112 / 114
112話 帰還 -2-
しおりを挟む
「……え」
一瞬、静止。
「エルは既に彼氏気取り……、いえ、これは夫気取りですね……、坊ちゃま」
苦笑混じりにそう言ったのは、マルセルだった。その視線はダンサーではなく、すぐ傍らに立つアルチュールへと向けられている。
アルチュールは、眉根を寄せてわずかにため息をついた。
「エルの羽で飾られたセレスはとても綺麗だが……、文句のつけようはないんだが、どうしても素直に喜べない……複雑な気分だな」
「しかし、器用ですね……」
ナタンが純粋に感心したように呟き、「似合ってるよ、セレス。とても美しい」とリシャールが完璧な笑みを浮かべて言った。
その横で、ルクレールは無言のまま口を引き結び、視線を逸らす。
剣を収めた後の騎士というより、静かに負けを認めた男の顔だった。
「……鳥に敗北感を覚えたのは、さすがに初めてだ」
いや、待って。そこまで深刻になることか、これ……。
横目で見ていたジュールが、肩を震わせている。
唇を噛み、視線を床に落とし、必死に笑いを飲み込んでいた。
俺は、そっと指先で羽に触れる。
「……なかなか、いかしたことしてくれるじゃないか」
そう言うと、ダンサーは片目をすがめたあと、羽をふわりと広げて一歩下がった。
そんなダンサーを優しい目で見つめながら、マルセルはしゃがみ込んで視線を合わせた。
「……元気でいるんですよ、エル。ちゃんと食べて、ちゃんと休んで……。それから、入っちゃ駄目って言われた場所には、近づかないこと。これから行くのは学院です。勉強している人がたくさんいる場所ですから、静かに、ですよ。邪魔をしないように。あとですね……セレスさまも、私と同じでカピカピに乾いたゲッコーは召し上がりませんからね。間違っても、プレゼントなんてしちゃ駄目ですよ」
一瞬、ダンサーが、ぴたりと固まった。
そして、「えっ? 食べないのか?」とでも言いたげに、口を開けて目を丸くする。
「乾いてなくても食べませんからね! 捕まえて貯め込まないように」
「……貰ったことあるんですね、マルセルさん?」
思わず俺がそう訊くと、どこか遠い目をしてマルセルは頷いた。
「はい……。助けたお礼に、後日、頂きました……」
「マルセル。虫もいらないって、ちゃんと言っておいてくれ」
横から、アルチュールが真顔で追撃する。
その後、マルセルは思い付く限りの注意事項を、指折り数えながら淡々と言い聞かせた。
ダンサーは、その一つ一つを逃すまいとするように聞き、最後に一度だけ、こくりと頷く。
「ホームシックになったら、いつでも連絡をください。迎えに行きますから。それじゃあ……行ってきなさい」
ダンサーが胸を張り羽を整えると、マルセルは小さく笑って何も言わずに立ち上がった。
扉が静かに閉まり、御者の声がかかる。
次の瞬間、馬車はシルエット家の人々に見守られながら、ゆっくりと動き出した。
༺ ༒ ༻
ほどなくして、街道の景色がなだらかに後ろへ溶けていった。
夏の風は穏やかで、タイヤを巻いた車輪の音さえ子守歌のように一定だ。石畳の継ぎ目も柔らかく受け流す。走っているというより、まるで滑るよう。
さすがはサスペンション、路面からの衝撃や振動を吸収してくれる装置なだけあって、車内は驚くほど快適です。
しかし、それが仇となったのか――。
昨夜の晩餐で少々飲み過ぎたこと、加えて今朝は早起きだったことも重なったのだろう。
ジュールは出発してほどなく、背もたれに身を預けたまま、すっかり眠りに落ちていた。
首がかくりと前に倒れ、また戻り、やがて完全に動かなくなる。
行きの道中は、何かと物珍しく、誰かが話し誰かが笑い、車内も自然と賑やかだった。
対して帰路では、沈黙が気まずさではなく、心地よさへと変わる。
緊張がほどけたあとの安堵が、静かに広がる頃合い。
旅の、あるあるだな。
「……しかし、こいつ……自分が殿下の護衛ってこと、忘れてるな……」
呆れたように言ったのは、向かいに座るルクレールだった。
「赤い豹、カミュエルが居るから、すっかり安心してるんじゃないのか?」
俺がそう返すと、ルクレールは一瞬きょとんとし、それから小さく笑った。
「俺のこと、ちゃんと評価してくれてるんだな、セレス」
「そりゃあな」
俺は軽く肩をすくめる。
一瞬、静止。
「エルは既に彼氏気取り……、いえ、これは夫気取りですね……、坊ちゃま」
苦笑混じりにそう言ったのは、マルセルだった。その視線はダンサーではなく、すぐ傍らに立つアルチュールへと向けられている。
アルチュールは、眉根を寄せてわずかにため息をついた。
