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お家の事情で自分より強い男としかお付き合いしない系女子と付き合うため、ヒョロガリだったぼくが体を鍛えまくった結果

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「そろそろ気づいたらどうだ。そんな貧弱な身体じゃ、わたしに勝つことは一生できないと」

 床に這いつくばり、情けなく涙をこぼすぼくを冷たい瞳で見下ろすぼくの想い人。彼女の名前は九條凜花(くじょう りんか)。とある高名な武術家の一人娘であり、ぼくの同級生でもある。その見る人が100人中100人は見惚れるであろう美貌に、威風堂々とした立ち振舞いは学校内外、男女問わず人気を集めている。

 当然、彼女に告白するものは後を絶たないわけだが、彼女の家にはすこし変わったしきたりがあったのだ。

 ―――自分より弱い男と付き合ってはならない

 どこぞの漫画のようなしきたりだが、彼女はこのしきたりを律儀に守っている。しかし告白してきた男達が強い弱いなんぞどうやって確かめるのかと言えば、彼女自身が戦って直接確かめるわけである。いわゆる決闘というやつだ。

 彼女に告白をすることは果たし状に近く、その後の手合わせに勝つとめでたく付き合える、らしい。

 らしいというのは、交際が成立したところをぼくは見たことがないのだ。高校に入ってからの彼女の戦歴は126勝0敗。これが入学して半年での記録というのだから彼女の強さ、それほどまでに告白される魅力共にたいしたものである。

 ちなみに、この126勝のうちの8勝は、ぼくによってもたらされたものだったりする。

「いて、いてててッ」
「それにしてもよくやるな。もう8回目だろ?」
「回数ばっか増えたって自慢にならないって。あまりのしつこさに九條さんもイライラしてきたのか、どんどんボコされ具合が激化してきたし」

 保健室で生傷の手当をしてくれているのはぼく、細田稔(ほそだみのる)の小学生からの幼馴染、西田翔平(にしだ しょうへい)だ。

 翔平は中高帰宅部のぼくとは違い、中学はサッカー部、高校ではけいおん部に所属している。

 一度、中学までサッカー部で良い線行っていたのにいいのかと聴いたことがあるが、「サッカー上手いやつはモテるって聞いたからサッカー部に入ってたのに欠片も効果がなかったからな。っぱ今の時代はバンドマンだぜ」などとほざいていた。

「ところがどっこい、三回を超えて九條さんに告白をするやつはほとんどいないんだな」
「そうだったのか。でもなんで?」
「九條さんさ、一回目の挑戦ではできるだけ痛くしないように倒してくれてるらしいんだ。ただ、それでもまだ挑戦してくるやつには段々と本気を出していくって寸法なのよ。三回目くらいでギッタンギッタンに痛めつけられるわ、手加減されてたことに気づいて埋まらない力の差を痛感するわで身も心もバッキバキに折れて挑戦をやめる奴がほとんどなんだってよ。だからおまえはその頼りなーい身体のくせして頑張った方だと思うぜ。誇れ誇れ。」

 そう言って、手当を終えた翔平はぼくの肩を雑に叩いた。

 頼りない身体と言われ、ぼくは自分の手足を見つめた。背はそれなりにあるのだが、少食なこと、中学の途中から急激に背が伸びたことも相まって、それまで標準体型だったぼくはひょろひょろになった。クラスの女子達がぼくのことを裏で「もやし」と呼ばれているらしいことを、以前翔平がゲラゲラと面白そうに笑いながら教えてくれた。


 次の日の昼休み、ぼくは九條さんへの挑戦の申し込みをしようと彼女に声をかける。彼女への挑戦は予約制だ。予定がびっしりなので、予約をしてから、挑戦が一週間先になることも多々ある。

「君か」

 席に座っていた九條さんがちらりとこちらを一瞥した。その彼女が言い放った発言に、どうやらぼくは自分の想い人に認知されているらしいことに浮足立った。しかし続く言葉で次の瞬間浮かれた気分はどん底へと突き落とされることとなる。

