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第五章 マドゥヤ帝国

9 龍飛行船の攻防

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 ラヴァンヤ皇太后の元から戻った王太子は、これまでになく興奮した様子だった。

 「女の子が沢山いた。おばあさまのお茶会だからかな」

 コーシャ王妃の意向を受けて、母である皇太后が集団見合いを行ったらしい。

 「一番可愛かったのは、ドリサナ姫だけれど、従姉だから結婚はダメよ、って。僕は何も言っていないのに」

 同世代と接したせいか、言葉がくだけている。ドリサナ姫は、ビハーン皇帝の娘だろう。
 後宮から連れ出されたのなら、少なくともネハル皇后は承知している筈。

 茶会への出席を容認する代わりに、結婚について相当釘を刺したものか。皇太后に呼び出されたら、断れない。
 王太子の年頃では、女の子の方が大人びて見えるのは、こちらの世界でも同じらしい。

 「母上にもお話ししたかったのだけれど、今日はもう時間がないから、別の日になさいって仰られて。明日、母上の元へ行こう」

 「かしこまりました」

 興奮する王太子をどうにか寝かしつけ、控えの間へ戻ると、こちらも全員起きていた。

 「今日は、お互い大変だったな」

 メッサラが珍しく、酒を飲んでいる。初日から棚に鎮座していた、白い陶器の瓶から注いでいた。
 誰も手をつけず、飾りと思っていたら、中身もしっかり入っていて、お好みの味だった訳だ。
 リヌスとグリリは素面である。

 隊長の一人飲みか、と自分の飲み物を探す前へ、陶器製の猪口を差し出された。青の顔料で山水が描かれている。水墨画風である。懐かしく感じて、しげしげ眺めていると、

 「毒など入れてないから、飲め」

 と促された。無色透明の液体が入っている。嗅ぐともなくアルコールの匂いが鼻に入ってくる。酒としては爽やかな方だ。一気に飲み干す。度数は強いが、癖はなく甘味さえ感じる。飲みやすい。

 「ご馳走様でした」

 猪口を返すとまた注がれると思い、掌で包んだまま礼を言った。レクルキスの民は酒が強い。俺も弱くはないが、対等に飲めば潰される。

 「マドゥヤの酒は濃くて美味い。レクルキスでも買えるだろうか」

 「今度、母に尋ねてみます」

  リヌスの母はマドゥヤ出身である。彼の真っ直ぐな黒髪や顔立ちは、母から受け継いだのだろう。

 「ところで、トリス。龍の乗り心地はどうだった?」

 俺のいない間に、グリリが龍の騎乗体験を披露していた。話が重複しても良いというので、改めてロン・レンヤに乗った話をした。

 「あまりに動きが速すぎて、グリリにしがみつくのが精一杯で、彼の乗り物酔いを治す余裕がありませんでした。オピテル隊長が二度目の騎乗を辞退したのも頷けます」

 「わたくしは二度と乗りたくありません。次は隊長とリヌス殿の番です」

 「怖いけれど、乗ってみたいですね。子どもの頃、母から龍の話をよく聞きました。憧れです」

 リヌスが茶色の目をきらめかせる。期待に水を差さないよう、俺は口を閉じていた。

 「隊長の方は、如何でしたか」

 グリリが尋ねる。メッサラはうーんと唸って頭を掻く仕草をした。これも珍しいことだが、酔っているようだ。
 確かに強い酒だった。一体何杯飲んだのか。

 「実は、男子禁制とか言われて、中へ入れなかったんだ」

 「でも王太子殿下は‥‥?」

 「六歳だからな。まあ、あそこは正式には後宮の外に当たるし、私達も普段は立ち入っていい筈だ。今日は、良家のお嬢様を大勢呼ばれた手前、締め出されたのだろう。他にも、男性の護衛が待たされていた」

