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第四章 セリアンスロップ共和国

8 お父さんだよ

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 「レクルキスのことを、よくご存知ですこと」

 マイアが割り込んだ。麦でできた琥珀こはく色の酒を飲んでいる。これも、ウイスキーに似た匂いからして強めの酒だが、酔った風ではない。

 ネルルクは、非礼を咎めず、微笑して彼女を見た。うっかりすると、見惚れてしまうほどの美しさである。

 「そちらがなさっているのと同様に、こちらでもしているだけのことです。国の安定に、情報収集は欠かせません。特に、公海上で、未確認の竜が火を吐くなどという、事件が起きた時には、ね」

 マイアの爬虫類の瞳が消えた。横でクレアが、蜂蜜酒を一気に飲み干した。

 「私たちは、あなた方に害をなすために、来たのではありません」

 グラスを置く時にわずかな音を立てた。彼女も、この世界の人間で、酒には強い筈である。蜂蜜酒程度で酔いはしない。

 「我がレクルキス国と、あなた方のセリアンスロップ共和国との間に、国交を樹立するために、来ました。正式な条約を交わせるよう、担当者への面会を要求します」

 「貴女を、外務担当の議員に会わせることについては、お約束します」

 ネルルクは明言した。クレアがほっと息をつく。

 「ただし、こちらからもお願いがあります。マイアさんの身柄を、私に預けてください」

 「それは」

 安心して気が緩んだ後だけに、クレアも言葉が出なかった。
 返答によっては、国交樹立交渉の行方に、暗雲が立ち込めることになるのは、明白だった。

 ネルルクはあくまでも笑みを崩さない。美しい顔も、こんな時には悪魔に見える。

 「こちらに留め置いて、どうなさるのでしょうか」

 グリリが尋ねた。先ほどとは違う色の液体が、グラスに入っている。
 飲み過ぎてトイレを探す羽目にならねば良いが。

 「勿論もちろん、竜人の‥‥」

 ドンッ、ガラガラ、ガラガラ、ドドド。

 部屋の天井が、崩れてきた。


 メリベルの動きは、素早かった。
 俺たちが瓦礫がれきを避けるのに精一杯のところ、ネルルクを抱えて柱の近くへ移し、すぐさま、現れた襲撃者へ攻撃を仕掛けたのだ。

 相手は、金茶色の髪をなびかせた大柄な男だった。革鎧かわよろいまとっている。
 メリベルの方は、動きやすいだけの服である。打撃に関して、防御力は、ほぼゼロである。

 二人は格闘を始めた。どちらも武器は持っていない。

 瓦礫の散乱する狭い室内で、次々と足場を変えながら互いに攻撃を仕掛けていく。殴る腕の先も、蹴る足の先も、早過ぎて見切れない。

 その素早い攻撃をかわしながら、自分も攻撃を仕掛ける。一連の流れが美しくさえ見え、メリベルに加勢することを忘れるところだった。

 しかし、加勢しようにも、動きが早過ぎて、手を出せない。
 部屋の扉も瓦礫でふさがれてしまい、外から開かないようだ。応援を呼ぶこともならない。
 部屋の外では、異変を察知した使用人たちが、激しく扉を叩き、押したり引いたりするようだった。出入り口は、閉じたままである。

 ドンドンと叩く音が止むと、人の気配が薄れた。何かしら道具を取りに、場を外したのだろう。

 素手同士とはいえ、鎧を着た相手と、メリベルは互角に戦っていた。布で覆われただけの、大きな胸が思ったより揺れないのは、筋肉でできているせいか。

 ネルルクの方は、メリベルの戦いを部屋の隅から観戦していた。命の危険を微塵みじんも感じていないように見えた。
 部屋の損傷が気になるのか、まるで関係のない方向を眺めていることさえあった。

 一度ならず、彼女や襲撃者が近くに飛ばされてきた時も、避けもせず、平然としていた。

 やがて、部屋の外が、再び騒がしくなった。道具を持った使用人が到着したらしい。
 そこで初めて、ネルルクが両手を打ち合わせた。

 「はい、そこまで!」

 ぴたり、と二人の動きが止まった。互いに掴み合ったところであったのを、ぱっと離れて向かい合う。

 「ユルリッシュに扉を壊すな、と伝えてくれ。全く、ここへ来る度に建物を壊すのは止めてもらいたい。片付けはしてもらうよ。まず、扉を開けられるようにしてくれ」

 命令した相手はメリベルではなく、襲撃者だった。彼女の方は、主の後ろに移動した。

 「エルフ執事には、もう言ったよ。俺だって、ちゃんと正面から来たぞ。門衛の奴がぐずぐずして、いつ入れるかわからないし、あの忌々いまいましい竜絶木りゅうぜつぼくのせいで竜化できないから、仕方なくゴーレムに飛ばしてもらったんだよ。片付けは、やる」

 襲撃者の方も、きっちり命令に応えて、片手を上げた。

「‥‥いでよ、氷のゴーレム」

 氷の巨人が現れた。
 襲撃者の命に従って、扉の前から瓦礫を移動し始める。そのままゴーレムの仕事を見守るかと思いきや、襲撃者はくるりとこちらを向いた。

 彼らが戦っている間に何となく集まっていた俺たちは、一応身構えた。

 改めて向き合うと、メリベルとの戦いぶりから想像したよりも、年嵩としかさだった。
 四十代男性の外見で、金茶色の髪に黒い瞳の精悍せいかんな顔立ちである。瞳は、爬虫類のそれだった。

