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75話 イバラ王 -4-
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押し出さない。
力を入れない。
ただ、道を開く。
すると、俺の魔力が、滑らかで穏やかな“引き”に導かれて、ゆるやかにボンシャンへと流れ始めた。
暴発も乱れもない。ボンシャンが見事に流路をつかみ、導いているのがはっきり分かる。
「……そのまま。とても良いです! コルベール君、助かります。これで大丈夫。私の魔力はあともう少しで枯渇しそうでした。翁は枯渇して、今、ポーションを服用し、横になってもらっています。死んだかと思ったら、死んだように眠っていました」
その声は、緊張の底に確かな安堵を含んでいた。
「では──完全治療を始めます」
ボンシャンが深く息を吸い、治癒魔法の真名を唱える。
「トゥレイト=アニマ・リメディウム」
魔法陣が床に展開し、淡い蒼光がルクレールの身体を包む。
「……セレス、魔力量がほんの少し上振れています。気を張らず集中せずリラックスして。寧ろ、頭の中で、好きな食べ物のことでも考えていてくれたらいい」
カナードの的確な指示。
足元の抑制陣が細く震えていた。
「了解。気を付けます」
「大丈夫、そのまま“開度”を一度だけ少し狭めて……。戻りました。今の状態を維持してください」
「分かりました」
ボンシャンのベネンが眩く輝き、治癒魔法陣の光が何倍にも膨れ上がった。
「これは……見事だ。魔力量の配分を考えずに治癒魔法が使える!」
ルクレールの見える範囲に刻まれていた深い傷痕が、まるで逆巻く煙のように消え、呼吸が、わずかに深まった。
「コルベール君、ありがとう。これで完璧に峠は越えました。さあ、恋愛問題の複合災害、節操崩壊の優美なる獣が戻って来ますよ!」
「……お二人とも、ルクレールを『獣』呼びするんですね」
「当たり前でしょう」
「当然です」
二人が同時に頷く。
「学院時代、彼は一部の生徒から 『赤い豹カミュエル』 と呼ばれていましたよ。大型ネコ科に見えませんか?」
ボンシャンが肩をすくめてほほ笑んだ。
カミュエル――「赤い豹」という通り名を持つ戦いの大天使。
破壊の軍勢を率いる戦の権能を持ちながら、その名は“神を見る者”、あるいは“神を捜し求める者”を意味する。
火を象徴する存在ともされ、ルクレールには妙に似つかわしい異名だった。
ボンシャンとカナードは、微かに目尻を緩めて俺へと視線を向けた。
「コルベール君、よくこんな獣を手懐けましたね」
「セレスタン、よくこんな獣を手懐けましたね」
「二人して俺のこと、猛獣使いみたいに言わないでください!」
光が渦を巻き、ルクレールの胸元へ吸い込まれるように収束していく。
「……では、そろそろ魔力の流れを止めます。セクタ・フルム」
続けて、共鳴を断ち切るための終端詠唱がボンシャンの口から紡がれる。
「ディシ・コンコルディア──共鳴の調べ、ここに終息せよ」
二人のベネンの振動が、ゆっくりと同調を外して静まり返った。
「……最後に、魔力の流路を閉じます」
ボンシャンが静かに囁くように呪文を紡いだ。
「コルベール君、呪文は、カシェ・ラントゥマンです。続けて」
「はい。カシェ・ラントゥマン」
俺のベネンの“開き”が、そっと閉じていく感覚。
わずかに残っていた魔力の細流が切れ、完全な静寂が戻った。
「手を放しても大丈夫ですよ。……あなたからいただいた魔力が、いま私の中で飽和に近いほど満ちています。ここから先は、私一人で“仕上げ”に入ります」
ボンシャンは深く息を吸い、片手をルクレールの胸上へかざした。彼の掌から放たれる光は、先ほどまでの激しい輝きとは異なり、静謐で、揺らぎのない“完成の光”だった。
「……オプス・フィナリス──癒しの理よ、結実せよ」
低く、落ち着いた声。その響きに呼応するように、展開されていた陣の最外周がふわりと波打ち、一枚の薄い膜がルクレールの肉体を包み込む。
光が肌へ沈み、血管へ染み込み、骨の芯へ流れ込むように、深く、深く沈潜していく。
やがて、ボンシャンのベネンの光が穏やかに明滅し、それきり、ふっと静かに落ち着いた。
「……終わりました。あとは、彼自身の力で目を覚ますだけで――」
ボンシャンが言い終わる直前だった。
ルクレールの身体が、強く、大きく息を吸い込んだ。
「……っ……は……!」
「ルクレール!!」
俺は思わず駆け寄り前のめりにベッドへ手をついた。
ルクレールのまぶたが、重い扉を押し上げるようにゆっくりと開く。
焦点の合わない赤と藍色の瞳が揺れ、天井を彷徨い――それから、俺を見つけた。
「……セ、レ……?」
ひどくかすれた声。
次の瞬間、ルクレールは眉をひそめ、苦しげに息を吐いた。
「……俺は……死んだのか……?」
「なんでだよっ! 人の顔見て、縁起の悪いこと言うなっ!」
胸の奥のつかえが弾け、思わず素の物言いが出た。
ルクレールは瞬きをし、ぼんやりと俺を眺め、「……だって……目を覚まして……俺のベッドに……お前が居るわけ、ないだろ……。居るとしたら、いつも見ている夢か、……死んだ後に、願望を神がかなえてくれる天国だろ……」と言った。
「夢でも天国でもない。ここは、病院! っていうか、勝手に夢の中に俺を出すんじゃないっ!」
ルクレールはゆっくりと視線をめぐらせ、やっと周囲の光景を理解したらしい。
その口角が、かすかに持ち上がった。
「……ああ……病院……か……。じゃあ……生きてる……んだな……」
胸が詰まる。
力を入れない。
ただ、道を開く。
すると、俺の魔力が、滑らかで穏やかな“引き”に導かれて、ゆるやかにボンシャンへと流れ始めた。
暴発も乱れもない。ボンシャンが見事に流路をつかみ、導いているのがはっきり分かる。
「……そのまま。とても良いです! コルベール君、助かります。これで大丈夫。私の魔力はあともう少しで枯渇しそうでした。翁は枯渇して、今、ポーションを服用し、横になってもらっています。死んだかと思ったら、死んだように眠っていました」
その声は、緊張の底に確かな安堵を含んでいた。
「では──完全治療を始めます」
ボンシャンが深く息を吸い、治癒魔法の真名を唱える。
「トゥレイト=アニマ・リメディウム」
魔法陣が床に展開し、淡い蒼光がルクレールの身体を包む。
「……セレス、魔力量がほんの少し上振れています。気を張らず集中せずリラックスして。寧ろ、頭の中で、好きな食べ物のことでも考えていてくれたらいい」
カナードの的確な指示。
足元の抑制陣が細く震えていた。
「了解。気を付けます」
「大丈夫、そのまま“開度”を一度だけ少し狭めて……。戻りました。今の状態を維持してください」
「分かりました」
ボンシャンのベネンが眩く輝き、治癒魔法陣の光が何倍にも膨れ上がった。
「これは……見事だ。魔力量の配分を考えずに治癒魔法が使える!」
ルクレールの見える範囲に刻まれていた深い傷痕が、まるで逆巻く煙のように消え、呼吸が、わずかに深まった。
「コルベール君、ありがとう。これで完璧に峠は越えました。さあ、恋愛問題の複合災害、節操崩壊の優美なる獣が戻って来ますよ!」
「……お二人とも、ルクレールを『獣』呼びするんですね」
「当たり前でしょう」
「当然です」
