Apple Field

水晶柘榴

文字の大きさ
13 / 16
壱 腐敗

(07) 奏 -カナデ-

しおりを挟む
「重いな」

「手合わせの時にこんを振り回していたのだし、槍も向いていると思ったのだがな」

 日がのぼり、数時間がたった今、街は既に行き交う人々の声で賑わい始めていた。足の速い海鮮類は、朝の漁から戻ってきてすぐに販売される。当然その時間から客が賑わうので、海鮮を取り扱わない店も、自然と早い時間から営業を始めるものである。

 朝も早い港街、一行いっこうは港のすぐ裏の職人街へとおもむき、武器屋で武器を見繕っていた。

 昨日は貧困街スラムの病人に簡単な診察をして、薬を渡していたので、あっという間に時間は夕方となってしまった。そのこともあって、当初予定していたらしい武器屋での買物は、翌日に延期となってしまったのだ。

 旅をする以上、一通り装備を充実させる必要がある。しかし、アガタが武器を渡し、カツミが一通り振るい、首をかしげ、それが一連の流れとなっている。どうにもしっくりこないらしい。

「アガタ殿が普段鍛錬たんれんに用いているこんというと10キログラムほどですか?」

「いや。実力が知りたかったのでな。新人に型や踏み込みを教えるための軽いものを使った。あれでざっと2キログラムないくらいだ」

 カツミは少しアガタの発言が気になったが、特に口に出すことはしなかった。通常なら腹が立つはずなのだが、残念なことに、その気も削がれてしまったのだ。

 昨日宿に戻ると、宿の店主がアガタの預けた武器を返してくれた。アガタが青龍刀せいりゅうとうと語っていたその武器は、想像よりもかなりの大きさと重量を誇るものであった。本人は軽々と片手で持ち歩いていたが、40キログラムほどということなので、子供を持っているのと何ら変わらない。

 彼女は大柄で、その肉体は鍛え抜かれていることは、服の上からでもわかる。得物えものを振り回すことに、どれほどの時間をかけたのかはわからないが、少なくとも武器については、人に口出しするだけの能力があることに、間違いはない。

「ココノ殿のように合口あいくちを使ってみるか? もともと合口あいくちくらいは全員隠し持つべきだと思っていたし、実際ヒイズ殿は武器を隠し持っているだろう?」

たしなみですので」

 ヒイズはフフッと、人のいい笑みを浮かべ、ジャラリという音とともに、人差し指を立てた。たしなみと言ってニコニコ笑っているということは、それなりに腕に覚えでもあるのだろうか。一応“未蕾みらい”を討伐とうばつするために旅に出ているのだし、戦闘員がカツミとアガタだけということはないはずだ。そうは見えないが、ヒイズもそれなりに強いのかもしれない。

 カツミは、何かが背中を這っているような、不思議な感覚を覚えた。続いて肩のあたりを内側からくすぐられるような感覚に陥る。好奇心が彼を刺激しているのだ。ヒイズがどれほどの強さなのか、純粋に興味が沸いた。

「……そうだな。合口あいくちを見てみたい。それから……」

 ふと考える。自分がどう動きたいのかを。

 正直なところ、武器を振り回すことには興味が惹かれるが、狭い場所では役に立たないだろう。それならば小回りの利いた武器の方がいいかもしれない。

「あの……」

 と、考えていたところで、ヒイズの横で、まるで置物のように佇んでいた、ココノが口を開いた。3人の目が向いたので、ココノは少し恥ずかしそうだったが、一度きゅっと唇を引き結び、それから引き締めた表情で口を開いた。

「カツミ様は遠目とおめが利く方ですので、弓など……いかがなものでしょうか?」

「弓か…」

 アガタはあごに手を当て考え込む。どのような武器も、持たせたら扱えるというものではないが、弓はその傾向が強い武具であろう。剣だろうと槍だろうと、もって振り回せば、とりあえず武器としては機能する。もちろん素人が扱えば自分が怪我をする恐れあり、また、武器の消耗も激しくなるので、扱うという具合にはならないだろうが。

 しかし一方で、弓というのは、とりあえずで機能するというものではない。ましてや、敵もそのあたりの野に住むうさぎではないのだ。弓力きゅうりょくの弱い弓では使い物にならない。

