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水晶柘榴

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壱 腐敗

(06) 和 -ノドカ-

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「待て」

 カツミは思わず、マサゴと名乗った少女の肩を掴んだ。薄暗い路地ではあるが、それでもわかるほどに、ココノの頬は真っ赤に染まっており、左の頬をあとがつきそうなほどに強く押さえている。おろおろとあたりを見回し、カツミやヒイズ、アガタと目を合わせては顔を逸らして、丸い目を潤ませていた。

「なんだよ」

「お前は何をしている」

 マサゴは肩に置かれた手を払い、カツミに向き直った。唇を尖らせた様子は美少女然として愛らしいが、所作しょさがどこか男らしい。それさえも絵になるのだから、美人は特である。これで行動まで女らしければ、とっくにどこかの金持ちの愛妾あいしょうにでもなっていたことだろう。

「は?」

「何故口づけてるんだ。女同士で」

 口調やら名前はらしくないが、彼女はどう見ても女だ。だというのに、なぜ同性のココノの頬に口づけたのか、それが理解できない。

 尋ねられたマサゴはキョトンと目を丸くして、それから口角こうかくを上げて、ココノを指差す。

「だって、こいつ可愛いだろ? 親父が言ってたんだ。一目見て気に入ったものがあるなら、それは運命だ。全身全霊で愛をそそげってな」

 絶対にろくでもない人物である。いかにも光り物・・・好きな男の台詞セリフに聞こえるが、マサゴという人物は女で、ココノも女。教育を間違えていることぐらいは、カツミでもわかる。

「マサゴ、だったな? 同性とはいえ、嫁入り前の娘に不埒ふらちなことをするものではないよ」

不埒ふらちなことって何の話だよ。俺はただ、このココノに挨拶しただけだろ」

「なぜ口づけが挨拶になるのですかっ」

 流石さすがに目に余る行為だったこともあり、アガタとヒイズも彼女に注意をうながす。しかし呆れ混じりのその言葉を、彼女はイマイチ理解していない。しばし注意を受け、鬱陶うっとうしいとでも言いたげに、耳をふさいでいる。


「んだよ、細かいなぁ……」

目上めうえの人間に対していう言葉ではないな」

目上めうえってなんだよ。俺はあんたらよりもいやしいなんて思ってないぜ」

 マサゴが舌打ちしながらそう漏らしたので、アガタがさらに付け加えた。カツミ自信は、アガタを擁護ようごするつもりはないのだが、それでもおかしなことを言ってるように思えなかった。だが、アガタの発言の何かが、マサゴの気にさわったらしい。

「そうは言ってない。だが、年功序列ねんこうじょれつというものもある」

「何が年功序列ねんこうじょれつだよ! ここではとお餓鬼がきが働いて体の弱い大人を守ってんだ。尊敬できる人間だってなら別だけど、年齢だけで偉いとは思われたくないね!」

「アガタ殿」

 強いアガタにとって、マサゴなどは敵ではないのだろう。いつもどおりに余裕のある様子で、彼女に諭すように語りかけている。しかし、怒っているマサゴの様子は変わることなく、火に油を注いでしまったような気さえする。ふと見ればそばにいるカイナも怒っているようだ。それを見かねてか、ヒイズがアガタの前に出る。

「気を悪くしてしまったのなら申し訳ありません。ですが、アガタ殿の言うことももっともなのですよ。そのように攻撃的な言動を取れば、いつかその身に返る刃となります」

 まだ面白くなさそうではあるが、一理あるとでも思ったのか、マサゴは眉をピクンと動かし、それから腕を組んで視線をフイと逸らした。

「んなもん、皆で返り討ちにしてやる。マサゴもオレもつよっ―――弱くはねぇ! んなもんオレらは怖くないからな!」

 しかし、この少年は違ったらしい。こちらを指さし啖呵たんかを切った。しかし、その様子がなんともあどけなく、どこか頼りない。

「……カイナ、落ち着け」

 それはマサゴにも言えることであったが、仲間の様子に呆れたらしく、幾分落ち着いた声音こわねで、語りかけた。仲間の彼女から見ても、カイナの様子はこの場にそぐわないものだったらしい。

「だってマサゴ!」

 カイナはまだ何か言いたいようだったが、マサゴが首を横に振るので、少し悔しそうに歯噛みしてみせた。どう見ても年の近い二人だが、貧困街スラムを取り仕切っているというだけあって、マサゴの序列のほうが圧倒的に上らしい。


