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17話~ディルムッドの騎士~
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~ディルムッドの騎士~
༺ ༒ ༻
その後、俺たちは、また先ほどのデュボアとカナードのときのように、オベールにこっぴどく叱られることになった。
先ずは、リシャール殿下が弓を勝手に持ち出した件である。
オベールは淡々と、しかし一言一句に力を込めて非を指摘した。殿下は姿勢を正して耳を傾け、俺たちも同じように頭を垂れるしかない。
横に控えていた騎士、ルクレール・シャルル・ヴァロワは、口角をわずかに上げながらその様子を眺めていた。まるで殿下が叱られるのを愉快がっているかのようにも見える。
鋭い眼差しに潜む色気と、あえて隠そうともしないいたずらっぽい遊び心の気配――見ているだけで、妙に背筋がざわつく。
「……そもそも、大体というものだな!」
オベールの声が一段低く響いた。
俺たちは反射的に肩をすくめる。
「君のような、学院始まって以来の伝説的問題児が、リシャール殿下の武芸の家庭教師を務めたからだ!」
なぜか矛先が不意にルクレールへと向かった。
一瞬、空気が固まる。
思わず顔を上げた。
はい? 今、なんつった?
俺は、一歩前に立つリシャールの体操着の上着の裾を指先でちょいちょいと引っ張った。
「……家庭……教師?」
殿下はちらりとこちらを見ると、肩をすくめて答えた。
「八歳の頃から三年ほどだ。弓と剣を、時々、遊びながら教わった」
ルクレールが肩越しにちらりと俺を一瞥し、口の端をさらに引き上げる。まるで「そうだ」と言わんばかりに。
ええ……、そんな記憶、全然ないんですけど、どうして?
俺――じゃなく、セレスタンは、一応、子供の頃からの殿下の友人だぞ。
「ルクレールは私より七歳年上だから……、彼が十五の頃からこの学院に入学するまでの間だな。セレスが知らないのも無理はない。この男は、ヴァロワ家の"表に出ない子供"だったからね」
「表に出ない……?」
そんな俺の疑問をよそに、オベールは眉間の皺を益々深く刻み、今度はルクレールの過去を洗いざらい持ち出して叱り始めていた。
「学院に在籍していたころ、君は夜ごとに抜け出しては何をしていた? 警備担当の目を幾度もすり抜け、何度、デュランたちが探し回ったことか。挙げ句、変装までして酒場に入り浸り……、そういえば、今、身に付けているのも別の隊の隊服だな」
「……あー……それはですねえ」
ルクレールは肩をすくめ、苦笑しながらも悪びれた様子はない。口角はなおも楽しげに上がったままだ。
「君は、学院にどれほど迷惑をかけたと思っている! 素行不良の者がひとり居るだけで、周囲の規律も乱れるんだ。「あいつが平然とやっているなら、自分も多少は構わないだろう」と、他の生徒までがルールを軽んじるようになる。秩序が崩れるのは一瞬だ」オベールの声音はますます厳しさを増した。「あの時など……「娘が身ごもったのはここの生徒のせい」と訴える親が直々に訪ねてきた。俺はあんな場に立たされたのは初めてだ!」
「でも……あれ結局、父親、俺じゃなかったじゃないですか」
「やることはやっていただろう!」
オベールの叱責は鋭く叩きつけられた。それでもルクレールは、涼しい顔で悪戯を咎められた子供のように目を細めてみせる。
そうか……。この男は、十代で既に『脱童貞』を果たしていたんだな。よし、敵だ。
こんこんと続くオベールの叱責に、デュラン副官は一度こめかみを押さえてため息をつくと、また丸薬を口に放り込み、がりぼりと噛み砕いた。さっきよりクランチ力が強い。
いや、これ、本当に伝説の問題児っぽいな……。
「俺は来る者は拒まないだけです」ルクレールは涼しい顔で言い放った。「やることはやっていただろうと言われましても……当時も説明しましたが、俺、彼女とやったかどうかすら覚えていません」
……なんだ、このヤリチンは? 完全に敵だ!