「……すまない、短弓を貸してもらえるか?」

「はいよ。試すんならそっちのほうで頼むな。軽いのがいいですかい?」

「頼む」

 やたらと体格のいい店主は、専用の棚に立てかけてあった、短弓を手に取ると、アガタに差し出し、店内の隅を指差した。その場所には棚などの類は置いていないのだが、巻藁まきわらが置かれている。しかし弓を試すと言いつつも、その手に矢はない。

「カツミ、この弓は10キログラムもない弱い弓だ。見まねで構わんので、引いてみてくれ。弦は拳で握って構わん」

 アガタは隅に移動しながらも、具合を確かめるように、弦を軽く引いている。それからカツミに弓を差し出した。

「……? ああ……」

 カツミは弓については知識がないらしく、言っていることがよくわからなかったが、とりあえず隅に移動して、言われるままに引いてみる。“弱い”という言葉のとおり、軽い力であっさりと引くことができた。とりあえず自分の中で、このように弓を射るというような引き方をしてみたが、扱い方がわからないので、少々気恥ずかしいものがある。

「練習する時間はない。通常の弓では今は無理だな……ではこちらを」

 やはり引き方があっていなかったらしい。しかし、今はということはもしかしたら今後の仕様も検討しているのだろうか。そんなことを考えていると、アガタがいつの間にか別の武器を持ってきていた。

 弓のような形をしているが、妙な突起のついた棒がくっついた変わった意匠だ。先ほどの弓よりも重そうで、カツミは自分が使うとして、おおよそ扱えるような気はしなかった。

「なんだこれは」

 アガタが持っていた部分をそのまま掴むが、構え方すらわからない。これでどうやって弦を引けというのか。

「それは、異国で研究されたもので、“弓銃ボウガン”という武器だ。遺跡から発掘された資料を参考にいしゆみを改良したものだな」

 いしゆみと言われてもカツミの知識にない、要するに覚えのないものだ。だがこの“弓銃ボウガン”の元となった武器ならば、似たような形をしているのだろう。

「この部分に弦を引っ掛けるんだ。で、このてこを動かすと、矢が発射される。目はよくとも、的に当たるかは別だからな」

 そういえば彼女は一応武術指南役なのだ。それならば今後、カツミに弓の指導をすべきかどうかを、考える必要が有るのだろう。弦の弾き方や矢のつがえ方は今後指導するにしても、目で見たものに命中させる力があるかどうかを確認しておきたいのだろう。

 もちろん、“弓銃ボウガン”と“弓”では扱い方が全く異なることは承知している。

「……」

 さりげなく見るとヒイズが矢を持ってきていた。カツミはその矢をアガタの言うとおりにつがえ、辺りを見回す。この矢をどこに射てばいいのかがわからない。

「ココノ、その窓を開けておくれ」

「はい」

 アガタは何かカツミに指導することがあるからか、ココノに指示を出した。ココノは軽く頭を下げると、パタパタと駆けて窓を開ける。その窓の向こう側には塀で囲まれた庭があるのだが、そこに的がかけられているのが見えた。

「あの的を狙って5本ほど射ってみてくれ」

「ああ」

 板張りの床がぎしりと音を立てる。棚や壁にかけられた飾り用の武器が目に入る。外の喧騒はどこか遠く、朝という時間帯、さらに港街ということもあってか、店内はすいている。

 的に矢を当てようと考えると、途端に様々なものが気になった。目に入るもの、耳に入る音、頬を撫ぜる大気の流れ。カツミはそれらを振り払い、的に向けて意識を集中される。

 ここだと、そう感じたところでてこ(引き金というらしい)を引く。

 パァンと、何かを弾いたような音が響く。

 矢をつがえ直し、それを5度続けた。



 結果として、5本中最初の2本は外してしまったが、残り3本は的に当てることができた。特に4本目はかなり中心に近い位置に当てることができたので、カツミとしても鼻が高い気持ちだ。……教える必要があると感じたアガタは頭を抱えていたが。

「とりあえず、弓は今後指導していくからそのつもりでいろ。普段使いはどうしたものか……」

 指導するまで使い物にならないのならば、その他にも武器が必要だ。

 しかしいくつか振るってみてもしっくりこなかったので、結果として軍の新人が使う剣を購入した。基本の物ならば応用がきくので、慣れてから他の武器に持ち替えていけばいいだろう。

 ほかに弓と矢を購入し、調整のために店にあずけ、数日後に取りに来ることが決まった。それまで水晃ユクミツを観光することもいいだろう。なにより、楽しい遊び場も見つけたのだ。この街をすぐに離れたいという気持ちなどはなかった。



