水守の手《ホラー・BL風味》

よしの こひな

文字の大きさ
1 / 2

前編

しおりを挟む
 私の家は、代々『水守(みもり)』の家系でございます。

 神社でも寺でもございません。けれども、昔から水にまつわる仕事や祭事を担って生きてまいりました。
 井戸の清掃、用水路の管理、雨乞いや水神様への祈祷。
 いまどきの感覚では信じがたいような習わしも、祖父母の代までは、実際に執り行われていたそうです。

 周囲からは『[ruby=すいりゅうおんみょうじ]水流陰陽師[/ruby]』などと、冗談めかして呼ばれておりました。

 令和の今となっては、父が地元の浄水場で働いている程度のことで、「ちょっと変わった家族ですね」と笑われるくらいには、色濃い因習も色あせつつあります。

 ……とは申せ、我が家の内部では、未だにいくつかの『[ruby=きんき]禁忌[/ruby]』がございます。

 井戸に物を落としてはならない。
 夜の蛇口はむやみに捻るな。
 一人で入る風呂は湯船で西を背にしてはならない――。

 例えば、風呂については、曾祖母がこう言っておりました。
 仏教では「西方浄土」と申しますように、西は死者が辿り着く『彼岸』の方角とされております。
 「西というのは、死者が水辺を渡り、還る方角。だから風呂の湯船で西を背にするというのは、[ruby=みもり]水守[/ruby]の者が、死者の通り道に背を向けて無防備になるということなのです。私たちは、、水神様のお力を借りて、この世に居てはいけない者たちを三途の川まで導き、あの世へ送り出す役目も負ってきました。見送ったみんなが感謝してくれるわけじゃない。ときに、恨みを持ったまま去る者もいる……。だからこそ、『通り道』には背を向けるな、っていうのよ。いつ、誰が戻って来るか分からないのですから」と。

 子供の頃は、どれも迷信だと思っておりました。
 けれど、よくわからぬまま頷いていた曾祖母の言葉が、大人になった今では、どこか胸に引っかかって離れないのです。

 私自身、幼いころから人より少しばかり『水』に敏感なところがございました。
 夏の盛り、夕立のあとに背筋をひやりと這う気配。
 誰もいない水場で、ふと感じる視線。
 そういったことを、誰にも話さず心の奥にしまってきたのです。

 けれど、三年前のある夜の出来事が、私の考えを根底から覆しました。



 それは、幼馴染だった友人の四十九日を間近に控えた夏の夜のこと。
 私は久しぶりに実家へ帰省しておりました。

 一言でいえば、彼の死因は、川での転落死。 大学のサークル仲間と訪れた渓谷の淵で足を滑らせ、濁流にのまれたのです。

 私はその場に、いませんでした。 けれど、いなかったことが、かえって罪のように私自身を責めていたのです。

 「もしかして──あいつは、私の代わりに流されたのではないか」
 そんな思いすら、心を掠めました。
 根拠などありません。ただ、ふとそんな考えが頭のすみをよぎるのでした。

 彼は、誰よりも私をよく見てくれていました。
 私の些細な変化にもすぐに気づくような人でした。

 たとえば、ある年の夏祭り。大人たちの人混みに酔って体調を崩した私に気付き、水を買ってきてくれたのは、彼でした。
 自転車で転んで膝を擦りむいたときも、公園の水道で傷口を洗ってくれたのは彼でした。

 私は、彼が『幼馴染』で『友人』であることを何の疑いもなく信じていました。
 けれど、もしかしたら……彼の側[ruby=・]にも[/ruby]また、私に伝えられない想いがあったのかもしれません。

 彼から向けられる視線は、ときおり私の頬や首筋に戸惑いのような光を宿していた気がするのです。
 それを見ないふりをしたのは、私だったのかもしれません。



 夜も更け、就寝の時刻をとうに過ぎても、私は眠ることができませんでした。
 網戸越しに聴こえる[ruby=よぜみ]夜蝉[/ruby]の声は、いつもよりもどこか粘ついたように耳にまとわりつき、重く感じました。
 廊下の灯りが襖の隙間から漏れるのも、熱を帯びているかのようで、部屋の空気は、湿り気を帯びてぬるく感じられたのです。

 明かりをつけず、私は台所へと足を運びました。
 喉を潤すため、コップを手に取ったとき、どこかでふと、誰かの視線を感じた気がしました。

 気のせいだと笑い、蛇口をひねり、水を注ぐ――。キッチンのシンクは東向きで、西を背にして立つことになる。そのとき私はまさに、死者の通り道に背を向けていたのです。

 そのときでございます。

 水に、違和感を覚えたのです。

 それは、ぬるい……、明らかにぬるかったのです。

 真夏の深夜、地下水を引いているこの台所の水は、例年なら指が痺れるほどではなくとも、冷たいはずなのです。
 ところが、その夜に限って、妙に体温に近い温度をしていたのです。

 流れる音が遅れて届く。
 まるで、どこか別の場所から水が引かれてきているような、そんな感覚――。
 いや、それよりも……。

 私は気づきました。水を受け止めていたはずのコップが、いつの間にか、手の中から滑り落ちていたことに。

 パシャ……ン。

 水音が、夜の静けさに異様なほど鮮明に響きました。

 しかし、それで終わりではなかったのです。

 床に広がったはずの水が、流れずにそこに『留まっている』――。それどころか、やがてそれは、ゆっくりと『形』を持ち始めました。

 腕、手のひら、肩……。
 人の上半身のような形を成したそれは、床から立ち上がろうとしながら、私の方へと這い寄ってまいりました。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

洒落にならない怖い話【短編集】

鍵谷端哉
ホラー
その「ゾワッ」は、あなたのすぐ隣にある。 意味が分かると凍りつく話から、理不尽に追い詰められる怪異まで。 隙間時間に読める短編ながら、読後の静寂が怖くなる。 洒落にならない実話風・創作ホラー短編集。

「お前のカメラ、ずっと映ってるよ」〜ホラースポット配信者が気づいた時には、もう遅かった〜

まさき
ホラー
ホラースポット専門のYouTuber・桐島悠は、霊も怪異も一切信じない合理主義者だ。 ある廃病院での配信中、今まで感じたことのない「違和感」を覚えた。しかし撮影は無事終了。その後も普通に配信を続け、あの夜のことなど忘れかけていた頃——深夜、金縛りにあう。 疲れてるだけだ。 しかし、それは始まりに過ぎなかった。 記憶の空白。知らない足跡。動画に毎回映り込む、同じ女の姿。そして——「やっと、見つけた」という声。 カメラが映し続けていたのは、心霊スポットではなかった。もっとずっと、近いところにいるものだった。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

(ほぼ)5分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

意味がわかると怖い話

邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き 基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。 ※完結としますが、追加次第随時更新※ YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*) お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕 https://youtube.com/@yuachanRio

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

処理中です...