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93話 シルエット家領地へ -14-
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「……巣?」
俺がそう呟くと、アルチュールは短く頷いた。
「この洞窟の周辺で、こういうものを作る種はいない。少なくとも……通常は」
その声音には、断定と同時に、領地を預かる者特有の警戒が滲んでいた。
俺もその横にしゃがみ込み、巣の周囲を注意深く観察する。
苔と獣毛が絡み合ったその中心部。
指先でそっと掻き分けた瞬間、微かに光を反射するものが見えた。
――オレンジ色。
「……アルチュール、これ?」
指でつまみ上げて見せると、彼の目が一瞬だけ細められる。
「……多分、ムース・レザールのだな」
「苔トカゲ……か」
体長は二十から三十センチほどの小型爬虫類。
温暖で湿り気のある環境を好み、知能は高くないが、巣作りの本能が強い。卵や幼体を守るため、苔や獣毛、小枝を集めて巣を作る習性がある。
主な餌は昆虫で、性質は極めて温厚。人や他の生物を害することはない。
魔力も微量なため、魔物として扱われることはなく、魔力防壁にも弾かれない。
アルチュールが、小さく肩をすくめた。
「……こいつら、とにかく不味い。酸っぱくて、まともに調理してもどうにもならない」
「……食べたのか?」
「子供の頃にな。焼いて食べてみたら、その場で転げ回るほど酸っぱかった。」
思わず、口元が緩んだ。
今は、こんなにかっこいいアルチュールも、ちゃんと子供だったんだな。
「そのとき一緒に居たら、俺、横で笑い転げてたわ」
「三日くらい、舌の両端がビリビリ痺れて……何を食べても味が分からなかったんだ」
「そんなにかよ……」
まあ――だからこそ、弱くても生き残ってきたのだろう。
シルエット領地は、管理が行き届いている。
大型の魔物が入り込む余地はなく、危険度の高い種は、防壁と巡回によって早い段階で排除されてきた。
だが――弱い種は、話が別だ。
無害で役に立たず、食べても美味くない。
そんな生き物たちは、わざわざ追い払われることもなく、気づけば静かに森に根を下ろしている。
もっとも――
「問題は、気候だな」
アルチュールは巣から視線を外し、洞窟の奥へと目を向ける。
「ムース・レザールが好むのは、春先から夏くらいの気温。氷室洞窟のあるこの辺りは……本来、適温じゃない」
「でも、実際にいる」
「ああ」
一拍置いて、彼は静かに続けた。
「兄――ロベールが言っていた。最近、氷室の洞窟北西で、暖かい場所を好む種が巣を作っている、と」
点と点が、静かにつながる。
この辺りに入り込んできているのは、凶暴な魔物ではない。
温暖な土地を好む、無害な小動物たち。
今までは、気温が合わず、そもそも近寄ることすらできなかった。
――それが、ここにいる。
つまり。
「この周辺……以前より、温度が上がっているとか?」
俺がそう言うと、アルチュールは小さく頷いた。
「ノアールを“眠らせておく”環境としては……好ましくなくなっている可能性がある」
洞内から流れ出す冷気は、確かにまだ感じられる。
しかし、苔トカゲの巣は、静かに異変を告げていた。
俺は巣の状態を改めて観察する。
苔はまだ瑞々しく、獣毛も風化していない。作られてから、そう時間は経っていないはずだ。
その様子を確認すると、アルチュールは拡張バッグに手を伸ばした。
中から取り出されたのは、革表紙の束――丁寧に紐でまとめられた資料だった。
「この一帯の記録だ」
受け取って開くと、そこには年代順に整理された記述が並んでいる。
洞窟内部に生息する微生物や苔類、外縁部で確認された小動物、植物相の変化。気温、地温。
そして――この世界独自の、龍脈《エリオス》と呼ばれる、地下を流れる自然魔力の経路。
銀糸のような線で描かれた図が、ページの中央を走っている。
それは、かつての流れと、現在の観測結果とを重ねたものだった。
「……ずれているな」
「ああ。ごくわずかだが、確実に」俺は資料を閉じ、顔を上げた。「周辺の範囲を決めよう。外縁から洞内まで、気温と地温を測定しながら進む」
アルチュールは短く頷く。
「ノアールの状態は、マルセルたちが三日に一度、様子を見てくれている。今のところ、大きな変化は見られないが……」
「一度、魔力を氷の中に流して、内部を測定してもいいかもしれないな」
「ああ」
俺たちは簡易測定具を取り出し、アルチュールが火魔法で灯りを灯しながら、洞窟へと足を踏み入れた。
一歩進むごとに、ひんやりとした空気が濃くなる――はずだった。
だが、数値は正直だ。
外縁部、内部、そのどちらも、過去の記録より、高い。
「……やっぱり、上がってる」
「氷室としては、致命的ではないが……無視はできないな」
俺は膝をつき、地面にそっと魔力を流す。
エリオス――地下を巡るはずの穏やかな流れは、微かに歪み、ところどころで偏りを見せていた。
「流れが……乱れてる」
言葉を選びながら、俺は立ち上がる。
視線を上げると、アルチュールはすでにこちらを見ていた。
「……アルチュール。このまま様子を見る、って選択肢もある。でも……」
一度、息を整える。
「もし、氷室の環境が今後短期間で変わるかもしれないというデータが取れたら――俺たちが、ここで判断しなきゃいけなくなる」
彼の表情が、わずかに引き締まる。
「ノアールを、このまま眠らせておくか、それとも――治癒と、魂の定着を同時に行う。使い魔として迎えるための儀式を……前倒しでやる可能性も……。心づもりだけは、しておいてほしい。選ぶのは、俺じゃない。アルチュール、お前だから……。俺は、隣にいる。どんな判断でも、支える」