今、この腰にある剣で、この男のアレを切り落とさなければならないレベルの敵だ。
デュボアのところに行く前に、ネージュとの奇石通信を切っておいて良かった。
あの鳥、ゴージャス・ヤリチン・強引攻めで、また脳内に妄想を膨らませカタカタカタカタ震えるところだった。
俺の横でアルチュールが、あからさまに眉をひそめている。
うんうん。アルチュールは一途だもんな。
わき目もふらず、リシャール殿下一筋だった。……本編では。
しかし――、
「よく放校にならなかったな……」
吐き出した瞬間、しまったと思った。心の中でつぶやいたつもりが、声になっていたようだ。
殿下は小さく肩を揺らし、淡々と答える。
「それは、彼がヴァロワ家の“特別”だから――」
その言葉が終わらぬうちに、ルクレールが俺のほうへ顔を向けた。
敵に聞こえていたらしい。チッ。
まあ、距離、近いしね。
彼は、瞳を細め、ゆるやかな笑みを浮かべる。
その一瞬、凄まじい色気が迸った。ぞくり、と背筋が震えた。
なんだ……、これは……。
殿下の言葉に、ふと俺は思い至る。
――彼の眼帯。
もしや……。
「……魔眼のコントロールが出来るようになる年齢って……、十五歳前後でしたっけ?」
俺の問いかけに、リシャール殿下とルクレールが目を見開いた。
その反応は驚愕に近い。
オベールもまた、開いていた口をぴたりと閉じている。そして、デュラン副官とモロー隊長が、いっせいに俺へと視線を向けてきた。
「セレス……どうして、それを知っている?」
リシャール殿下が囁くように言った。
あっ――。
口をついて出た自分の言葉に、額から冷たい汗が伝う。
魔眼を持つ者がいるということ自体は、広く知られている。しかし、その存在は、ほとんどおとぎ話に近い噂に過ぎない。
転生前の世界でたとえるなら、「本の一ページを、一瞬、見ただけで全文を覚えられる人間がいる」と耳にするのと同じ。確かに存在するらしいが、大半の人は一生、実際に出会うことも接することもない。
まして、その魔眼は人を思うままに操ることすら可能な能力だ。ゆえに、その真相に触れられるのは、王族と当事者、そしてごく限られた一握りの者のみ。侯爵家といえども、踏み込むことのできぬ領域である。
そもそも魔眼を持つ者自体が極めて稀の稀。
滅多に現れないため、王国全体でも数えるほどしか存在せず、もしかしたら、今、現在、この男だけという可能性すらある。
なんと誤魔化せばいい?
俺が転生者で、前世で読んだ原作本編の中に、片眼が魔眼持ちのキャラクター――地方の塔に閉じ込められていた少年ルーク――が出てきたからだ……なんて言えるわけないだろう。
迫害を受けて、誰にも必要とされないと怯えていながらも、あの少年は健気に口にしたのだ。
「僕でも……人のためにできること、あるのかな?」
彼の母親は、決して表に出てはこなかったが、影で息子を支え愛し続けていた。その母に報いるためにも、少年は魔物討伐に加わり、必死に仲間の役に立とうとした。
まさか、あの少年キャラが、このヤリチンに変更されているのか……? 確かに赤髪だったが、あんな純粋で素直な可愛らしい少年が、こんなヤリチンに……。あり得ない! 俺にあの少年を返せ!
