二度目の初恋と軟禁された蜜月

不来方しい

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第一章 日常

01 王子様の記憶

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──おいで。受け止めてあげるから。
 ふわりふわりとした感覚から、これは夢だと思いながらしばらく浸ることにした。なんせ気持ちが良くていい夢で、奈央はそのまま瞼を持ち上げられなかった。
──大丈夫。信じていい。
 奈央にとって王子様で、ヒーローだった彼。夢にまで出てきたのは、心の最奥にある欲望の形だ。
 そこで奈央は目が覚めた。左肩を揺さぶられ、はっと目を開けると隣では含み笑いをしている親友がいる。ちょうど信号で止まったところだった。
「ナオって何度呼んでも起きないんだもん」
「ごめん……どのくらい寝てた? 夢見てた」
「うーんと……三十分くらい。変な時間に起きるとつらいよね。けど起きて。あと十分もしないうちに着くから。多分」
 多分というのは、記憶が不安定なのだろう。ナオ自身も子供の頃に一度来たことがあったが、運転席に座る親友のセシル・クロフォードと同じように、目的地にたどり着ける自信はない。
 日本語をべらべら話すセシルは、幼少時から大の日本好きだ。母が日本人で父がアメリカ人を持つナオとジュニアスクールで出会い、ずっと仲が良い。今は教師を目指し、教育学部で勉学に励んでいる。
 先日、ナオは夏休みを利用して父の別荘へ遊びに行こうと誘われた。幼少時に来たことがあったが、二度目の誘いに迷惑がかかるかもしれないと、お断りしたのだ。
『なんで笑うの?』
『だってさ、子供だった頃はすぐについて行くって言ってたじゃん。いやあ、ナオも大人になったなあ。遠慮って言葉、覚えたんだ』
『も、もうっ……、とっくに成人を迎えてるよ』
『気にせず連れてこいって言われてるんだ。他の大学生とかも来るんだって。うまくいけば、恋人が見つかるかもよ』
『別に焦ってないって』
『そう?』
 この前のやりとりを思い出し、ナオは笑いを噛みしめた。
 一度来ただけの山奥は、二人とも記憶がほぼなかった。右だの左だの言い合い、奥に入れば入るほどモニターは遅延が発生し、役をまっとうしようともしない。完全なる仕事放棄だ。
 一時間の遅れで到着した別荘は、駐車場にはすでに何台か車が駐まってある。
「本当にお土産とか良かったの?」
「いらないって。ワインセラーだってあるんだし、ステラはお菓子作りも得意なんだから。そういや、さっき何の夢見てたの?」
「あのさ……ここって……」
 記憶が曖昧で、確かめたかったことがある。
 ナオが口を開きかけたとき、大きな扉が音を立てて開くと、中から制御しきれないほど大きな犬が出てきた。
「ワン!」
「わっ! ちょっと待って……!」
 大型犬はナオに抱きつくと、ナオは後ろへ倒れてしまう。悪びれもなく、犬は尻尾をこれでもかと振り回し、ナオの顔中を舐めた。
「申し訳ございません! 車が駐まるたびに……もう! オリバー、いい子だからおとなしくしなさい」
 オリバーと呼ばれて犬は首を傾げ、ナオの前に座り待てをしている。
「オリバーって、あの子犬だよね? こんなに大きくなったの?」
「最後に会ったのって十年以上前だっけ? そうだよ。こいつちゃんとナオのこと覚えてたんだな。俺には出迎えもろくにしてくれないのに」
 犬は主従関係を持つ生き物で、つまりそういうことなのだろう。
「ステラ、久しぶりだね」
「ええ、セシル坊ちゃんも、お元気そうで。そちらは?」
「俺の親友のナオ・リリー。小学校からずっと仲良くて、学科は違うけど同じ大学なんだ」
「初めまして。ナオです。お会いできて光栄です」
「あなたがナオ様ですね。ステラと申します。こちらこそ、本日から一週間、よろしくお願いします」
 メイド服を来た、こんがり焼けた肌が美しい女性だった。
「ステラは別荘の管理もしてくれているんだよ。長い付き合いだよね」
「ええ、坊ちゃんが中学生くらいのときからですね。お部屋にご案内します。皆さん揃っていますよ」
 リビングには、セシルの父と、同じ年代の人たちがコーヒーを飲みながら談笑している。
 ジェントルマン、という言葉がよく似合う男性だ。セシルの家に遊びに行き何度か会っているが、あのときよりもさらに磨きがかかってダンディーになっていた。クロフォード家はイケメンの遺伝子が代々伝わっている。
「やあ、ナオ。久しぶりだね。身長も伸びたし美しい男性になった」