 一同は武器店を出て歩き出し、石を敷き詰めた地面がコツコツと音を立てる。昼時ということもあり人は多く、カツミははぐれないようにアガタを目印についていった。

「いい時間ですね。そろそろ昼食にしましょうか」

 噴水のある広場がある場所に出たところで、ヒイズが言った。噴水を見て時間に気づいたらしいのでそちらを見るが、そこには何やら弦楽器を持っている男が立っていた。


「さぁさぁ道行く皆さん、お目にかかりますは、稀代きだいの狂言回し、イツワ。語りますわ誰もが知る物語! しばし奏でる琉特リュートの音色とともに、お楽しみあれ」

 くっきりとした扁桃アーモンドのような形の青い目が、三日月型に細められている。遠くまで響くような澄んだ声が耳馴染みよく、愛嬌のある人懐っこい笑みを浮かべた青年だ。丈の短い外套マントの隙間から、玉を連ねた大きな赤い石の首飾りがのぞき、羽を模した耳飾をつけていて、派手な模様のついた色小布バンダナを巻いている。

 男はポロンと琉特リュートを鳴らし、曲を奏でる。弦を張った楽器はそういうものなのか、指の動きが左右違うせいで、やたらと複雑な動きに見えてしまう。その動きの違う左右の指が、ポロン、ポロンと、心地よい曲を奏でていく。

「吟遊詩人か」

「この曲は神話のようですね」

 アガタとヒイズはこの曲を知っているらしい。ヒイズは宗教的な話はあまり詳しくないと言っていたが、神話は多少知識があるのだろうか。もちろんカツミは神話など知らないので、首をかしげている。

 立ち止まる聴衆に視線をやり、愛嬌のある笑みを浮かべて、男は弦を弾く。

「―――かつて人々は繁栄を極め―――神をも恐れぬ心を持ち―――やがて我が身を滅ぼした―――」


 ふと見ると、ココノが目を輝かせていた。辺りを見回せば、青年の容姿や声に惹かれたものが立ち止まり、皆一様に聞き入っているようだった。よく見ると、頭巾フードをかぶっていて顔は確認しづらいが、若い女性もチラホラといるようだ。

「聞いていきますか? 内容を私が教えすることもできますが」

「あのっ……。できれば、聞いていきたいです…」

 ヒソヒソとヒイズとココノが語り合う。このような語り部を聞くことは娯楽の色合いが強い。それならば、奴隷どれいであるココノには馴染みのないものなのだろう。ヒイズに視線を向けられ、カツミは頷いた。

 内容を要約するとこうだ。

 人々はかつて、神をも恐れぬ繁栄を極めた。しかし、その繁栄が元で世界を滅ぼし、新たな世界を見つける旅に出た。そうして見つけた世界が今我々がいる世界だと。一度神を捨てた人々に、神は寛容の心をもって、ノベルを与え導いた。慈悲深き神への信仰を忘れてはならない……と。

 青年は語りに慣れているらしく、声の抑揚よくようを操り、人をひきつける音を奏でていた。華やかな青年である。ゆっくりと噴水の前を歩きながら琉特リュートを奏で、観客ひとりひとりに目を向ける。

 不意にこちらを見たかと思ったら、くるりと周り、曲を終わらせた。

 観客が拍手を送る。ふと見れば、ヒイズとアガタ、ココノも手を打っているので、カツミもならった。どうやらこういう時は拍手を送るものらしい。

「満足か?」

「はいっ! ココノは楽器の音を聞いたのも、お話を聞いたのも初めてです!」

 キラキラと丸い目を輝かせ、手を広げたり胸の前で拳を握り締めたりと、ココノは感動を表すにも忙しい。微笑ましくはあるのだが、まばらに散るほかの観客にも笑われているので、少々居心地が悪い。

「さて、ちょうどそこの店が空いているようです。入りましょう」

 この場を去る観客がいる一方で、詩人のもとにも人が集まっている。そのおかげもあってか、昼食時にも関わらず、飲食店の前に人は多くない。ほとんどの店が海鮮を扱っているらしく、出汁だしや、焼いた魚介類の臭いが、鼻腔びこうをくすぐる。

「肉もあるのか?」

 港町の食堂には品書きと言えるようなものはなく、今日はこの料理があると書いているだけだ。今日の料理は『香草焼き』と『海鮮スープ』、そして『鶏肉の漬け焼き』のようだ。

