【完結】淫魔ファウヌス、シスター・マリエッタを溺愛する。

ヲ。

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07 シスター・マリエッタ、淫魔ファウヌスと朝食をとる。



 朝、目覚めたら赤い瞳がこちらを見つめていた。
 小さな窓から差し込む細い朝日を受けて輝く瞳は、まるで赤い宝石みたいだ。とってもきらきらしていてきれい。

「おはよう、マリエッタ」

 低くて甘い声が名前を呼んで、薄い唇が額に押し当てられた。やわらかくてくすぐったい。思わず笑ったら、すぐ傍にある唇も笑みの形になった。それから、長くしなやかな腕できゅっと抱きしめられる。
 ずっとぽわぽわとした感覚が抜けない。お腹の中が甘いなにかで満たされて、体がぽかぽかと温かく感じる。
 このまま、もう一度眠ったらきっとしあわせな気分になるんだろうな。
 うっとりとそんなことを思いながら、一度目を閉じた。
 すぐにバネのように飛び起きる。

「…………?!」
「あはは、マリエッタはあんまり寝起きが良くないのか? それとも、ゆっくり眠れたのか? だったらいいけれど」

 改めて隣で眠っていた人物を見る。
 淫魔ファウヌス。
 銀の髪、赤い瞳のすこぶる美しい容姿の男。悪魔。でもなぜかとっても親切でやさしくしてくれる。
 ファウヌスはうっとりとしたまなざしをこちらに向けて、マリエッタの黒髪の先を指先で弄んでいる。

「体は大丈夫か? どこかへんなところはないか? 痛いところは?」
「えっと……」

 昨日は、そう。調査で森に入って、巨大マンドラゴラに襲われて。

 それから、それから──

 全身が羞恥に赤くなっていくのを感じる。自分の姿を改めて確認したら、全裸だった。ちなみに、ファウヌスも少なくとも上半身は裸だ。それはそう。

 だって、昨夜は、あんな。あんなコトに──!

「ああ、毒のせいで記憶が怪しいか? 大丈夫、指だけで最後まではしていない。あくまで、毒の症状を緩和しただけだ」

 ファウヌスが落ち着いた声で説明してくれて、ようやくほっと胸をなでおろした。それから、あわててシーツを被る。引っ張ったシーツの先、ファウヌスはちゃんとボトムを身に着けていた。

「あ、あの……ありがとうございます。いろいろ……」

 いろいろ。
 思い出して全身から火が出そうだ。

 だってわたし、自分からいっぱいしてって、おねだりしました……!

 シスターなのに! 神の女なのに! いくら魔草の毒と淫魔の唾液でおかしくなっていても、姦淫に耽るなんて……!

 「……大丈夫だ、マリエッタ。お前は魔草と俺の毒でおかしくなっていただけだ。それでも最後まではしてないんだ。姦淫の罪には入らないさ」

 ファウヌスは慰めるようにマリエッタの頭をなでて、額に唇を押し当ててくる。
 なぜシスターたる自分が悪魔に慰められているのだろう。よくわからないけれど、ファウヌスのキスも指先もとてもやさしくて心地良いので、振り払う気分にはなれない。なにより、ファウヌスは別に悪いことはひとつもしていなかった。

「あ、あの」
「まずはシャワーでも浴びて来るといい。その間に朝食の用意をしよう。といっても、町で買ってきたものを並べるだけだけどな」

 なんだか至れり尽くせりで、申し訳ない気持ちで一杯になる。それでも、ファウヌスの提案はいつだってマリエッタにはありがたかった。

「は、はい……ありがとうございます……」




 シャワーを出て青いワンピースに着替える。身支度してバスルームから出ると、小さなテーブルにいろいろな食べ物が並べられていた。
 個包装されたクロワッサンとオレンジ、部屋のポットで入れてくれたインスタントのカフェ・コン・レチェ(ミルク入りコーヒー)。とてもオーソドックスでシンプルな朝食だ。それでも、やっぱりマリエッタがいつも摂る食事よりは豪華だと思う。

「もう少し時間が経てば町のカフェやバルも開くから、そこで食事をしてもよかったかもしれないけど、マリエッタは今日ゆっくりした方がいいと思って」
「……はい、助かります」

