23 / 198
23話~古代遺跡~
~古代遺跡~
澄んだ水面に映る鎧と羽毛、そして、ヴァルカリオンたちの勇姿が、淡い木漏れ日を反射して揺れていた。だが、そこにとどまれる時間はわずかで、周囲の仲間と雑談する余裕などなく、皆がそれぞれ装備や騎獣の手入れに忙しい。
俺も手綱の緩みを確認したり、パイパーのたてがみにブラシを入れたり、たわいない作業に集中する。
ルクレールは、蹄鉄のチェックを終えると、鞍や鐙の状態をひとつひとつ点検し、締め直したり革を磨いたりして入念に世話をしていた。
「こうして見ていると……あんたって、本当に騎士なんだな、と思えてくる」
思わず口にすると、しゃがんで作業をしていたルクレールが肩越しに視線を返して来た。
「ヴァルカリオンは、騎士にとっての誇りだからな。俺専属の馬でなくとも、手入れも、扱いも、すべてが任務の一部だ」
俺は黙ってうなずく。
「そろそろ俺が何者か知りたくなったか、セレス」
ルクレールは軽く口元を緩めて言った。
俺は少しだけ声をひそめて答える。
「知りたくない……わけではない……」
するとルクレールは立ち上がり、俺を真正面から見つめ、確かな決意を帯びた声で告げた。
「俺は――テネブリス・ノクターン所属の騎士だ」
無意識に息を呑み、手綱を握る手に力がこもった。
原作本編でその言葉を目にしたことがある。
はかなげで麗しいリシャール受け殿下が乗った馬車が事故に遭う――いや、正確には仕組まれた罠であり、殿下が誘拐されるという一幕だった。
そこで、テネブリス・ノクターンが総力を挙げて探索網を張り巡らせ、敵のアジトがあると思われる森を特定。たまたまその近辺には、陸軍近衛師団四部隊の一つ、ルー・ダルジャン隊が展開していて、伝書使からの急報が入る。その隊には、入隊したばかりのアルチュールの姿があり、彼は仲間とともに直ちに救出に向かった。そして、拘束され媚薬を嗅がされ、弄ばれようとしていた殿下を、間一髪で助け出したのだ。
アルチュールは、理を問うより先に賊徒――リシャールにのしかかっていた人攫いの首を問答無用で容赦なく刎ね飛ばす。半狂乱のまま、あられもない姿で「見るな」と叫ぶ殿下を自らの外套で包み込み、抱きしめる場面は、読み手の胸を強く打つ名場面として記憶に残っている。
あの、闇の騎士、テネブリス・ノクターン。
王直属にして、表に出ることはなく、諜報から討伐、鎮圧に至るまで、いわば国の「公安」や「特殊部隊」のような役割を担う組織。必要とあらば「機動隊」のように前線へ立ち、裏では暗殺すらも辞さない――そんな危険で不可欠な役目を負う者。
隊は小規模な精鋭で構成され、隊員に選ばれるのは極めて難しいとされる。王国を陰から守る近衛師団。
まさか、目の前にいる男が闇の騎士だったとは。
「……王直属が、こんなところでなにやってんだよ」
俺の問いにルクレールは淡く笑みを浮かべ、軽く肩をすくめて言った。
「平時はな、案外暇なんだ。前にリシャールにも言ったが……俺が本当に忙しい時の方が、国にとっては大問題なんだよ」冗談めかしているようで、目の奥に宿る光は冗談ではなかった。「今回、俺は殿下の護衛任務に――そうだな……、志願して随行している」
「……なんだ。俺に会いに来たと言ったのは、やっぱり嘘だったんだな」
「いや」ルクレールは首を振った。「殿下にはすでに任じられた護衛がいる。今の殿下の担当騎士ロジェ・ラクロワが、ノクターンの一人で、俺の仲間だ。本来なら、俺はこの隊の副団長の下に控えて、単独で随行するつもりだったんだが……」
そこで彼はふと視線を逸らし、低く吐き出すように続けた。
「三日前、酒場で――お前の本来の担当騎士モーリスと偶然顔を合わせた。奴は嬉しそうに、「次の学院の課外授業で『銀の君』とペアになった」と言っていた」
ルクレールの口調には僅かな棘が混じっていた。
課外授業の後、生徒と担当騎士の間で手紙のやり取りが交わされ、親密な関係になる例は少なくない、とレオから聞かされた。
「貴族社会では、もとより顔見知りの者同士が多い。中には、あわよくば――と下心を抱いて任務に臨む騎士すらいる。そいつがどういうつもりだったにせよ……俺は、無性に腹が立った」ルクレールは自嘲めいた笑みを浮かべた。「だから前の晩、酒をたっぷり飲ませて眠らせた。そして代わりに俺がお前の『担当騎士』としてここに来た。殿下の護衛なんて口実にすぎない。……単独随行だろうが、担当騎士だろうが、俺は本当に、セレス、お前に会うためにここに来たんだ」
もしも――、
本当にもしも……原作本編のように、アルチュールとリシャールが結ばれる世界だったとしたら……、そうなっていたとしたら俺は、目の前のこの男の差し伸べる手を取っていたのかもしれない。
けれど、それはただの仮定だ。
刹那、ルクレールがふと俺の髪に触れた。指先でそっと毛先をすくい上げ、結んだ組紐を見つめる。
「……これは、あの黒髪の子爵家次男からの贈り物か?」
俺は「……そうだ」と、小さく答える。
どうせ交換していたところを見ていたんだろう。嘘をついて否定したところで、また曖昧に誤魔化したところで、彼には通用しない。ならば、正直に頷く以外、選択肢は残されてはいなかった。
