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第四十三話:出発の日
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ホリデー当日から三日後。
ディミニスへ行く日がやってきた。父が雇ってくれた家庭教師との練習の成果もあって、日常会話と魔法に関する会話はだいぶ話せるようになっていた。カレンベルク家の計らいでディミニス留学は絶対のものではなくなったが、それでも得るものはあるはずだ。
海の向こうにあるディミニスだが、駅までの馬車移動のほかは全て列車だ。海底に通されたトンネルの中を列車が走ると本で読んだときには驚いた。島国であるディミニスは、船でしか行けなかった時には天候に左右されやすく、さぞ不便だったに違いない。
朝の出発で、夕方には着く予定だとラルフから聞いている。十時間にも及ぶ旅程にめまいがしてくる。駅の人の多さにまず人酔いしてきて、先が思いやられた。
「坊ちゃん、大丈夫ですか」
「人が多くて気持ち悪い」
披露目会の時にも思ったが、僕はどうやら人が多い場所が得意ではないらしい。
「乗るまでの辛抱ですよ。一等席を取ってありますから、乗ってしまえば後は眠るなりして寛げます」
話している間に父はどんどんと先に進み、追いつこうと慌てて歩いたら人とぶつかってしまった。反動で僕は尻もちをついた。
「すまん、怪我はないか」
習っていたものよりもだいぶくだけた表現ではあったが、相手が話した言葉がディグリッシュであると理解できた。
「大丈夫です。貴方にはお怪我ありませんか?」
僕は試しにディグリッシュで返した。男はたじろいだように見えた。発音が悪くて伝わらなかったのだろうか。
「……あんた、ディグリッシュが分かるのか? しかもすっげぇ綺麗な発音……お貴族様?」
矢継ぎ早に言われたために、最後の方は何を言われたのか分からなかった。笑って誤魔化す。
「伝わって嬉しい。まだまだ勉強中です」
「そんぐらい話せればじゅーぶんだろ」
男は僕に手を差し出してきた。
「早く立たねえと踏まれちまうぜ」
ニヤリと笑い、僕の右腕を引っ張り上げた。前につんのめって、顔が近づく。空色の双眸が、まじまじと僕の顔を見ていた。
「すんげぇー綺麗な顔。人形みてぇ」
どう反応したらいいものか困って、とりあえず笑っておく。
「なあ、あんた良かったら……」
「シルヴァ君!」
喧騒の中で僕の名前を呼ぶ声が聞こえた気がして、周りを見わたした。溢れかえる人の中に、光って見える場所があった。
「リカルド……?」
リカルドは、溢れかえる人混みの中を器用に走ってくる。
「よかった、見送りに間に合って……そちらにいるのはどちらさん?」
「今度は美丈夫のお出ましかよ」
「あ、えと僕とぶつかっちゃって起こしてくれたんだ」
そう告げると、リカルドは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「ふーん」
リカルドは男には向き直って、
「恋人を起こしてくれてどうも。その手、もう離してもいいでしょう?」
と言った。低い声で話すリカルドの姿にどきどきする。
「ちぇっ、もうはぐれるんじゃねーぞ」
男はそう言って立ち去った。なんだ、ヴァドワール語でも通じたのか。
「ねえシルヴァ君。聞きたいことがいくつかあるんだけど」
リカルドの声は低いままだった。怒ってる。なんでか分からないけど怒ってる。
「な、なに?」
「さっき、あいつに言われたこと全部教えて。絶対に口説かれてたでしょ」
「大げさに褒める人ではあったけど、口説かれてはいないはずだよ、多分。ディグリッシュで話してたから一部は分からなかったし」
「教えて」
頑なに言うので話さざるを得なかった。
話し終えると、リカルドはため息をついた。
「綺麗な顔、人形みたいは口説いてるでしょ……それで、ご当主とお兄様と執事は?」