 アガタが言うには、漬け焼きというのは、魚介の出汁だしに調味料を混ぜて、そのタレに漬け込んだ肉を焼いた物らしい。

 ふと、アガタが作ったスープを思い出す。あれに入っていた獣肉は、煮込まれてホロホロの繊維せんい状になっていた。噛めば簡単にほぐれる肉はことのほか美味かったことを思い出し、肉料理というものに興味が惹かれる。


 ヒイズにもアガタにも特に希望はなかったらしく、カツミが興味惹かれたその店で昼食をとることとなった。店内はなかなかに広く、手入れを怠らぬようにしているのか、板間の床は軋む音を立てることなく、くつ音を響かせた。

 四角いテーブルが点々と置かれ、繁盛しているらしく、満席だ。都合のいいことに、食べ終えて談笑していた一行いっこうが立ち上がったので、カツミたちは、入口にほど近いその席に着いた。

 ……ヒイズを見て立ち上がったので、見るからに裕福な彼に席を譲ったのかもしれないが。

 そんなわけで、アガタとヒイズが『香草焼き』、ココノが遠慮がちに『海鮮スープ』、カツミが『鶏肉の漬け焼き』を選んだ。

 ココノが席に着いた時に、店主が何か言いたげに近寄ってきたのだが、ヒイズが手に何かを握らせると、にこやかな顔で退散した。金銭を握らせたのだろう。どうやらココノの服装で、奴隷どれいであるということがひと目でわかるらしい。

 周囲の客もチラリとこちらを伺っているようだったが、文句はないらしく、すぐに目の前の料理に集中した。

「ココノに服でも見繕ったほうがいいんじゃないのか?」

「えっ」

 ココノが過剰に肩を揺らし、慌てふためく。「あの」とか「その」と漏らし、カツミを見たり辺りを見回したりと、かなり動揺しているらしい。

「も、申し訳ありません。ココノはこれ以外を着るわけには…」

「?」

 真っ赤になって俯くココノにカツミは首をかしげる。べつに彼女が奴隷どれいであるということを知るのは、カツミたちだけのはずだ。それが彼女の服のせいで周知のものとしているらしい、ということには既に気づいていた。それならば、服を変えればいいと思ったのだが、彼女の様子ではそれはできないらしい。

「隷属階級は服が決められているのですよ。もしそれがおおやけのところになると、罰せられてしまうのです」

「でもわかるのは俺たちだけだろう?」

「やめておけ。旅の途中役人に会う機会は多く訪れるだろう。その時にココノ殿の着衣が変わっていればその場で処分される」

 カツミは眉を寄せ歯噛みする。提案したことが、またこの世界の常識を知らない証明になってしまった。さらにココノにも不快な思いをさせただろう。体が小さく、挙動が少し大げさなココノは小動物然としていて、庇護欲を誘う。その彼女に不快な思いをさせたというのは、やはり気になってしまう。

外套マントもダメなのか?」

 しかし諦めきれず、カツミが言った。外套マントは厳密に着衣ではない。それならば、身につけたとして、問題はないかも知れない。そう考えてのことだ。

「なるほど……たしかに、それについては規定にありませんね。後で買いに行きましょう」

 ヒイズがニコリと笑い、ココノは恥ずかしそうに、申し訳なさそうに、再び俯いてしまった。しかし先ほどのように気まずい思いをさせているわけではないのだと思うと、その様子も謙虚で微笑ましい。

「申し訳ありません……」

 小さくそうつぶやくココノの様子に、一同は笑みを深めたのだった。


 結論から言えば、料理は全て当たりであった。『香草焼き』は、シンプルながらに多くの香草を使い、魚自身の味わいを残しつつも、深い味わいとなっている。火力の調整がうまいのか、表面の焼き色の割に、身のほぐれがよく、噛めば噛むほど魚本来の味わいがにじみ出てくる。

 ココノが選んだ『海鮮スープ』は、烏賊イカ帆立ホタテの貝柱、海老エビなどといった定番の海鮮を煮詰めたスープで、くずが溶かしてあるらしく、とろみがついている。魚を練りこんだ団子も入っており、スープでありながら食べごたえもある一品だ。出汁だしはもちろん、具に使われている海鮮のみが使われており、塩・胡椒で軽く味を整えただけのようだが、とてもそうは思えないような複雑な味わいだ。