「エルの羽で飾られたセレスはとても綺麗だが……、文句のつけようはないんだが、どうしても素直に喜べない……複雑な気分だな」
「しかし、器用ですね……」
ナタンが純粋に感心したように呟き、「似合ってるよ、セレス。とても美しい」とリシャールが完璧な笑みを浮かべて言った。
その横で、ルクレールは無言のまま口を引き結び、視線を逸らす。
剣を収めた後の騎士というより、静かに負けを認めた男の顔だった。
「……鳥に敗北感を覚えたのは、さすがに初めてだ」
いや、待って。そこまで深刻になることか、これ……。
横目で見ていたジュールが、肩を震わせている。
唇を噛み、視線を床に落とし、必死に笑いを飲み込んでいた。
俺は、そっと指先で羽に触れる。
「……なかなか、いかしたことしてくれるじゃないか」
そう言うと、ダンサーは片目をすがめたあと、羽をふわりと広げて一歩下がった。
そんなダンサーを優しい目で見つめながら、マルセルはしゃがみ込んで視線を合わせた。
「……元気でいるんですよ、エル。ちゃんと食べて、ちゃんと休んで……。それから、入っちゃ駄目って言われた場所には、近づかないこと。これから行くのは学院です。勉強している人がたくさんいる場所ですから、静かに、ですよ。邪魔をしないように。あとですね……セレスさまも、私と同じでカピカピに乾いたゲッコーは召し上がりませんからね。間違っても、プレゼントなんてしちゃ駄目ですよ」
一瞬、ダンサーが、ぴたりと固まった。
そして、「えっ? 食べないのか?」とでも言いたげに、口を開けて目を丸くする。
「乾いてなくても食べませんからね! 捕まえて貯め込まないように」
「……貰ったことあるんですね、マルセルさん?」
思わず俺がそう訊くと、どこか遠い目をしてマルセルは頷いた。
「はい……。助けたお礼に、後日、頂きました……」
「マルセル。虫もいらないって、ちゃんと言っておいてくれ」
横から、アルチュールが真顔で追撃する。
その後、マルセルは思い付く限りの注意事項を、指折り数えながら淡々と言い聞かせた。
ダンサーは、その一つ一つを逃すまいとするように聞き、最後に一度だけ、こくりと頷く。
「ホームシックになったら、いつでも連絡をください。迎えに行きますから。それじゃあ……行ってきなさい」
ダンサーが胸を張り羽を整えると、マルセルは小さく笑って何も言わずに立ち上がった。
扉が静かに閉まり、御者の声がかかる。
次の瞬間、馬車はシルエット家の人々に見守られながら、ゆっくりと動き出した。
༺ ༒ ༻
ほどなくして、街道の景色がなだらかに後ろへ溶けていった。
夏の風は穏やかで、タイヤを巻いた車輪の音さえ子守歌のように一定だ。石畳の継ぎ目も柔らかく受け流す。走っているというより、まるで滑るよう。
さすがはサスペンション、路面からの衝撃や振動を吸収してくれる装置なだけあって、車内は驚くほど快適です。
しかし、それが仇となったのか――。
昨夜の晩餐で少々飲み過ぎたこと、加えて今朝は早起きだったことも重なったのだろう。
ジュールは出発してほどなく、背もたれに身を預けたまま、すっかり眠りに落ちていた。
首がかくりと前に倒れ、また戻り、やがて完全に動かなくなる。
行きの道中は、何かと物珍しく、誰かが話し誰かが笑い、車内も自然と賑やかだった。
対して帰路では、沈黙が気まずさではなく、心地よさへと変わる。
緊張がほどけたあとの安堵が、静かに広がる頃合い。
旅の、あるあるだな。
「……しかし、こいつ……自分が殿下の護衛ってこと、忘れてるな……」
呆れたように言ったのは、向かいに座るルクレールだった。
「赤い豹、カミュエルが居るから、すっかり安心してるんじゃないのか?」
俺がそう返すと、ルクレールは一瞬きょとんとし、それから小さく笑った。
「俺のこと、ちゃんと評価してくれてるんだな、セレス」
「そりゃあな」
俺は軽く肩をすくめる。
25
あなたにおすすめの小説
異世界で目覚めたら、もふもふ騎士団に保護されてました ~ちびっ子だけど、獣人たちの平穏のためお世話係がんばります!!~
ありぽん
ファンタジー
神のミスで命を落とした芽依は、お詫びとして大好きな異世界へ転生させてもらえることに。だが転生の際、またしても神のミスで、森の奥地に幼女の姿で送られてしまい。転生の反動で眠っていた瞳は、気づかないうちに魔獣たちに囲まれてしまう。
しかしそんな危機的状況の中、森を巡回していた、獣人だけで構成された獣騎士団が駆け付けてくれ、芽依はどうにかこの窮地を切り抜けることができたのだった。
やがて目を覚ました芽依は、初めは混乱したものの、すぐに現状を受け入れ。またその後、同じ種族の人間側で保護する案も出たが、ある事情により、芽依はそのまま獣騎士団の宿舎で暮らすことに。