混乱する頭の中で必死に言葉を探し、半歩身を引きつつ、かろうじて口から出たのは、
「……うちの地下図書館の奥の奥に、禁書扱いの写本が……、それにゴルゴ―ンの話と共に、魔眼に付いて触れている部分があって……」
自分でも苦しいと言わざるを得ない言い訳を棒読みで並べながら、心臓が跳ねる。
リシャールはしばらく黙したまま、じっとこちらを見据えていた。
やがて、息を吐き、小さく肩を揺らす。
「……まったく。君は昔から、そういうことをやらかす」
それは呆れとも、懐かしさともつかぬ声音だった。
どうやら、信じてもらえたらしい。
俺の本体となっているセレスタンは、憧れのリシャール殿下の傍らに立つために、子供の頃からひたすらに自分を磨き続けてきた。剣の練習も学問も決して怠らず、時には禁書と呼ばれるものにも手を伸ばし、知を貪欲に吸収しようとした。
その姿を、リシャールは昔から見て知っている。だからこそ今の殿下の言葉も、ただの咎めではなく、幼い頃からのセレスタンの性分を言い当てたもの。
あっさりと納得してくれたリシャールに胸をなでおろしたそのとき――低く響く声が割り込んできた。
「……まあ、事実だから仕方ない。しかし、良く見抜いたな。魔眼持ちなんて、早々、居ないぞ。尚、ここにいるオベール警備官、デュラン副官、モロー隊長、寮監――教会の上層部なんかは、俺の魔眼のことを知っている」
ルクレールだった。
つまり、他の者は知らないと――。
片目を覆う黒布の眼帯の下から、得体の知れぬ気配が滲み出ている。
「俺は“継承者”だ。『魅了の魔眼』の」さらりと告げられた一言に、空気がぴんと張り詰めた。「制御は出来る。完璧に。だが、念のため……人を惑わせぬよう、こうして魔法布で覆っている」
ルクレールは、ことさらに見せつけるように眼帯の端を指先で軽く引いた。
「ただし、制御を解放すれば、相手を意のままに操ることも出来る――気をつけろよ」
笑みを崩さぬまま放たれた声は、脅しとも戯れともつかず、ぞくりと背筋を冷やすには十分だった。
その瞬間、横にいたアルチュールが、反射的に半身を俺の前に出した。まるで庇うかのような動き――。
こ、これは、なんというスパダリ……! カッコよすぎて心臓止まるかと思った! 何この尊さ!! 尊死レベル!
アルチュール株、爆上がり案件です!!
幸いなことに、彼には『魅了の魔眼』の影響は及んでいない。
片眼の魔眼の影響力は、両眼が魔眼のゴルゴ―ンのように目を見た者全て、つまり広範囲に及ぶわけではなく、魔眼の持ち主が狙った相手を一点だけ射抜く。つまり今、能力を全開放されていないにしろ、布越しに微量でもそれを向けられているのは俺ということだ。
「おい」
そのとき、地を這うほど低く鋭い声が前方から飛んだ。
驚いた。リシャール殿下がこんな声を出すのを、俺は初めて聞いたかもしれない。
「セレスを脅かすな。何かしただろう? 私には効かなくても、彼には効く」
そう……、王族の直系男子には魔眼は通じない。
半神半人だったドメーヌ・ル・ワンジェ王国の始祖が、人を石化する魔眼の妖魔ゴルゴーンを打ち倒したときに得た能力――その血脈を、殿下は真っ当に受け継いでいる。
いくらコントロールして魔法布で覆っているとはいえ、殿下がこうしてヴァロワと無防備に、尚且つ、間近に居て平然としていられるのは、その耐性のせい。
リシャールは片眉を吊り上げ、静かに告げる。
「魔眼は、私欲のために用いてはならぬと定められている。ルクレール、もしお前がその掟を破り、他者に何かすれば……」一拍置き、氷のように澄んだ声が続いた。「その目は、この私がくり抜かなければならなくなる」
いつもは静かに、淡々と事を運ぶリシャール殿下……、必要以上に声を荒げることなど決してしないはずの人が?
どうした、殿下? 益々、他人のこと『雑〇』って言いそうな人になってるぞ!?
