすことも可能になる訳です。猶予期間が伸びれば、候補者も増えます。マイアさんが一人で背負い込む必要もなくなります」

 「そうですね」

 マイアが考えていることはわかる。いずれ、誰かが行くことになる。誰も希望しなければ、自分が決断せねばならない。

 「その、何だ。若い候補者ってのは、当てがあるんですか」

 エサムが話の矛先を変えた。マイアを気遣っている。

 「長老の側近に、ソゾンという者がおります。見た目も実年齢も私より若い。彼が第一候補でしょう。そのうち、会う機会があると思います」

 とネルルクがメリベルに一瞬視線を送る。彼女の方は、表情を一層固くして視線を逸らした。

 「あの、つかぬことをお聞きします」

 グリリがおずおずと手を挙げた。

 「何でしょう」

 「お話を伺っていると、蝙蝠人と竜人は元来反目する間柄のようですが、ネルルク様は何故竜人のためにこれほど尽くしてくださるのですか」

 ネルルクが苦笑して、キリルを見やる。キリルは彼の視線を避けて、マイアに向き直った。

 「ニーカ。俺は、ポリーナひと筋だからな」

 「キリルは再婚だよね」

 「うっ。ソフィアは寿命が尽きて亡くなったんだから、仕方ないだろ」

 「今は独身でしょ」

 「俺は再婚する気はない」

 二人のやりとりもさることながら、キリルを睨むメリベルも気になる。

 「私は父上がネルルク様と結婚なさったら、心から祝福いたします」

 マイアの言葉に、キリルが喜色満面となった。一足飛びに娘の元へ駆け寄り、彼女を抱きしめた。

 「父と認めてくれた! もっと呼んでニーカ!」

 「締めすぎです」

 マイアは目を白黒させている。しかし逃れようとはしなかった。竜人父子を温かく見守るネルルク。メリベルはキリルを睨むのを止めて、主を見ていた。

 キリルがマイアから離れたのを潮に、各自部屋へ戻ることになった。
 使用人たちは先に休ませたとのことで、ネルルク自ら俺たちを部屋まで送り届けてくれた。マイアだけは、キリルが張り切って先導した。


 昨夜夜更かししたせいで、召使いに起こされるまで熟睡していた。寝心地が抜群だったせいもある。

 着替えの手伝いを断り、自力で支度を整えて食堂へ行く。厚いカーテンが寄せられ、朝の光がふんだんに差し込む中、ネルルクは食卓に着いていた。

 メリベルは主人の後ろに控えている。蝙蝠人は夜行性と聞いていたが、思い返せば今朝に限らず、彼らは昼間から活動していた。

 祖一族と普通の蝙蝠人では、色々違うようだ。それにメリベルは蝙蝠人ではないかもしれない。
 エルフの執事を始め、昨夜見かけた見覚えのある顔があちこちにある。全員が祖一族という可能性もある。

 食卓にはキリルもいた。マイアの顔を見て、嬉しげに手を挙げる。対するマイアは他人行儀だ。儀礼的に挨拶して席に着いた。

 夕食の時もそうだったが、朝食もまた、全員同じメニューだった。蝙蝠人であるネルルクも含めて、である。唯一異なるのは飲み物で、彼だけ、あの蝙蝠水だった。

 昨日まではみな同じ飲み物だった気がする。灯りのせいで気づかなかっただけだろうか。
 食事が始まって、様子を窺うと、俺たちと同様に料理も食べている。やはり、祖一族というのは特別なようだ。

 食後にコーヒーが出た。アルクルーキスで匂いを嗅いで以来である。
 結局学院在籍中、コーヒーを飲んでいない。感動と懐かしい強烈な香りに、陶然とうぜんとなった。

 飲むと、ベトナムコーヒー並みに甘かった。砂糖も高価な調味料である。皆も、キリル以外は珍しそうに飲んでいる。

 「さて、今後の話をしましょう」

 一人だけ蝙蝠水を飲むネルルクが、口を開いた。

 「マイアさんがどのような意向をお持ちであっても、一度クセニヤ議員に会われるのが筋です。幸い、午後には時間が取れるとのことだったので、皆さんの支度が整い次第、出発しましょう。公使には、議会にも出ていただく必要がありますのでね」

 「何で『鉄の盾』に会わにゃならんのだ。俺、彼女苦手だ」

 「キリルが会う必要はありませんよ。同じ議員同士、私と彼女は直接連絡を取れます」

 「行けばいいんだろ」

 「行け、とは言っていません」

 「いや、行くよ」

 ピニャが見たら、即BL作品に反映しそうだ。
 その証拠に、メリベルがまたキリルを不穏な目つきで注視している。警戒、というか、嫉妬しているようにしか見えない。

 レクルキスでは、少数派ではあるものの、同性愛者も異性愛者と同様に、結婚生活を営んでいた。セリアンスロップ共和国での位置付けも、同じだろうか。
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