ルクレールは目を細め、少し含みのある笑みを浮かべた。
「……まるで、お前が自分のものだと誇示しているみたいだ」
返す言葉を探しかけた、その時だった。
「総員、鞍へ! 出立用意!!」
低く響くデュボアの号令が、休息の空気を断ち切った。
甲冑の擦れる音、革の軋む音が川辺を満たす。騎獣たちも主に従って立ち上がる。
俺もルクレールも言葉を封じ、共に鞍へと跨がると、再び行軍が始まった。
川辺を離れ、木々の間を進むたび、日差しは枝葉の隙間で揺らぎ、影を落とす。
森の小径を抜ける途中、背後の茂みから小鬼が何体か飛び出したが、グリフォンの翼が一閃し、容易く地へ叩き伏せられた。頭上の枝からは牙を剥いた魔猿の集団が跳びかかったが、砦の兵が放った矢が正確に眉間を射抜き、無言で落下する。
野犬じみた魔獣の群れも、そこそこ大きな熊の魔獣も、騎士たちが放った火の魔弾と水の障壁に阻まれ、散り散りに退いて行った。
いずれも隊列を揺るがすには至らず、ヴァルカリオンたちは歩みを止めることなく淡々と進み続ける。
やがて木々の間から、石造りの建造物の形が次第に姿を現した。日差しを受けた灰色の石組みは、一歩距離を縮めるごとに輪郭を際立たせ、重厚な存在感を増していく。
遺跡はもうすぐそこだ。
そのとき――、
前を行く黒狼ガーロンが鼻をひくつかせ、唸り、足を止めた。
異変を悟った騎士団長が即座に王旗を掲げ、鋭い声を放つ。
「――停止!」
号令に従い、隊列が一斉に動きを止めた。緊張が森を満たす。
「どうした、ガーロン」
デュボアがわずかに手綱を締め、鋭い視線を落とす。
ガーロンは返答するように全身の毛を逆立て、牙を剥いた。
ただならぬ気配を察したのだろう。ボンシャンがヴァルカリオンから軽やかに降り立つと、地面に掌を置く。触れた瞬間、土はふわりと指先にまとわりつき、ボンシャンの手はそのまま手首の上まで土の中へと沈んでいった。
「……何かの群れが来ます。早い!」
その報告と同時に、カナードが両手を天に掲げた。
「――障壁布陣!」
澄んだ声が森を震わせ、眩い結界がぱん、と空気を裂いて前方に広がった。だが、流石のカナードでも、一人で形成する広範囲の障壁は、厚みは十分とはいえず、強化障壁ほどの防御力は期待できそうにない。
生徒たちの間に不安のざわめきが広がった。
「……何が起こっているんだ」
俺が馬上で思わず声を漏らすと、背後からすぐにルクレールの声が落ちてきた。
「心配するな。何のために俺がここにいると思っている」
騎士団長の檄が轟く。
「生徒は身体強化魔法をかけ、生徒を乗せた騎士は、後退せよ!」
騎士たちが慌ただしく手綱を返す。だが、間に合わない。
「そこまで来ています!」
ボンシャンが叫び、地面から手を抜くと、ヴァルカリオンの背に再び身を躍らせた。
「全員――戦闘態勢!」
デュボアの声が場を震わせた。
号令と同時に、砦の隊士たちが障壁の前へと即座に前進し、一斉に腰へと手を伸ばす。そこには魔法で小型化された槍が収められていて、柄を握りベネンに魔力を蓄えた瞬間、眩い光とともにそれらはすらりと伸び、たちまち本来の武具へと変じる。
後列の騎士たちは剣を抜き放ち、ヴァルカリオン共々の防御と自身の身体強化の魔法を纏わせ、迫り来るものを迎え撃つ体勢を整えていた。
あちこちで、「安心しろ」「何も問題はない」と、生徒たちを落ち着かせる声が聞こえて来る。
森の奥から、木々をなぎ倒す轟音が近づく。
鳥が一斉に飛び立ち、枝葉が弾ける。
直後、前方の木々を揺るがすように土煙が立ち上り、岩のように硬い皮膚をもつストンボアの群れが突進してきた。
グリフォン隊と寮監たちがすぐさま迎え撃つ。前方で、かなりの数のストンボアが剣と槍、魔法で仕留められる。しかし、残りの群れは何故か恐怖に駆られたかのように隊の横合いから駆け抜け、背後へと逃げ去って行った。
「……様子がおかしい」
ルクレールが低く呟き、前を鋭く見据える。
「ストンボアは、何かから逃げている!」
カナードの声が鋭く森に響いた。
地の底からゴゴゴゴッ――という凄まじい音が響いて来る。
同時に、騎士団長が手を上げた。
「――後退っ、いや、その場にとどまり戦闘態勢を維持! これは……、音を立てるな!」
その号令とほぼ同時。
地鳴りと共に激しい振動が大地を揺らしながら、隊列の真下を何かが通り過ぎた。
激震。
ヴァルカリオンたちがいななく。
次の瞬間、
地面が脈動し、裂けた。
土砂を巻き上げながら、巨大な影が隊の最後尾のうしろに土中から姿を現す。
ぬらぬらとした外殻に覆われた巨体――こいつには、見覚えがある。
土煙の中からずるりと這い出し現われたそれは、俺たちを振り返るように首をもたげ、無数の牙に覆われた口腔をぎちぎちと開いた。
「ソルヴォラックス!」
ボンシャンが叫ぶ。
その名が告げられた途端、事態の深刻さを悟った生徒たちの悲鳴が、森の木々を震わせるように一斉に轟いた。
地を割って現れたソルヴォラックスは、かつて数多の時代から討伐の対象とされ続けてきた魔蟲の一種。だが太古に比べ、数は極端に減り、今では滅多に姿を見せない――そのはずだった。