思わず言葉を失ったその瞬間、
「君たち」
叩きつけるような、しかし鋭く抑え込まれた声が、室内を打ち据えた。
オベールだ。眉間に深い皺を刻み、目をすがめ、机を拳で強く打ち鳴らす。
「まだ俺の話は終わっていないのだが?」
その場の緊張が、軋むほどに張りつめた。
直後、ルクレールは眉ひとつ動かさず、ゆっくりと口を開く
「警備官殿。リシャール殿下の件に関しましては、もう充分では?」
オベールの視線がルクレールに向かうが、彼は怯まない。
「次の議題に移りませんか? ここに来る途中、一足先に飛ばした俺の伝書使、アッシュから「興味深い剣を持った学生二人が、ガーゴイル討伐に加わっている」と報告を受けたのですが?」
彼の言葉を受けて、室内を覆っていた重圧が別の方向へと流れた。
そのとき、リシャール殿下の声が低く落ちる。
「……なるほどな。お前がわざわざこの部屋まで足を運んだ理由が分かった」
ルクレールのまぶたがわずかに持ち上げられた。
殿下が続ける。
「城を出たときは本当に私の見物のためだったのかもしれないが、アッシュからの報告を受け、剣と、剣を持って戦った二人に興味が沸いたからだろう?」
そう問われたルクレールは、「殿下は鋭いですね」と言って、俺に視線を向けてきた。
アルチュールではない。剣に何かを施したのが俺だと、彼にはもう見抜かれている……?
オベールは、掌を机から離すと、重たげに背凭れへ身を預ける。
小さな溜息とともに、その視線が俺とアルチュールへと向けられた。
「……で、コルベール君とシルエット君。君たちは、俺の作ったエクラ・ダシエの剣に、いったい何をした?」低く押さえた声が、ゆっくりと響く。「ここへ持って来い」
その言葉に従い、俺とアルチュールは剣を携えて前に出た。
受け取ったあと、彼は一振りを手にして鞘から抜く。それから、眉一つ動かさず、ただ刃を光の下に傾けた。
灰青の瞳が、金属の流れと陣の合わせ目を寸分も逃さず追う。すべてを見透かすように冷ややかで――だが、同時に探る色を帯びていた。
そのとき、うしろの扉の方から軽いノックの音が響いた。
オベールが視線を向ける。
「入れ」
静かな許可を受け、扉が開いた。
「失礼いたします」
低く落ち着いているが、しかしどこか謎めいた響きの声。ようやくカナードとデュボアに解放されたのか、レオが姿を現し、真っ直ぐに歩いてくる。
彼は俺とアルチュールの横まで来て立ち止まり、お手本のような一礼をした。
その一挙一動をオベールが眺め、それから短く息を吐き冷ややかな声音で言葉を落とす。
「弓の件はもう終わった。同じ事をもう一度言うのは面倒だ。俺が何を注意したのか、あとで殿下とトレモイユ君に聞け――さて」
レオは無言でうなずき、オベールは再び視線を手に持った剣へと戻した。
「エクラ・ダシエですよね、それ?」
ルクレールがオベールとの距離を詰めて低く問うた。
「ああ。模擬戦で使ったあの剣だ。しかし……俺の描いた魔法陣が真逆になっているな」低く言い切ると、彼は隣に立つルクレールへ目を向けた。「ヴァロワ、剣を抜け」
名を呼ばれたルクレールは何の疑問も口にせず、すぐに腰の剣を静かに引き抜いた。
オベールは続けて窓際の副官を呼ぶ。
「デュラン。この反転した“エクラ・ダシエ”を持て。それから、互いの刃を合わせて、デュラン、少しだけ力を込めろ」
二人は言われた通りに構える。そして次の瞬間、鋭い金属音が室内を裂いた。
ルクレールの剣が、折れるのではなく――真っ二つに切れた。
「なっ……!」
デュランは目を見開き、思わず体勢を崩す。
手に残った剣身の勢いが制御を失い、斜めに振り下ろされる。その軌道が、ルクレールの肩をかすめた。彼は反射的に身を引き、胸甲の一部が紙のように薄く削ぎ取られ、破片が床に落ち音を立てる。
ざわりと、室内が張り詰めた。
「……俺のこの剣も……、胸甲も、『バジリスク・リザード』の鱗を錬金で溶かし、鋼と融合させたもの……。王国の全騎士団隊員の標準装備に使われる――それが、この有様とは……」
ルクレールは、肩に視線を落とし低く吐息を洩らした。
彼が身に着けているのは『竜鱗の甲冑』と呼ばれるもの。王国の騎士を象徴する堅牢さを誇り、容易に傷つくことはない。
その威容は、騎士を目指す若者たちの憧れでもあり、鍛錬を積み、功を立てた者のみが授かれる証――。
༺ ༒ ༻
その後、俺たちは、また先ほどのデュボアとカナードのときのように、オベールにこっぴどく叱られることになった。
先ずは、リシャール殿下が弓を勝手に持ち出した件である。
オベールは淡々と、しかし一言一句に力を込めて非を指摘した。殿下は姿勢を正して耳を傾け、俺たちも同じように頭を垂れるしかない。
横に控えていた騎士、ルクレール・シャルル・ヴァロワは、口角をわずかに上げながらその様子を眺めていた。まるで殿下が叱られるのを愉快がっているかのようにも見える。
鋭い眼差しに潜む色気と、あえて隠そうともしないいたずらっぽい遊び心の気配――見ているだけで、妙に背筋がざわつく。
「……そもそも、大体というものだな!」
オベールの声が一段低く響いた。
俺たちは反射的に肩をすくめる。
「君のような、学院始まって以来の伝説的問題児が、リシャール殿下の武芸の家庭教師を務めたからだ!」
なぜか矛先が不意にルクレールへと向かった。
一瞬、空気が固まる。
思わず顔を上げた。
はい? 今、なんつった?
