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投稿4・旅行者はどこを旅する[上井鳥 乃愛(仮名)、23歳、女、無職]
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上井鳥 乃愛は、スマフォを助手席へと投げ捨てた。トップ画面には旧来の友人とのツーショットが表示されているが、それもじきに暗く染まる。ひたすら青い海だけが続く高原の道を、アップダウンの繰り返しを受けながら走り続ける。
「忙しいわよねぇ。暇だし、このままだと……」
急な仕事で旅行の約束を反故にした親友が電話に出ないことに苛立ちつつ、日が暮れ始めた晩夏の空を見上げた。親のそこそこ多額の遺産を食い潰してゆく、気ままな旅行は予定ほど順調ではなかった。
この高原に入る何時間か前に、要するに家からここまでの道すがらで1度、車中泊していたので2日目となる。まさかここまで何もないとは思っておらず、晩の予定を考えると陰鬱な気分になる。『チベットの広大な緑』を謳うのは良くとも、日本でそれは必要ないと思い始めた。行けども行けどもガソリンスタンド1つありはしない。
軽自動車とは言え高原を抜けるまで持つかも不安だ。
「……あれ?」
何も無いかと思っていたところに、不意に見えたのは小さな灯りだった。途中の脇道に入り数分も走らせれば、『蝶々のペンション』と看板に書かれた建物へと到着する。
「助かったわ……。すみませーん」
2階建ての家屋へと近づき、緩くウェーブした肩口ほどの茶毛と七分丈の清楚な洋服という、女性の後ろ姿を見つけ声を掛けた。建物の前に、他2台の乗用車が止まっているのを見て経営はしていると判断した。女性はジョウロを持って入り口の木製扉を潜ろうとしているところなので、経営者に近しい人物に違いないだろう。
振り向いた女性は、乃愛もドキリとさせられるような清楚可憐な少し年上と思しき人物だ。彼女自身も美人と言われることがあるも、セミロングの髪は大凡で切りそろえ、メイクも恥ずかしくない程度にこなすだけで、服装とて動きやすいく単純なものが中心である。眼の前の、大和撫子と西洋人形を溶かして混ぜ込み芸術として仕上げた、女性像には程遠い。
「あの、何か?」
乃愛が言葉をつまらせていたからか、女性が小首を傾げて訊いてきた。そんな仕草にさえも見惚れてしまうのだが。
また、庶民的なミニラジオなど使っている辺りが、とっつきやすさを醸し出している。
「あ、えっと……」
宿泊が可能か訊くだけのことでどもってしまう。オフシーズンには少し早く、最盛期からは外れている。経営しているならば一部屋ぐらいは問題ないはず。そう乃愛は予想していた。
ラジオからはここらの村落で起こった事件のことを報道している。
『……さんの息女……が行方不明になって一週間。道警は里山を徹底的に……』
確か、旅行者一家の娘が迷子になって行方不明といった話のはずだ。ここは少し同情を買っておこうと、乃愛は浅ましく言葉を選ぶ。
「お部屋、空いていますか? 車にも寝泊まりできる用意はあるんですけど、ここ最近は物騒ですし」
「あー……女性お一人だと、そうですね」
女性の方も少し言い淀んだものの、ここで追い返すことのデメリットが大きいと考えたのだろうか。
「ちょっと訊いて参りますね」
彼女はそう言うと、扉を開いてロビーで談話している四人の男性に声を掛ける。傍らに立っている黒いエプロンをした男性は、彼女と同様にペンションに関わる人物だろう。
「ごめんなさい。アナタ、飛び入りのお客様らしいのだけど」
「……ふむ」
「急にすみません……」
その言葉に、エプロンの男性が反応を示した。30~40歳の大柄で、ヒゲと彫りの深い顔をした無骨だが頼りがいがありそうな人物。旦那さんがいることに、会釈した乃愛の胸中には小さな落胆があった。
経営者兼旦那は、ソファーの男性達に何かを問うように視線を向ける。経営者夫婦よりも10か20は年上の人達だが、お得意さんを気遣っての間だろうか。
「ふぅむ。別に困らんよ」
「そうだな」
「あぁ」
「だ、そうだ」
お三方は口々に身近な返事をすると、旦那も奥方に向き直って頷いた。彼女は少し困ったような苦笑を浮かべて、乃愛に言葉を伝える。
「申し訳ありません。あれで、皆さん悪い人達ではないんでごゆっくり」
小さな声だった。乃愛も愛想笑いを返した。
それからは簡単に宿泊名簿への記入や二階の部屋の案内、食事やお風呂の時間に関する説明を受けた。学生の頃の旅行で経験したときと変わらない様相だったが、1つ不思議な決まりごとがあった。
「深夜0時を過ぎてからは、一階に降りないようにしてください。経営上の秘密事項がありますので。ご用向は、部屋にあるベルを鳴らしてくだされば駆けつけます」