大地の下を自在に駆け、群れをなすこともなく、音に敏感に反応しては地表に飛び出し獲物を丸呑みにする。ただ、頻繁に捕食するわけではない、しかし、一度狙われれば抗うことは困難。
目は見えず、視覚に頼らないその感覚だけが、獲物を察知する手段だ。
さらに陽の光を嫌うため、深い森の影が奴らにとって格好の狩場となる。
ただし、地中では驚くほどの速度を誇るものの、地上に姿を現した時には動きが鈍くなる。その一瞬が、人の側にとって唯一の好機。
「アルチュール……」
覚えず、小声で名を紡いでいた。
原作のスタンピードに現れ、アルチュールを追い詰めたやつだ。
駄目だ、震えるな。落ち着け。
あれはスタンピードの真っ只中だった。だが、今回は違う。
アルチュールはあのとき、一人で飛び込んで行った。今は、リシャールもナタンも、俺も、寮監たちも、数多の騎士たちも居る。
「……怖いのか?」
背後から、低く響く声が肩越しにかかった。
「違う」
「お友達の心配か」
即座に否定した俺を見透かすように、ルクレールが静かに続けた。
彼の名を口にしたのが聞こえていたのだろう。
「前進!」デュボアが強い光を帯びた眼差しを前方へと向ける。「奴は陽光を嫌う! ここは木の陰があるからこそ、今、地上に姿を現している! 前進! 荒野はそこだ! 森を抜けろ! 光の下でなら、奴は長くは地上に留まれん!」
デュボアの第一声の直後、グリフォンに跨る砦の隊士たちが、一斉に動いていた。
彼らは先に仕留めたストンボアの死骸を槍で突き刺し、空中へと飛び上がると渾身の力で放り投げる。
血と土の匂いをまとったその巨躯は弧を描き、ソルヴォラックスの目前へと叩きつけられた。
ぬらつく外殻をくねらせ、魔蟲が耳障りな咆哮を上げる。次いで、その口腔が裂けるように開かれ――ゆっくりと死骸を丸呑みにした。
咀嚼の音が生々しく森を震わせ、生徒たちの顔から血の気が引いていく。
騎士団長も叫ぶ。
「――前進! ファリア・レマルドの遺跡を目指せ! 森を突き抜けよ! 遺跡は魔力防壁に護られている! 結界の内に入れば、奴も手は出せん!」
と同時に、騎士たちが一斉に前進し、森の出口を目指して駆け出した。
「ここからまだスピードを上げる! 全力疾走、いくぞ!」
ルクレールが叫ぶ。
「了解」
俺は短く応え、鐙にかける足に力を込めた。
ドラゴンに空から追われても逃げ切れるほどの俊足を誇るヴァルカリオン――その圧倒的な速度と疲れを知らない持久力が、今ここで俺たちに希望を与えている。
森の出口を目指し、隊列は一斉に疾走を始めた。
枝葉を薙ぎ払いながら、ヴァルカリオンは地を蹴り進む。視界の端で影と光が目まぐるしく流れ去り、耳を打つ風の轟音に心臓がさらに跳ねた。
「多分、もう追っては来ない」
息を切らすでもなく、確信めいた調子で直ぐ背後からルクレールの声が届く。
「だといいけど」
「ストンボアを何匹も丸呑みにしただろう。奴は一度捕食すれば、しばらく土中にもぐって眠る習性がある。下手をすれば、年単位で眠り続ける。だからこそ、見つけ出して駆除するのが困難なんだ」
それは知っている。
だが、スタンピードのときは、そうではなかった。
嫌な予感がする。
「ストンボアの肉は、すこぶる旨い。顔と背の表皮は硬く解体には関節から刃を入れて、とコツがあるんだが……、ファリアの遺跡まで持って行って食いたかった。まさか、あんなやつに横取りされるとはな」
わざと軽口を叩くような調子に、思わず苦笑が漏れそうになる。ルクレールは俺を安心させようとしているのだろう。
やがて木々が途切れ、眩しい光が近づいてくる。
あちこちで安堵の歓声が上がり、張りつめていた空気が一瞬だけ緩む。
森を抜け、荒野へと飛び出した瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。
今のところ、振動も咆哮も聞こえない。陽光の下で奴が追ってくることはあり得ないはず。
けれど、その束の間の静けさは、一瞬にして打ち砕かれる。
背後から、地を抉るような轟音が響く。
「……まさか!」
ルクレールが叫ぶ。
奴がなおも俺たちを追って来ていたのだ。
「隊列変更! ――横隊! 間隔を開けろ!」
騎士団長の号令が荒野に轟き、全員が一斉に手綱を引いた。ヴァルカリオンたちが爆走を続けながら縦の列を崩し、黒狼ガーロンを先頭に横一線へ広がってゆく。
巨大な魔蟲の目を散らし、前進するための布陣。いや、奴は目が見えない。この場合、目を散らし、ではなく地中に伝わる音を横の広範囲に広げ分散させ、狙いを定めにくくする――音源を一方向に集中させない布陣だ。
俺は震える指で手綱を握り直した。
直後、荒野の大地が盛り上がり、砂煙を伴って波打つ。
ヴァルカリオンの前脚が踏み損ねたように揺らいだ。動揺は隊全体に波及し、何頭かのヴァルカリオンが後脚で立ち上がり、甲高い嘶きを上げる。
騎士たちは素早く腕を伸ばし、前に乗せた生徒の体をしっかり抱きとめ、落下を防ぎながらもう片方の手で荒れる手綱を抑え込んだ。
その間も、まるで大地そのものが生き物のように蠢いている。
「まさか、これはソルヴォラックスが全身を震わせて放つ、振動波――」
ルクレールの声に、険しさが混じる。
そんな芸当ができるのは――特殊個体しかいない。
そのわずかな遅滞を突かれる。
