神殺しの剣

在江

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第一部 第二章 エウドクシスの大難

15 怪物と火山

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 「はーはっはっはっは、私が水神だ! 水の精霊や風の精霊まで操ろうとも、私が水の精霊を動かす技量には敵うまい! 死の神の足元をすくってやった!」

 水神は興奮して渦に身を委ね、渦と共に回りながら高笑いした。
 デリムとエウドクシスが乗っていた船は、落下する途中で渦の壁に激突し、渦に呑まれてばらばらに砕け散った。

 砕けた船の破片を左右に従えながら、水神は渦と共に回転する。その前を、エウドクシスを抱えたデリムが落下して行く。水神はまた哄笑した。

 「死の神も怪物に食われろ! この私を侮った風神のようにな! 来れ怪物よ、美味い獲物がここにいるぞ、はーはっはっはっは!」

 デリムは風の精霊を大勢呼び集めて体を浮かせようとしていたが、エウドクシスを抱えていたため、落下速度を少し弛める程度にしか役立たなかった。

 エウドクシスは彼の腕の中で意識を失ってぐったりとしており、放り出そうものなら船と同様ばらばらになりそうだった。
 巨大な渦巻きは海底まで及び、光も浴びず、乾いたことのない泥状の土が黒々と剥き出しになっていた。

 「大地にいるもの、地脈を司るものよ。汝の名を知り杖を持つ死の神が命じる。大地の杖の持ち主ユムステルよ、我が元へ来りて我を支えよ」

 海底の泥がぼこぼこと泡立った。エウドクシスの下敷きになって落ちたデリムの背中を、伸びてきた黒い腕がふんわりと支えた。

 「重ねて世話をかける」

 地神が黒い目を細めて渦巻く海壁を見上げた。己に酔いしれている水神が、高笑いしながら渦と共に回り続けている。デリムは地神の腕から降り、抱えていたエウドクシスを一旦下ろして背負い直した。目顔で問いかける地神に答える。

 「冥王の気に入りだ。不死身のようだが、どの程度のものなのかは判らない。いずれにせよ、気絶していては身を守ることもできまい」
 「私が渦の上まで運びましょうか」
 「できるか」

 地神の声に、水神が反応した。

 「おや、そこにいるのはユムステルではないか。また死の神にへつらっているのかね。へつらう相手を間違えているぞ。実力は私の方が上なのだ。死の神も無駄に足掻かず、素直に認めればよいのに」
 「何ということを」

 水神の放言に、地神は絶句した。渦に乗った船の破片の一部が、海底に至って上方へ撥ね返った。飛び交う破片をデリムが器用に避ける。背負われたエウドクシスに破片が当ったが、彼の肌には傷一つつかなかった。デリムはエウドクシスを下ろして地神に預けた。

 「では、頼もうか。渦の上に出た後は、再び巻き込まれないよう海に浮べておけばよい」
 「承知しました」

 上方から、水神の苛立った声が落ちてきた。

 「いつまで私の領分に留まっているのだ。ユムステル、お前にも私の力を思い知らせてやろう」

 海壁が、渦を巻いたまま崩れ始めた。渦巻から海底に向けて飛沫が次々と降ってきた。
 身軽になったデリムが、跳躍した。後からエウドクシスを抱えた地神が続く。たちまち渦巻を越え、海面に出た。

 星は瞬いていたが、さきほどデリムに退けられた黒雲がまだ周囲にわだかまっているのか、空の一部が黒く染まっている。
 渦と共に回っていた水神も、慌てて海面に飛び出してきた。

 渦巻きは水神が抜けると同時に崩れて元の海面に戻った。
 エウドクシスを抱えて離れようとする地神を追いかける水神の前に、デリムが立ちはだかった。
 大海原で、デリムと水神が対峙した。

 「ユムステルは取り逃がしたが、まあよい。死の神よ、他の神の手を借りねば私と渡りあえないようでは、生みの親と言うだけで私の上に立つべきではなかろう」

 水神は滝のように流れ落ちる白い髪を振り乱し、白い指先をデリムに向けた。穏やかな海面から突然水柱が何本も吹き上がり、デリムを貫いた。満足そうに頷く水神の顔が、消えた水柱の後に残ったデリムを見て強張った。

 デリムの姿には、一糸の乱れもなかった。地神から借り受けた大地の杖を、背丈より長い双槍に変え水神に向けて構えている。

 「アカリウス、お前が考えるほどには、私達の間には上下はない」
 「では何故、日の御子ばかりが奉られるのだ。神器を持たぬピスキスやヴォルクリス、アニマリスでさえ神殿は持たぬとはいえ供物を捧げられ、信奉されているのに」

 「事情はフラムたちも変わらぬではないか」
 「フラムとアウラエは日の御子から生まれたから、日の御子と共に崇められていると考えればよい。ユムステルは死の神に贔屓されている。私はどうだ。人間にも崇められず、死の神にも顧みられない。こんなに、こんなに偉大な力を持っているのに!」

 水神は叫びながらデリムに飛びかかってきた。デリムを水壁が取り囲む。デリムは双槍を収めて掴みかかる水神の両腕を取り押さえた。水神の振り乱れた髪が、しぶきを上げながらデリムに絡みつき、体の自由を奪う。

 デリムと水神は互いに身動きしないまま、海に落ちた。弱々しい月光も海中には届かない。予め水神が計らったのか、魚一匹の影もなかった。暗い海の中でも白く光る水神は、両腕を取られたまま嘲う。