俺は、一歩前に立つリシャールの体操着の上着の裾を指先でちょいちょいと引っ張った。
「……家庭……教師?」
殿下はちらりとこちらを見ると、肩をすくめて答えた。
「八歳の頃から三年ほどだ。弓と剣を、時々、遊びながら教わった」
ルクレールが肩越しにちらりと俺を一瞥し、口の端をさらに引き上げる。まるで「そうだ」と言わんばかりに。
ええ……、そんな記憶、全然ないんですけど、どうして?
俺――じゃなく、セレスタンは、一応、子供の頃からの殿下の友人だぞ。
「ルクレールは私より七歳年上だから……、彼が十五の頃からこの学院に入学するまでの間だな。セレスが知らないのも無理はない。この男は、ヴァロワ家の"表に出ない子供"だったからね」
「表に出ない……?」
そんな俺の疑問をよそに、オベールは眉間の皺を益々深く刻み、今度はルクレールの過去を洗いざらい持ち出して叱り始めていた。
「学院に在籍していたころ、君は夜ごとに抜け出しては何をしていた? 警備担当の目を幾度もすり抜け、何度、デュランたちが探し回ったことか。挙げ句、変装までして酒場に入り浸り……、そういえば、今、身に付けているのも別の隊の隊服だな」
「……あー……それはですねえ」
ルクレールは肩をすくめ、苦笑しながらも悪びれた様子はない。口角はなおも楽しげに上がったままだ。
「君は、学院にどれほど迷惑をかけたと思っている! 素行不良の者がひとり居るだけで、周囲の規律も乱れるんだ。「あいつが平然とやっているなら、自分も多少は構わないだろう」と、他の生徒までがルールを軽んじるようになる。秩序が崩れるのは一瞬だ」オベールの声音はますます厳しさを増した。「あの時など……「娘が身ごもったのはここの生徒のせい」と訴える親が直々に訪ねてきた。俺はあんな場に立たされたのは初めてだ!」
「でも……あれ結局、父親、俺じゃなかったじゃないですか」
「やることはやっていただろう!」
オベールの叱責は鋭く叩きつけられた。それでもルクレールは、涼しい顔で悪戯を咎められた子供のように目を細めてみせる。
そうか……。この男は、十代で既に『脱童貞』を果たしていたんだな。よし、敵だ。
こんこんと続くオベールの叱責に、デュラン副官は一度こめかみを押さえてため息をつくと、また丸薬を口に放り込み、がりぼりと噛み砕いた。さっきよりクランチ力が強い。
いや、これ、本当に伝説の問題児っぽいな……。
「俺は来る者は拒まないだけです」ルクレールは涼しい顔で言い放った。「やることはやっていただろうと言われましても……当時も説明しましたが、俺、彼女とやったかどうかすら覚えていません」
……なんだ、このヤリチンは? 完全に敵だ!