 正直、いつもは使わない部分の筋肉がこわばっている感じがしていた。体力にも体の丈夫さにも自信があるマリエッタだが、昨日のはマリエッタが想定してきた事態とちょっと違う。回復の仕方がわからなかったので、そっとしてくれるファウヌスのやさしさがうれしい。
 ふたりでカフェテーブルをベッドに近づけて、ベッドに並んで座った。クロワッサンを頬張ると、スーパーマーケットのものだとわかっていてもなぜかおいしく感じる。しっとりしていて、甘くて、層になったパン生地からバターの味わいが滲んでいた。

「これ、冷めててもおいしいですね……!」
「ああ、そうだな。……マリエッタと食べると、おいしいな」

 ファウヌスは赤い瞳をすがめて、眩しそうにこちらを見つめてきた。なんだかその視線が、ちょっと恥ずかしい。昨夜のことを思い出して少し気まずい気がする。
 けれど、言うべきことは言うべきだ。口の中のものを飲み込んで、改めてファウヌスへ体を向ける。

「……その。昨日は助かりました。いえ、今も助かっているんですけれど……助けに来てくれて、ありがとうございました」
「いいや。こちらこそ、遅くなって悪かった。……お前は実力のあるシスターに見えたから、ひとりでも大丈夫だと思って見送ったんだ。でもなかなか帰って来なくて、おせっかいかと思って様子を見に行ったら……」

 それは、すごいものを見せてしまって本当に申し訳ない。
 善意で助けた人間が、自分からのこのこ悪魔を探しに行って捕らわれて酷い目に遭っているのを見せられたら、怒るか呆れるかして当たり前だ。なのに、ファウヌスには今のところそんな様子は見られない。本当に変な悪魔だ。
 マリエッタは改めて頭を下げた。

「本当にごめんなさい。いっぱい失礼な姿を見せてしまったと思います」
「……気にしなくていい、と言ったところで、気にするのは当たり前だけどな。本当に気にしなくて良い。思いもかけずマリエッタの体液ももらえた。報酬としては十分過ぎるさ」

 なるほど。ファウヌスとしては労力に釣り合った報酬がもらえていると判断してくれているらしい。自分の体液にそんな価値があるとはこれまで知らなかったけれど、ファウヌスは本当に満足そうに笑っている。

「昨日のマリエッタ、すごくかわいかったし……」
「ま、またそんなことを……」
「本当だ。……ずっと見ていたいくらい……」
「ずっと?!」

 あんなコト、ずっとなんてできません! すっごく恥ずかしいのに! やっぱり、どんなに親切でやさしくても淫魔は淫魔なんですね!

「あ、ごめん。女性に言うようなことじゃなかった……でも、本当に、今の時間がずっと続けばいいのにとは思ってる」
「え、今?」

 なんだ。昨日みたいな恥ずかしい格好しておねだりしてほしいのかと思った。またファウヌスのことを誤解していたみたいだ。
 ファウヌスは真剣な表情でこちらをじっと見つめている。あんまり熱心で、マリエッタが熱でとけそうだ。
 さっきからファウヌスに見られていると思うと、心臓が変な拍子で鼓動を刻む。息がしづらくて食べ物の味がよくわからない。
 こんなこと、生まれてはじめてだった。

「……なあ、マリエッタ。おそらく調査は終わりなんだろうが、もう帰るのか?」
「え、ええ。わたしの役目は終わりましたから、今日クエンカを立ちます」
「……そうか」

 ファウヌスが視線を反らして、ちぎったクロワッサンの欠片を口に放り込む。なんだかその姿が寂しそうに見えた。
 どうしてだろう。

 なんだかすごく、胸が痛い。




 朝食を食べ終えて、ファウヌスはクエンカ駅まで車でマリエッタを送り届けてくれた。
 高速鉄道クエンカ駅は、実際の城塞都市クエンカから車で30分ほど離れた場所にある。マリエッタは行きはバスだったので、レンタカーで送ってもらえるだけで助かった。