 カツミが選んだ『鶏肉の漬け焼き』は、タレに漬け込んだ鶏肉を澱粉でんぷん粉で揉み、表面をこんがりと焼いてから煮詰めた一品だ。これは時間がかる手の込んだ品なので、品数に限りがあると、店主に言われた。焼き目をつける前に、しっかりと揉み込んだからか、外側のパリッとした歯ごたえとは裏腹に、内側はふんわりと柔らかく、味も良く染み込んでいて非常に美味である。

「そういえば、あの話…」

「?」

 カツミが突然口を開き、3人が揃って首をかしげ、カツミに注目した。

「あの、芸人が語っていた話……」

「芸人…ああ、吟遊詩人の神話ですか。宗教学は詳しくありませんが、少しなら説明できますよ」

 ニコリと笑ったヒイズに、「触りなら話せますよ」と言われ、興味が惹かれたカツミは、説明を求めた。チラリと隣を見れば、ココノも興味があるらしく、目がキラキラと輝いている。

「何が聞きたいのですか?」

「新しい世界というのは?」

 まずに気になったのはそこだ。世界というのがイマイチピンと来ない。自分が今いる、存在する空間を世界として、新たに見つける世界という言葉が理解できなかった。

「それについては諸説ありますが、現実的で定説となっているのは、大陸を発見したという話ですね。実際に、かなり高度な文明を築いたと思われる遺跡も発見されておりますので、開拓を終えた民が新たな土地を求めたのではないかと言われております」

 なるほど。世界というのはそのままの意味ではなく、比喩ということらしい。世界を滅ぼしたというのも、開拓という行為が、森林を切り拓くことでもあることを思えば、少々大げさに表現しただけなのかもしれない。

「そういえば、この虹澑國グリュウコクにも遺跡があると聞いたことがあります」

 今度はココノが口を挟んだ。神話を聞いて、遺跡に興味がわいたのか、少し期待を込めたような顔をしている。

「ええ。炎鳳國エンホウコク雫瀾國ナランコクの国境の境の消陽山キエタカヤマに巨大な遺跡がありますよ」

「どんな遺跡ですか?」

 カツミも尋ねる。旧文明の名残だ。記憶はなくとも自分たちの先祖の暮らしの片鱗を見せる、遺跡には並々ならぬ興味が沸いてくる。記憶がないせいか、カツミの未知のものに対する好奇心は底知れないらしい。

「洞窟なのですが、中は金属張りになっていて、何を模したのかもわからない物体オブジェクトでいっぱいです」

「金属、ですか?」

「ええ。かなり分厚い金属で、居住区画をとっていたようですが、どのように加工されたのかが分からず、また、それほどの実力がありながら穴に暮らした理由なども明かされておりません」

 興味深い話である。

 そういえば、先程武器屋で触れた“弓銃ボウガン”も遺跡から発掘された資料を参考に改良したと言っていた。つまり、今現在の生活もその遺跡が作られた頃の文明をもとにしているということになる。いったいどのような栄華えいがを極めたのか……。


「コーコノ!」

「……っ」

 と、考えているところで、鈴を転がすような美しい声が聞こえた。澄んだ美声の持ち主は、後ろからココノに抱きつき、そのあたりの貴族令嬢でもおおよそ見かけないような美貌に笑みを浮かべた。

「マサゴ、食事中に後ろから驚かせてはつまらせてしまうだろう。気をつけろ」

「へいへい。悪かったな、ココノ。お前らがこの店に入るところ見えたもんだからさ、ひと仕事終えて見に来たんだ。まだいてよかったぜ」

 美しい容貌に似合わぬ男勝りな口調で、微笑を浮かべ、マサゴはカツミたちと同じ席に着いた。同席を許可した覚えはないのだが、まあいいだろう。

 黒くつややかな黒髪は頭巾フードに隠されているが、フードから垣間見る大きな瞳はまるで宝石を埋め込んだようだ。このような人の多いところで、彼女が顔を出せばさぞ目立ったことだろう。

 ……だから頭巾フードをかぶっているのだと思ったのだが、予想に反して彼女は頭巾フードを脱いでしまった。


「……なぜ頭巾フードを?」

 外したことか、かぶっていることか、どちらを聞きたいのかも分からず、カツミの質問は中途半端であった。しかしそんな困惑には気づかずに、マサゴは快活と笑う。

「ああ、これか? この街では若い女は外に出ねぇんだよ。領主が色狂いでな、見初められちまう。どうしても外に出たいってなったら、外套マントとか頭巾フードが必須でな。まぁ、俺は必要ねぇと思うけど、一人だけ外すと目立つだろ? 面倒くせえったらないぜ」

