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第二章 非日常

011 ロイドの葛藤

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「落ち着いた?」
「ええ」
 ハンカチを目元に当て、アビゲイルは話せるまでには安定してきた。
 リチャードは、優しい。それは誰に対してもで、困っている人がいれば手を差し伸べるし、泣いている人がいればハンカチを渡す。自分だけじゃない。むしろ喜ばしいことだ。初恋の人がこんなにも素敵なのだから。
 胸の痛みに目を背けていると、アビゲイルは鼻をすすり顔を上げた。
「取り乱してごめんなさい」
「構わないよ。落ち着いたのなら話してもらえるかい?」
「そうね……。私ね、ロイドが犯人なんじゃないかと思うのよ」
「ロイド?」
 リチャードは怪訝そうに聞き返す。
「それはどうして?」
「イーサンが死んでから、おかしなことばかり言うのよ。次は俺が殺されるとか、やられる前にやり返すだの」
「殺人事件が起これば誰だっておかしくなるものだ。顔に出やすいか出にくいかは人それぞれだけどね。他には何か心配があるんじゃないのか?」
 アビゲイルはまたしても口を閉ざしてしまった。今度は待たずにリチャードは続けて質問をする。
「イーサンが亡くなった晩の話だ。君は深夜に廊下にいた」
「そ、れは…………」
「見ていた人がいる。力になると約束するから、正直に話してほしい」
 目が泳ぐが、やがて観念したのかぼそぼそと話し出した。
「まさか……本気でバカなことをしないだろうなって思ってて……それで彼の部屋に行ってみたんです。そしたら……」
「ナオの部屋に入ったのか?」
「……ドアが開いていたのよ。覗いたら、イーサンが倒れてて……。どうすることもできなかった。ナオは部屋にいないし、何か証拠隠滅でもしてるんじゃないかって。戻ってきたら殺されると思って、すぐに出たの。怖くなって……」
「それは何時くらい?」
「ええと……夜中の三時くらいだったかと」
「もう一つ。部屋は異常に寒かったりした?」
「……確か、冷たい風が吹いていた気がする」
 アビゲイルはナオを犯人だと思っていた。だがナオからしたら、しっくりこないというか、彼女の行動や声や目線が噛み合わないと感じていた。
 ナオのせいにしたい。ナオであればいい。そう、アビゲイルの両親であるカールとハンナのように、決めつけた言い方なのだ。
「分かった。他に気になることは?」
「……話せることは全部話せたわ」
 またもやアビゲイルの目が泳いだ。やはり何か隠していると、ナオは曖昧な確信を持つ。
「話してくれてありがとう。何か思い出したことがあるならまた話してほしい」
「ええ……そうね」
 リチャードは廊下まで出て、彼女を送り出した。階段を下りるのを確認すると、再びソファーに座り直す。
「さて……どう思う? 腑に落ちない顔をしているね」
「分かりやすいでしょうか?」
「君は俺と違って素直だからな。顔に出やすい。何か感じた?」
「ええと……、ロイドを犯人だと決めつけていた態度は、そうであってほしいと願望に感じました。まるで、本当に怪しんでいる人、もしくは犯人を隠そうとしているように見えます」
「なるほど。素晴らしい観察眼だ。人間行動学を学んでいるだけはあるな。心理学も勉強するのか?」
「はい。アジア人、ヨーロッパ人と、人種によって嘘を吐いたときの目や手の動きが違うんです」
「元々彼女に対しては何か知っていると踏んでいた。今回の殺人事件はおそらく内輪揉めだ。イーサンが亡くなった朝、俺は彼女たちにイーサンを見なかったかと尋ねたら、アビゲイルはリンダと一緒だったと言った。質問に対しての答えじゃなかったから」
「……全然気づきませんでした」
「犯人ではなくても、事情は知っていると睨んでいた。さて、もう一人に話を聞こう。いつまでも甘い顔はしていられない」
 FBIの顔なったリチャードの後をついていくと、リビングで大人たちはポーカーを楽しんでいた。
 アビゲイルはいない。おそらくリンダと一緒だろう。
「ロイド、話がある」
 リチャードが肩を掴むと、ロイドの肩が大きく揺れた。