「君からの挑戦は、今後受けない」

 九條さんは感情のこもっていない冷たい声でそう言い放ち、ぼくから視線を外した。

「な、なんでですか」

 慌ててぼくはそう問いかける。挑戦するものは拒まないと、彼女は公言していたはずなのに。

「君からは前回、前々回の挑戦からまるで変化を感じられない。休憩時間、放課後。わたしはわたしの時間を費やしてみんなの挑戦を受けている。自分を好いてくれる人には誠意をもって答えようとそう思ってな。でもわたしは君の挑戦に自分の時間を費やす価値を感じないんだよ。わかってもらえたかな?」

 九條さんはもう用は済んだと言わんばかりにすっとぼくから視線を外した。ぼくはとぼとぼと自分の席に戻る。周りから、ぼくを嘲る声が聞こえてきた。

 気づけば、ぼくは自分の部屋のベットの上に寝そべっていた。どうやって一日を過ごしたかまったく思い出せない。なんだか胸に隙間風が吹いているかのように寒かったから、ぼくは湯船に浸かった。

 そして自分のことを省みる。何度も彼女に挑んできた。でも、ぼくは彼女のためになにか変わる努力をしただろうか。彼女に勝とうと、本気で努力してきただろうか。
 ただただ闇雲に挑んでいれば、いつかなにかの間違いで勝てるかもしれない。そんな甘っちょろいことを考えていたんじゃないか?

 風呂から上がり、パンツ一丁のまま姿鏡の前に立った。鏡に映るのは頬が痩せこけ、にょろんという擬音がどこかから聴こえてきそうなほど細長い手足の生えた自分だ。なるほど、これは確かにもやしだなとぼくは思った。こんなやつが性懲りもなく何度も挑んできたんじゃ、九條さんが失望するのも当たり前のことだった。

「変わらなきゃ。変わらなきゃいけないんだ」

 彼女に見合うような強い男になってみせる。そう決意し、カレンダーを見つめる。幸いにも来週から夏休みだ。自分を変えるにはぴったりのタイミングだった。

 その日から、ぼくの生活は激変した。小手先の技術なんて今更身につけようとしても付け焼き刃。なら、徹底的に体を鍛えることにした。主食は胸肉。趣味は筋トレ。スマホの画面をマッチョメンに変え、毎朝鏡の前で「ぼくは筋肉が大好き。ぼくは筋肉になりたい」と自分に自己暗示を唱え続けた。菓子パン一つも食べきれなかったぼくが、吐きそうになるのを抑えながら胸肉をひたすらに食いまくった。

 彼女には筋肉自慢の男たちも挑んでいるが、すべて返り討ちになっている。それでも今ぼくにできる最善はこれだと、死にものぐるいで身体を鍛えた。そして、ついに夏休みが終わり、ぼくは久しぶりに学校に登校することになった。

「おはよ、翔平」

 家まで出迎えに来てくれた翔平に挨拶をする。

「細田がマチョ田になっちまった……」

 翔平は僕を見ると手に下げていたカバンをぼとりと地面に落とし、唖然とした様子でわけのわからないことを呟いた。結構変わったと思うのだが、翔平にはひと目でぼくだとわかったらしい。ちょっとうれしかった。

 ぼくは肉体改造に成功した。昔、筋肉がつきにくいと医者に言われたことがあったのだが、この一ヶ月死ぬ気で追い込んだおかげてぼくはボディビルダーのようなムキムキな身体を手に入れていた。

「首ふっと。それどうなってんだよ。まるで丸太じゃねえか」
「ああ。首を締められて意識を失う挑戦者が多かったからね。重点的に鍛えたんだ」

 ふふ。そこに目をつけるとは翔平。君も中々やるじゃないか。

「いや、別に褒めてるわけじゃねえから。おまえ、夏休み妙に付き合い悪いと思ってたらそんなことしてたのか……。で、満を持してあの人に挑戦ってわけか?」

 ぼくはこくりと頷いた。

 休み時間、ぼくは九條さんの教室へと足を運んだ。

「君は……」

 感情をあまり出さない九條さんが、ぼくを見て目を見開いた。

「本気です。本気であなたを倒すために、夏休みを捧げました。だから今一度、ぼくにチャンスをください」

 そう告げ、深々と頭を下げた。

「……いいだろう。君からの挑戦を受けよう。今日の放課後でいいかな」
「はい!」

 しかしその日の放課後、ぼくはあっけなく九條さんに敗北した。それも、こちらの攻撃は一度たりともまともに通らない、完敗だった。今回本気で強くなろうとしたからこそ、改めて九條さんがどれだけ高みにいるのかというのを骨の髄まで思い知らされた。今まではどれだけの差があるのかすらわかっていなかったのだ。

