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98話 シルエット家領地へ -19-
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「抵抗、なし」
むしろ、安心したように。
次の瞬間、ノアールの姿は消え、バングルの中央の碧の魔石に光点が宿った。
「……成功です」
アルチュールの息が、ようやく緩む。
《まだだ》とデュボアの声。
《シルエット君。使い魔を呼び出してみなさい》
翁が続けた。
アルチュールは一度、深く息を吸い、バングルに掌を当てる。
「来い、ノアール」
呼びかけは短く、明確だった。
バングルの刻印が淡く光り、空気が一瞬だけ歪む。黒い影が輪郭を取り戻し――ノアールが、そこにいた。
毛並みは艶を帯び、瞳ははっきりとアルチュールを捉えている。
一歩、二歩。
確かな足取りで近づき、鼻先を彼の胸に押し当てた。
アルチュールは、腕を伸ばしノアールを抱き締める。
大きな体を包み込むように。強く、しかし震えを抑えたまま。
「……おかえり」
ノアールの尾が、ゆっくりと床を打つ。
氷室の緊張が、最後の一糸までほどけた、そのときだった。
「完了です」
《成功だ! 魂位の定着、循環安定。使い魔契約、完全成立》
デュボアの声が、静かに響いた。
《うむ。文句なしだ》翁も満足げに続けた。《見事だったよ、二人とも》
奇石通信の向こうで、堰を切ったように声が重なる。
《やったぁぁ!》
《成功! 成功だ! やったな。俺は信じていたぞ!》
《お見事です!》
ネージュの弾んだ声に、ノクスとカリュストの歓声が重なった。
《おめでとう、アルチュール!》
《学院に戻ったら、ノアールに会わせくれよな!》
《ノアールという名前からして、我々と同じ見事な漆黒の毛並みをお持ちなのでしょう》
《俺は白だけどなー》
アルチュールは少し照れたように息を吐き、腕の中のノアールの首元を軽く叩いて俺を見詰めた。
「ノアール」低く、穏やかな声。「彼はセレスだ。……お前を、ここまで連れ戻してくれた人だ」
ノアールは、俺のほうを見た。近づき、くん、と匂いを嗅ぐ。
次の瞬間、尻尾がぱたんぱたんと嬉しそうに激しく地面を打った。
オオカミ犬というのは、もっと警戒心が強い生き物だと思っていた。
群れの外の相手には距離を取り、心を許すのは基本的にただ一人の主だけ。
少なくとも初対面の相手にこの距離の詰め方――どう考えても想定外なんだが……。
濡れた鼻が、俺の手に押しつけられる。
さらに一歩、距離を詰めてきて、喉の奥で甘えるように低く鳴いた。
《ほらなー》
その声を聞き取って、ネージュが楽しそうに割り込んだ。
《ノアール、セレスはな、お前の主の最愛の人だ。全身からアルチュールの匂いがするだろ?》
「ワン!」
はっきりとした一声。
「ネージュ! 妙な言い方をしないでくれ!」
思わず声が上ずる。
《ほぉん……? ……お前たち、付き合っているのか……?》
翁が間の抜けた声を出した。
《情報が遅いですよ、翁》即座にデュボア。《生徒たちには広まっていませんが、教師陣には周知の事実です》
分かってはいた。
ロジェの弟ニコラを救出したあと、ボンシャン寮監を含む大勢の前で、アルチュールがあんな真似をしたのだ。教師陣や立ち会っていた人たちに知られているのは、覚悟というより、もう仕方のない話。
それでも。
こうして改めて、はっきりと言葉にされると、どうにも、いたたまれない。
翁は一拍置き、しみじみと続けた。
《そうか……うん、仲が良いな。若いな。いいことだ……。ヴィクターにも、早く良い人が――》
《そういうことを言うと、もう、俺の部屋で酒は飲ませませんよ! 俺が独り身だからって、しょっちゅう来て、俺の作った酒を飲めると思っているでしょう》
《ちょ、待て。お前とデュラン合作の季節ごとの薬草と果実の酒が美味すぎるんだ! それを私から取り上げるのは酷だろう!? あれがないと……、あれがないと……、そうだっ、また干からびるぞ!》
翁が慌てる。
いや、干からびる、って脅しになるのか?