今、この腰にある剣で、この男のアレを切り落とさなければならないレベルの敵だ。
デュボアのところに行く前に、ネージュとの奇石通信を切っておいて良かった。
あの鳥、ゴージャス・ヤリチン・強引攻めで、また脳内に妄想を膨らませカタカタカタカタ震えるところだった。
俺の横でアルチュールが、あからさまに眉をひそめている。
うんうん。アルチュールは一途だもんな。
わき目もふらず、リシャール殿下一筋だった。……本編では。
しかし――、
「よく放校にならなかったな……」
吐き出した瞬間、しまったと思った。心の中でつぶやいたつもりが、声になっていたようだ。
殿下は小さく肩を揺らし、淡々と答える。
「それは、彼がヴァロワ家の“特別”だから――」
その言葉が終わらぬうちに、ルクレールが俺のほうへ顔を向けた。
敵に聞こえていたらしい。チッ。
まあ、距離、近いしね。
彼は、瞳を細め、ゆるやかな笑みを浮かべる。
その一瞬、凄まじい色気が迸った。ぞくり、と背筋が震えた。
なんだ……、これは……。
殿下の言葉に、ふと俺は思い至る。
――彼の眼帯。
もしや……。
「……魔眼のコントロールが出来るようになる年齢って……、十五歳前後でしたっけ?」
俺の問いかけに、リシャール殿下とルクレールが目を見開いた。
その反応は驚愕に近い。
オベールもまた、開いていた口をぴたりと閉じている。そして、デュラン副官とモロー隊長が、いっせいに俺へと視線を向けてきた。
「セレス……どうして、それを知っている?」
リシャール殿下が囁くように言った。
あっ――。
口をついて出た自分の言葉に、額から冷たい汗が伝う。
魔眼を持つ者がいるということ自体は、広く知られている。しかし、その存在は、ほとんどおとぎ話に近い噂に過ぎない。
転生前の世界でたとえるなら、「本の一ページを、一瞬、見ただけで全文を覚えられる人間がいる」と耳にするのと同じ。確かに存在するらしいが、大半の人は一生、実際に出会うことも接することもない。
まして、その魔眼は人を思うままに操ることすら可能な能力だ。ゆえに、その真相に触れられるのは、王族と当事者、そしてごく限られた一握りの者のみ。侯爵家といえども、踏み込むことのできぬ領域である。
そもそも魔眼を持つ者自体が極めて稀の稀。
滅多に現れないため、王国全体でも数えるほどしか存在せず、もしかしたら、今、現在、この男だけという可能性すらある。
なんと誤魔化せばいい?
俺が転生者で、前世で読んだ原作本編の中に、片眼が魔眼持ちのキャラクター――地方の塔に閉じ込められていた少年ルーク――が出てきたからだ……なんて言えるわけないだろう。
迫害を受けて、誰にも必要とされないと怯えていながらも、あの少年は健気に口にしたのだ。
「僕でも……人のためにできること、あるのかな?」
彼の母親は、決して表に出てはこなかったが、影で息子を支え愛し続けていた。その母に報いるためにも、少年は魔物討伐に加わり、必死に仲間の役に立とうとした。
まさか、あの少年キャラが、このヤリチンに変更されているのか……? 確かに赤髪だったが、あんな純粋で素直な可愛らしい少年が、こんなヤリチンに……。あり得ない! 俺にあの少年を返せ!