ゴゴゴゴッ――という爆音とともに、大地の下を滑るようにソルヴォラックスが前方へ走り抜けて行く。次の瞬間、地表が真っ二つに割れ、荒野の面を突き破るようして、奴は俺の真ん前に姿を現した。
口腔は無数の牙で縁取られ、粘液を滴らせながら天を仰ぐ。パイパーが短く嘶き、怯えたように後ずさった。蹄が土を掻き、俺の体がぐらりと揺れる。
「こいつは目が見えないはずだが……そのせいで、視覚以外の感覚が極端に研ぎ澄まされている。俺の魔眼には、お前の光属性の揺らぎがかすかに視えている。眼帯越しでもだ。……だが、もしかしたら、奴は――それ以上に鮮明に、お前の光を感じ取っているのかもしれない」
ルクレールの低い声が背中越しに響く。
「……ああ、俺も同じことを考えていた。狙いは――俺か?」
全身の毛穴がざわりと逆立った。
「セレーーースーーー!」
アルチュールの叫びが裂けるように届く。リシャールとナタンの声も続き、殿下の担当騎士ロジェ・ラクロワが鋭く背後の男の名を呼んだ。
「ルクレール!」
その呼びかけに応えるように、ルクレールが即座に指示を飛ばす。
「――ロジェ! フォルメシオントレイズ!」
一拍の沈黙を挟み、ラクロワの声が荒野に響いた。
「フォルメシオントレイズ! 生徒を乗せている騎士は、全力前進!」
次の瞬間、隊が一斉に動き出す。
アルチュールが振り返り、必死に俺の名を叫んでいる。
騎士団長と副団長、そして寮監たちとデュランが方向転換し、こちらへ向かってヴァルカリオンを走らせた。
同時に、グリフォンに跨る砦の隊士たちも、荒野を滑空するように飛んで来る。
「ルクレール……今のは、何の合図だ?」
恐怖と疑念を押し隠して問いかけた俺に、彼は一瞬だけ静かな目を向け、次の瞬間、抜身の剣を手に迷いなくパイパーから飛び降りた。
「こういうことだ」
短く言い放ち、彼はパイパーの尻を叩く。
パイパーは嘶き、俺を乗せたまま巨石遺跡『ファリア・レマルドの環』の方向に向かって駆け出した。
「俺がおとりになるってことだ!」
ルクレールの声が大地に轟いた。手に持つ剣が陽光を反射し、孤高に立つ姿は、まるで一振りの刃そのもののようだった。
「来い! このミミズ野郎!!」
振り返った俺の視界に映ったのは、荒野に孤立して立ち向かうルクレールの背中と、牙を剥き出しにして迫る巨大な魔蟲。
胸の奥で何かが爆ぜた。
なにが、お前は守られるだけの存在じゃないだ! なにが俺と肩を並べるにふさわしい相手だ!
なのに――結局は一人でそこに残りやがった。
騎士として、生徒を守るという責務を果たすため。理屈では理解できる。ああ、それが最良の選択なんだろう。けれど、そんなもん素直に納得なんて――、
「できるわけ、ねぇーーだろう! くっっっそ野郎ーーーーーーッ!!」
澄んだ水面に映る鎧と羽毛、そして、ヴァルカリオンたちの勇姿が、淡い木漏れ日を反射して揺れていた。だが、そこにとどまれる時間はわずかで、周囲の仲間と雑談する余裕などなく、皆がそれぞれ装備や騎獣の手入れに忙しい。
俺も手綱の緩みを確認したり、パイパーのたてがみにブラシを入れたり、たわいない作業に集中する。
ルクレールは、蹄鉄のチェックを終えると、鞍や鐙の状態をひとつひとつ点検し、締め直したり革を磨いたりして入念に世話をしていた。
「こうして見ていると……あんたって、本当に騎士なんだな、と思えてくる」
思わず口にすると、しゃがんで作業をしていたルクレールが肩越しに視線を返して来た。
「ヴァルカリオンは、騎士にとっての誇りだからな。俺専属の馬でなくとも、手入れも、扱いも、すべてが任務の一部だ」
俺は黙ってうなずく。
「そろそろ俺が何者か知りたくなったか、セレス」
ルクレールは軽く口元を緩めて言った。
俺は少しだけ声をひそめて答える。
「知りたくない……わけではない……」
するとルクレールは立ち上がり、俺を真正面から見つめ、確かな決意を帯びた声で告げた。
「俺は――テネブリス・ノクターン所属の騎士だ」
無意識に息を呑み、手綱を握る手に力がこもった。
原作本編でその言葉を目にしたことがある。
はかなげで麗しいリシャール受け殿下が乗った馬車が事故に遭う――いや、正確には仕組まれた罠であり、殿下が誘拐されるという一幕だった。
そこで、テネブリス・ノクターンが総力を挙げて探索網を張り巡らせ、敵のアジトがあると思われる森を特定。たまたまその近辺には、陸軍近衛師団四部隊の一つ、ルー・ダルジャン隊が展開していて、伝書使からの急報が入る。その隊には、入隊したばかりのアルチュールの姿があり、彼は仲間とともに直ちに救出に向かった。そして、拘束され媚薬を嗅がされ、弄ばれようとしていた殿下を、間一髪で助け出したのだ。
アルチュールは、理を問うより先に賊徒――リシャールにのしかかっていた人攫いの首を問答無用で容赦なく刎ね飛ばす。半狂乱のまま、あられもない姿で「見るな」と叫ぶ殿下を自らの外套で包み込み、抱きしめる場面は、読み手の胸を強く打つ名場面として記憶に残っている。
あの、闇の騎士、テネブリス・ノクターン。
王直属にして、表に出ることはなく、諜報から討伐、鎮圧に至るまで、いわば国の「公安」や「特殊部隊」のような役割を担う組織。必要とあらば「機動隊」のように前線へ立ち、裏では暗殺すらも辞さない――そんな危険で不可欠な役目を負う者。