とのこと。乃愛もその時は、準備など裏方作業を客に見られたく無いのだろうと大して気にはしていなかった。受付カウンターの奥に、『関係者以外立入禁止』の文字が書かれた扉があり、そういうものと納得する。
「忙しいわよねぇ。暇だし、このままだと……」
急な仕事で旅行の約束を反故にした親友が電話に出ないことに苛立ちつつ、日が暮れ始めた晩夏の空を見上げた。親のそこそこ多額の遺産を食い潰してゆく、気ままな旅行は予定ほど順調ではなかった。
この高原に入る何時間か前に、要するに家からここまでの道すがらで1度、車中泊していたので2日目となる。まさかここまで何もないとは思っておらず、晩の予定を考えると陰鬱な気分になる。『チベットの広大な緑』を謳うのは良くとも、日本でそれは必要ないと思い始めた。行けども行けどもガソリンスタンド1つありはしない。
軽自動車とは言え高原を抜けるまで持つかも不安だ。
「……あれ?」
何も無いかと思っていたところに、不意に見えたのは小さな灯りだった。途中の脇道に入り数分も走らせれば、『蝶々のペンション』と看板に書かれた建物へと到着する。
「助かったわ……。すみませーん」
2階建ての家屋へと近づき、緩くウェーブした肩口ほどの茶毛と七分丈の清楚な洋服という、女性の後ろ姿を見つけ声を掛けた。建物の前に、他2台の乗用車が止まっているのを見て経営はしていると判断した。女性はジョウロを持って入り口の木製扉を潜ろうとしているところなので、経営者に近しい人物に違いないだろう。
振り向いた女性は、乃愛もドキリとさせられるような清楚可憐な少し年上と思しき人物だ。彼女自身も美人と言われることがあるも、セミロングの髪は大凡で切りそろえ、メイクも恥ずかしくない程度にこなすだけで、服装とて動きやすいく単純なものが中心である。眼の前の、大和撫子と西洋人形を溶かして混ぜ込み芸術として仕上げた、女性像には程遠い。
「あの、何か?」
乃愛が言葉をつまらせていたからか、女性が小首を傾げて訊いてきた。そんな仕草にさえも見惚れてしまうのだが。
また、庶民的なミニラジオなど使っている辺りが、とっつきやすさを醸し出している。
「あ、えっと……」
宿泊が可能か訊くだけのことでどもってしまう。オフシーズンには少し早く、最盛期からは外れている。経営しているならば一部屋ぐらいは問題ないはず。そう乃愛は予想していた。
ラジオからはここらの村落で起こった事件のことを報道している。
『……さんの息女……が行方不明になって一週間。道警は里山を徹底的に……』
確か、旅行者一家の娘が迷子になって行方不明といった話のはずだ。ここは少し同情を買っておこうと、乃愛は浅ましく言葉を選ぶ。
「お部屋、空いていますか? 車にも寝泊まりできる用意はあるんですけど、ここ最近は物騒ですし」
「あー……女性お一人だと、そうですね」
女性の方も少し言い淀んだものの、ここで追い返すことのデメリットが大きいと考えたのだろうか。
「ちょっと訊いて参りますね」
彼女はそう言うと、扉を開いてロビーで談話している四人の男性に声を掛ける。傍らに立っている黒いエプロンをした男性は、彼女と同様にペンションに関わる人物だろう。
「ごめんなさい。アナタ、飛び入りのお客様らしいのだけど」
「……ふむ」
「急にすみません……」
その言葉に、エプロンの男性が反応を示した。30~40歳の大柄で、ヒゲと彫りの深い顔をした無骨だが頼りがいがありそうな人物。旦那さんがいることに、会釈した乃愛の胸中には小さな落胆があった。
経営者兼旦那は、ソファーの男性達に何かを問うように視線を向ける。経営者夫婦よりも10か20は年上の人達だが、お得意さんを気遣っての間だろうか。
「ふぅむ。別に困らんよ」
「そうだな」
「あぁ」
「だ、そうだ」
お三方は口々に身近な返事をすると、旦那も奥方に向き直って頷いた。彼女は少し困ったような苦笑を浮かべて、乃愛に言葉を伝える。
「申し訳ありません。あれで、皆さん悪い人達ではないんでごゆっくり」
小さな声だった。乃愛も愛想笑いを返した。
それからは簡単に宿泊名簿への記入や二階の部屋の案内、食事やお風呂の時間に関する説明を受けた。学生の頃の旅行で経験したときと変わらない様相だったが、1つ不思議な決まりごとがあった。
「深夜0時を過ぎてからは、一階に降りないようにしてください。経営上の秘密事項がありますので。ご用向は、部屋にあるベルを鳴らしてくだされば駆けつけます」
とのこと。乃愛もその時は、準備など裏方作業を客に見られたく無いのだろうと大して気にはしていなかった。受付カウンターの奥に、『関係者以外立入禁止』の文字が書かれた扉があり、そういうものと納得する。
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