「カイナ! かしら!」

 不意に、声が響いた。この場にそぐわぬ、幼い声だ。路地の奥から聞こえる声に、カツミたちはポカンとした表情を浮かべたが、マサゴと名を呼ばれたカイナはそちらに振り返った。

「キイト、ここだ!」

 マサゴが声を上げると、ほどなく、すすけた赤毛の少女が姿を現した。髪を結っていないので、乱れ気味だが、少女はそれを気にぜず駆けてくる。

「どうかしたか」

「おじさん起きたの。だから早く来て!」

 少しつり上がった目が愛らしい少女だ。小さな体で走り回ったらしく、はあはあと肩で息をして、いかにも苦しそうに見える。膝に手を付いているが、手には擦り傷が出来ていた。もしかしたらどこかで転んでしまったのかもしれない。

「わかった。俺は……」

「病人か?」

 突然、カツミがマサゴの言葉を遮った。マサゴは胡乱うろんげな目をカツミに向け、それから先ほどカツミが放り投げた角材を拾い上げ、口を開いた。美人が睨むと、なかなかの迫力だ。

「……なんでわかった?」

「起きたってわざわざ報告しに来たんだから、怪我人か病人だろ」

 至極当然といった様子のカツミに、マサゴは眉を寄せ、それから拗ねたように唇を尖らせた。

「病人がいるのなら、会わせてはもらえませんか? 幸い、我々は旅のために薬や食べ物も馬車に積んでおります」

「……」

 ヒイズがジャラリと音を立て、自分の胸に手を当てた。マサゴは、そんな彼を少し伺うように見てから、「ついてこい」とでも言うように、顎をしゃくった。



「この薬で大丈夫でしょう」

 そう言ってヒイズが差し出した薬を、寝台ベッドで上体を起こした状態の男が受け取った。ひげを生やしたその男は、この寒い中で、暖を取れるのか疑わしくなるような、薄く禿げた毛布をかぶっていた。その胡乱うろんげな眼差しは、こちらを信用していないようだったが、ヒイズはさして気にしていないらしく、無愛想な男に、ニコリと笑みを向けた。

「しかしここは寒いですね。これからますます冷え込むというのに、これでは……」

 チラリと、部屋の隅に置かれている暖炉だんろに目を向ける。クモの巣が張ってあり、すすと埃だらけになったそれは、長らく放置されているらしいことがわかる。床には灰を敷き詰めた、石製の箱のような物が置かれていたので、それを火床ほどの様に使っているのかもしれない。ここについてすぐに、キイトと呼ばれた少女に、枯れ木拾いに行かせたので間違いないだろう。

「そのせいで感冒かんぼう流行はやってんだ。でも、ただの風邪かぜだろ?」

 マサゴは男の寝台ベッドの傍に立ち、睨むようにヒイズを見つめる。どうやら警戒しているらしい。何故警戒しているのか、理解に及ばなかったのだが、寝台ベッドの男とヒイズを見比べて、なんとなく想像付いた。

 年功序列ねんこうじょれつという言葉さえも気にしていたのだから、身なりのいいヒイズに、あまりいい感情を持てないのだろう。汚れた格好をした男の横に、決して豪華ではないが、上質な衣装をまとっているヒイズが立っている様子を見れば、違いは明らかだった。ジャラリと音を立てる鎖のついた枷が気になるところだが、だからこそ余計に不気味なのかもしれない。

 彼らはおそらく、金持ちが嫌いなのだ。

「医師ではないので断定できませんが、彼はそうでしょう」

流行はやっているのなら、他の者も見ておいたほうがいいのではないか?」

 入口に近い壁にもたれかかり、アガタが口を開いた。相変わらず彼女の口上こうじょうは固く、彼女に関しては、人に警戒されても仕方がないように思う。カツミはかなり失礼なことを考えていた。

「何が目的だ?」

 マサゴはいっそ苛立ったとも見えるような表情で尋ねた。この様子を見るに、カツミの仮説は正しいのだろう。

「あのっ」

「ん?」

 ココノが少し焦ったように口を開く。彼女のことを慎ましく思っていたので、少々意外であったが、悪いことではない。対するマサゴは、ココノのことは気に入っているようで、機嫌良さげな様子で、とろけるような微笑を向ける。

 それを見て、ココノが真っ赤な顔で肩をはねさせたので、焦った様子なのは、彼女を警戒してのことかもしれない。

「どうしたんだ?」

「あ、あの……ヒイズ先生は、とても優しい方ですので、心配することはないと思います。ココノごときが差し出がましいことではありますが、保証、します」

 胸の前でギュッと手を握り、力のこもった表情で、そう言い放った。その様子にヒイズもアガタも満足げで、マサゴも気にさわった様子は見せなかった。

「先生って呼んでるのか?」

「ハイ。ココノは元々青の村から売られた奴婢ぬひでございまして、采女うねめに上がった時に、がくがなくては苦労するやもしれないと、ヒイズ先生が字を教えてくださったんです」

