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第五章 マドゥヤ帝国

11 事情聴取

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 「レクルキス国民を運ぶ龍に、砲撃を仕掛けたことは、外交問題よ。私は今、レクルキスを代表して事に当たっている。その上で、攻撃側にいたあなたが、マドゥヤの皇族を名乗るなら、相応の責任を負う覚悟がある、ということね」

 フィオナの顔が、目隠しの下で歪んだ。何故か目隠しの方は、しっかり縛ってある。

 「わ、私は夫に命じられた通りにしただけ。実家が夫の支援を受けていて、離縁されたら戻れない。父が皇位に就いていれば、私は大国の皇妃にもなれた身なのに。伯父上が存命の頃は、父の立場をおもんぱかって見逃してくれていたのに、現皇帝は即位した途端、夫との取引を止めさせた。しかも、蛇人の女と通じるグアンミーン商会のイネスとかいう女は平気で出入りさせて、マドゥヤ宮廷の権威をおとしめているわ」

 話しているうちに感情がたかぶって、聞かれもしないことを喋り出した。

 「あなたも言ったように、私は小国レクルキスの人間。隣国の内政には干渉しない。情状を汲んで欲しければ、マドゥヤの取調官に申し述べなさい」

 コーシャ王妃は美しく、落ち着いている。身をひるがえし、入口へ足を向けた。グリリが猿轡さるぐつわを締め直そうと、フィオナへ近付く。

 「王妃に目がくらみ、リャンヤを捨てた癖に、似た男をはべら」

 ガクン、とフィオナの頭が垂れた。何事もなかったように、グリリが猿轡を締め直す。闇魔法で眠らせたのだ。
 フィオナの目隠しは、濡れていた。

 王妃は振り返らなかった。威厳を保ったまま、龍の前に立った。

 「レンヤ。私達をティエンジ港まで運んで」

 「分かった。扉を閉めてくれ」

 ロン・レンヤは、もう逆らわなかった。巨大な顔が髭の先まで完全に引くのを待ち、俺とグリリが扉を閉めた。

 近衛隊長達には、出発する旨だけ伝える。幸いにも二人共、通訳をせがまなかった。

 王妃が、罪人の遠吠えに慈悲深く耳を傾けている、とでも解釈したのだろうか。とすれば、当たらずといえど遠からず、である。

 俺とグリリが四隅の残りを占めることにして、王妃と王太子、侍女、両隊長を座席に固定する。俺は、穴の空いた底に再びバリアを張った。

 時間を見計らったように、箱が浮き上がった。
 今度は何事も起こらなかった。長い飛行時間に感じられたが、その間、誰も口を開かなかった。

 フィオナが頭を持ち上げる度に、グリリが彼女の頭を再び垂れさせた。俺も、床の穴を塞ぐよう、バリアを張り続けた。

 ルキウス王太子は、再出発前には目を覚ましていた。いつから起きて、どこから聞いたのか、表情からは窺い知れなかった。


 帰国後、例によってマドゥヤ帝国の見聞記を書け、との学院長の仰せで、暗黒大陸の方はグリリに丸投げして執筆に取り掛かった。
 とは言っても、マドゥヤでは往還以外宮殿から出ていないし、暗黒大陸と違って元から交流がある。