 「どうだ、ここは私の世界だ。死の神よ、苦しかろう。苦しいと言え」

 デリムの口は水神の髪に塞がれていた。白く光る髪の間から声が漏れた。

 「それで終わりか」

 冴え冴えとした薄青の瞳が水神をじっと見据える。苦痛の欠片も感じられない、落ち着いた視線に、水神が動揺した。デリムに巻きついていた長い髪が、僅かに弛む。水神の腕を握っていた手が片方だけ外れた次の瞬間。

 「あ゛」

 水神は地神の双槍に体を貫かれていた。信じられないように、自分の体を貫く槍を見下ろす。おずおずと自由になった腕を伸ばし槍に触れようとして、水神の体は急激に引き揚げられ、水神は苦痛に顔を歪めた。

 双槍に貫かれたまま、海上に浮び上がった水神は、空中に浮ぶデリムを見た。水神の髪による呪縛はとうに外されている。突き刺された双槍を抜き取る力が、水神には残されていなかった。

 「私を、殺すの、ですか」
 「さて」

 デリムはのんびりとも聞こえる口調で水神に応え、柄を掴んだまま海原に目を向けた。双槍を通してデリムの緊張が伝わったのか、水神もぎこちなく首を巡らせ、顔をますます強張らせた。

 「逃げてください!」
 エウドクシスを抱えた地神が、よたよたとこちらへ飛んできていた。その後ろには、夜目にもすべすべとした岩肌を持つ、黒ずんだ怪物が迫っていた。

 「ユムステル、構わぬ。その荷を落とせ!」

 デリムは怒鳴るなり、双槍をぐい、と振り被った。双槍に貫かれていた水神の体が持ち上げられ、槍から抜けて宙を飛んだ。

 「あ゛あ゛あ゛あ゛っ、お許しを」

 水神が痛みと恐怖で悲鳴を上げた。真っ直ぐに怪物の頭へ向かって飛んで行く。地神が慌ててエウドクシスを取り落とした。悲鳴を撒き散らしながら飛ばされる水神を受け止めようと、空いた両腕をいっぱいに広げる。

 「ユムステル! お前も食われたいのか?」

 デリムが飛んだ。だが、間に合わなかった。水神を受け止めた地神の姿が、掻き消えた。怪物の口に吸い込まれたのだ。怪物は満足そうに吼えた。

 「美味い」

 落下したエウドクシスが、海面に叩き付けられた。


 気が付いたら海の上で仰向けになっていた。同時に自然と足から体が沈み、首から上だけ海面に残る。

 「俺、どうしたんだっけ」

 確か、船が渦に巻き込まれて船から放り出された、いや、デリムの奴に引っ張り落とされたんだった。俺は頭を巡らせた。
 夜空は何事もなかったかのように晴れ渡っている。渦も船も見当たらない、穏やかな海原である。デリムもいない。

 がしり、と海では耳慣れない音が聞こえて、俺は体ごと後ろを向いた。

 デリムがいた。長い双槍の先にぶらさがっている。槍が突き刺さっているのは、例の黒い怪物だった。
 もしかして、渦巻きが発生したのも、こいつのせいなのだろうか。俺は迷わず怪物に背を向け、泳ぎ出した。デリムを助けようという考えは微塵も浮ばなかった。第一、俺に奴を助けることなど出来っこないのだ。

 泳ぎながら夜空の星で方角を見定める。向かうは、トリニ島の方角である。
 遥か遠くに細くたなびく白煙の昇る、それらしき黒い島影が水平線上にはみ出ている。とても泳ぎ切る自信がない。ハシレ島の方が近いんじゃないか。だが、怪物が視界に入るのを恐れ、すぐ左横を見る勇気も俺には欠けていた。

 ごごおぉっ、唸りにも似た低い音が耳中に響き、続けて波に揺られるのとは違った震動が俺を捉え、焦点がぶれた。思わず手足が縮こまり、俺は泳ぐのを止めた。怪物が暴れているのだろうか。まだ後ろを確かめる勇気は出ない。

 どおーん、どおーん。

 遠くで一斉に雷が落ちたようなくぐもった音が俺の耳を撃った。目を上げると、前方に浮ぶトリニ島が爆発していた。白煙が、黒煙に変わっているのが夜目にもわかった。煙の中に、ちらちらと赤い点が光る。

 その噴き上げる勢いは、入道雲が瞬時に天まで達したようだった。
 たちまちトリニ島はもうもうとした濃い煙幕に包まれ、姿を失った。

 天を衝く黒煙は、猛烈な勢いで星の輝きを食い潰し、恐ろしげな陰影を目まぐるしく変化させながら俺のいる方へと伸びてきた。
 水平線がうねり、僅かに盛り上がったように見えた。

 気のせいではない、急速に成長する巨大な噴煙のせいですぐには気付かなかったのだが、高波が発生したのだ。
 濁った海水は瞬く間に正体を現し、足並み揃え壁を作って、俺に迫りつつあった。

 後ろには怪物、逃げ場はない。
 高波は世界を覆い尽くすかと思われるほどに大きく伸び上がり、みるみるうちに距離を縮め、眼前に押し寄せてきた。

 海水で出来た壁には、巻き込まれた船や木の残骸が塗り篭められ、壁から突き出している。
 俺は観念して目を閉じた。上手くいけば、波に乗れるかもしれない。

 恐怖を煽りたてる視覚は邪魔だった。轟々と波が襲い掛かる中、ぱらぱらと小石のようなものが周囲に降り注ぎ、ぽちゃぽちゃとこの場に似つかわしくない可愛らしい音を立てたのが、奇妙なほど明瞭に聞き取れた。
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