「そ、そうだ。僕が歩くのが下手過ぎて距離が離れたから慌てて歩いて、それでさっきの人とぶつかってしまったんだ」
周りを見ても三人の姿が見当たらない。
「……はぐれちゃったみたい」
「キミ、本当に留学するつもりなら、このままだと危なっかしすぎるよ。ほら、探しに行こう。列車が出るのは十一番線だったよね?」
「うん」
リカルドに手を引かれて歩くと、さっきまでよりも幾分か歩きやすくなった。人の間を縫って歩くのに慣れている。社交場での経験値の差をこんなところで見せつけられるとは。
「シルヴァ、良かった。探したよ」
しばらく歩くと、兄さんが大きく手を振っているのが見えた。
「気付けばいなくなってるんだもん。肝が冷えたよ」
「リカルドが助けてくれたんだ」
「お久しぶりです、ルヴィアン殿」
「どうも。リカルド殿は私よりも父上に挨拶するべきなのではないかな」
「モーグ伯爵、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。お会いするのは、先月に宮廷で行われたお食事会以来ですね」
リカルドは微笑みを湛えた。反して父上は、渋い顔をしている。
「シルヴァを見つけてくれたことには感謝する。が、婚約について正式な挨拶がなされていないことは遺憾である」
「手厳しいですね」
「フェルヴィン様、そろそろ行かねば乗り遅れますよ。本数が少ないのですから、乗り遅れてしまうと到着が遅れてしまいます」
「分かっている。シルヴァ、一体どこで油を売っていたのか、後で聞かせてもらおう。ルヴィアン、シルヴァの手を握っておけ。まったく、いつまでも子どものままでは困るぞ」
兄さんと僕が手をつなぐと、リカルドはあからさまに不機嫌そうな顔をした。
改札を通り、列車に乗り込むと、ようやく喧騒から逃れられた。一般的な貴族家は執事は別の等級席にするらしいが、父上はラルフにも一等座席を用意した。「一人で二人の面倒を見ろというのか」と言っている横で、善意を素直に伝えれば良いのにと兄さんは言っていた。
列車が滑り出し、景色が動き始めた。窓の向こうでリカルドが手を振っている。僕は小さく手を振り返した。
ディミニスへ行く日がやってきた。父が雇ってくれた家庭教師との練習の成果もあって、日常会話と魔法に関する会話はだいぶ話せるようになっていた。カレンベルク家の計らいでディミニス留学は絶対のものではなくなったが、それでも得るものはあるはずだ。
海の向こうにあるディミニスだが、駅までの馬車移動のほかは全て列車だ。海底に通されたトンネルの中を列車が走ると本で読んだときには驚いた。島国であるディミニスは、船でしか行けなかった時には天候に左右されやすく、さぞ不便だったに違いない。
朝の出発で、夕方には着く予定だとラルフから聞いている。十時間にも及ぶ旅程にめまいがしてくる。駅の人の多さにまず人酔いしてきて、先が思いやられた。
「坊ちゃん、大丈夫ですか」
「人が多くて気持ち悪い」
披露目会の時にも思ったが、僕はどうやら人が多い場所が得意ではないらしい。
「乗るまでの辛抱ですよ。一等席を取ってありますから、乗ってしまえば後は眠るなりして寛げます」
話している間に父はどんどんと先に進み、追いつこうと慌てて歩いたら人とぶつかってしまった。反動で僕は尻もちをついた。
「すまん、怪我はないか」
習っていたものよりもだいぶくだけた表現ではあったが、相手が話した言葉がディグリッシュであると理解できた。
「大丈夫です。貴方にはお怪我ありませんか?」
僕は試しにディグリッシュで返した。男はたじろいだように見えた。発音が悪くて伝わらなかったのだろうか。
「……あんた、ディグリッシュが分かるのか? しかもすっげぇ綺麗な発音……お貴族様?」
矢継ぎ早に言われたために、最後の方は何を言われたのか分からなかった。笑って誤魔化す。
「伝わって嬉しい。まだまだ勉強中です」
「そんぐらい話せればじゅーぶんだろ」
男は僕に手を差し出してきた。
「早く立たねえと踏まれちまうぜ」