「細田くん」

 九條さんが、惨めにも地べたに倒れ込んだぼくに声をかける

 ―――わたしは君の挑戦に自分の時間を費やす価値を感じない

 夏休み前、九條さんにかけられた氷のように冷ややかな言葉が脳裏をよぎる。これで、ぼくはもう彼女に挑戦することはできないのだろうか。

「細田くん、大丈夫か?」

 もう一度声をかけられ、ぼくは身体の痛みに耐えながら、立ち上がる。

「はい……」

 そして悔し涙をこらえ、震えた声でそう答えた。

「最後に挑戦を受けてくれて、ありがとうございました」

 ぼくが涙をこらえてそう告げれば、九條さんは首をかしげた。

「……細田くん。わたしに勝つために強くなろうと努力するものとの決闘は、強くなるということが簡単でないということは誰よりも知っている。君と組み合って、君がどれだけ努力したのか、手に取るようにわかった。君が強くなろうと、わたしに勝とうと努力を続ける限り、わたしは何度でも君の挑戦を歓迎しよう」
「え……」
「もちろん君にその気があればの話だがね。自分で言うのもなんだが、他の誰かにした方がよほど恋愛を楽しめるだろう」

 まだ、諦めなくても良い。そう言われて、ぽろりと封を切ったように涙が流れた。

「それでも、ぼくはあなたのことを好きになってしまったので。だから、ぼくは、あなたを倒します」

 涙をだらだらと流して顔をくちゃくちゃにしながら、ぼくはそう宣言した。それはきっと九條さんから見れば情けないことこの上ない姿だったと思う。

「そうか。その言葉が口だけではないことを楽しみにしておこう」

 それまですました顔をしていた九條さんはふっと微笑んだ。それは、以前にも一度見たことがある表情だった。

 高校にあがってすぐ、ぼくの九條さんに対する印象は、表情が固くて、怖そうな人だなという程度のものだった。綺麗な人だなとは思っても好きという感情はその時はまだなかったのだ。

 しかしある日の体育の授業中、リードをひきづった犬がどこからか迷い込んできたのだ。みんなしてその人懐っこい犬を撫で回す中、九條さんはその様子を遠目に眺めていた。
 その時彼女がふと見せた、クラスの皆に撫でられる犬を見て愛おしそうに微笑む姿に、ぼくは心を鷲掴みにされたのだった。それからずっと、ぼくは彼女に心を捉えられたままなのである。

 そして現在。ぼくはまた強く心を掴まれたのだった。


「いつまで筋トレしてんだよお前、そんだけ身体を鍛えたなら、もう次はなんか技学べよ技」

 ダンベルを振るぼくに、急に家に押しかけてきてギターをじゃかじゃか鳴らしていた翔平が若干引いたようにそう促す。

「いいや、技で九條さんを追い越せるビジョンがまるで浮かばない。パワーだ。すべて薙ぎ払うパワーこそが、九條さん攻略に必要だとぼくは思うんだよ」
「なんか戸愚呂弟みたいなこと言い出したぞ……」
「そう。戸愚呂弟に例えるならぼくはようやく5%というところ。120%くらいの力が出せれば九條さんにも勝てるかもしれない」

