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第五章 マドゥヤ帝国

10 絶景で尋問

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 綺麗に直立した岩の塔が、見渡す限り生えている。自然に出来たものだ。
 てっぺんに木が茂り、針葉樹の濃い緑に彩られている。遠くへ行くほど色が霞み、青みがかっていく。
 霧がかかって、下の方も見えない。場合が場合でなければ、見惚れる景観である。

 俺達が乗ってきた箱は、そのうちの一つに安置されていた。うまい具合に木が生えておらず、岩肌が平らに剥き出している。

 レンヤは、岩の周囲を囲むように長い胴体を巻きつけ、頭をこちらへ向けていた。そういう状況であるからして、箱の外側には大して余裕がない。

 「航路を外れているじゃないか」

 マドゥヤの兵士が怒気を含んだ声で、誰にともなく吐き捨てる。
 直接レンヤを責めないのは、龍の協力なしに、ここから脱出するのが不可能だからだろう。俺でも分かる。

 「姫の安全を守るために、確認せねばならぬことがある」

 ようやく、ロン・レンヤが口を開いた。
 俺達レクルキスの護衛組は、はっとして身構えた。

 オピテルとイレナは、もとより王妃の側を固めている。俺も側にいる。差し当たり、他の人間が王妃に危害を加えることは、できない筈だ。

 「どういうことです?」

 自然、俺達と対峙する形になった、フィオナが戸惑う。

 「まず、マドゥヤの役人は外へ出てもらおうか。箱の中に隠れていては、話もできぬ」

 「何で」

 マドゥヤの兵士は、三人いた。それぞれが文句を言いかけたのを、フィオナが押さえて共に外へ出た。
 壁沿いに、顔を外に向けて立ち並ぶ。すれ違える程度の幅はあるし、その外側にレンヤがとぐろを巻いている。
 すぐ落ちる心配はないものの、緊張を強いられる立ち位置である。

 「次に、武装した者達」

 「えっ、私達も?」

 通詞役の言葉を聞いて、近衛隊長達は心外だという顔つきで王妃に助けを求めたが、結局近侍である俺以外の護衛が外へ出た。
 侍女のチャルビと、ルキウス王太子は残る。箱の外側に、九人横並びである。

 「何故トリスだけ?」

 最後まで出るのを渋ったメッサラは、尚も抵抗を試みた。イレナがすかさず訳す。

 「わしとリャンヤが判断した。それに彼は、近侍だろう?」

 俺は心の裡で、世話係のウー・リャンヤに感謝した。
 誰も、それ以上文句を言わなかった。崖の上に留まる時間が、長引くだけ、と理解したのだ。

 「さて、始めよう」

 ロン・レンヤが、ほぼ一列に並んだ人間達を一瞥いちべつした。どちらが偉いのか、危ぶまれる。

 「山中から砲撃を受けた。魔法を使っている。獣人が関わっていたかもしれん」

 「シャンツイチュンは? 撃ち落とされた? まさか敵に‥‥」

 フィオナが言葉を呑み込む。そういえば、レンヤの他にも、龍がもう一体いた。入国時の経験から推測するに、荷物を運ぶ担当だった、と思う。

 「シャンも砲撃を受けた。吊り箱から中身が落ちた。だが、シャンはそのまま飛び去った。敵はわしが焼いた。撃たれる心配はない」

 レンヤは少し頭を引いて、口の横から小さな火の玉を吐き出した。十分距離をおいているのに、温度が上がったように感じられた。この龍は、ゴジラみたいに火を吐けるらしい。あるいは、竜人のように、と例えるべきか。

 「え、全員焼き殺したということ?」

 フィオナの言葉に身がすくむ。揺れる箱の外で、そんな惨事が起きていたとは。しかし、レンヤが応戦しなければ、俺達は砲撃で墜落していただろう。すなわち、死んでいたのは、俺達の方だった。

 「問題は、攻撃を受けたシャンが、そのまま飛び去ったことだ」

 レンヤが、また箱の外を一瞥する。敵を殲滅せんめつしたことに、後ろめたさは微塵みじんも感じていなさそうである。
 如何にも彼は、戦闘用の龍だった。シャンツイチュンとかいう龍が、今ここにいないのは確かである。レンヤが同族を殺すとも思えない。
 仮に龍が殺されるとしても、鳴き声で俺達に知れるのではなかろうか。
 従って、レンヤは真実を述べている。彼が問題視する、事実の示す意味とは何か。

 「龍が、突発時に従前の行動を継続するのは、あらかじめ指示があった時である」

 答えを出したのは、コーシャ王妃だった。

 「シャンツイチュンは、箱が砲撃されることを知っていた。更に、その地点で箱の中身が投下されることは予め決まっていた。箱は内部を仕切ることができる。底板の色を変えるなどして印をつければ、魔法を使える者達が、必要な部分にのみ、穴を開けることは容易たやすい。レンヤは誰と代わったの?」

 「シアツイチュン。シャンと双子の弟だ」

 レンヤが答えた。
 何となく、フィオナを含めたマドゥヤの護衛達の様子が、不穏に感じられる。

 いつの間にか、王妃は王太子を抱き寄せていた。レンヤは味方でも、敵の全てを一度に排除する技は持っていなさそうだ。ここは、逃げ道のない場所である。不安に駆られたのは、俺も一緒だ。

 「黄金の龍が持つ箱を、宝物と思って砲撃したのね。予定外の交代で、連絡が間に合わなかった。でも、レンヤなら、敵から逃げ切れたでしょう。敵を倒し、航路を外れる必要はない」

 「姫。わしはな、人間どもが互いの決め事を破ろうが、私利をむさぼろうが、いちいち目くじらを立てん。だが、姫に危険が及ぶなら、原因を徹底的に排除する。たとえ手違いだろうが、姫が二度とこの地を踏むことがなかろうが、関係ない」

 ロン・レンヤは長々と話して疲れたのか、むふーっと鼻から盛大に息を噴き出した。ちょうど目の前にいたフィオナがよろけ、マドゥヤの護衛に支えられた。


 何が起こったのか、最初は理解できなかった。

 マドゥヤの護衛がグリリに斬りかかり、紙一重で避けられると、更に踏み込んでイレナを薙ぎ払った。
 彼女は、王妃と龍の対話を通訳しており、護衛に半ば背を向けていた。不意打ちの形となり、悲鳴も上げずに下界へ落ちていった。

 反対側では、リヌスの悲鳴が聞こえた。見ると、これも落下していくところだった。残ったメッサラが、マドゥヤの護衛二人に応戦する。頼もしいことに、二人相手にも負けていない。

 「王妃を!」

 イレナを落としたマドゥヤの護衛と、剣を交えるオピテルが叫ぶ。俺は、王妃と王太子を庇いつつ、箱の出入り口に立ち塞がった。チャルビが二人を奥へ導く。

 「だめ。せめて、フィオナは殺さないで」

 王妃の声が耳に届いた。そのフィオナは、グリリと掴み合いになっている。言われずとも、殺すつもりはないようだ。俺と同じ日本から来た人間だ。人殺しには、抵抗があるだろう。

 俺は、まず自分の後ろにバリアを張った。オピテルが、マドゥヤの護衛を切り伏せる。
 敵は、自ら落ちていった。すぐさまメッサラの援護に向かう。しかし、場所が狭くて、互いに二人並んで戦うのは難しい。

 フィオナが急に、ぐったりとした。グリリが闇魔法を使ったに違いない。
 俺は、メッサラに対峙する一人に、戦意喪失の魔法をかけた。途端にメッサラが打撃を与えたので、その護衛は落下した。

 残る一人が焦って剣を振り回すのを、メッサラは難なく打ち据えた。
 その間に、グリリがフィオナの服を利用し、彼女に目隠しをして縛り上げた。グリリの眼帯がずれ、閉じた片目が見えている。側で見るより大変だったようだ。