 虚勢を張ってはいるが、所詮見せかけでしかない。リチャードはまったく気にする素振りを見せず、堂々とした態度でついてくるよう促す。
「何も君を犯人だと決めつけるために呼ぶんじゃない。少し話が聞きたいんだ」
 扉を開ける前に諭すと、ロイドの目が揺らいだ。何か、と聞かれれば分からないが、話したくても話せないことがあると、ナオは考える。
 ソファーへ腰を下ろす頃には多少は落ち着きを取り戻して、リチャードが何か言う前にロイドが先に口を開いた。
「俺は犯人じゃねえぞ」
「それを知るために、少し話をさせてくれ。君はイーサンが殺された現場に入った?」
「入るわけねえだろ。お前が止めたんじゃねえか。寝室もハリーと一緒だったし」
「ではなぜ、イーサンを殺害した道具が包丁だと言ったんだ?」
「……………………は?」
「俺は昨日、刃物でイーサンが背中を刺されたとは言った。だが包丁とは一言も言ってないんだ」
 ナオはハッと気づき、ステラの言葉を思い出した。
 聴取のとき、ステラは気になることがあると言った。包丁が一本足りなくなっている、と。
 ロイドは開いた口を閉じもせず、固まっている。
「なぜ包丁だと分かったんだ?」
 リチャードは逃がさないとばかりに、足を開き少し前のめりになって問いただす。
「全員の聴取をして、包丁だと知り得る可能性があった人間は、四人だけだ。第一発見者である俺とナオ、その場に居合わせたセシル。一人で現場に入るのはまずいと、俺が呼んだクラークドクターのみ。君はなぜ知った?」
「そ、それは……」
「正直に話してほしい。必ず力になる」
 ナオも薄々感じていたが、犯人に近い人間となるとやはり大学生組だけだ。揉み合いになり階段から落ちた話じゃない。れっきとした怨恨のこもった殺人事件だ。その証拠に犯人はわざわざキッチンから包丁を持ち出し、イーサンを刺している。
 言葉を濁していたが、リチャードもおおよそ同じ考えだろう。
「し、しらねえ……本当に俺は犯人じゃねえんだ。寝ぼけて包丁持ち出して刺したってなら分かんねえけどよ。でも起きても服に血が一滴もついてなかったんだ」
「君たち四人は部屋で一緒だったんだろう?」
「なっ……なんで……」
「何を話した?」
 部屋に四人がいたことは、ナオも知らない事実だ。
 多分、リチャードは勘を頼りに問いつめたのだ。リチャードだって知り得る情報ではないのだから。
「……あの日、あいつはマジで酔ってたんだよ。けどな、酔っててもそれなりにやっちゃいけないことはわきまえてる奴だ」
「ああ」
「本気で……そいつの部屋に忍び込む方法を考えてた。多分、日本人の血が混じってるって話したからだろう」
「日本人? それがどうかしたのか?」
「日本人はレイプされても被害者は訴えたりしないって言うし、脅せば言うことを聞くだろうって。隙のあった被害者が責められて終わるだけだって豪語してた」
 ナオは怒りと悲しさで身体が熱くなった。怒りに任せて動けば、今なら壁に穴を空けられそうだ。
「それで?」
 リチャードは冷静に聞き返す。
「言い訳ととってもらってもいいが、俺たちは本気で止めたんだ! 酔いすぎだから寝ろって、俺はアビゲイルたちの部屋からイーサンを無理やり連れて部屋に戻った。イーサンは酒が入り過ぎてて、すぐにいびきをかいた。それ以降は本当に知らないんだ。俺もワインを浴びるように飲んでたし、朝まで眠ってた。同室だったイーサンは死んじまったし、証拠は証明できねえけどよ」
「話してくれてありがとう。ここから突っ込んだ内容になるが、君が怪しいと思う人物は?」
「そ、それは……言えねえ」
「誰にも言わない」
「言ったら……俺は殺される。あいつは銃を持ってるんだ」
 演技かと思ったが、ロイドは恐怖で小刻みに震えていた。テーブルの上のティーカップがかたかたと音を鳴らしている。
「君は今日も安眠できる。俺の父と同室で、内側からしっかり鍵をかけている。それに、マスターキーの在処は誰も知らない。誰も取れやしない」
 穏やかに語りかけ、リチャードは辛抱強く待った。
 時計の長針が刻む音は、いつもより遅く感じる。誰かの呼吸や布の擦れる音が、妙に耳に残った。
 やがてロイドは観念し、独り言のような小ささで言葉を口にした。
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