そこで芽依は、助けてくれた獣騎士たちに恩を返すため、そして日々厳しい任務に向かう獣人たちが少しでも平穏に過ごせるようにと、お世話係を買って出る。
そんな芽依に、当初は不安だった獣人たちだったが、元気で明るい瞳の存在は、次第に獣人たちの力となっていくのだった。
これはちびっ子転生者の芽依が、獣人や魔獣たちのために奮闘し、癒しとなっていく。そんな、ほっこりまったり? な物語。
幻獣保護センター廃棄処理係の私、ボロ雑巾のような「ゴミ幻獣」をこっそり洗ってモフっていたら、実は世界を喰らう「終焉の獣」だった件について
いぬがみとうま🐾
ファンタジー
「魔力なしの穀潰し」――そう蔑まれ、幻獣保護センターの地下で廃棄幻獣の掃除に明け暮れる少女・ミヤコ。
実のところ、その施設は「価値のない命」を無慈悲に殺処分する地獄だった。
ある日、ミヤコの前に運ばれてきたのは、泥と油にまみれた「ボロ雑巾」のような正体不明の幻獣。
誰の目にもゴミとしか映らないその塊を、ミヤコは放っておけなかった。
「こんなに汚れたままなんて、かわいそう」
彼女が生活魔法を込めたブラシで丹念に汚れを落とした瞬間、世界を縛る最凶の封印が汚れと一緒に「流されてしまう。
現れたのは、月光を纏ったような美しい銀狼。
それは世界を喰らうと恐れられる伝説の災厄級幻獣『フェンリル・ヴォイド』だった……。
【大至急】誰でもいいので、魔王からの求婚を穏便に断る方法を教えてください。
志子
BL
魔王(美形でめっちゃピュア)×聖職者(平凡)のお話。
聖女の力を持っている元孤児ロニーは教会で雑用をこなす日々。そんなロニーの元に一匹の黒猫が姿を現し、いつしかロニーの小さな友人となった。
注意)性的な言葉と表現があります。
異世界転生してBL漫画描いてたら幼馴染に迫られた
はちも
BL
異世界転生した元腐男子の伯爵家三男。
病弱設定をうまく使って、半引きこもり生活を満喫中。
趣味と実益を兼ねて、こっそりBL漫画を描いていたら──
なぜか誠実一直線な爽やか騎士の幼馴染にバレた!?
「……おまえ、俺にこうされたいのか?」
そんなわけあるかーーーっ!!
描く側だったはずの自分が、いつの間にか翻弄される立場に。
腐男子貴族のオタ活ライフ、まさかのリアル発展型BLコメディ!
穏やかに生きたい(隠れ)夢魔の俺が、癖強イケメンたちに執着されてます。〜平穏な学園生活はどこにありますか?〜
春凪アラシ
BL
「平穏に生きたい」だけなのに、
癖強イケメンたちが俺を狙ってくるのは、なぜ!?
トラブルを避ける為、夢魔の血を隠して学園生活を送るフレン(2年)。
彼は見た目は天使、でも本人はごく平凡に過ごしたい穏健派。
なのに、登校初日から出会ったのは最凶の邪竜後輩(1年)!?
他にも幼馴染で完璧すぎる優等生騎士(3年)に、不良だけど面倒見のいい悪友ワーウルフ(同級生)まで……なぜか異種族イケメンたちが次々と接近してきて――
運命の2人を繋ぐ「刻印制度」なんて知らない!
恋愛感情もまだわからない!
それでも、騒がしい日々の中で、少しずつ何かが変わっていく。
個性バラバラな異種族イケメンたちに囲まれて、フレンの学園生活は今日も波乱の予感!?
甘くて可笑しい、そして時々執着も見え隠れする
愛され体質な主人公の青春ファンタジー学園BLラブコメディ!
毎日更新予定!(番外編は更新とは別枠で不定期更新)
基本的にフレン視点、他キャラ視点の話はside〇〇って表記にしてます!
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
-----------------------------------------
0時,6時,12時,18時に2話ずつ更新
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
隊長さんとボク
ばたかっぷ
BL
ボクの名前はエナ。
エドリアーリアナ国の守護神獣だけど、斑色の毛並みのボクはいつもひとりぼっち。
そんなボクの前に現れたのは優しい隊長さんだった――。
王候騎士団隊長さんが大好きな小動物が頑張る、なんちゃってファンタジーです。
きゅ~きゅ~鳴くもふもふな小動物とそのもふもふを愛でる隊長さんで構成されています。
えろ皆無らぶ成分も極小ですσ(^◇^;)本格ファンタジーをお求めの方は回れ右でお願いします~m(_ _)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる