腐男子♥異世界転生

よしの と こひな

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97話 シルエット家領地へ -18-

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 俺は、掌を氷柱へ向けて掲げたまま、呼吸をひとつ落とした。
 魔力の流れを沈め、脈拍と同期させる。

 ――氷結術式の解除は、力任せに行わず、温度を上げるのではなく位相をずらします。
 ボンシャンの言葉が、脳裏に浮かぶ

「グラキエス・ソルウェ・コンセンス――力ではなく、調和によって氷結を解除せよ」

 低く唱えた瞬間、ボレアス位の刻印が反応した。
 氷柱の表面を走っていた結晶構造が、音もなく“ほどけて”いく。
 氷が、氷であることをやめていく瞬間――。
 内部に封じ込められていた魔力の残滓が、白い霧となって滲み出した。

「氷結位相、解除開始。結晶構造、崩壊ではなく解体を確認」

 奇石通信越しに、俺は淡々と報告する。

 ――しばしの沈黙ののち、

《経過を続けろ》
 デュボアの声が低く響く。
「ボレアス位、正常反応。冷却残留あり。氷眠解除、第一工程進行中」
《今の速度を保て。急ぐな。氷眠解除は、臓器より先に魂位相からだ》

 俺は小さく頷き、次の詠唱へ移る。

「レショフ・フェーズ・アン――再温化、第一段階」

 ルクス位の刻印が、淡く明滅。
 氷柱の内側で、微細な光が揺れる。

「レショフ・フェーズ・ドゥ――再温化、第二段階」

 まるで夜明け前、閉じた瞼の裏に差し込む、最初の光のよう。

「レショフ・フフェーズ・フィナル――再温化、最終段階」

 氷の表層が、水へと変わる。滴は音を立てず、床に触れる前に蒸散した。

「表層融解確認。内部凍結、維持」

 ノアールの輪郭が、ゆっくりと浮かび上がる。
 黒い毛並みはまだ硬いが、硬直は確実に解け始めていた。

《心拍、来るぞ》翁の声が、わずかに鋭くなる。《コルベール君、準備したまえ》

「了解」

 俺は即座に、ヴィータリス位へ魔力を流した。

「シルキュラシオン・アクティヴ――循環、起動」

 刻印が、脈打つように応える。
 生命が本来持つ、内側からの温度を上げていく。
 氷柱が、静かに崩れ落ちた。

 床に横たわるノアールの胸が、一度、ぴくりと動く。

「心拍反応、確認」

 ……二拍。
 間。
 三拍目が、わずかに早く打った。

「自発心拍、三拍目確認。律動、不安定」

《まだです》翁が制する。《冷凍睡眠明けは反射が暴れる。ここからが本番ですよ》

「了解。治癒工程へ完全移行」

 俺は、掌をノアールの胸骨上へかざす。

「魂位治癒処置、トゥレイト=アニマ・リメディウム!」

 唱え終えた途端、ノアールの身体の下に魔法陣が展開した。
 地面に刻まれるのは、円環と位相記号。魂位と肉体位を同時に扱うための複合陣。
 淡い蒼光が、静かに立ち上る。
 それは炎のように揺らがず、水のように流れもせず、ただ、確かな秩序をもってノアールの身体を包み込んでいく。
 毛並みの一本一本、皮膚の奥、骨格の隙間へと、光が“染み込む”ように行き渡っていくのがわかった。

 ――あのとき、ルクレールも、同じ光に包まれていた。

「オプス・フィナリス――癒しの理よ、結実せよ」

 魔力が、奔流となって流れ込む。

 肉体の修復。
 神経伝達の再同期。
 魂位相の再定着。

 術式は、すでに思考を離れて自走していた。
 心拍数が、はっきりと上昇する。

 ――ドクン。
 ――ドク、ドク。

 氷眠から引き上げられる意識が、深海から浮上するように戻ってくる。
 ノアールの喉が、かすかに鳴った。

「……大丈夫だ」

《よし》翁の声が、静かに緩む。《今だ。シルエット君、契約へ移りなさい》

 氷室の空気が、一瞬だけ張り詰める。
 完成形の一瞬が、確かにそこにあった。
 アルチュールは、ヴィータリス位から一歩踏み出し、俺と視線を合わせた。

「……セレス」低く、しかしはっきりとした声。「先に礼を言う。ありがとう」
 俺は首を横に振り、ほんの少しだけ口角を上げた。
「またあとで、二人っきりの時にゆっくりと聞かせてくれ。俺は、ここからは見届け役だ」

 アルチュールは頷き、ノアールの前に膝をつく。
 両掌を胸の前で重ね、ゆっくりと開いた。
 ヴィータリス位の刻印が、応じるように脈動する。
 彼の掌のベネンが、循環を引き寄せ円環状の魔法陣を空中に描き出した。

「アニマ・コンセンサス――魂の調和を」

 アルチュールの声が、氷室に静かに響く。

「我が名はアルチュール・ド・シルエット。汝、ノアール。我が生命の循環に入り、共に在れ」

 魔法陣が、ノアールの身体を包んだ。光は淡く拒絶はない。

「契約位相、安定」と俺は即座に報告する。「揺らぎ、なし。完全に受容しています」

 アルチュールは、左腕のバングルに視線を落とし、そこに掌のベネンを当てる。

 使い魔の収納形式にはいくつかの型がある。
 契約媒体となるアクセサリーの内部に契約位相として収める方式。
 あるいは、使い魔自身が装身具や衣類へと姿を変える方式――ガーロンやザイロンが用いるものがそれだ。
 アルチュールは、前者。
 ノアールは、このバングルを依代として休眠する。

「紐づけを開始する」

 バングルの内側に刻まれた符号が起動する。
 光が収束し、ノアールの身体が、ゆっくりと粒子化していく。
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