 「この下、どうなっているかね?」

 オピテルが身振りと共に、レンヤに尋ねる。レクルキス語である。龍は首を振った。何となく通じたのだろう。

 「イレナとリヌスは、諦めるしかないのか。二人共、優秀な若者だった」

 両隊長は、下界に向かって祈りを捧げた。俺も自己流で冥福を祈る。
 見知った人が、二人も殺された割には、感情が動かない。死体が見えないせいもある。

 マドゥヤの護衛の体から、血がピョロピョロ吹き出しているのを見ても、痛そうだなあ、と膜がかかったぼんやりした感想を抱いただけだった。
 緊迫した状況で、頭が麻痺しているのかもしれない。

 メッサラがその死体を引きずって箱へ入れた。俺の張ったバリアは、既に解けている。四隅の一角へ押し込めた。まさに重石である。

 「その女を生かすのは、災いの元だ」

 レンヤが言った。
 彼は俺達がごちゃごちゃと戦っている間、元の場所でじっと見守っていた。火を吐いて援護してくれても良さそうなものだが、コーシャ王妃を巻き込みたくなかった、と考えれば納得がいく。
 この狭さだ。確実に箱も焼ける。

 「これは外交問題になる。フィオナは現皇帝の従姉妹よ。襲われたとはいえ、役人を殺すのとは訳が違う。それに、物資の横流しがあったとすれば、宮中にも関係者は残っている。全て洗い出さなければ、レンヤの言う徹底的に排除したことにはならないわ。そのためにも、フィオナを生かしておく必要がある」

 「何と仰った?」

 メッサラが小声で聞く。チャルビは王妃がコーシャ姫の頃から付き従っているし、ルキウス王太子は王族の教養としてお茶会で困らない程度に、マドゥヤ語を身につけている。

 両隊長以外は、マドゥヤ語を理解できるのだ。通詞役が二人共殺されたせいで、二人共、話が見えていない。

 「フィオナさんは皇帝の親戚で、殺したらまずいそうです」

 そのフィオナを、オピテルと二人がかりで運び込もうとしていたグリリが言った。
 既に眼帯は、元の位置に戻してあった。内容は正しいが、もの凄い端折はしょり方である。通訳として如何なものか。

 「そうか。言われてみれば、王妃様にも似てらっしゃる」
 
 オピテルの動きが、やや慎重になった。いや、似てないと思うが。
 彼は迷った挙句、人手不足の折もあり、死体の対角にフィオナを下ろした。備え付けの椅子に、いましめの上からベルトで固定する。

 「レンヤ。私達をティエンジ港まで連れて行くのです」

 「一旦戻れ。ティエンジには、今頃シャンが着いて騒ぎになっている。わしがいないとわかれば、リャンヤがここまで探しにくる」

 王妃とレンヤの話は続いている。王太子はチャルビに促されて座席に腰掛けていたのだが、命の危険が去って安心したのか、眠りに落ちていた。寝顔は、あどけない子供だ。

 「殺フィてよ」

 後ろから、不明瞭な声が発せられた。フィオナが意識を取り戻したのだ。喋れる程度に猿轡さるぐつわの締めを甘くしたのか、単に噛ませ方が下手だったのか。縛ったのは、グリリである。

 グリリがまた魔法をかけようとして、止めた。王妃がフィオナの方へ近寄って来たからだ。
 レンヤも後を追って、顔を入り口へ寄せる。無論、大きすぎて入らない。ひげだけが、別の生き物のように空中を漂う。

 「殺さない。あなたは宮廷へ戻り、取り調べを受けて罪を償うの」

 「偉フォウに。フォウ国の妃が、アドゥヤの皇フォくに指図しないで」

 段々猿轡が緩んできた。メッサラもオピテルも、もどかしげに俺やグリリをちらちら見るが、雰囲気で内容は察しているようなので、俺は無視した。

 グリリが猿轡を締め直そうとするのを、王妃が制する。彼は緩んだ猿轡をそのままに、引き下がった。
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