「どうしてこんなに親切にしてくれるんですか?」

 運転席でハンドルを握るファウヌスに訊ねると、一瞬だけ赤い瞳がこちらを向いて、すぐに視線を前に戻す。交通ルールを守る、大変善良な悪魔だ。

「……俺が人間に親切にするのは、趣味みたいなものだ。個人の楽しみだから、人間が気を使わなくて良い」
「はあ……」

 人助けが趣味の悪魔? 本当におかしな淫魔ひとだ。

「……でも、マリエッタにやさしくするのは、それだけが理由じゃない」
「やはり、なにか目的が?」
「………………自分でも、まだよくわからない」

 ファウヌスは苦々しげにそう言って、整った口元をへの字に曲げる。なんだか、言いたいことがあるのに良い言葉が思い浮かばない、みたいなもどかしそうな表情だ。
 そんな話をしているうちに、車が駅に着いてしまった。
 ファウヌスは列車のホームまで見送ってくれると言う。駅舎の金庫に預けてあった荷物を回収して、チケットを購入して改札に向かった。
 空港のように広々とした現代的な駅は、午前中ということもあって行き交うひともまばらだ。
 誰も見ていないと判断したのか、ファウヌスはマリエッタの両手をぎゅっと握ってくる。大きな手のひらはゴツゴツしていて、きれいに見えても異性なんだな、と妙に意識してしまった。
 低い体温が、彼がひとならざるものだと伝えてくる。

「……なあ、マリエッタ。メールアドレスは? 電話番号でもいいから教えてくれ」
「わたし、そういうの持ってないんです。シスターなので個人の備品は持てないんですよ」

 ファウヌスが整った顔をしかめた。今何世紀だと思ってるんだ、と思っていそうな表情だ。実際のところ、いくら修道院とは言え申請すれば個人の電子デバイスくらいは持てるのだが、マリエッタがそういうものに疎くて所持していないだけだった。

「じゃあ、これ渡しておく。俺の連絡先だ。落ち着いたら連絡してくれ」
「え、はい……」

 手のひらに、小さな紙切れを握らされた。大きさからして名刺だろうか。

「いつでも連絡してくれ。会いに行って良ければ会いに行くから」
「いえ、でも……」
「だめか?」

 ファウヌスは、なんだか捨てられた子犬のような目でじっとこちらを見つめてくる。そういう顔をされると、弱い。

「い、いえ……ダメではないです……」

 そう──ダメではない。全然。

 またファウヌスに会えるかもしれない、と思うだけでなんだか気持ちが明るくなった。
 一瞬、ファウヌスと視線が絡み合う。心臓がどきどきする。だけど、全然イヤな感じじゃない。それこそ、ずっとこのままでもいいかも、なんて思ってしまう。
 ふと、ファウヌスの唇が近付いてきた。
 あ、キスされる。
 拒否しようと思えばできる。それくらいの速度。ファウヌスの気づかいだろう。

 でも、拒否したいと、思えなかった。

 どうしてだろう。彼は悪魔なのに。自分はシスターなのに。
 全然そんなこと、考えられない。
 もう、唇と唇が触れ合う。彼のあまい唇が触れることに、どきどきして、期待してしまう。

 もう、ちょっと──

『まもなく、マドリード行きの列車が到着します。ご乗車される方はホームでお待ちください』

 駅構内に響くアナウンスに、お互いの動きが止まった。我に返って、マリエッタは思わずさっとファウヌスから身を離した。

「も、もう行きますね。本当にありがとうございました、淫魔ファウヌス。貴方に、心から感謝を」
「ああ……」

 そう言っても、ファウヌスはなかなか手を放してくれない。

「……また、会えるか?」

 また? またファウヌスに? もう一度……。
 マリエッタは、なにも言わずにファウヌスの手を引き剥がして、改札を抜けてホームへ歩き出した。
 ──なにも、言えなかった。

  だって、この気持ちがなんなのか、どうしても言葉にできなかったから。



 /*/


 すっかり日が暮れた時刻。
 小さな町が夕焼けに包まれる中、マリエッタは拠点とする修道院にたどり着いた。
 マロニエの木々に囲まれた敷地内へ入ると、外で郵便物を両手に抱えていた小さな女の子と目があった。
 日本人由来の幼い容姿も、黒く長い豊かな髪も、滑らかな象牙色の肌も……全部が自分そっくりの女の子。マリエッタの妹だった。
 妹は大きな黒い瞳をまたたかせて、郵便物を放り投げてマリエッタの膝に飛び込んでくる。

「おねえさま! おかえりなさい!」
「ただいま帰りました。

 妹は、マリエッタと同じ名前を持っていた。
 容姿も名前も、なにもかも同じ妹。でも、どうしてだろう。自分より全然かわいい気がする。
 小さなマリエッタは短い腕を必死でマリエッタの腰にまわしてきゅうきゅうと抱きしめてきた。