 ココノがニコリと笑うと、マサゴも口角こうかくを上げ、それから「ふうん?」と、小首をかしげて、ヒイズを上から下まで、品定めするように眺めた。

 ふと、ココノがヤカタの下で、“青の”と名乗っていたことを思い出す。彼女の所属か何かだと思っていたのだが、どうやら、生まれた村の名前だったらしい。ヒイズに見せられた地図には、載っていなかった名前だと思うが、あの地図自体、主要都市以外載せていないものだったのだろう。

「よくわかんないけど、ココノ、だったか? お前が言うなら、そのヒイズとやらを信じてやってもいいぜ。薬だってもらってんだから願ったりだしな」

 突然機嫌よさげに自分の胸を叩くマサゴの様子には、苦笑くしょうが漏れた。ひと目で気に入ったとは言っていたが、可愛い女の子に弱いなど、完璧に男のそれである。せっかくの目の保養だというのに、彼女の親父殿とやらには一言文句を言いたい。

「……そういえば、アガタ。お前、武器はどうした?」

 前触れ無く、カツミが口を開いた。思い出すのは、アガタが武器があるので車番くるまばんに残りたいと言ったことだ。武器はヒイズが持って来ると言っていたが、ヒイズもアガタも、得物えものを持っているようには見えない。

「ああ、私の武器は青龍刀せいりゅうとうでな。武人以外が持つことを禁じられている武器だ。貧困街スラムに持ち込めば、騒ぎになるだろうから、置いてきたのだ」

「なるほど……」

 と、納得しかけたが、新たな疑問が生まれる。カツミは何も告げずに、貧困街スラムへと足を向けてしまった。本人も貧困街スラムに入ってしまったことなど知らなかったというのに、彼女たちはまるでそうではないというような口ぶりだ。

「何故、俺が貧困街スラムにいるとわかったんだ?」

 気になったので、率直に尋ねた。アガタに対して問いかけたつもりだったのだが、口を開いたのはヒイズだった。ヒイズはカツミのそばに歩み寄ると、カツミの手を取り手のひらを開かせた。ヒイズの指先が、カツミの手のひらの上を紋様もんようを描くように動く。

「私もノベルを得意としておりまして、さすがにそれを生業なりわいにしている方には及びませんが、“風”を意味する“カ”の字を書いて、カツミ殿を探したのですよ」

 ぐにゃりと描かれた紋様もんようは、ノベルに用いられる文字だったようだが、カツミには理解できなかった。かな文字のようにも思えたが、なんと書いたかと言われれば違う気がするし、“か”とは似てもにつかない。どちらかというと、“そ”に近かったように思うが、あくまで似ているだけだ。

「……?」

「改めて、時間を取ってお教え致します……」

 カツミがあまりにも、首をかしげるので、ヒイズも困ったらしく苦笑くしょうを浮かべた。一方でカツミも、この文字を学ぶ必要があるのかと、考え込んでしまう。人を探すことができるというのは便利そうだが、妙な印を覚える手間を思えば、微妙である。

「んなことより、病人を見てくれよ」

「あ、そうですね。ですが、彼の耳が凍瘡しもやけになっているかもしれません。この時期にこれでは、今後厳しいでしょう。具合の悪い方は、協会に身を寄せたほうがいいかもしれませんね。さすがに凍瘡しもやけに効く塗り薬は持ち合わせていませんので……」

 ヒイズを急かすマサゴに、諭すように語りかけた。たしかに薄暗い路地に面した、石造りの建物の中は寒い。雨風あまかぜしのぐだけの場所といった感じだ。もっとも、すきま風があまりにも寒いので、実際に防げるのは雨くらいのものだろう。彼の体にかけている毛布も、薄く毛が禿げている上に、少々小さい。これでは凍瘡しもやけになっても、無理はない。

 ヒイズの診察も、医師ではないと言っていることから確実とは言えない。風邪かぜかどうか、熱があるかどうかの判断は出来ても、他の病気を併発へいはつしていればお手上げだ。その可能性もあるので、やはりきちんとした施設に行くべきだろう。