ニヤリと笑い、僕の右腕を引っ張り上げた。前につんのめって、顔が近づく。空色の双眸が、まじまじと僕の顔を見ていた。
「すんげぇー綺麗な顔。人形みてぇ」
どう反応したらいいものか困って、とりあえず笑っておく。
「なあ、あんた良かったら……」
「シルヴァ君!」
喧騒の中で僕の名前を呼ぶ声が聞こえた気がして、周りを見わたした。溢れかえる人の中に、光って見える場所があった。
「リカルド……?」
リカルドは、溢れかえる人混みの中を器用に走ってくる。
「よかった、見送りに間に合って……そちらにいるのはどちらさん?」
「今度は美丈夫のお出ましかよ」
「あ、えと僕とぶつかっちゃって起こしてくれたんだ」
そう告げると、リカルドは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「ふーん」
リカルドは男には向き直って、
「恋人を起こしてくれてどうも。その手、もう離してもいいでしょう?」
と言った。低い声で話すリカルドの姿にどきどきする。
「ちぇっ、もうはぐれるんじゃねーぞ」
男はそう言って立ち去った。なんだ、ヴァドワール語でも通じたのか。
「ねえシルヴァ君。聞きたいことがいくつかあるんだけど」
リカルドの声は低いままだった。怒ってる。なんでか分からないけど怒ってる。
「な、なに?」
「さっき、あいつに言われたこと全部教えて。絶対に口説かれてたでしょ」
「大げさに褒める人ではあったけど、口説かれてはいないはずだよ、多分。ディグリッシュで話してたから一部は分からなかったし」
「教えて」
頑なに言うので話さざるを得なかった。
話し終えると、リカルドはため息をついた。
「綺麗な顔、人形みたいは口説いてるでしょ……それで、ご当主とお兄様と執事は?」
「そ、そうだ。僕が歩くのが下手過ぎて距離が離れたから慌てて歩いて、それでさっきの人とぶつかってしまったんだ」
周りを見ても三人の姿が見当たらない。
「……はぐれちゃったみたい」
「キミ、本当に留学するつもりなら、このままだと危なっかしすぎるよ。ほら、探しに行こう。列車が出るのは十一番線だったよね?」
「うん」
リカルドに手を引かれて歩くと、さっきまでよりも幾分か歩きやすくなった。人の間を縫って歩くのに慣れている。社交場での経験値の差をこんなところで見せつけられるとは。
「シルヴァ、良かった。探したよ」
しばらく歩くと、兄さんが大きく手を振っているのが見えた。
「気付けばいなくなってるんだもん。肝が冷えたよ」
「リカルドが助けてくれたんだ」
「お久しぶりです、ルヴィアン殿」
「どうも。リカルド殿は私よりも父上に挨拶するべきなのではないかな」
「モーグ伯爵、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。お会いするのは、先月に宮廷で行われたお食事会以来ですね」
リカルドは微笑みを湛えた。反して父上は、渋い顔をしている。
「シルヴァを見つけてくれたことには感謝する。が、婚約について正式な挨拶がなされていないことは遺憾である」
「手厳しいですね」
「フェルヴィン様、そろそろ行かねば乗り遅れますよ。本数が少ないのですから、乗り遅れてしまうと到着が遅れてしまいます」
「分かっている。シルヴァ、一体どこで油を売っていたのか、後で聞かせてもらおう。ルヴィアン、シルヴァの手を握っておけ。まったく、いつまでも子どものままでは困るぞ」
兄さんと僕が手をつなぐと、リカルドはあからさまに不機嫌そうな顔をした。
改札を通り、列車に乗り込むと、ようやく喧騒から逃れられた。一般的な貴族家は執事は別の等級席にするらしいが、父上はラルフにも一等座席を用意した。「一人で二人の面倒を見ろというのか」と言っている横で、善意を素直に伝えれば良いのにと兄さんは言っていた。
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