 「お陰で殿下を護衛する緊張感抜きで、寛げました。美味しい茶菓もいただきましたし」

 リヌスが付け加えた。彼らは彼らで楽しい一日を過ごした訳である。帰りしな、王太子に紹介した令嬢リストを渡された。歴史ある高官の家柄とか、大商人とか、皇太后の遠縁とか、錚々そうそうたる釣書が認められていたそうである。

 「その中から、婚約者を選ばないと、いけないのですか?」

 ドリサナ姫にフラれた、というルキウス王太子の話を思い出し聞いてみる。

 「レクルキスでは、そういうパーティがあれば、大体その中から決まるな」

 メッサラもリヌスも貴族の出である。

 「今回は、皇太后様の主催ですし、民間の方が多かったのでしたら、皇太后様のご紹介でレクルキス王室や現皇帝との顔つなぎが出来れば、双方面目は立つのではないでしょうか。代替わりで、後宮は一旦解散させられ、大臣や官僚の異動もあったとすれば、これまで出入りしていた商人の中には、つてを失った者もあるかもしれません」

 グリリの言葉に、メッサラが唸る。

 「詳しいな」

 「借りた書物で読みました。付け焼き刃の知識です」

 「となると、王太子殿下のご意向もあるだろうが、釣書を急いで精査する必要があるな。妃殿下の方が詳しいから、明朝にでも伺わねば」

 「では、早く休みましょう」

 やや酔いが醒めた様子のメッサラに、すかさずリヌスが進言した。


 間もなく、帰国することになった。意外なことに、俺とグリリも含めて全員である。

 てっきり、マドゥヤ帝国に残される、と思っていた。
 誰がどのような報告を上げたのかは勿論のこと、最終的に、俺達に関してどのような決定が下されたのかは、知らされていない。

 一旦帰国してから、改めて二人だけでマドゥヤへ戻される、ということもあり得る。もしそうならば、コーシャ王妃と身近に接する最後の機会になる。さらうべきなのだろうか。

 帰国の日は、曇り空だった。支度を終えて外へ出ると、ロン・レンヤがもう一体の龍と共に待っていた。気落ちしているのか、天候のせいか、黄色の鱗も薄く沈んで見える。
 王妃が駆け寄って頭を抱くと、嬉しげに身をくねらせた。

 「最後に会えて嬉しい」

 「無理を言って、直前で交代してもらった。今頃、騒ぎになっているかもな」

 フィオナもいた。彼女は葬儀の後は、ほとんど顔を見なかった。王妃の方へは顔を出していたらしい。

 そして、皇太后の茶会に、彼女の八歳になる娘が招待されていた。同じ母親同士、話も盛り上がる。他の者も、乗り物酔い対策として話をする。帰りの箱の中は打ち解けた空気で満たされた。話し声の合間にばりぼりと響く音以外は。

 「何食べているの?」

 音源はグリリだった。一行の中では端の席にいて話しかけ辛いのもあるが、自分からも話さない。代わりのように何か食べている。

 「バースゥ、飴みたいなものです。おひとつどうぞ」

 りんご飴の中身を天津甘栗にしたような菓子だった。食べてみても、そのままの味だった。
 普通のハードキャンディを頼んだところ、芸がないと沽券こけんに関わると思ったのか、甘栗の飴掛けが届いたらしい。他にも、山査子さんざしとかいう赤い小さな実が中身の飴もあった。甘酸っぱくて酔い止めに効きそうである。