 俺は断固たる決意を胸に、ぐっと筋肉に力を込めた。


 そして時は経ち高校三年の冬、卒業式がさきほど終わった。九條さんは女子大学に進学するという話なので、彼女に挑戦できるのは今日が最後のチャンスかもしれない。

「よ、今日はついに、記念すべき100回目の挑戦だな」

 挑戦に向け、腕立てしながら精神統一をしていると、重りとして背中に乗ってもらっていた翔平がそう口にした。

「もうそんなになるのか」
「なんだ、数えてなかったのかよ」

 最初は数えてたけど、30回を超えたあたりから数えるのをやめていた。誰だって自分の負けた回数を数えて、自分の弱さを突きつけられたくはない。

「それにしても高校に入って変わり過ぎだよなあーおまえ」
「それは……自分でも自覚してるよ」

近頃はぼくのあだ名ももやしではなく筋肉ダルマに変化したらしいし。喜ばしい限りである。

「そういやおまえ、九條さんとの決闘でいつも賭けが行われてるってのは知ってるだろ?」
「ああ、ぼくはやったことないけど」

 現金をかけたギャンブルなんて、法律とか大丈夫なのかなと心配になるが、どうにも教師陣も参加しているらしいので手に負えない。

「でもあれ、みんな挑戦者が負ける方に賭けるもんだから、相手が相当強そうな時じゃないと賭けが成立しないだろ?もう99回負けたぼくに賭ける人なんて誰もいないから、今回は賭けが成立しないだろうな……」
「それが今回に限りそうじゃないんだな」

 チッチッチと翔平はキザったらしく指を振った。

「今日俺は、挑戦者側の成功に100万ぶっこんだ」

 そのセリフに俺は思わず腕立てを中断し、翔平の顔を見る。

「ギャクだよな……?」
「大マジだ」

 腐れ縁のぼくにはその言葉が嘘ではないとわかってしまった。

「そんな大金どこにあったんだよ」
「実は音楽方向の才能が開花してさ。配信サイトに作詞作曲した曲アップしてみたら、この三年間で広告収入がすごいことになっちまってな」
「おまえ、そんなことしてたのか……」
「おまえが身体を鍛えてる間暇だったからな」

 サッカーの時もそうだったけど、こいつって、やれば大体のことを人並み以上にこなしちゃうんだよな。文化祭の時のライブも結構本格的だったし。なんで彼女ができないかが不思議である。

「なあ翔平、正直言って、ぼくの勝算は……」

 ほとんどない。だから今からでも賭けた金を取り消してもらいに行った方が良い。そう言おうとしたのだが、翔平はそれよりも先に口を開いた。

「俺は格闘技とかそういうの、欠片も詳しくないし興味もないんだけどよ、迷いなく言えることがある。数いる挑戦者の中で九條に対する気持ちだけなら、おまえがナンバーワンだ。胸を張って行って来い。もしダメだったら、合コンでもセッティングしてやるからよ」

「おまえが筋トレしてる間に俺が気づいた人脈舐めんなよ」と翔平は笑いながら立ち上がり、ぼくの背中に平手を打ち付けた。

 思えば高校入学時にいた友達はだいたい離れてしまった。そりゃあ急に筋肉筋肉と筋トレばかりし出して友達付き合いも悪くなったのだ。離れていくのも当然だろう。でも翔平だけは変わらず友達で居てくれた。それがどれだけぼくにとって嬉しかったか、こいつにはわからないだろう。そんなこと言えば調子に乗るから本人には絶対言わないけど。ぼくは親友からの力強い激励を受け、高校最後の勝負へと向かった。



 グラウンド、校舎の窓から人が溢れんばかりに身を乗り出して、わーわーとなにやら叫びながらぼくらを観ている。

「今日も、よろしくお願いします」
「ああ。細田くん、よろしく頼む。それと、卒業おめでとう」
「あ、ありがとうございます」

 こうして挑戦前の少しの間、九條さんとちょっとした会話をするのは恒例となっていた。口が裂けても親密などとは言えないが、この3年間で少しは距離が縮まったと思いたい。

「それではいくぞ」
「はい!」

 ぼくは緩んでいた筋肉をキュッと引き締める。そして、九條さんへと突撃した。


 ――――そして、一時間後、ぼくは地面に這いつくばっていた。

 あれだけ鍛えた筋肉が悲鳴をあげ、倒れた身体を起こすことができない。ぼくは100回目の敗北を喫したのだった。

「良い戦いだった。君は本当に強くなったな」

 九條さんが身を屈め、ぼくへ手を伸ばす。その言葉はお世辞ではないと思う。いつだって戦いの後ですら涼しい顔をしていた彼女が今はこんなにも息を荒げ、汗を滴らせているのだから。
 でも届かなかった。やれることは全部やってそれでも届かなかったのだ。だからだろうか。不思議と後悔はなく気分は晴れやかだった。

「3年間、ありがとう、ございました」

 倒れ込んだまま、ぼくは心の底から感謝した。彼女のおかげでぼくは変わることができた。彼女のおかげで、素晴らしい3年間を過ごすことができたから。

「ところで、君に一つお願いがあるんだが……」

 差し出された手を握ろうとした時、そう持ちかけれてぼくは手を止めた。

「はい。なんですか?」
「細田くん、わたしと結婚を前提に交際してくれないだろうか」
「え……?」

 九條さんの言葉を理解できなくて、俺は外傷とは別の理由で鼻血を出して気絶した。

「細田くん!?」

 最後に九條さんがぼくを呼ぶ声が聞こえた気がした。



 目が覚めると、そこは保健室のようだった。

「おはよう。どこか痛いところはないかな」

 九條さんがぼくの顔を上から覗き込んでいた。そして、後頭部に当たっているのは彼女の太ももだろう。つまり、ぼくは今九條さんに膝枕されている。また鼻血を吹き出しそうになるが、どうにか抑える。

「か、体中痛いです」

 ぼくが緊張でガチガチになってそう答えれば、「それもそうか」と彼女はくすっと笑った。

「あの、ぼくが倒れる前に聴いた言葉って……」

 なぜ膝枕されているのかも気になったけど、確かめて、膝枕が終わってしまうのもったいなくて、先にそっちを聴くことにした。

「夢でも幻覚でもない。わたしは君に、結婚を前提に付き合ってほしい」
「でもぼく、九條さんに一度も勝てなくて……」
「実を言うと、わたしは最初君のことが嫌いだったんだ。なにせ、ひょろひょろした男がなんの成長も感じられないのに性懲りもなく何度も何度も挑んでくるのだから」

 やっぱり嫌われていたのか。薄々わかってはいたけど、実際に口にされると結構ショックだ。

「でも一年の夏休みが終わった頃からか。君がメキメキと成長し出したのは」

 ああ、そうだ。あの夏休みからぼくは本気で身体を鍛え始めたのだ。今思えば懐かしい。

「それからは戦うたびに君が強くなっているのを肌で感じた。強くなるための努力もね。君は何度わたしに負けても挑んでくるのをやめなかった。他の挑戦者は、良くて3回がいいところなのに、君と来たら……」

 九條さんは呆れるように首を振った。

「すいません。ぼく、諦めが悪くて」
「謝る必要なんていないさ。わたしは嬉しかったのだから。かつてこんなに自分を思ってくれる人はいただろうか、わたしのために努力をしてくれる人は居ただろうかと。挑戦を受け、君の努力の結果に触れていくうちに、わたしは君のことを好きに、なってしまったんだ」

 そう告白する九條さんの顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。

「あの、ぼくも好きです!ずっと、大好きです!」
「うん。痛いほど知ってるよ。だが、改めて言われると照れてしまうな」

 負けじとぼくも九條さんに自分の思いを告げれば、彼女はフフッとくすぐられたように笑いながら頬を掻いた。

「でも父が君との交際を認めてくれなくてね。認めさせたいなら俺を倒してからにしろと言って、大分骨を負ったよ。去年の春、ようやく勝利をもぎ取ることができた。」

 ぼくが彼女に勝とうと鍛錬している間、彼女は彼女の父親に勝とうと鍛錬していたわけだ。彼女の父は道場の師範だと聴く。そんな人を倒した人に、ぼくは戦いを挑んでいたことになる。それは勝てないわけだ。

「それでなんとか父に勝てたのはよかったんだが、交際に条件を出されてね。おまえが認めた相手でも、根性のないやつと付き合うのは認めない。だから君がわたしに勝てなくても諦めずに100回挑戦してきたら交際を認める、と言われてしまってね」

 それで、ぼくが100回目の挑戦を達成したあのタイミングで告白してくれた、ということらしい。

「おまけに好きだと伝えることも禁止する、なんて言ってきてね。もどかしかったよ。正直、いつ見限られてしまうか、強くなった君に惹かれる子が出てくるんじゃないかと毎日気が気じゃなかった」
「ぼくが九條さんを見限るなんて、そんなことあるわけないじゃないですか!」

