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7話・『アズマ視点』・法廷の一風景

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「待った!」

 多くの人々が集まる広間に、男性弁護士の声が響いた。

 もはや罪が決まりかけていたというタイミングであり、ザワザワと法廷に喧騒が広がる。

「判決を? な、なんでしょうか?」

 さすがの裁判長も、言いかけた言葉を止めて若い弁護士に尋ねた。白い美髯の上で目を丸くしている。

 弁護士の顔には凛々しい表情とは裏腹に、冷や汗が流れているのが見えた。側にいる弁護士補佐や、なんとか近い書記官ぐらいにしかわからなかったことだろう。

「やはり、このまま入る判決には不服があります……」

 弁護士は絞り出すように言った。もはや弁護の弁もなく黙りこくったかと思った後のことであるため、既に遅いと感じる者も多い。

 検察官などは特にそうだ。

「裁判長、この申し出は認められない」

 整った顔立ちをしかめさせ、裁判長に進言した。早く判決を確定させたいところだろう。

 目撃証言なども多く、被告人の男性は一貫して無罪を主張するのみで起訴内容に対しては黙秘を続けていた。そのため誰もが、弁護の余地なく判決を言い渡されるだけと確信したのだ。

「新人君、これ以上は名を汚す意味もあるまい。数多く証言も出揃っており、証拠も含めもはや金銭の授受について」「異議あり!」

 検察官の言葉を遮るように、弁護士は己の名とプライドをかけて異議申し立てをした。

 まだまだ未熟な弁護人ということもあり、補佐も不安そうな顔で助言しようとする。それさえ弁護士は手で制し、彼は被告人の方を見る。

 大丈夫だと、被告人を安心させるべくぎこちない笑顔を浮かべた。

 皆、弁護士が容疑をかけられた人達を助けたいという熱意を理解している。だからこそだ。

「弁護人の異議を却下します。静粛に」

 無情にも裁判長は言って、ざわめく法廷を静まらせた。

 そして、次の言葉を挟ませないようすぐに判決に移る。カンカンというガベルの木槌が打ち鳴らされただけで場が静まり返ったのは、皆が協力しようとしたからかもしれない。

「無罪」

「! ……?」

 弁護士だけが意外と思ったようで、驚いた後に頭の上にクエッションマークを浮かべた。

 本当に気づいてなかったのかと、周囲の皆も呆れた様子でため息やら困惑を浮かべる。次第に弁護士も状況が飲み込めてきて、危うく余計なことで有罪を負け取ってしまうところだったことに顔を青ざめさせる。

「おいおい、本気で逆弁護をしようとしていたのか……。証言から、財布を拾ってくれたことから交友が続いただけとわかっている

「金銭の授受についても、単なる謝礼として支払ったものだとわかっています。原告の親が早とちりしただけのようですね」

「ウソだろ……」

 検察官と弁護士補佐が改めて簡単に説明した。そんな事実を知ったこと、そして判決に対して力が抜けた弁護士。

「それでどうやって弁護士になったのか、甚だ疑問だ……」

「偶然、試験とかをくぐり抜けたみたいです」

 ささいな雑談なども挟まれたが、それでもなんとか無事に無罪となったのは、正義を信じる検察官や裁判長のおかげだった。

 しかしこうして、若干日本を騒がせた『妖女子買春事件』の裁判は終わりを迎えたのである。

 ――。

 ――――。

 以上が俺の、知り合いや市井に出回っている情報を統合して妄想した法廷での流れだ。

 いつもと変わらない朝、8時になろうかという頃、毎度のように教頭先生の話を聞く。そんな中で、改めて妖の見た目が若い女性に手を出した人間男性の件を、俺は思い返していたわけだ。

 既に公判までいっていた事件だとは少し前に知ったが、これもまた教頭先生の回りくどく冗長な話し方のせいである。また、『百朝新聞』の杜撰な仕事のせいもある。

「えー、この一件では無罪放免ということになりましたが……その、教員一同は一層気を引き締めて」

 という具合に教頭先生の話が終わった。

 ここですぐさま声を上げるのはウホーキン先生なわけである。

「おかしい! 人間はなんと身勝手な判断をするのか!」

 教頭先生の説明が端折られているため、見当違いの怒りになってしまっていた。

 ちゃんと物事を調べてから発言すべきだと思う。修正したところで聞き入れてくれるはずもないのから、皆への迷惑を避けるためだけに動く。

「あの、ウホーキン先生」

「何だ、西先生ッ」

「……お怒りは最もですが、私達の本分は教育です」

 聞く耳もたないという感じでなく助かった。俺は可能な限り穏当な言葉を選んで、ウホーキン先生の怒りを鎮めようとした。

 当然、ウホーキン先生もそれがどおしたとばかりに視線を向けてくる。

「確かに非道な人間もいますが、そうならないよう教え導くのが大事かと。誰が悪いかではなく、皆を善とする教育を心がけましょう」

「むむむ……」

 非を責め続けたところで相手を追い詰めるだけだと思った俺はそう、気持ちたしなめようとした。これにはウホーキン先生も、みっともなく喚いているのが恥ずかしくなったかなんとか口をつぐんでくれる。

 静かにしてくれている間に、俺はさっさと職員室を出ていくのだった。
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