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34話 アザレ座の怪人 -2-
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「セレスが、弦の女神……だと?」ネージュが台本を覗き込みながら小さく首をかしげ、声を弾ませて言った。「ちょっと待って! 『アザレ座の怪人』って、これ、転生前の世界の『オペラ座の怪人』に似ている話だろ?」
白い羽が小刻みに震えている。
ネージュには、俺の記憶だけではなく、勿論、元のセレスタンの記憶もそこそこ受け継がれている。なので、彼はこの世界で有名な『アザレ座の怪人』についての知識があるはずだ。
「似てるな。音楽も。ただ、劇場の名前と、ヒロインが歌姫ではなくヴァイオリニストという部分が異なる。……それに、マスクは顔の左側を隠す」
見れば、またネージュがカタカタカタカタと全身を大きく震わせ始めた。
「……セレスがヒロイン……」
「ああ、そうだよ」
「が、画家を! この国で一番の画家を我の元へ呼べ! セレスのドレス姿を描かせるのだ!!」
「……いや、ほんとお前、誰だよ」
「ドレス姿だぞ!? 弦の女神だぞ!? あああああ、絶対に尊い! 魔道写真! 腕の良い写真家を呼べ! そうだっ、ドレス! この国一番のデザイナーを――」
「……いや、だから、ほんとお前、誰だよ」
ネージュは興奮のあまり目を潤ませ、胸にまた羽先を当てている。
「セレスのドレス……、俺が筆を取れれば……! いや、鳥だから無理だ!! なんてもどかしいっ!!」
「取り合えず落ち着け!」
「うっ! アートの波が押し寄せてくる!!」
両手で頭を抱えながら、俺は机に突っ伏した。
「……頼むから、台本の内容を最後まで読ませてくれ」
「読め! 読むんだ! キスシーンの有無を確認しろ!」
「ねえわっ! あったら真っ黒に塗りつぶしてやるっ!!」
「でも、『アザレ座の怪人』のラスト、キスシーンは重要だろう?」
「うっ……」
痛いところを突かれ、言葉に詰まる。ネージュは得意げに羽を広げた。
「どれどれ、配役を見ると、ファントムのエリック役はヴァロンタンか……、ガーゴイル事件で地下に避難したとき、一年の生徒を先導して場を落ち着かせていたな。俺たち伝書使のことも気づかってくれた。見た目も良いが、中身も良い。土属性班の受け臭のする生徒から熱い視線を送られていた」
「よく見てるな」
「俺には、"尊いアンテナ"が初期設定で装着されている。当然だろう」
「なんだよ、それ」
ネージュは胸を張って誇らしげに羽を膨らませた。その姿が妙に可愛いのがまた腹立たしい。
「で、その台本を持って食堂に行ったのなら、アルチュールも殿下もナタンにも、セレスがヒロインを演じるってことは……」
「ああ、言った」
「アルチュール、妬いてなかったか?」
「魔法と勉学の知識はあるが、彼はこういうものに興味のないわんぱく坊主だぞ。内容を知らず、俺が女装すると聞いて目を輝かせていた。殿下とナタンは、直ぐに台本の配役ページを確認していた」
「だろうな……、おっと、ラウル・ド・シャニー子爵の役が双子の兄のマチアス……、弦の女神クリスティーヌの幼なじみで恋人……、セレスと並ぶと受けの花園じゃねえか。これは客席は攻めで賑わうぞ。特にセレスからは段違いの受け臭が漂っているからな」
「元々の原作設定で、俺、攻めだったはずなんだけど……」
「いや、お前ぇさんからは、特別選び抜かれた甘い受け臭がする」
「もう、なにをどう突っ込んだらいいのか分からなくなってきたわ」
「マチアスとセレス、百合百合しいって言ったほうが良かったか?」
「良くねーっ」
勢いで言い返したものの、胸の奥に残ったのは笑いよりもため息だった。
……本当にやるのか、これ。ヒロインで、ドレスで、ヴァイオリンまで。
机の上の台本を見つめながら、思わず呟く。