……まあ、それはさておき。
デュラン副官とデュボア寮監が作った酒なんて、美味いに決まってるじゃないか。なんだよ、それ。
今の俺は十八歳。
このワンジェ王国では十六で成人、酒が許されるのは十八から。条件は満たしている。
もっとも、寮内では学生は一律で飲酒禁止。この点は、どうしようもない。
休日であっても翌日に授業がある場合は、節度を守れという規則付き。
――ルクレールは寮内飲酒禁止すら守っていたとは思えないけど。
よし、今度、二人に聞いてみるか。実家で飲むので、少量だけ分けてもらえませんか、と。
転生前も酒は嗜む程度だったし、量はいらない。味の分かる酒を、静かに飲めれば、それでいい。
《はいはい》デュボアは呆れたように息をついた。《……しかし、本当に良かったな》
相手からは見えないのは分かっていながらも、アルチュールは深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。本当に。皆さんのおかげです」
《うんうん。いいな、若いな。ボンシャンのように拗らせないように、お互い、良い相手に恵まれたんだな。今後も仲良くな》
翁が朗らかに言う。
「はい」
アルチュールは即答し、――そして、続けてしまった。
「実は、ここへ来る前に、セレスタンに婚約を申し込んで了承をもらいました」
……いや、ちょっと待って!
今、それ言う必要ある?
《えぇぇぇぇ!? ――エンダァァァアアア~♪ イアァァァ~♪》
奇石通信の向こうで、ネージュが絶叫――いや、完全に絶唱した。
……いや、それ、『私はあなたの進む道の妨げになるだけ。だから行かなきゃ。でもずっと好き。ずっと好きでいるよ。バイバイ、泣かないで』って内容の歌なんですけど……。
というか、この世界でそのネタ通じるのか!?
と、そのとき。
俺とアルチュールの背後で、複数人の気配と慌ただしい音が聞こえた。
「ヴァロアさーーーーん!! うわぁっ!」ジュールの悲鳴が響く。「ちょっ……今の話を聞いて、ヴァロアさんが、膝から崩れ落ちましたーーっ!」
……そういえば。
猟が終わったら洞窟に来る、と言っていたな。
氷室に、収拾のつかない余韻が広がった。
アルチュールはノアールを抱いたまま、困ったように、しかし幸せそうに笑っていた。
ノアールはそんな彼の腕の中で、満足げに喉を鳴らしていた。
むしろ、安心したように。
次の瞬間、ノアールの姿は消え、バングルの中央の碧の魔石に光点が宿った。
「……成功です」
アルチュールの息が、ようやく緩む。
《まだだ》とデュボアの声。
《シルエット君。使い魔を呼び出してみなさい》
翁が続けた。
アルチュールは一度、深く息を吸い、バングルに掌を当てる。
「来い、ノアール」
呼びかけは短く、明確だった。
バングルの刻印が淡く光り、空気が一瞬だけ歪む。黒い影が輪郭を取り戻し――ノアールが、そこにいた。
毛並みは艶を帯び、瞳ははっきりとアルチュールを捉えている。
一歩、二歩。
確かな足取りで近づき、鼻先を彼の胸に押し当てた。
アルチュールは、腕を伸ばしノアールを抱き締める。
大きな体を包み込むように。強く、しかし震えを抑えたまま。
「……おかえり」
ノアールの尾が、ゆっくりと床を打つ。
氷室の緊張が、最後の一糸までほどけた、そのときだった。
「完了です」
《成功だ! 魂位の定着、循環安定。使い魔契約、完全成立》
デュボアの声が、静かに響いた。
《うむ。文句なしだ》翁も満足げに続けた。《見事だったよ、二人とも》
奇石通信の向こうで、堰を切ったように声が重なる。
《やったぁぁ!》
《成功! 成功だ! やったな。俺は信じていたぞ!》
《お見事です!》
ネージュの弾んだ声に、ノクスとカリュストの歓声が重なった。
《おめでとう、アルチュール!》
《学院に戻ったら、ノアールに会わせくれよな!》
《ノアールという名前からして、我々と同じ見事な漆黒の毛並みをお持ちなのでしょう》
《俺は白だけどなー》
アルチュールは少し照れたように息を吐き、腕の中のノアールの首元を軽く叩いて俺を見詰めた。
「ノアール」低く、穏やかな声。「彼はセレスだ。……お前を、ここまで連れ戻してくれた人だ」
ノアールは、俺のほうを見た。近づき、くん、と匂いを嗅ぐ。
次の瞬間、尻尾がぱたんぱたんと嬉しそうに激しく地面を打った。