 ぼくは身体を起こし、彼女に向き合い声を張り上げた。

「ふふ、そうだな。君が100回目の挑戦を申し込んで来たときは本当に嬉しかった。……それで、改めてどうだろう。細田くん。こんな色気もない女で良ければ、結婚を前提に付き合ってくれないだろうか」

 九條さんが、ぼくに向けて手を差し出した。

「九條さん、不束者ですが、こんなぼくで良ければ、これからどうぞよろしくおねがいします」

 さきほど握れなかった彼女の手を、今改めて握った。日々の修練の結果だろうか。彼女の手は柔らかいとはいえず、ゴツゴツとしていた。ぼくの手も同じだろう。でも、それはとても愛おしい手だった。


 ぼくは晴れて九條さんと付き合えた。しかし、それはそうとして負けは負けである。賭けに負け、財布をすっからかんにした翔平になんと声をかけようかと思案していると、保険室の前で顔をにへらーとだらしなく緩ませている翔平がいた。

「うわっ。ど、どうしたんだ?100万ドブに捨てておかしくなっちゃったのか?」
「なーに言ってんだあ。この賭けはなあ、挑戦者が九條さんに勝てるかどうかじゃなくて、挑戦者の告白が成功するかどうかの賭けだったんだよ。つまり、大儲けだよ、大儲け。ひゃーはははは」

 翔平は「うっはうはだぜぇw」と変な踊りを踊っていた。まあ、なんというか幸せそうでなによりだ。

 ハイになっていた翔平を放置して、ぼくと九條さんは一緒に学校を後にした。帰り道、「細田くん、こう言ってはなんだが、その……友達は選んだほうがいいと思う」と真面目な顔で心配されたのが印象的だった。
 せっかく初めて彼女と一緒に帰ることになったというのに、ぼくは道中いかに翔平が悪いやつではないかを説明しなくてはならないハメとなったのだった。


 それからぼくらは大学に進学することになった。ぼくは翔平と一緒に地元の大学に進学した。

 翔平は大学に入ってすぐ、今まで稼いだ金と賭けで手に入れた金をすべて突っ込んでアイドルの事務所かなにか作ったらしい。「アイドルとお近づきになりたい!」という不純な動機での起業みたいだが、なんだかんだで事務所の方は成功してしまうんじゃないかと思ってしまう。それで翔平に彼女ができるかどうかは……うん。
 翔平はバカだが頭は良い。自分の事務所に所属する女性に手を出したら大問題になる、ということにそのうち気づくことだろう。

 そして九條さん、凜花は当初の予定通り地元の女子大に進学した。同じ大学に行くことはできなかった。でも、九條さんと話す時間も会う時間も、高校のときと比べるとずっと増えた。

「そうか、君は今日は昼からなのか」
「うん、寝不足だから、もうちょっと寝て疲れを良く取ってから大学にいくよ」

 朝から大学を玄関で見送るも、なかなか凜花がドアを開けない。

「どうしたの?忘れ物?」
「忘れ物をしてるのは君の方だろう」

 尋ねれば、凜花はムッとした表情になる。

「えーと……」
「……行ってきますのキスがないぞ」

 彼女はそう言って、もじもじと身を捩った。

 ぼくらは今、同じ屋根の下で暮らしているのだ。帰ってからは、熱々の夜の手合わせの開催である。それはもう毎晩激しくて、朝、身体の疲れが取れないほどだ。昼からの講義を積極的に取っているのも、激しすぎる夜の手合わせへの対処法だったりする。


「ほら、どうした!立つんだ細田くん!君のわたしへの想いはそんなものか!?」
「大好きだ!絶対に勝ってお義父さんに結婚を認めさせてみせる!」

 今日も夜の手合わせが始まった。何度も床に叩きつけられ、その度にぼくは立ち上があり、凜花へと挑んでいく。

 彼女の父親がぼくと付き合うために提示した条件は、諦めずに100回挑戦することの他にもう一つあった。それは、付き合ってからもぼくが凜花に勝てるようになるまで手合わせを続けるというものだ。
 その条件が達成できない限り、結婚は認めてもらえない。ぼくは毎晩ボロボロになりながら、今日も彼女に挑むのだった。彼女の父親にぼくらの結婚を認めさせるために!
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