 「そろそろ降下を始めます」

 フィオナが注意を促すのと、同時に箱が揺れた。体が宙に浮くのを、席のベルトが押さえ込む。全員一瞬口を噤み、申し合わせたように一斉に喋り出した。

 「なんだなんだ」
 「落ちる?」
 「乱気流?」
 「怖い」
 「攻撃かっ」

 そこへ二度目の衝撃が来た。バリバリッと不吉な音がした。冷たい風が吹き込んできた。

 「下から砲撃されている!」

 「こんな上空まで?」

 「ベルトを外さないでください!」

 空気の吹き込む音で声が散らばる。宙に何かが舞う。寒い。龍の飛び方が変化した。体に覚えがある落ち方。回転しながら急降下という、あれだ。

 墜落である。こんな時でもベルトを外さない方がいいのだろうか。どうせ最後なのだから、王妃に抱きついてもいいのではないか。

 落ちる短い間に、様々な考えが脳内を巡る。なかなか走馬灯まで行きつかない。
 腕を掴まれる。

 「床、に、結界!」

 グリリが手に力を込めて大声を出す。俺は我に返った。死んでいる場合ではない。

 床から箱の壁に沿うようにして、バリアを張った。落下の衝撃に耐え得るかはともかく、寒さと風は止んだ。フィオナが素早く席を立ち、床に空いた穴に玄関マットを置いた。壁越しに、遠吠えのような声がした。

 「レンヤが攻撃している」

 静まった箱内で、コーシャ王妃の言葉がはっきり聞こえた。フィオナやマドゥヤの護衛が驚いて顔を見合わせる。

 「敵襲ということか。フィオナ殿。我々はどのようにして援護すべきですか」

 メッサラが呼びかけた。彼女は、戸惑った様子で首を振った。

 「龍が、この箱を地上へ下ろすまで、我々にできることはありません」

 「そんな。このまま撃ち落とされるのを、待てというのか」

 オピテルが声を上げた。

 「落ち着きなさい」

 フィオナが応じるより先に、王妃が制した。

 「レンヤは強い。敵が空を飛べなければ、案ずることはありません。ただし、地上に降りた際は、警戒を怠らないよう願います」

 「承知いたしました」

 メッサラとオピテルが、着席したまま頭を下げた。

 コーシャ王妃が断言した通り、その後、俺達の箱は如何なる攻撃も受けなかった。バリアを張っていても、当たれば分かる。

 急降下したレンヤは、箱が激突する前に速度を緩め、再び上昇し、移動を始めた。蛇行している。俺はバリアを張り続けたまま、できる範囲でグリリの乗り物酔いを治してやった。

 「外の様子が分からないのは、不便ですね」

 しばらく経って、イレナが呟いた。攻撃を受けていない理由が、敵が撤退したのか全滅したのか、単に我々を見失ったのか、あるいは龍の回避力が抜群に優れているためか、状況を判断できない。

 龍を持つのがマドゥヤ軍だけなので、平時に攻撃を受けることは想定外だったのだろう。たまたまロン・レンヤが戦闘能力にも秀でた龍だったようで助かったものの、捨ておけない問題である。

 「帰庁後、早速に検討致します」

 フィオナが真面目に答えた。確かに、外交問題どころか、戦争の発端になりかねない。

 元いた世界では、飛行機の登場から戦争が一変したのだが、マドゥヤに龍、セリアンスロップにドラゴンがいる中、レクルキスには飛ぶものがない。鳥人と協定を結んでいる程度である。

 ドラゴンに襲撃を受けた際には、魔法で対抗した。対策は、六十年前と変わらないのか。行く末の知れない俺の心配することでもないが。

 間もなく龍が下降した。思っていたより早く着いたようだ。箱が硬い地面に当たる感触を機に、俺はバリアを解いた。これほど長時間、切れ目なく同じ魔法をかけ続けた経験は初めてだった。俺のチートで魔力切れの心配はないものの、緊張で気疲れした。

 「ロン・レンヤ! ここはどこです?」

 出入り口でフィオナが、悲鳴じみた声を上げた。俺達はその背中に殺到した。出入り口が狭いので、隙間から覗く。
 まず見えたのは、レンヤの巨大な顔であった。その後ろが

 「うわあ、絶景」
 「ルキウス殿下、危ないから下がってください」
 「メッサラ、高い場所怖いのか。レンヤにも乗らなかったな」
 「あれは、部下に譲っただけです」

 軽く揉めながらも、リヌスと職務を執行する近衛隊長。王太子の指摘は、存外的を射ていたかも知れない。

 「リィンリンか。懐かしいわね」

 視界が開けたところへ、王妃が前へ出た。どさくさに紛れて俺も箱の縁まで出た。
 水墨画の世界だった。
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