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5.「私達を白濁に染めて」

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「これで、後は起動するだけか」

 古市 タカヒロは、ベッドに横たわった女性を模した人形を前にため息混じりに呟いた。友人というほどではないまでも大学で付き合いのある知り合いから、男子としての助け合いを求められ譲られるに至ったモノだ。

「なぁにがちょっと故障したからもらってくれだ」

 愚痴など言いつつも、再起動に挑戦するぐらいにはタカヒロは期待してしまっていた。

 そう思うのも、目の前で眠るソレはただの人形ではなく『トークロイド』と呼ばれるアンドロイドだからである。大学生のタカヒロには過ぎた代物ではあるが、明確な使い道があるのであれば高い買い物でもない。

 言葉で仕事するのであれば補佐も可能な程度の人工知能AIを搭載している。

「旧式とは言ってもここまで精巧なら十分か。ゴクリ……」

 うなじにある起動ボタンを押し込んでから独りごちること数度、『トークロイド Y2ver.1』ことユーツーがまぶたを開いた。切れ長の目に鼻筋の通った顔立ち。それでいて幼さを残すアンドロイドの顔に、生唾を飲んでしまうのは仕方のないこと。

 日本人向けモデルとして作られた黒いセミロングのストレートヘアーを揺らし、ユーツーはゆっくりと上体を起こす。

「新規マスター、所有者登録をお願いします。姓名、望む呼称、生年月日、住所ならびに電話番号が最低限必要です」

 タカヒロの姿を確認すると同時に、ユーツーは整流のせせらぎにも似たソプラノの音色で要求してくる。

「あ、えっと、あー。リセットしてあるっていうのは本当みたいだな」

 緊張のあまり必要な情報が出てこなかったため、前の持ち主から聞いていた話を口にしてしまう。業者を通さない不正式の譲渡はあまり良いことではないので、誰かに聞かれては事だ。

「マスター?」

「あ、ごめん。えっと――」

 小首をかしげるユーツーの仕草が可愛らしくも催促しているように感じ、タカヒロは気持ちを落ち着かせて必要事項を伝えた。

「――電話番号は言ったから、住所が――」

 問われた項目を思い出しながら順不同で答えていく。AIのおかげか、ちゃんと識別してくれるのは助かった。

「――ハイツ・ふるいち、通称霊外れいがいアパート。あ、最後のはなし!」

「はい。はい?」

 タカヒロは発した言葉を取り消そうとした。ユーツーは、一瞬だけ受理しかけて決定を取り消した。

 都内郊外の端に立てられた古アパートを、知る人はそう呼んだ。

「とりあえず、ハイツ・ふるいちとして登録します。では、よろしくおねがいします、マスター」

「マスターって呼称も変えるべきか。とりあえず、さっそくだがちょっと部屋を出てくれ」

 登録などに時間をかけたため、日こそまたいでいないが時刻はそこそこの夜中。タカヒロとて処理しておきたいことがあるのだ。

 特に――生殖機能のないアンドロイドとはいえ――女性の前ではできないことなど特にである。

 しかし、ユーツーからは予想外の答えが返ってくる。

「そのような指示、軽蔑します、マスター」

「はい?」

 女性に本気でにらまれるという経験に戸惑い、最初何を言っているのかとタカヒロは思案した。そしてすぐに理解する。

「チィッ! アイツ、『トークロイド』に何をやらせようとしている!」

 大学の知人がどうしてユーツーを譲ったのか。それは、モテない男としては一度くらい夢見るしゃべるダッチなワイフあつかい。その残骸であった。

「アンドロイド権利法に従ってください」

「いや、今のは普通の指示だろ。壊れてたって、こんなんになるまで何を命令しようと……」

 生殖器もなければホログラムの衣装も脱がすことはできない、そんなアンドロイドにさえ人権に当たるものがある。それを無視しようとすればこうなるわけだ。

「お願いだから、ちょっと出ていって」

「そのような指示、軽蔑します、マスター」

「どんな命令も指示もお願いも、こうなるのか……」

 タカヒロは、言い方を変えても無駄だと理解してため息をついた。
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