 今更俺が書いても、人々の興味を引く新味にはとぼしい。広く販売する書籍ではなく、学内で参考にする報告書になりそうだった。


 数日経って、王宮に呼び出された。用件は不明である。

 グリリと一緒に参上すると、初めて行く区画へ案内された。
 警備兵が目に付く。
 装飾がどんどん地味になって、鉄製の扉で止まった。

 窓のない、狭い一室に、大小の事務机と固い椅子が四脚。うち三脚は、大きい方の机を挟み、一対二で向き合っている。

 取調室である。これで卓上電気スタンドがあれば、完璧だった。
 二脚は既に、先客で埋まっていた。扉が開いた気配に立ち上がる。

 「トリス殿とグリリ殿を、お連れしました」

 「ご苦労。行ってよし」

 メッサラとオピテルがいた。二人とも穏やかな顔つきで、挨拶を交わした。帰国以来の再会である。

 「むさ苦しい所へ呼び出して、済まないな。近衛隊と言っても、普段の職場は、こんなものだ」

 オピテルが言い訳する。ここ、取調室でしょう? と突っ込むと、冗談でも気まずくなりそうだった。

 「二人共、座って」
 
 メッサラが、隅にあった椅子を、オピテルの隣に置き、自ら座った。
 俺達は、彼らと向き合う形で腰掛けた。
 間に挟まれた机の上に、石板が置いてある。隅の事務机にも、同じ物が積み重ねられていた。

 「マドゥヤ帝国出張の報告書を、作らなければならないんだ。協力してくれないか」

 話すメッサラの隣で、もうオピテルが、白墨を握って準備している。断る理由もない。

 「ありがとう。八割方出来上がっているから、不明な点だけ確認したい」

 二人の顔を見た時から、予想はついていた。

 「捕まったフィオナとかいう役人と、妃殿下が話していた内容を、教えてくれ」

 「猿轡を噛ませていましたし、通詞ほどマドゥヤ語が堪能な訳でもないので、一語一句正確に再現することはできませんよ」

 グリリが牽制けんせいした。
 両隊長が構わない、と請け合い、俺が話した。
 聞き手は主にメッサラで、オピテルは記録係である。俺の言葉の合間に、カツカツと無機質な音が入る。清書する時にしか、紙を使えないのだろう。

 「殺して欲しい、と言っていました」

 「誰が?」

 「フィオナさんです」

 殺しに来た相手をさん付けするのは変な気もするが、彼女を呼び捨てにするのも気が引けた。メッサラも違和感を覚えたようで、軽く眉を上げた。

 「それで妃殿下は何と?」

 「マドゥヤ側の取り調べを受けるように、と仰いました」

 「それから?」

 「そうですね。聞くに耐えない罵倒の言葉が合間合間に挟まっていて、大まかにしか覚えていないのですが、自分は夫に言われてやっただけ。離縁されたら困る。最近宮廷との取引が減って困っていた、とのような内容だったと思います」

 「あ、そうそう。その前に、妃殿下と龍が話していた内容を聞くんだった」

 メッサラの言葉に、オピテルが立ち上がり、隅から別の石板を何枚か持ってきた。目の前に山が出来始める。落として割ったら、一大事である。

 「フィオナさんは皇帝の親戚だから、殺したらまずい」

 「うん、そこは知っている。その後、フィオナが意識を取り戻す前に、何か揉めていただろ」

 俺は記憶を辿った。正直、王妃とレンヤが揉めている図が、浮かばない。

 「ティエンジ港へ連れて行くよう、仰っていたと思います」

 グリリが代わりに答えた。

 「それに対して龍は、何と答えた?」

 「確か、ティエンジ港は騒ぎになっているだろうから、一旦引き返す、と言っていたように記憶しています。そこで彼女が目を覚まして」

 「ああ、なるほど。ところで、君が気絶させる直前に、彼女は何と言っていたんだ? 妃殿下がお話中の相手を、何故気絶させたんだ?」

 ああ、なるほど、と俺も思った。ここが焦点だ。

 「王妃様の面前で非礼が過ぎると感じ、咄嗟とっさに眠らせてしまいました。具体的な言葉は思い出せないのですが、彼女は罵詈雑言を撒き散らしていたのです。そもそも、王妃様の方ではお話を終えられていたように記憶しております」

 「そうだったか?」

 メッサラに問いかけられ、オピテルは再び席を立つ。今度は、石板の裏から巻物を出してきた。俺達を前に巻物を広げ、並んで黙読する。裏から見透かすことはできず、立ち上がって回り込まねば覗けない。