隊は小規模な精鋭で構成され、隊員に選ばれるのは極めて難しいとされる。王国を陰から守る近衛師団。
まさか、目の前にいる男が闇の騎士だったとは。
「……王直属が、こんなところでなにやってんだよ」
俺の問いにルクレールは淡く笑みを浮かべ、軽く肩をすくめて言った。
「平時はな、案外暇なんだ。前にリシャールにも言ったが……俺が本当に忙しい時の方が、国にとっては大問題なんだよ」冗談めかしているようで、目の奥に宿る光は冗談ではなかった。「今回、俺は殿下の護衛任務に――そうだな……、志願して随行している」
「……なんだ。俺に会いに来たと言ったのは、やっぱり嘘だったんだな」
「いや」ルクレールは首を振った。「殿下にはすでに任じられた護衛がいる。今の殿下の担当騎士ロジェ・ラクロワが、ノクターンの一人で、俺の仲間だ。本来なら、俺はこの隊の副団長の下に控えて、単独で随行するつもりだったんだが……」
そこで彼はふと視線を逸らし、低く吐き出すように続けた。
「三日前、酒場で――お前の本来の担当騎士モーリスと偶然顔を合わせた。奴は嬉しそうに、「次の学院の課外授業で『銀の君』とペアになった」と言っていた」
ルクレールの口調には僅かな棘が混じっていた。
課外授業の後、生徒と担当騎士の間で手紙のやり取りが交わされ、親密な関係になる例は少なくない、とレオから聞かされた。
「貴族社会では、もとより顔見知りの者同士が多い。中には、あわよくば――と下心を抱いて任務に臨む騎士すらいる。そいつがどういうつもりだったにせよ……俺は、無性に腹が立った」ルクレールは自嘲めいた笑みを浮かべた。「だから前の晩、酒をたっぷり飲ませて眠らせた。そして代わりに俺がお前の『担当騎士』としてここに来た。殿下の護衛なんて口実にすぎない。……単独随行だろうが、担当騎士だろうが、俺は本当に、セレス、お前に会うためにここに来たんだ」
もしも――、
本当にもしも……原作本編のように、アルチュールとリシャールが結ばれる世界だったとしたら……、そうなっていたとしたら俺は、目の前のこの男の差し伸べる手を取っていたのかもしれない。
けれど、それはただの仮定だ。
刹那、ルクレールがふと俺の髪に触れた。指先でそっと毛先をすくい上げ、結んだ組紐を見つめる。
「……これは、あの黒髪の子爵家次男からの贈り物か?」
俺は「……そうだ」と、小さく答える。
どうせ交換していたところを見ていたんだろう。嘘をついて否定したところで、また曖昧に誤魔化したところで、彼には通用しない。ならば、正直に頷く以外、選択肢は残されてはいなかった。
ルクレールは目を細め、少し含みのある笑みを浮かべた。
「……まるで、お前が自分のものだと誇示しているみたいだ」
返す言葉を探しかけた、その時だった。
「総員、鞍へ! 出立用意!!」
低く響くデュボアの号令が、休息の空気を断ち切った。
甲冑の擦れる音、革の軋む音が川辺を満たす。騎獣たちも主に従って立ち上がる。
俺もルクレールも言葉を封じ、共に鞍へと跨がると、再び行軍が始まった。
川辺を離れ、木々の間を進むたび、日差しは枝葉の隙間で揺らぎ、影を落とす。
森の小径を抜ける途中、背後の茂みから小鬼が何体か飛び出したが、グリフォンの翼が一閃し、容易く地へ叩き伏せられた。頭上の枝からは牙を剥いた魔猿の集団が跳びかかったが、砦の兵が放った矢が正確に眉間を射抜き、無言で落下する。
野犬じみた魔獣の群れも、そこそこ大きな熊の魔獣も、騎士たちが放った火の魔弾と水の障壁に阻まれ、散り散りに退いて行った。
いずれも隊列を揺るがすには至らず、ヴァルカリオンたちは歩みを止めることなく淡々と進み続ける。
やがて木々の間から、石造りの建造物の形が次第に姿を現した。日差しを受けた灰色の石組みは、一歩距離を縮めるごとに輪郭を際立たせ、重厚な存在感を増していく。
遺跡はもうすぐそこだ。
そのとき――、
前を行く黒狼ガーロンが鼻をひくつかせ、唸り、足を止めた。
異変を悟った騎士団長が即座に王旗を掲げ、鋭い声を放つ。
「――停止!」
号令に従い、隊列が一斉に動きを止めた。緊張が森を満たす。
「どうした、ガーロン」
デュボアがわずかに手綱を締め、鋭い視線を落とす。
ガーロンは返答するように全身の毛を逆立て、牙を剥いた。
ただならぬ気配を察したのだろう。ボンシャンがヴァルカリオンから軽やかに降り立つと、地面に掌を置く。触れた瞬間、土はふわりと指先にまとわりつき、ボンシャンの手はそのまま手首の上まで土の中へと沈んでいった。
「……何かの群れが来ます。早い!」
その報告と同時に、カナードが両手を天に掲げた。
「――障壁布陣!」
澄んだ声が森を震わせ、眩い結界がぱん、と空気を裂いて前方に広がった。だが、流石のカナードでも、一人で形成する広範囲の障壁は、厚みは十分とはいえず、強化障壁ほどの防御力は期待できそうにない。
生徒たちの間に不安のざわめきが広がった。
「……何が起こっているんだ」
俺が馬上で思わず声を漏らすと、背後からすぐにルクレールの声が落ちてきた。
「心配するな。何のために俺がここにいると思っている」