 彼は、俺たちの一点に目を留めると、表情を一変させた。

 「ニーカ!」

 笑顔全開で、走り寄ってきた。両腕を広げた先にいるのは、マイアである。俺たちは、彼女の前に出た。

 「お父さんだよ!」

 俺の体から力が抜けた。
 その男は、まだ身構えているエサムやグリリを器用にすり抜け、マイアの元へ駆け寄った。広げた両腕で、抱き締めようとする。

 止めたのは、マイア本人だった。

 「ちょっと待ってください。私はマイアです。あなたのことは、存じません」


 男は両腕を中途半端に広げたまま、情けない顔でネルルクを振り返った。

 「説明していないのか?」

 対するネルルクは、美しい顔に陰を作っている。彼が現れてから、笑みが消えたままである。

 「説明するも何も、これから確認するところだった。大体、ここにかくまったのも、君らみたいな竜人が大挙たいきょして彼女をさらわないためなのに、壊してどうする」

 「うっ。それは済まない」

 項垂うなだれる男。すぐに顔を上げる。

 「だが、お前のところの長老だって、ニーカを狙っていると聞いたぞ。俺たち竜人から隠して、長老に献上する手もあるだろ」

 ネルルクの表情が更に暗くなった。

 「ああ。その辺は、微妙な問題だね」

 「あの、お話し中、失礼ですが」

 終わらない話に、割って入ったのは、マイアである。
 俺は、飛び交う情報が多過ぎて、つい聞き入っていた。クレアたちも同じだろう。

 マイアの声に、男二人は、パッと表情を切り替え、にこやかに反応した。

 「いいよ。何だいニーカ」

 「ですから、ニーカではなく」

 扉が開いた。
 命令主がよそ見している間も、氷ゴーレムは忠実に仕事を続けていて、扉を塞ぐ瓦礫を遂に取り除いたのだ。

 開いた扉の向こうには、使用人が集まっており、先頭にエルフの執事もいた。
 最初に見た時から無表情だったが、今はそれを通り越して仏頂面ぶっちょうづらであった。

 「キリル様、残る片付けはこちらで致します。他のお客様も、ひとまず部屋の外へ、おいでになってください」

 見れば、お仕着せの使用人に混じって、植木屋みたいな格好をしたドワーフと、土ゴーレムを従えている。

 「済まんな」

 キリルと呼ばれた男は、ちっとも済まなさそうではない態度で言った。
 ネルルクは、彼と執事のやりとりが終わると、先頭に立った。

 「では、一緒に書斎へ来てもらおう。皆は、片付けの方にかかってくれ」

 「かしこまりました」


 書斎には、酒が置いてなかった。
 壁作りつけの棚に詰まっているのは巻物で、一つ一つからタグが下がっている。遠目には、林の中の茂みに見えた。
 応接セットのようなソファがあり、キリルを含めて全員が座れた。常に戦闘可能なメリベルは、立ったままである。

 「説明する前に、一応確認しておきたい。マイアさんは、六十五年前にレクルキスで生まれた竜人ですね。両親が誰か、知っていますか」

 ネルルクは微笑を取り戻した。反対に、キリルは落ち着かない様子である。

 「仰る通り、私は貴国が襲撃した際に、レクルキス王国で生を受けました。実の両親のことは、存じません」

 マイアが淡々と語る横で、俺たちはそれぞれに驚いていた。ドラゴンの襲撃については多くの書物があったが、マイアの出生について書かれた本は、見たことがない。

 彼女が魔法学院に籍を置いていたのも、特徴的な瞳を見せないようにしていたのも、竜人の存在を隠すためであった。
 何故隠さねばならなかったか。敵が産み落とした存在だったから、ということになる。レクルキスにおいて、竜人の存在は、公にされていない。

 「さきほどから騒いでいる彼が、貴女の父親キリルです。こう見えても、ドラゴニア皇国の時代から、音に聞こえた戦士ですよ。貴女の母親ポリーナも竜人で、『銀の爪』の異名を持つ優れた戦士でした。彼女は亡くなったのですね?」

 「はい。そのように聞いております」

 「覚悟はしていましたが、こうして聞きますと、改めてポリーナを失ったことに、悲しみを覚えます。それでも、貴女が生きて私たちの故郷へ戻ってくれたことは、とても嬉しく思います」

 ネルルクの表情も口調も優しい。先ほどの話からすると彼自身は竜人ではないようだが、この親しげな雰囲気はどこから来るのだろう。

 「だってその髪も顔立ちもポリーナそっくりだし、目は俺と同じ色だもの、ニーカに決まっているじゃないか。ニーカ、お前を兄さんたちに紹介しないとな。皆、妹がいたって知ったらびっくりするぞ。竜人の女は希少だからな」

 そわそわしていたキリルが、我慢できずに喋り出した。
 腕がやたら動くのは、抱き締めたいのを抑えているとみえる。六十年余、死んだと思っていた娘に会えた父親という目で見ると、キリルには同情した。
 俺だって、前の世界に残した娘たちに会いたい。

 故郷の縁者の熱量に対して、マイアは冷静、というよりも、若干じゃっかん引いて見えた。
 俺でも混乱気味なのだから、当事者はもっと大変だろう。

 「突然の訪問にもかかわらず、歓迎してくださって、ありがとうございます。お尋ねしたい事があまりにも多過ぎて、話が前後することもありますが、お許しください。まず、私をニーカと呼ぶ理由を教えていただけますか」

 と、礼儀正しく、或いは他人行儀に訊く。キリルは一瞬傷ついたように見えたが、すぐに立ち直った。

 「ポリーナと相談して決めていたんだ。男の子だったらニキータ、女の子だったらニーカ」

 俺の予想通りの答えが返ってきた。昔、ニキータという女の子の映画があったが、ここでは男の名前らしい。
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