混乱する頭の中で必死に言葉を探し、半歩身を引きつつ、かろうじて口から出たのは、
「……うちの地下図書館の奥の奥に、禁書扱いの写本が……、それにゴルゴ―ンの話と共に、魔眼に付いて触れている部分があって……」
自分でも苦しいと言わざるを得ない言い訳を棒読みで並べながら、心臓が跳ねる。
リシャールはしばらく黙したまま、じっとこちらを見据えていた。
やがて、息を吐き、小さく肩を揺らす。
「……まったく。君は昔から、そういうことをやらかす」
それは呆れとも、懐かしさともつかぬ声音だった。
どうやら、信じてもらえたらしい。
俺の本体となっているセレスタンは、憧れのリシャール殿下の傍らに立つために、子供の頃からひたすらに自分を磨き続けてきた。剣の練習も学問も決して怠らず、時には禁書と呼ばれるものにも手を伸ばし、知を貪欲に吸収しようとした。
その姿を、リシャールは昔から見て知っている。だからこそ今の殿下の言葉も、ただの咎めではなく、幼い頃からのセレスタンの性分を言い当てたもの。
あっさりと納得してくれたリシャールに胸をなでおろしたそのとき――低く響く声が割り込んできた。
「……まあ、事実だから仕方ない。しかし、良く見抜いたな。魔眼持ちなんて、早々、居ないぞ。尚、ここにいるオベール警備官、デュラン副官、モロー隊長、寮監――教会の上層部なんかは、俺の魔眼のことを知っている」
ルクレールだった。
つまり、他の者は知らないと――。
片目を覆う黒布の眼帯の下から、得体の知れぬ気配が滲み出ている。
「俺は“継承者”だ。『魅了の魔眼』の」さらりと告げられた一言に、空気がぴんと張り詰めた。「制御は出来る。完璧に。だが、念のため……人を惑わせぬよう、こうして魔法布で覆っている」
ルクレールは、ことさらに見せつけるように眼帯の端を指先で軽く引いた。
「ただし、制御を解放すれば、相手を意のままに操ることも出来る――気をつけろよ」
笑みを崩さぬまま放たれた声は、脅しとも戯れともつかず、ぞくりと背筋を冷やすには十分だった。
その瞬間、横にいたアルチュールが、反射的に半身を俺の前に出した。まるで庇うかのような動き――。
こ、これは、なんというスパダリ……! カッコよすぎて心臓止まるかと思った! 何この尊さ!! 尊死レベル!
アルチュール株、爆上がり案件です!!
幸いなことに、彼には『魅了の魔眼』の影響は及んでいない。
片眼の魔眼の影響力は、両眼が魔眼のゴルゴ―ンのように目を見た者全て、つまり広範囲に及ぶわけではなく、魔眼の持ち主が狙った相手を一点だけ射抜く。つまり今、能力を全開放されていないにしろ、布越しに微量でもそれを向けられているのは俺ということだ。
「おい」
そのとき、地を這うほど低く鋭い声が前方から飛んだ。
驚いた。リシャール殿下がこんな声を出すのを、俺は初めて聞いたかもしれない。
「セレスを脅かすな。何かしただろう? 私には効かなくても、彼には効く」
そう……、王族の直系男子には魔眼は通じない。
半神半人だったドメーヌ・ル・ワンジェ王国の始祖が、人を石化する魔眼の妖魔ゴルゴーンを打ち倒したときに得た能力――その血脈を、殿下は真っ当に受け継いでいる。
いくらコントロールして魔法布で覆っているとはいえ、殿下がこうしてヴァロワと無防備に、尚且つ、間近に居て平然としていられるのは、その耐性のせい。
リシャールは片眉を吊り上げ、静かに告げる。
「魔眼は、私欲のために用いてはならぬと定められている。ルクレール、もしお前がその掟を破り、他者に何かすれば……」一拍置き、氷のように澄んだ声が続いた。「その目は、この私がくり抜かなければならなくなる」
いつもは静かに、淡々と事を運ぶリシャール殿下……、必要以上に声を荒げることなど決してしないはずの人が?
どうした、殿下? 益々、他人のこと『雑〇』って言いそうな人になってるぞ!?