「光栄です。あのときはお世話になりました。今日からまたよろしくお願いします」
「こちらこそ。自分の家だと思って寛いでほしい」
「ありがとうございます。外観が変わったような気がするんですが……」
 中は子供のときのまま変わらない。しかし、古びていた外壁は煉瓦になっている。
「実は外側だけは変えたんだ。よく分かったね」
「ええ、でも前も素敵でした」
「嬉しいね。セシルなんて何も言ってくれないんだよ」
「はいはい素敵だって」
 セシルの父の他に男女の夫婦が二組いた。
 一組はブランドの服に身を包み、お洒落に着こなす夫婦だ。身につけている時計も光が当たり、余計に輝いている。
「カール・テイラーだ。こちらはハンナ。私の妻」
「初めまして。ナオ・リリーです。カール・テイラーって……ブランドの?」
「知っていたのね」
 気を良くしたのかハンナはにんまりと笑い、旦那であるカールの腕に寄りかかった。
「よろしくね。あなたたちと同じくらいの大学生の娘がいるのよ。ちょっとわがままだけど」
「それと娘の友人もだ。仲良くしてほしい」
 ふっくらとした唇がよく動き、白い歯を見せてハンナは手を差し出した。カールと共に握手をし、ソファーでコーヒーを飲んでいた男女にも挨拶をする。こちらはクラーク・ブラウンとアリスだと名乗った。ギラギラしたテイラー夫婦とは異なり、大人しそうでおっとりしている。町外れで診療所を営んでいるらしい。
 ステラの案内で二階に上ると、赤いカーペットを敷かれた長い廊下がある。壁にはドアが連なり、まるでホテルのようだった。
 真ん中辺りで立ち止まると、右側をナオ、左側をセシルの部屋だと言う。
「じゃあまた後で」
「ええ、コーヒーをお持ちしますか? それともリビングで召し上がりますか?」
「リビングで飲むよ。せっかくだし」
「かしこまりました。では私はキッチンに戻りますね」
 部屋の間取りは前とほとんど変わっていない。大人二人でも寝られるほど大きなベッド、机とテーブル、シャワールームまである。しかもガラス張りだ。カーテンはついているものの、子供の頃は恥ずかしくてたまらなかった。
 開けっ放しのドアから、騒々しい声が聞こえた。テイラー夫妻の娘と友人たちだろうと、ナオは荷物整理を後に廊下へ出た。
 スラング用語が連なる会話にナオは顔が渋るが、表情を変えて階段を下りた。
 大学くらいの男女が一斉にナオを見る。遠慮のない視線で上から下までを舐めるように見ると、一人の男がにやりと笑む。
「やあ。君は? チャイニーズ?」
「こんにちは。母が日本人で、父がアメリカ人なんです。セシルの友人のナオ・リリーです」
「ああ、あの金持ち坊ちゃんの友達か」
 ひどい言いようだ。ナオは悲しげに俯くが、男たちはまったく気づいておらず、続けて汚い言葉をはき散らしていく。
 そもそも、セシルとは金持ちだから仲良くなったわけではない。気の合う友達だからだ。日本と日本語を愛する彼と仲良くなるには、時間はかからなかった。
「あの……そろそろ行きます」
 ナオはか細い声で答えると、彼らの返事も待たず階段の手すりに手をかけた。
 結局彼らは名を名乗らなかったが、リーダー格の女性がアビゲイル・テイラーだ。全身ブランドで身を装い、巻いた髪が揺れるたびにきつめの香水の香りがした。下着が見えそうなほど短いスカートで、足を組むたびに寄り添う男性たちは視線が下に向く。
 リンダは、あまり目立つタイプの女性ではない。添え物のようにアビゲイルの横に座っていて、穏やかに微笑みながら振り返るアビゲイルに相づちを打っている。
 男性二人は、イーサンとロイドだ。イーサンは唇に刺さるピアスが痛々しく、ロイドは腕に伝う刺青に目を伏せたくなる。ナオは刺青に対してよく思っていなかった。母は「身体に穴を開けるものではないのよ」とナオによく言い、ピアスですら怖いと思うようになった。
 部屋のドアノブに触れた途端、またもや大きな笑い声がした。
「あいつ、さっきの」
「ナオだっけ?」
「可愛い顔してんな」
「なんだお前、あっちか?」
「ちげーよ。でもあの顔なら男相手でもいけるかも」
「襲っちゃえば? うちらが部屋どこか聞いておこうか?」
 立ちくらみがした。ドアノブを強く握ったおかげで倒れずに済んだが、あまりに下品すぎる会話に怒りと恐怖が込み上げてくる。
 襲えと言ったのは、リーダー格のアビゲイルだ。母親のハンナはちょっとわがままと言っていたが、わがままどころの話ではない。犯罪をほのめかす彼女とは、仲良くなれるはずがない。
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