オオカミ犬というのは、もっと警戒心が強い生き物だと思っていた。
群れの外の相手には距離を取り、心を許すのは基本的にただ一人の主だけ。
少なくとも初対面の相手にこの距離の詰め方――どう考えても想定外なんだが……。
濡れた鼻が、俺の手に押しつけられる。
さらに一歩、距離を詰めてきて、喉の奥で甘えるように低く鳴いた。
《ほらなー》
その声を聞き取って、ネージュが楽しそうに割り込んだ。
《ノアール、セレスはな、お前の主の最愛の人だ。全身からアルチュールの匂いがするだろ?》
「ワン!」
はっきりとした一声。
「ネージュ! 妙な言い方をしないでくれ!」
思わず声が上ずる。
《ほぉん……? ……お前たち、付き合っているのか……?》
翁が間の抜けた声を出した。
《情報が遅いですよ、翁》即座にデュボア。《生徒たちには広まっていませんが、教師陣には周知の事実です》
分かってはいた。
ロジェの弟ニコラを救出したあと、ボンシャン寮監を含む大勢の前で、アルチュールがあんな真似をしたのだ。教師陣や立ち会っていた人たちに知られているのは、覚悟というより、もう仕方のない話。
それでも。
こうして改めて、はっきりと言葉にされると、どうにも、いたたまれない。
翁は一拍置き、しみじみと続けた。
《そうか……うん、仲が良いな。若いな。いいことだ……。ヴィクターにも、早く良い人が――》
《そういうことを言うと、もう、俺の部屋で酒は飲ませませんよ! 俺が独り身だからって、しょっちゅう来て、俺の作った酒を飲めると思っているでしょう》
《ちょ、待て。お前とデュラン合作の季節ごとの薬草と果実の酒が美味すぎるんだ! それを私から取り上げるのは酷だろう!? あれがないと……、あれがないと……、そうだっ、また干からびるぞ!》
翁が慌てる。
いや、干からびる、って脅しになるのか?
……まあ、それはさておき。
デュラン副官とデュボア寮監が作った酒なんて、美味いに決まってるじゃないか。なんだよ、それ。
今の俺は十八歳。
このワンジェ王国では十六で成人、酒が許されるのは十八から。条件は満たしている。
もっとも、寮内では学生は一律で飲酒禁止。この点は、どうしようもない。
休日であっても翌日に授業がある場合は、節度を守れという規則付き。
――ルクレールは寮内飲酒禁止すら守っていたとは思えないけど。
よし、今度、二人に聞いてみるか。実家で飲むので、少量だけ分けてもらえませんか、と。
転生前も酒は嗜む程度だったし、量はいらない。味の分かる酒を、静かに飲めれば、それでいい。
《はいはい》デュボアは呆れたように息をついた。《……しかし、本当に良かったな》
相手からは見えないのは分かっていながらも、アルチュールは深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。本当に。皆さんのおかげです」
《うんうん。いいな、若いな。ボンシャンのように拗らせないように、お互い、良い相手に恵まれたんだな。今後も仲良くな》
翁が朗らかに言う。
「はい」
アルチュールは即答し、――そして、続けてしまった。
「実は、ここへ来る前に、セレスタンに婚約を申し込んで了承をもらいました」
……いや、ちょっと待って!
今、それ言う必要ある?
《えぇぇぇぇ!? ――エンダァァァアアア~♪ イアァァァ~♪》
奇石通信の向こうで、ネージュが絶叫――いや、完全に絶唱した。
……いや、それ、『私はあなたの進む道の妨げになるだけ。だから行かなきゃ。でもずっと好き。ずっと好きでいるよ。バイバイ、泣かないで』って内容の歌なんですけど……。
というか、この世界でそのネタ通じるのか!?
と、そのとき。
俺とアルチュールの背後で、複数人の気配と慌ただしい音が聞こえた。
「ヴァロアさーーーーん!! うわぁっ!」ジュールの悲鳴が響く。「ちょっ……今の話を聞いて、ヴァロアさんが、膝から崩れ落ちましたーーっ!」
……そういえば。
猟が終わったら洞窟に来る、と言っていたな。
氷室に、収拾のつかない余韻が広がった。
アルチュールはノアールを抱いたまま、困ったように、しかし幸せそうに笑っていた。
ノアールはそんな彼の腕の中で、満足げに喉を鳴らしていた。
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