思わず言葉を失ったその瞬間、
「君たち」
叩きつけるような、しかし鋭く抑え込まれた声が、室内を打ち据えた。
オベールだ。眉間に深い皺を刻み、目をすがめ、机を拳で強く打ち鳴らす。
「まだ俺の話は終わっていないのだが?」
その場の緊張が、軋むほどに張りつめた。
直後、ルクレールは眉ひとつ動かさず、ゆっくりと口を開く
「警備官殿。リシャール殿下の件に関しましては、もう充分では?」
オベールの視線がルクレールに向かうが、彼は怯まない。
「次の議題に移りませんか? ここに来る途中、一足先に飛ばした俺の伝書使、アッシュから「興味深い剣を持った学生二人が、ガーゴイル討伐に加わっている」と報告を受けたのですが?」
彼の言葉を受けて、室内を覆っていた重圧が別の方向へと流れた。
そのとき、リシャール殿下の声が低く落ちる。
「……なるほどな。お前がわざわざこの部屋まで足を運んだ理由が分かった」
ルクレールのまぶたがわずかに持ち上げられた。
殿下が続ける。
「城を出たときは本当に私の見物のためだったのかもしれないが、アッシュからの報告を受け、剣と、剣を持って戦った二人に興味が沸いたからだろう?」
そう問われたルクレールは、「殿下は鋭いですね」と言って、俺に視線を向けてきた。
アルチュールではない。剣に何かを施したのが俺だと、彼にはもう見抜かれている……?
オベールは、掌を机から離すと、重たげに背凭れへ身を預ける。
小さな溜息とともに、その視線が俺とアルチュールへと向けられた。
「……で、コルベール君とシルエット君。君たちは、俺の作ったエクラ・ダシエの剣に、いったい何をした?」低く押さえた声が、ゆっくりと響く。「ここへ持って来い」
その言葉に従い、俺とアルチュールは剣を携えて前に出た。
受け取ったあと、彼は一振りを手にして鞘から抜く。それから、眉一つ動かさず、ただ刃を光の下に傾けた。
灰青の瞳が、金属の流れと陣の合わせ目を寸分も逃さず追う。すべてを見透かすように冷ややかで――だが、同時に探る色を帯びていた。
そのとき、うしろの扉の方から軽いノックの音が響いた。
オベールが視線を向ける。
「入れ」
静かな許可を受け、扉が開いた。
「失礼いたします」
低く落ち着いているが、しかしどこか謎めいた響きの声。ようやくカナードとデュボアに解放されたのか、レオが姿を現し、真っ直ぐに歩いてくる。
彼は俺とアルチュールの横まで来て立ち止まり、お手本のような一礼をした。
その一挙一動をオベールが眺め、それから短く息を吐き冷ややかな声音で言葉を落とす。
「弓の件はもう終わった。同じ事をもう一度言うのは面倒だ。俺が何を注意したのか、あとで殿下とトレモイユ君に聞け――さて」
レオは無言でうなずき、オベールは再び視線を手に持った剣へと戻した。
「エクラ・ダシエですよね、それ?」
ルクレールがオベールとの距離を詰めて低く問うた。
「ああ。模擬戦で使ったあの剣だ。しかし……俺の描いた魔法陣が真逆になっているな」低く言い切ると、彼は隣に立つルクレールへ目を向けた。「ヴァロワ、剣を抜け」
名を呼ばれたルクレールは何の疑問も口にせず、すぐに腰の剣を静かに引き抜いた。
オベールは続けて窓際の副官を呼ぶ。
「デュラン。この反転した“エクラ・ダシエ”を持て。それから、互いの刃を合わせて、デュラン、少しだけ力を込めろ」
二人は言われた通りに構える。そして次の瞬間、鋭い金属音が室内を裂いた。
ルクレールの剣が、折れるのではなく――真っ二つに切れた。
「なっ……!」
デュランは目を見開き、思わず体勢を崩す。
手に残った剣身の勢いが制御を失い、斜めに振り下ろされる。その軌道が、ルクレールの肩をかすめた。彼は反射的に身を引き、胸甲の一部が紙のように薄く削ぎ取られ、破片が床に落ち音を立てる。
ざわりと、室内が張り詰めた。
「……俺のこの剣も……、胸甲も、『バジリスク・リザード』の鱗を錬金で溶かし、鋼と融合させたもの……。王国の全騎士団隊員の標準装備に使われる――それが、この有様とは……」
ルクレールは、肩に視線を落とし低く吐息を洩らした。
彼が身に着けているのは『竜鱗の甲冑』と呼ばれるもの。王国の騎士を象徴する堅牢さを誇り、容易に傷つくことはない。
その威容は、騎士を目指す若者たちの憧れでもあり、鍛錬を積み、功を立てた者のみが授かれる証――。
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