 取調室の容疑者席に座らされている身には、図々し過ぎて、できなかった。ただ、じっと座って待つ。

 「リャンヤがどうとか、言ってなかった?」

 巻物の向こうから、メッサラが俺を見る。俺は、なるべくぼんやりと見返した。

 「そう言われれば、か言っていたかもしれません。レンヤが来たせいで騒ぎになったと思えば、彼女がののしるのも、理解できます」

 「そうかあ。レンヤという名前だったな、あの龍。グリリもフィオナがリャンヤという単語を言っていたか覚えていない?」

 「うーむ。猿轡を締め直そうと集中していたので、内容はあまり覚えていないのです。そのせいで、彼女を黙らせるのに、遅れを取った次第です」

 「そんなもんかねえ」

 メッサラは、まだ納得しかねる様子で巻物を戻した。


 王宮を出た時点で、昼を過ぎていた。魔法学院へ戻り呼び出しの報告を終えると、もう夕食の方が近かった。疲れと空腹で、仕事をする気力が湧かない。

 「木の実でよければ、食べますか」

 グリリが、小袋に入った乾燥ナッツを、卓上に滑らせた。何の味付けもしていないが、噛むごとに栄養が全身を巡り出す。

 「ありがとう。助かった」

 それから二人して、黙々と仕事を進めた。

 実は、今日あることを予想して、グリリと想定問答を作っていた。フィオナが最後に叫んだ言葉が、コーシャ王妃を損なうことを、危ぶんだからである。

 侍女のチャルビが、王妃の不利になる証言をするとは思えないが、滞在中、近衛隊長達がマドゥヤ語をどれだけ習得したか、ルキウス王太子がどれだけ聞き取れたかがわからない以上、積極的に嘘をつくことは避けたかった。

 別々に取り調べを受けても大丈夫なように打ち合わせたので、並んで聴取を受けると分かり、拍子抜けした。

 「一つ、気になることがあるんだ」

 ひとまず無事に学院へ戻れた。やっと、実感が湧いてきた。

 「何でしょう」

 「俺、そんなに似ている?」

 グリリは手を止めて俺を見た。長い時間見合っていた。いい加減長過ぎると思った頃、つと視線を外された。

 「元の姿のまま召喚したら、かなり似ていたと思います。召喚先のレクルキス風に外見を変えたので、今は面影程度です」

 学院内で盗聴の心配はなくとも、固有名詞を出すには慎重になる。幸い、名前を出さなくても、話が通じた。

 フィオナが最後に、『似た男を侍らせ』と言ったことが、引っかかっていた。

 オピテルやメッサラよりは、俺の方がリャンヤに似ている。

 俺がマドゥヤに随行するきっかけは、コルネリア王女の推薦である。

 しかも王太子付きの近侍だから、王妃が俺を側に置いた、という彼女の言葉は、まるっきり言いがかりである。

 信用ならない人間が吐いた言葉の一部だけ取り出して、真実と信じ込むのは、ご都合主義と分かっている。それでも、第三者のフィオナが俺とウー・リャンヤを似ていると感じたならば、コーシャ王妃も同じように感じたかもしれない。

 王妃が彼を好ましく思っていたとすれば、彼に似た俺にも好意を抱いてくれるだろう。という希望の存在を、確めたかった。

 「しかしながら、あまりに似過ぎていると警戒されたでしょうから、今の姿でよかった、とわたくしは思います」

 グリリが、俺の考えを読んだような感想を言った。

 「元々の人が健在である以上、あなたが代わりに入り込む余地はありません。今回の一件で、あなたの希望を叶えるのは、ますます難しくなりました」

 今日の聴取から推測するに、王妃に告白めいた言葉をかけたことも、俺がリャンヤと似ていることも、王宮には知られていない。
 ただ、侍女チャルビは気付いただろうし、王妃本人も当然知っている。今後も王妃に近付くなら、それなりの覚悟が要る。

 「諦めるつもりはない」

 「では、頑張ってみましょう」

 授業終了の鐘が鳴った。夕食が食べられる。
 俺達は、広げていた仕事を全部片付けて、食堂へ向かった。
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