「……協会があるのか?」

 記憶が正しければ、他でもないヒイズ自身から、宗教がすたれたと聞いたはずだ。しかし彼の口ぶりでは、協会という宗教の拠点であろう施設が、機能しているようではないか。

 ―――と、考えて口に出してから、グウで目を覚ました日のことを思い出した。ココノの手によって身支度を整えたあとに、都を一望した。その時にたしか協会のような建物もあったのだ。すたれたとは聞いたが、首都・陽妻タカヅマに協会があったのだから、この水晃ユクミツに協会があっても、おかしくはない。

「あるに決まってんだろ! 普段世話になってるからあんまり頼りたくねぇけど、しゃーねーかぁ……」

 やはり、馬鹿にされてしまった。彼女はカツミの記憶がないことを知らないのでしょうがないのだが、少々バツが悪い。

「あの、協会の方にお世話になっているのですか?」

「ああ。グウにいたんじゃココノはわかんねーか。役人に追いかけられた時に逃げ込んだり、稼ぎが悪くて食物くいもんがないときなんかにな。いいとこの出身だって話だけど、あんなに信用できる人間は他にいないぜ」

「まぁ、場所によって変わるのですね。陽妻タカヅマ貧困街スラムは協会を嫌っておりますのに……」

「だとしたら悪いのは協会だな。俺らは簡単に気を許さないが、いい奴なら歩み寄る」

 カツミは今、簡単に気を許した例を目撃している。それとも最初からココノを奴隷どれいと見抜いていた事を思えば、身分の高い者限定で警戒するということだろうか。

「……他の方のところへ行きましょうか。それから、あとで駄賃を渡すので、遣いをお願いしたいのですが」

 ヒイズが懐から出した紙に何事か書き込み、それを寝台ベッドに横たわる男に渡す。男は首をかしげたが、その紙に触れた瞬間、目を丸くして、何度もヒイズと手渡された紙を見比べる。

「でしたらココノが―――」

「そうですね。ココノ殿も手伝ってあげるといいでしょう。何か滋養のつく物を買って皆で食べて温まりなさい」

 ココノが自分が行くと言い出しそうなところを遮り、手伝うように指示を出す。アガタはその様子を見て、どういうわけかクスクス笑っていた。

「……あんた、いいやつって思いたいところだけど、俺らを甘やかすのはよしとくれ。甘えを覚えた奴は貧困街スラムで生きていけなくなっちまう」

「だからこそ、遣いを頼むのだ。それならば正当な報酬だろう?」

 なるほど。どうやらヒイズはそこを見越していたらしい。アガタはそれが分かり笑っていたのだ。なんともお人好しな話であるが、悪くない。

「わかった。でも、俺が行く。まだあんたらが役人とつるんでねぇって決まってねぇし、禿び達が行って罠でもはられたんじゃ大変なことになっちまう」

 ココノが再び、ビクリと肩をはねさせた。どうやら先ほど頬に口づけられた衝撃が、未だ抜けないらしい。

「そんなに警戒しないでくれよ……」

 マサゴの方が少し背が高いので、ココノの顔を覗き込むために、かがみこんだ。眉を下げ、しょんぼりと寂しい表情を浮かべている。拗ねた口調が先程までに比べ、どこかあどけない。

「そうは言いましても、ココノは……」

 まぁ、ココノの反応も仕方がないだろう。見るからに初心うぶな彼女に、突然頬に口付けるということは、衝撃的なことだ。……周囲にとってももちろんなこと。思い出せば、ヒイズとアガタもすこし焦っていた。

「この街に年の近い女なんていねーしさ、仲良くやりたいんだよ。俺と友達に、なれないか……?」

「……」

 少し照れくさそうにそっぽ向くマサゴと、意外そうに彼女を見つめるココノ。掏摸スリの少年たちを追いかけたカツミだが、そういえば、マサゴくらいの年の少女はたしかに見かけなかったかもしれない。街の中でも同様だ。それならば、目の前に年の近い同性が現れたことで、舞い上がったということだろうか。

「あのっ……。ココノ、友達なんて、初めて言われましたっ」

 対するこちらも微笑ましい。そう思ったのはカツミだけではなかったらしく、ヒイズもアガタも、寝台ベッドの男も一様に笑みを浮かべている。

「じゃあ、と、友達、なれるかっ」

 マサゴが勢いよく顔を上げる。

「はいっ」

 ココノも、胸の前で拳を握り締め、意を決したように返事をする。

「……! あ、ありがとうっ」

 少し裏返った声が、彼女の緊張を伝える。

 寒く薄暗い、貧困街スラムの路地裏で、彼女たちの空気は、どこか暖かかった。



 その暖かな空気の影で、今、蕾が花開きつつあることに、まだ誰も気づかない。
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