「……俺、ヴァイオリン弾けるのかな?」
ぼそりと呟いた声に、ネージュが羽を動かす。
「大丈夫だろ、伊丹トキヤは前の世界で琴を弾けたんだから。弦楽器のセンスはあるはず」
「……その情報も知ってたか……」
思わず呟くと、ネージュは軽く羽を震わせて頷いた。
剣道場に通っていた頃、同い年の親友がいた。彼の家に遊びに行くと彼の祖母がよく琴を弾いていて、興味深そうに眺めていた俺にも手ほどきをしてくれた。
その頃の記憶が、ふっとよみがえる。
稽古のあと、道場の裏手にある小道を抜け、その家へ向かう。
夕暮れの畳の上で、白く四角い爪をつけ、琴に向かって斜め四十五度に膝をそろえて座ると、彼の祖母が柔らかい声で言う――「姿勢を正しく」。
爪弾くたびに音が空気に溶け、胸の奥まで静かになっていくのが好きだった。
……もっとも、琴の稽古のあとに出される和菓子が楽しみで通っていたのも、理由の一つではあった。「食べていって」と勧められる食事もとても美味しく、礼儀作法の勉強になると母も喜び、いつしか通うのが日課のようになった。
授業料はきちんと払っていたが、飯代まで出そうとしたときは丁寧に断られ、その代わり、友人がときどき俺の家に遊びに来て、夕飯を共にして帰るようになった――。
「あいつ、とてつもなく頭が良かったな。小学校から別の進学校に通っていて、既に高校生の問題まで解いていた。……山本悠真。今頃、どうしているんだろう」
「ふむ、セレス。なんか、お前、どの世界でも結構、同性からモテるな」
「いや、ちがうだろ」
思わず笑ってしまう。
「……でも、琴とヴァイオリンか……、弦の響かせ方とか、音の余韻とか、似てるといえば似ているのかな……」
そう呟いて、台本の表紙に目を落とす。
『弦の女神』――なんて大層な役だ。
とはいえ、セレスタンの体が覚えているなら、何とかなる……はず。
༺ ༒ ༻
会議の日を挟んで間もなく、ジューン・フェスティバルの準備が、本格的に始まった。
午前中は授業、午後からは各属性班ごとの練習と制作。
水属性班も例外ではなく、舞台の大道具や小道具の確認、音響の調整に追われている。教室も廊下も、どこか浮き立った喧騒に包まれ、学院全体が祭りの色に染まりつつあった。
白い羽が小刻みに震えている。
ネージュには、俺の記憶だけではなく、勿論、元のセレスタンの記憶もそこそこ受け継がれている。なので、彼はこの世界で有名な『アザレ座の怪人』についての知識があるはずだ。
「似てるな。音楽も。ただ、劇場の名前と、ヒロインが歌姫ではなくヴァイオリニストという部分が異なる。……それに、マスクは顔の左側を隠す」
見れば、またネージュがカタカタカタカタと全身を大きく震わせ始めた。
「……セレスがヒロイン……」
「ああ、そうだよ」
「が、画家を! この国で一番の画家を我の元へ呼べ! セレスのドレス姿を描かせるのだ!!」
「……いや、ほんとお前、誰だよ」
「ドレス姿だぞ!? 弦の女神だぞ!? あああああ、絶対に尊い! 魔道写真! 腕の良い写真家を呼べ! そうだっ、ドレス! この国一番のデザイナーを――」
「……いや、だから、ほんとお前、誰だよ」
ネージュは興奮のあまり目を潤ませ、胸にまた羽先を当てている。
「セレスのドレス……、俺が筆を取れれば……! いや、鳥だから無理だ!! なんてもどかしいっ!!」
「取り合えず落ち着け!」
「うっ! アートの波が押し寄せてくる!!」
両手で頭を抱えながら、俺は机に突っ伏した。
「……頼むから、台本の内容を最後まで読ませてくれ」
「読め! 読むんだ! キスシーンの有無を確認しろ!」
「ねえわっ! あったら真っ黒に塗りつぶしてやるっ!!」
「でも、『アザレ座の怪人』のラスト、キスシーンは重要だろう?」
「うっ……」
痛いところを突かれ、言葉に詰まる。ネージュは得意げに羽を広げた。