俺がそう呟くと、アルチュールは短く頷いた。
「この洞窟の周辺で、こういうものを作る種はいない。少なくとも……通常は」
その声音には、断定と同時に、領地を預かる者特有の警戒が滲んでいた。
俺もその横にしゃがみ込み、巣の周囲を注意深く観察する。
苔と獣毛が絡み合ったその中心部。
指先でそっと掻き分けた瞬間、微かに光を反射するものが見えた。
――オレンジ色。
「……アルチュール、これ?」
指でつまみ上げて見せると、彼の目が一瞬だけ細められる。
「……多分、ムース・レザールのだな」
「苔トカゲ……か」
体長は二十から三十センチほどの小型爬虫類。
温暖で湿り気のある環境を好み、知能は高くないが、巣作りの本能が強い。卵や幼体を守るため、苔や獣毛、小枝を集めて巣を作る習性がある。
主な餌は昆虫で、性質は極めて温厚。人や他の生物を害することはない。
魔力も微量なため、魔物として扱われることはなく、魔力防壁にも弾かれない。
アルチュールが、小さく肩をすくめた。
「……こいつら、とにかく不味い。酸っぱくて、まともに調理してもどうにもならない」
「……食べたのか?」
「子供の頃にな。焼いて食べてみたら、その場で転げ回るほど酸っぱかった。」
思わず、口元が緩んだ。
今は、こんなにかっこいいアルチュールも、ちゃんと子供だったんだな。
「そのとき一緒に居たら、俺、横で笑い転げてたわ」
「三日くらい、舌の両端がビリビリ痺れて……何を食べても味が分からなかったんだ」
「そんなにかよ……」
まあ――だからこそ、弱くても生き残ってきたのだろう。
シルエット領地は、管理が行き届いている。
大型の魔物が入り込む余地はなく、危険度の高い種は、防壁と巡回によって早い段階で排除されてきた。
だが――弱い種は、話が別だ。
無害で役に立たず、食べても美味くない。
そんな生き物たちは、わざわざ追い払われることもなく、気づけば静かに森に根を下ろしている。
もっとも――
「問題は、気候だな」
アルチュールは巣から視線を外し、洞窟の奥へと目を向ける。
「ムース・レザールが好むのは、春先から夏くらいの気温。氷室洞窟のあるこの辺りは……本来、適温じゃない」
「でも、実際にいる」
「ああ」
一拍置いて、彼は静かに続けた。
「兄――ロベールが言っていた。最近、氷室の洞窟北西で、暖かい場所を好む種が巣を作っている、と」
点と点が、静かにつながる。
この辺りに入り込んできているのは、凶暴な魔物ではない。
温暖な土地を好む、無害な小動物たち。
今までは、気温が合わず、そもそも近寄ることすらできなかった。
――それが、ここにいる。
つまり。
「この周辺……以前より、温度が上がっているとか?」
俺がそう言うと、アルチュールは小さく頷いた。
「ノアールを“眠らせておく”環境としては……好ましくなくなっている可能性がある」
洞内から流れ出す冷気は、確かにまだ感じられる。
しかし、苔トカゲの巣は、静かに異変を告げていた。
俺は巣の状態を改めて観察する。
苔はまだ瑞々しく、獣毛も風化していない。作られてから、そう時間は経っていないはずだ。
その様子を確認すると、アルチュールは拡張バッグに手を伸ばした。
中から取り出されたのは、革表紙の束――丁寧に紐でまとめられた資料だった。
「この一帯の記録だ」
受け取って開くと、そこには年代順に整理された記述が並んでいる。
洞窟内部に生息する微生物や苔類、外縁部で確認された小動物、植物相の変化。気温、地温。
そして――この世界独自の、龍脈《エリオス》と呼ばれる、地下を流れる自然魔力の経路。
銀糸のような線で描かれた図が、ページの中央を走っている。
それは、かつての流れと、現在の観測結果とを重ねたものだった。
「……ずれているな」
「ああ。ごくわずかだが、確実に」俺は資料を閉じ、顔を上げた。「周辺の範囲を決めよう。外縁から洞内まで、気温と地温を測定しながら進む」
アルチュールは短く頷く。
「ノアールの状態は、マルセルたちが三日に一度、様子を見てくれている。今のところ、大きな変化は見られないが……」
「一度、魔力を氷の中に流して、内部を測定してもいいかもしれないな」
「ああ」
俺たちは簡易測定具を取り出し、アルチュールが火魔法で灯りを灯しながら、洞窟へと足を踏み入れた。
一歩進むごとに、ひんやりとした空気が濃くなる――はずだった。
だが、数値は正直だ。
外縁部、内部、そのどちらも、過去の記録より、高い。
「……やっぱり、上がってる」
「氷室としては、致命的ではないが……無視はできないな」
俺は膝をつき、地面にそっと魔力を流す。
エリオス――地下を巡るはずの穏やかな流れは、微かに歪み、ところどころで偏りを見せていた。
「流れが……乱れてる」
言葉を選びながら、俺は立ち上がる。
視線を上げると、アルチュールはすでにこちらを見ていた。
「……アルチュール。このまま様子を見る、って選択肢もある。でも……」
一度、息を整える。
「もし、氷室の環境が今後短期間で変わるかもしれないというデータが取れたら――俺たちが、ここで判断しなきゃいけなくなる」
彼の表情が、わずかに引き締まる。
「ノアールを、このまま眠らせておくか、それとも――治癒と、魂の定着を同時に行う。使い魔として迎えるための儀式を……前倒しでやる可能性も……。心づもりだけは、しておいてほしい。選ぶのは、俺じゃない。アルチュール、お前だから……。俺は、隣にいる。どんな判断でも、支える」
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