 マサゴが唇を尖らせ、ココノがクスリと笑う。一日で随分と馴染んだものである。

 カツミなど最初は首元に刃物を当てられた。もちろん、カツミにとって言うほどの危機ではなかったのだが、それにしても、向けられた敵意がよくここまで凪いだものである。

「それで同じ年頃の女がいないといっていたのか。広場でも見かけたので不思議だったが…」

 そういえばそうだ。広場で外套マント姿の若い女性を見かけたが、彼女の言とは異なる。活発な彼女は、外で遊ぶ人間がいないという意味で言っていたのだろう。

「やはり、ココノ殿には外套マントが必要ですね。しかしおかしい」

 ココノも若い女性である。主人のいる奴隷どれいに手出しするものがいるかはわからないが、この街では外套マントをかぶらせたほうがいいのかもしれない。

「ん? おかしい、ですか?」

 ヒイズが首をひねるので、カツミは尋ねる。視界の隅では、マサゴが店の奥にいる店主に、果実水を注文している。指を二本立てているので、ココノの分も注文したようだ。

 ……支払いは誰が持つのだろう。

「たしか何年か前にお会いした領主は気のいい方でしたが……なぜ領主が変わってしまったのでしょう」

「ヒイズ殿は存じ上げていないのか? 5年ほど前に領主の不正が見つかって、今の領主になったんだ。領主は処刑されて、息子は生きているはずだが、不正が見つかった家の跡取りに領主を任せるわけにも行くまい」

 なにやら焦臭きなくさい話である。

 水晃ユクミツに入る時に、街の責任者が出てきた。カツミは声しか聴いていないのだが、あれが今の責任者なのだろう。奴隷どれいであるココノにいい感情を持っていないようだったので、カツミの中の印象もあまりよくない。

 前領主の息子は行方がしれず、現在の領主になったということらしい。しかし、色狂いで、街の女性を召し抱えるような男では、どっちもどっちだ。この分では態度の悪い傭兵ようへいの真相も推し量るべしといったところか。

「お、きたきた。ココノ、この果実水うまいんだぜ。飲んでみろよ」

「ココノは、お酒は…」

「昼間から飲むかよ。酒は入ってないから飲んでみなって」

 果実水というのは酒を割って飲む際に用いる、果実の絞り汁である。カツミたちがいる虹澑國グリュウコクは北国なので、寒い時期に体を温めるためにも、飲酒する者が多い。

 酒精の強い酒は体を温めてくれるが、人を狂わせるものでもある。また、癖も強いので、果実水で割って飲むことを好むものも多い。それだけならば良いのだが、女をはべらせる者が、果実水を用いることもまた多い。酒の味を果実水に隠し、女性に飲ませて、そのまま連れ込むのである。

 港街という土地柄か、水晃ユクミツの者は特に強い酒を好む傾向がある。女たちは男の意図を読むために、幼い頃より果実水の味を舌に覚えさせるらしい。

 男が果実水を進めてきた場合、それに酒が混じってないことはまずない。

「美味しいですっ」

「だろ!」

 この場合、マサゴがココノを侍らせているのだろうか。


 結局、マサゴの飲み物代もヒイズが支払った。まぁ、彼の財布は膨らんでずっしりと重そうだったので、飲み物くらい微々たるものだろう。



「ほう……」

 薄暗い部屋の中、男はソレにかけられた敷布シーツを静かにめくる。重量はあるが、背負って持ち歩くのだから、問題はない。燃料が懸念されたが、この国で使うものはおらず、溢れかえっていた。

うみは取り除かねば……」

 男はニヤリと笑みを浮かべ、顎鬚あごひげを撫でた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

悪役令嬢の慟哭

浜柔
ファンタジー
 前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。  だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。 ※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。 ※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。 「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。 「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

魅了の対価

しがついつか
ファンタジー
家庭事情により給金の高い職場を求めて転職したリンリーは、縁あってブラウンロード伯爵家の使用人になった。 彼女は伯爵家の第二子アッシュ・ブラウンロードの侍女を任された。 ブラウンロード伯爵家では、なぜか一家のみならず屋敷で働く使用人達のすべてがアッシュのことを嫌悪していた。 アッシュと顔を合わせてすぐにリンリーも「あ、私コイツ嫌いだわ」と感じたのだが、上級使用人を目指す彼女は私情を挟まずに職務に専念することにした。 淡々と世話をしてくれるリンリーに、アッシュは次第に心を開いていった。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...