騎士団長の檄が轟く。
「生徒は身体強化魔法をかけ、生徒を乗せた騎士は、後退せよ!」
騎士たちが慌ただしく手綱を返す。だが、間に合わない。
「そこまで来ています!」
ボンシャンが叫び、地面から手を抜くと、ヴァルカリオンの背に再び身を躍らせた。
「全員――戦闘態勢!」
デュボアの声が場を震わせた。
号令と同時に、砦の隊士たちが障壁の前へと即座に前進し、一斉に腰へと手を伸ばす。そこには魔法で小型化された槍が収められていて、柄を握りベネンに魔力を蓄えた瞬間、眩い光とともにそれらはすらりと伸び、たちまち本来の武具へと変じる。
後列の騎士たちは剣を抜き放ち、ヴァルカリオン共々の防御と自身の身体強化の魔法を纏わせ、迫り来るものを迎え撃つ体勢を整えていた。
あちこちで、「安心しろ」「何も問題はない」と、生徒たちを落ち着かせる声が聞こえて来る。
森の奥から、木々をなぎ倒す轟音が近づく。
鳥が一斉に飛び立ち、枝葉が弾ける。
直後、前方の木々を揺るがすように土煙が立ち上り、岩のように硬い皮膚をもつストンボアの群れが突進してきた。
グリフォン隊と寮監たちがすぐさま迎え撃つ。前方で、かなりの数のストンボアが剣と槍、魔法で仕留められる。しかし、残りの群れは何故か恐怖に駆られたかのように隊の横合いから駆け抜け、背後へと逃げ去って行った。
「……様子がおかしい」
ルクレールが低く呟き、前を鋭く見据える。
「ストンボアは、何かから逃げている!」
カナードの声が鋭く森に響いた。
地の底からゴゴゴゴッ――という凄まじい音が響いて来る。
同時に、騎士団長が手を上げた。
「――後退っ、いや、その場にとどまり戦闘態勢を維持! これは……、音を立てるな!」
その号令とほぼ同時。
地鳴りと共に激しい振動が大地を揺らしながら、隊列の真下を何かが通り過ぎた。
激震。
ヴァルカリオンたちがいななく。
次の瞬間、
地面が脈動し、裂けた。
土砂を巻き上げながら、巨大な影が隊の最後尾のうしろに土中から姿を現す。
ぬらぬらとした外殻に覆われた巨体――こいつには、見覚えがある。
土煙の中からずるりと這い出し現われたそれは、俺たちを振り返るように首をもたげ、無数の牙に覆われた口腔をぎちぎちと開いた。
「ソルヴォラックス!」
ボンシャンが叫ぶ。
その名が告げられた途端、事態の深刻さを悟った生徒たちの悲鳴が、森の木々を震わせるように一斉に轟いた。
地を割って現れたソルヴォラックスは、かつて数多の時代から討伐の対象とされ続けてきた魔蟲の一種。だが太古に比べ、数は極端に減り、今では滅多に姿を見せない――そのはずだった。
大地の下を自在に駆け、群れをなすこともなく、音に敏感に反応しては地表に飛び出し獲物を丸呑みにする。ただ、頻繁に捕食するわけではない、しかし、一度狙われれば抗うことは困難。
目は見えず、視覚に頼らないその感覚だけが、獲物を察知する手段だ。
さらに陽の光を嫌うため、深い森の影が奴らにとって格好の狩場となる。
ただし、地中では驚くほどの速度を誇るものの、地上に姿を現した時には動きが鈍くなる。その一瞬が、人の側にとって唯一の好機。
「アルチュール……」
覚えず、小声で名を紡いでいた。
原作のスタンピードに現れ、アルチュールを追い詰めたやつだ。
駄目だ、震えるな。落ち着け。
あれはスタンピードの真っ只中だった。だが、今回は違う。
アルチュールはあのとき、一人で飛び込んで行った。今は、リシャールもナタンも、俺も、寮監たちも、数多の騎士たちも居る。
「……怖いのか?」
背後から、低く響く声が肩越しにかかった。
「違う」
「お友達の心配か」
即座に否定した俺を見透かすように、ルクレールが静かに続けた。
彼の名を口にしたのが聞こえていたのだろう。
「前進!」デュボアが強い光を帯びた眼差しを前方へと向ける。「奴は陽光を嫌う! ここは木の陰があるからこそ、今、地上に姿を現している! 前進! 荒野はそこだ! 森を抜けろ! 光の下でなら、奴は長くは地上に留まれん!」
デュボアの第一声の直後、グリフォンに跨る砦の隊士たちが、一斉に動いていた。
彼らは先に仕留めたストンボアの死骸を槍で突き刺し、空中へと飛び上がると渾身の力で放り投げる。
血と土の匂いをまとったその巨躯は弧を描き、ソルヴォラックスの目前へと叩きつけられた。
ぬらつく外殻をくねらせ、魔蟲が耳障りな咆哮を上げる。次いで、その口腔が裂けるように開かれ――ゆっくりと死骸を丸呑みにした。
咀嚼の音が生々しく森を震わせ、生徒たちの顔から血の気が引いていく。
騎士団長も叫ぶ。
「――前進! ファリア・レマルドの遺跡を目指せ! 森を突き抜けよ! 遺跡は魔力防壁に護られている! 結界の内に入れば、奴も手は出せん!」
と同時に、騎士たちが一斉に前進し、森の出口を目指して駆け出した。
「ここからまだスピードを上げる! 全力疾走、いくぞ!」
ルクレールが叫ぶ。
「了解」
俺は短く応え、鐙にかける足に力を込めた。
ドラゴンに空から追われても逃げ切れるほどの俊足を誇るヴァルカリオン――その圧倒的な速度と疲れを知らない持久力が、今ここで俺たちに希望を与えている。
森の出口を目指し、隊列は一斉に疾走を始めた。
枝葉を薙ぎ払いながら、ヴァルカリオンは地を蹴り進む。視界の端で影と光が目まぐるしく流れ去り、耳を打つ風の轟音に心臓がさらに跳ねた。
「多分、もう追っては来ない」
息を切らすでもなく、確信めいた調子で直ぐ背後からルクレールの声が届く。
「だといいけど」
「ストンボアを何匹も丸呑みにしただろう。奴は一度捕食すれば、しばらく土中にもぐって眠る習性がある。下手をすれば、年単位で眠り続ける。だからこそ、見つけ出して駆除するのが困難なんだ」
それは知っている。
だが、スタンピードのときは、そうではなかった。
嫌な予感がする。
「ストンボアの肉は、すこぶる旨い。顔と背の表皮は硬く解体には関節から刃を入れて、とコツがあるんだが……、ファリアの遺跡まで持って行って食いたかった。まさか、あんなやつに横取りされるとはな」
わざと軽口を叩くような調子に、思わず苦笑が漏れそうになる。ルクレールは俺を安心させようとしているのだろう。
やがて木々が途切れ、眩しい光が近づいてくる。
あちこちで安堵の歓声が上がり、張りつめていた空気が一瞬だけ緩む。
森を抜け、荒野へと飛び出した瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。
今のところ、振動も咆哮も聞こえない。陽光の下で奴が追ってくることはあり得ないはず。
けれど、その束の間の静けさは、一瞬にして打ち砕かれる。
背後から、地を抉るような轟音が響く。
「……まさか!」
ルクレールが叫ぶ。
奴がなおも俺たちを追って来ていたのだ。
「隊列変更! ――横隊! 間隔を開けろ!」
騎士団長の号令が荒野に轟き、全員が一斉に手綱を引いた。ヴァルカリオンたちが爆走を続けながら縦の列を崩し、黒狼ガーロンを先頭に横一線へ広がってゆく。
巨大な魔蟲の目を散らし、前進するための布陣。いや、奴は目が見えない。この場合、目を散らし、ではなく地中に伝わる音を横の広範囲に広げ分散させ、狙いを定めにくくする――音源を一方向に集中させない布陣だ。
俺は震える指で手綱を握り直した。
直後、荒野の大地が盛り上がり、砂煙を伴って波打つ。
ヴァルカリオンの前脚が踏み損ねたように揺らいだ。動揺は隊全体に波及し、何頭かのヴァルカリオンが後脚で立ち上がり、甲高い嘶きを上げる。
騎士たちは素早く腕を伸ばし、前に乗せた生徒の体をしっかり抱きとめ、落下を防ぎながらもう片方の手で荒れる手綱を抑え込んだ。
その間も、まるで大地そのものが生き物のように蠢いている。
「まさか、これはソルヴォラックスが全身を震わせて放つ、振動波――」
ルクレールの声に、険しさが混じる。
そんな芸当ができるのは――特殊個体しかいない。
そのわずかな遅滞を突かれる。
ゴゴゴゴッ――という爆音とともに、大地の下を滑るようにソルヴォラックスが前方へ走り抜けて行く。次の瞬間、地表が真っ二つに割れ、荒野の面を突き破るようして、奴は俺の真ん前に姿を現した。
口腔は無数の牙で縁取られ、粘液を滴らせながら天を仰ぐ。パイパーが短く嘶き、怯えたように後ずさった。蹄が土を掻き、俺の体がぐらりと揺れる。
「こいつは目が見えないはずだが……そのせいで、視覚以外の感覚が極端に研ぎ澄まされている。俺の魔眼には、お前の光属性の揺らぎがかすかに視えている。眼帯越しでもだ。……だが、もしかしたら、奴は――それ以上に鮮明に、お前の光を感じ取っているのかもしれない」
ルクレールの低い声が背中越しに響く。
「……ああ、俺も同じことを考えていた。狙いは――俺か?」
全身の毛穴がざわりと逆立った。
「セレーーースーーー!」
アルチュールの叫びが裂けるように届く。リシャールとナタンの声も続き、殿下の担当騎士ロジェ・ラクロワが鋭く背後の男の名を呼んだ。
「ルクレール!」
その呼びかけに応えるように、ルクレールが即座に指示を飛ばす。
「――ロジェ! フォルメシオントレイズ!」
一拍の沈黙を挟み、ラクロワの声が荒野に響いた。
「フォルメシオントレイズ! 生徒を乗せている騎士は、全力前進!」
次の瞬間、隊が一斉に動き出す。
アルチュールが振り返り、必死に俺の名を叫んでいる。
騎士団長と副団長、そして寮監たちとデュランが方向転換し、こちらへ向かってヴァルカリオンを走らせた。
同時に、グリフォンに跨る砦の隊士たちも、荒野を滑空するように飛んで来る。
「ルクレール……今のは、何の合図だ?」
恐怖と疑念を押し隠して問いかけた俺に、彼は一瞬だけ静かな目を向け、次の瞬間、抜身の剣を手に迷いなくパイパーから飛び降りた。
「こういうことだ」
短く言い放ち、彼はパイパーの尻を叩く。
パイパーは嘶き、俺を乗せたまま巨石遺跡『ファリア・レマルドの環』の方向に向かって駆け出した。
「俺がおとりになるってことだ!」
ルクレールの声が大地に轟いた。手に持つ剣が陽光を反射し、孤高に立つ姿は、まるで一振りの刃そのもののようだった。
「来い! このミミズ野郎!!」
振り返った俺の視界に映ったのは、荒野に孤立して立ち向かうルクレールの背中と、牙を剥き出しにして迫る巨大な魔蟲。
胸の奥で何かが爆ぜた。
なにが、お前は守られるだけの存在じゃないだ! なにが俺と肩を並べるにふさわしい相手だ!
なのに――結局は一人でそこに残りやがった。
騎士として、生徒を守るという責務を果たすため。理屈では理解できる。ああ、それが最良の選択なんだろう。けれど、そんなもん素直に納得なんて――、
「できるわけ、ねぇーーだろう! くっっっそ野郎ーーーーーーッ!!」
あなたにおすすめの小説
女の子として育てられた身代わりメイド、冷酷公爵に正体を暴かれ執着の檻に閉じ込められる 〜夜に咲く花〜
ひとひら|雨音美月
BL
女の子として育てられたラナには、誰にも言えない秘密があった。
――僕は、男だ。
18歳の冬、没落した一族の罪を贖うため、冷酷な公爵・セヴェランにメイドとして捧げられた。
純白のフリルに身を包み、偽りの乙女を演じ続ける日々。
正体が露見すれば即処刑――薄氷の上を歩くような緊張が、常にラナを縛りつけていた。
しかし、ある穏やかな午後。
その均衡は、あまりにも呆気なく崩れ去る。
逃げ場を失った身体を捕らえられ、隠し続けてきた真実を見抜かれたとき、
氷のように冷え切っていた主従関係は、静かに形を変えた。
「お前は男ですらない。……ただの、私の所有物だ」
突きつけられたのは死ではなく、逃れられない執着。
行き場を失った孤独な存在を囲い込み、決して手放そうとしない絶対的な支配。
偽りの乙女としての時間は終わりを告げ、
ラナは一人の青年として、抗えないほど深く書き換えられていく。
それは救いか、それとも堕落か。
孤独を抱えた二人の魂は、背徳の熱の中で静かに絡み合っていく――。
何も知らない人間兄は、竜弟の執愛に気付かない
てんつぶ
BL
連峰の最も高い山の上、竜人ばかりの住む村。
その村の長である家で長男として育てられたノアだったが、肌の色や顔立ちも、体つきまで周囲とはまるで違い、華奢で儚げだ。自分はひょっとして拾われた子なのではないかと悩んでいたが、それを口に出すことすら躊躇っていた。
弟のコネハはノアを村の長にするべく奮闘しているが、ノアは竜体にもなれないし、人を癒す力しかもっていない。ひ弱な自分はその器ではないというのに、日々プレッシャーだけが重くのしかかる。
むしろ身体も大きく力も強く、雄々しく美しい弟ならば何の問題もなく長になれる。長男である自分さえいなければ……そんな感情が膨らみながらも、村から出たことのないノアは今日も一人山の麓を眺めていた。
だがある日、両親の会話を聞き、ノアは竜人ですらなく人間だった事を知ってしまう。人間の自分が長になれる訳もなく、またなって良いはずもない。周囲の竜人に人間だとバレてしまっては、家族の立場が悪くなる――そう自分に言い訳をして、ノアは村をこっそり飛び出して、人間の国へと旅立った。探さないでください、そう書置きをした、はずなのに。
人間嫌いの弟が、まさか自分を追って人間の国へ来てしまい――
【完結】双子の兄が主人公で、困る
* ゆるゆ
BL
『きらきら男は僕のモノ』公言する、ぴんくの髪の主人公な兄のせいで、見た目はそっくりだが質実剛健、ちいさなことからコツコツとな双子の弟が、兄のとばっちりで断罪されかけたり、 悪役令息からいじわるされたり 、逆ハーレムになりかけたりとか、ほんとに困る──! 伴侶(予定)いるので。……って思ってたのに……!
ふたりの動画をつくりました!
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです!
動画にはAIを使っていますが、小説にはAIを使っておりません
皆さまの応援のおかげで『もふもふ獣人に転生したら、最愛の推しに溺愛されています』書籍化、心から、ありがとうございます!
最弱白魔導士(♂)ですが最強魔王の奥様になりました。
はやしかわともえ
BL
のんびり書いていきます。
2023.04.03
閲覧、お気に入り、栞、ありがとうございます。m(_ _)m
お待たせしています。
お待ちくださると幸いです。
2023.04.15
閲覧、栞、お気に入りありがとうございます。
m(_ _)m
更新頻度が遅く、申し訳ないです。
今月中には完結できたらと思っています。
2023.04.17
完結しました。
閲覧、栞、お気に入りありがとうございます!
すずり様にてこの物語の短編を0円配信しています。よろしければご覧下さい。
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。
★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
記憶を失っている間に推しの婚約者になっていました
由香
BL
事故で記憶を失っていたルカは、ある日突然思い出す。
ここが前世で夢中になっていた恋愛ゲーム世界だということを。
しかも自分は、最推しだった第一王子アルベルトの婚約者になっていた。
甘すぎる距離感。
慣れたように落とされるキス。
そして見え隠れする、王子の重すぎる執着。
忘れていた恋を、もう一度始める貴族学園BL。
猫を追いかけて異世界に来たら、拾ってくれたのは優しい貴族様でした
水無瀬 蒼
BL
清石拓也はある日飼い猫の黒猫・ルナを追って古びた神社に紛れ込んだ。
そこで、御神木の根に足をひっかけて転んでしまう。
倒れる瞬間、大きな光に飲み込まれる。
そして目を覚ましたのは、遺跡の中だった。
体調の悪い拓也を助けてくれたのは貴族のレオニス・アーゼンハイツだった。
2026.1.5〜
【完結】悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
本編完結済です。
もっちもっち感謝祭で、リクエストいただいたお話を更新しています。
皆さまの応援のおかげで『もふもふ獣人に転生したら、最愛の推しに溺愛されています』書籍化、心から、ありがとうございます!
皆の動画をつくりました!
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです!
動画にAIを使っていますが、小説にはAIを使っておりません