「おねえさま、今回も無事のお戻りでなによりです。シスター・イザベラは執務室にいらっしゃいます」
「ありがとう。報告に行ってきますね」

 小さなマリエッタをその場に残して、マリエッタは修道院の奥へと進んだ。
 修道院は大きく、とても古い。歴史ある修道院の、もっとも奥に配置された尼僧院がマリエッタたちの居場所だった。
 その尼僧院の管理者であるシスター・イザベラは、マリエッタの親代わりであり、調査員としての上長だ。古い建物の最奥に配された執務室前までたどり着き、ノックをする。すぐに返事があったのでドアを開けて入室した。

「シスター・マリエッタ、ただいま帰還しました」

 シスター・イザベラは執務中だったらしく、大きな執務机に座っていた。机にはノートパソコンが3台と外付けディスプレイが2面並んでいて、修道院のシスターとは思えないしごと環境だ。IT音痴のマリエッタにはとても使いこなせそうにないが、イザベラはそろそろ50台に差し掛かるような年齢なのにテクノロジーを使いこなすことに貪欲だ。すごい女性だと心から尊敬している。
 シスター・イザベラが立ち上がると、その容姿にも目を見張る。すっと通った背筋、優雅な指先、静かな足さばき。銀の瞳は切れ長で、若い頃は絶世の美女だった面影が未だ強く残っていた。
 その齢を重ねた美貌のシスターが目の前に立つ。マリエッタよりも長身で、マリエッタが見上げる形になる。

「おかえりなさい、シスター・マリエッタ。調査はいかがでしたか」
「はい。滞りなく。悪魔ではなく、かなり長命の魔草が人間を襲っていたようです。詳細は報告書にして後ほど提出します」
「ええ。よろしくお願いします」

 自分で言っていて、そういえばファウヌスのことなんて書こうかな、と今さら思った。いや、書けないか。悪魔に悪魔祓いの調査を手伝ってもらいました、なんて。

「……マリエッタ」
「はい」

 シスター・イザベラはそっと襟元をなでた。

「……修道服は、もしや戦闘でダメにしてしまいましたか?」
「え? あ、はい」

 そう言えば、今は修道服ではなく、ファウヌスが買ってくれた青いワンピースだ。もちろん、それしか着るものがなかったのだから仕方がないし、それを咎めるようなシスター・イザベラではない。
 けれど、イザベラの視線はなぜか鋭かった。

「……首、なにか痣がありますよ」
「え? 本当ですか?」

 青いワンピースは首元が白い襟で覆われていて、さほど肌が見えるデザインではない。けれど、そこから見えるということはかなり強く残った痣なのだろうか。

「赤い……虫刺されのような……」
「戦闘中に負った痣でしょうか? 気が付きませんでした」
「………………そうですか。それにしても、服を購入できるお金を持っていたんですね。いつも潤沢とは言い難い予算なので、こんな上等なものが買える蓄えがあったことに驚きです」
「そ、それは」

 やっぱり見るひとが見れば洋服の値段というのはバレてしまうらしい。マリエッタにはさっぱりわからないが、きっとファウヌスが購入したのはそれなりの質のものだったのだろう。

「その。善意の方に購入していただきまして……」
「…………そうですか。なにかと引き換えに妙な要求をされませんでしたか?」
「い、いいえ」

 逆に要求がなくて恐縮したくらいだ。嘘は言っていない。
 シスター・イザベラはじっとマリエッタの夜の瞳を見つめて、一度表情を和らげた。

「……そうですか。貴女が善行を重ねることを神がご存知になって、お遣いを授けてくださったのかもしれませんね」
「天の御使い……」

 マリエッタにはまさしく、ファウヌスがそういう存在に思えるが、本人に言ったら嫌がりそうだ。なにせ悪魔なので。
 思わず笑ってしまうと、シスター・イザベラも微笑んでくれた。厳格なイザベラがこうして笑うことは珍しい。

「……貴女にとっては、良い出会いだったようですね。親代わりとして、そうした出会いが貴女に訪れたことを嬉しく思います」
「……はい!」

 良い出会い。そうかな。そうかも。
 まだこの気持ちがどういうものかはわからないけれど、
 

 ──もう一度、会いたいです。淫魔ファウヌス。
 

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