「どれどれ、配役を見ると、ファントムのエリック役はヴァロンタンか……、ガーゴイル事件で地下に避難したとき、一年の生徒を先導して場を落ち着かせていたな。俺たち伝書使のことも気づかってくれた。見た目も良いが、中身も良い。土属性班の受け臭のする生徒から熱い視線を送られていた」
「よく見てるな」
「俺には、"尊いアンテナ"が初期設定で装着されている。当然だろう」
「なんだよ、それ」
ネージュは胸を張って誇らしげに羽を膨らませた。その姿が妙に可愛いのがまた腹立たしい。
「で、その台本を持って食堂に行ったのなら、アルチュールも殿下もナタンにも、セレスがヒロインを演じるってことは……」
「ああ、言った」
「アルチュール、妬いてなかったか?」
「魔法と勉学の知識はあるが、彼はこういうものに興味のないわんぱく坊主だぞ。内容を知らず、俺が女装すると聞いて目を輝かせていた。殿下とナタンは、直ぐに台本の配役ページを確認していた」
「だろうな……、おっと、ラウル・ド・シャニー子爵の役が双子の兄のマチアス……、弦の女神クリスティーヌの幼なじみで恋人……、セレスと並ぶと受けの花園じゃねえか。これは客席は攻めで賑わうぞ。特にセレスからは段違いの受け臭が漂っているからな」
「元々の原作設定で、俺、攻めだったはずなんだけど……」
「いや、お前ぇさんからは、特別選び抜かれた甘い受け臭がする」
「もう、なにをどう突っ込んだらいいのか分からなくなってきたわ」
「マチアスとセレス、百合百合しいって言ったほうが良かったか?」
「良くねーっ」
勢いで言い返したものの、胸の奥に残ったのは笑いよりもため息だった。
……本当にやるのか、これ。ヒロインで、ドレスで、ヴァイオリンまで。
机の上の台本を見つめながら、思わず呟く。
「……俺、ヴァイオリン弾けるのかな?」
ぼそりと呟いた声に、ネージュが羽を動かす。
「大丈夫だろ、伊丹トキヤは前の世界で琴を弾けたんだから。弦楽器のセンスはあるはず」
「……その情報も知ってたか……」
思わず呟くと、ネージュは軽く羽を震わせて頷いた。
剣道場に通っていた頃、同い年の親友がいた。彼の家に遊びに行くと彼の祖母がよく琴を弾いていて、興味深そうに眺めていた俺にも手ほどきをしてくれた。
その頃の記憶が、ふっとよみがえる。
稽古のあと、道場の裏手にある小道を抜け、その家へ向かう。
夕暮れの畳の上で、白く四角い爪をつけ、琴に向かって斜め四十五度に膝をそろえて座ると、彼の祖母が柔らかい声で言う――「姿勢を正しく」。
爪弾くたびに音が空気に溶け、胸の奥まで静かになっていくのが好きだった。
……もっとも、琴の稽古のあとに出される和菓子が楽しみで通っていたのも、理由の一つではあった。「食べていって」と勧められる食事もとても美味しく、礼儀作法の勉強になると母も喜び、いつしか通うのが日課のようになった。
授業料はきちんと払っていたが、飯代まで出そうとしたときは丁寧に断られ、その代わり、友人がときどき俺の家に遊びに来て、夕飯を共にして帰るようになった――。
「あいつ、とてつもなく頭が良かったな。小学校から別の進学校に通っていて、既に高校生の問題まで解いていた。……山本悠真。今頃、どうしているんだろう」
「ふむ、セレス。なんか、お前、どの世界でも結構、同性からモテるな」
「いや、ちがうだろ」
思わず笑ってしまう。
「……でも、琴とヴァイオリンか……、弦の響かせ方とか、音の余韻とか、似てるといえば似ているのかな……」
そう呟いて、台本の表紙に目を落とす。
『弦の女神』――なんて大層な役だ。
とはいえ、セレスタンの体が覚えているなら、何とかなる……はず。
༺ ༒ ༻
会議の日を挟んで間もなく、ジューン・フェスティバルの準備が、本格的に始まった。
午前中は授業、午後からは各属性班ごとの練習と制作。
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