二人が同時に頷く。
「学院時代、彼は一部の生徒から 『赤い豹カミュエル』 と呼ばれていましたよ。大型ネコ科に見えませんか?」
ボンシャンが肩をすくめてほほ笑んだ。
カミュエル――「赤い豹」という通り名を持つ戦いの大天使。
破壊の軍勢を率いる戦の権能を持ちながら、その名は“神を見る者”、あるいは“神を捜し求める者”を意味する。
火を象徴する存在ともされ、ルクレールには妙に似つかわしい異名だった。
ボンシャンとカナードは、微かに目尻を緩めて俺へと視線を向けた。
「コルベール君、よくこんな獣を手懐けましたね」
「セレスタン、よくこんな獣を手懐けましたね」
「二人して俺のこと、猛獣使いみたいに言わないでください!」
光が渦を巻き、ルクレールの胸元へ吸い込まれるように収束していく。
「……では、そろそろ魔力の流れを止めます。セクタ・フルム」
続けて、共鳴を断ち切るための終端詠唱がボンシャンの口から紡がれる。
「ディシ・コンコルディア──共鳴の調べ、ここに終息せよ」
二人のベネンの振動が、ゆっくりと同調を外して静まり返った。
「……最後に、魔力の流路を閉じます」
ボンシャンが静かに囁くように呪文を紡いだ。
「コルベール君、呪文は、カシェ・ラントゥマンです。続けて」
「はい。カシェ・ラントゥマン」
俺のベネンの“開き”が、そっと閉じていく感覚。
わずかに残っていた魔力の細流が切れ、完全な静寂が戻った。
「手を放しても大丈夫ですよ。……あなたからいただいた魔力が、いま私の中で飽和に近いほど満ちています。ここから先は、私一人で“仕上げ”に入ります」
ボンシャンは深く息を吸い、片手をルクレールの胸上へかざした。彼の掌から放たれる光は、先ほどまでの激しい輝きとは異なり、静謐で、揺らぎのない“完成の光”だった。
「……オプス・フィナリス──癒しの理よ、結実せよ」
低く、落ち着いた声。その響きに呼応するように、展開されていた陣の最外周がふわりと波打ち、一枚の薄い膜がルクレールの肉体を包み込む。
光が肌へ沈み、血管へ染み込み、骨の芯へ流れ込むように、深く、深く沈潜していく。
やがて、ボンシャンのベネンの光が穏やかに明滅し、それきり、ふっと静かに落ち着いた。
「……終わりました。あとは、彼自身の力で目を覚ますだけで――」
ボンシャンが言い終わる直前だった。
ルクレールの身体が、強く、大きく息を吸い込んだ。
「……っ……は……!」
「ルクレール!!」
俺は思わず駆け寄り前のめりにベッドへ手をついた。
ルクレールのまぶたが、重い扉を押し上げるようにゆっくりと開く。
焦点の合わない赤と藍色の瞳が揺れ、天井を彷徨い――それから、俺を見つけた。
「……セ、レ……?」
ひどくかすれた声。
次の瞬間、ルクレールは眉をひそめ、苦しげに息を吐いた。
「……俺は……死んだのか……?」
「なんでだよっ! 人の顔見て、縁起の悪いこと言うなっ!」
胸の奥のつかえが弾け、思わず素の物言いが出た。
ルクレールは瞬きをし、ぼんやりと俺を眺め、「……だって……目を覚まして……俺のベッドに……お前が居るわけ、ないだろ……。居るとしたら、いつも見ている夢か、……死んだ後に、願望を神がかなえてくれる天国だろ……」と言った。
「夢でも天国でもない。ここは、病院! っていうか、勝手に夢の中に俺を出すんじゃないっ!」
ルクレールはゆっくりと視線をめぐらせ、やっと周囲の光景を理解したらしい。
その口角が、かすかに持ち上がった。
「……ああ……病院……か……。じゃあ……生きてる……んだな……」
胸が詰まる。
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