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1: とある親子

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「ちょっとゆめちゃあん! あんたいい加減に…あら浮島うきじまさん、おはよ!」
 時刻は午前9時を回った頃。10部屋しかない古びたアパートの1階の角部屋をノックする者がいた。

「あ、マリーさん。おはよーっす。…また、滞納してる感じっすか?」
 ノックをする者とたまたま居合わせたのは、ブロンドのロングヘアーをなびかせる女だった。

「そうなのよぉ。今日までには絶対払うーとか言われたんだけど…これがもう、全っ然!」
 彼は…否、彼女はこのアパートの大家のようで、筋肉質の体には少し追いつかない仕草を見せている。

「それにしてもマリーさん、今日もなかなかシビぃファッションっすね」
 浮島と呼ばれた女が言うように、マリーと呼ばれた者のファッションセンスは光っていた。黒のタンクトップに赤い柄シャツを羽織った姿は自信に満ち溢れている。

「あらありがと! そう言う浮島さんも素敵よ」
「…がっすか?」
「ええ! 全身黒いジャージだなんて、あなたこそシビぃわよ!」

分かりきったお世辞だと受け取ったのか、浮島は冷めた目でマリーを見た。
 木製のドアがきしみながら開いたのは、ちょうどそのときだった。

「あ、とうとう出てきたわね! さぁ夢ちゃん、今日までの約束だったはずよ。早く出すモン出し…」
「また金の無心か? みっともないぞマリー」

「はぁ!?」
水色のパジャマに身を包んだ男にそう言われた彼女はドスの効いた声を浴びせた。

「あんたねぇ! こっちは待ってあげてんのに、人を乞食こじきみたいに…」
「マリーさん、あんまり声がデカいとアレなんで…」
 浮島はマリーの肩を優しく掴むと、「しーっ」と口をすぼめた。

「…そうね、ご近所に迷惑ね。けどね夢野ゆめのさん、あんた確か…もうじき25よね?」
「もっとも。ちなみに浮島うきじま未来みらいも俺と同い年だ」
「それ言う必要あった? ねぇ」
 仮にもレディーの心になんらかの波風が立ったのか、未来は夢野の顔を覗きこんだ。
「…うん、そうよね。アタシ説教とかするような柄でもないし、したくもないんだけどね? 部屋を借りてる以上は、ちゃんと決まった日にお金を…」

「あのぉ…」

 説教のスイッチが入った頃、3人の元に男児を連れた女性が現れた。
「えっ…誰?」
「今日の依頼人だ」
 耳打ちをするマリーにそっけなく答えたのを知ってか知らずか、「依頼人」は自ら名乗りをあげた。

「おはようございます。母親の横山よこやま香苗かなえです。…夢野ゆめの駄略だりゃくさんですよね?」
「いかにも…夢野駄略だとも」

 駄略はイガグリのようにボサボサとした頭をかきながらあくびをした。くわえてパジャマ姿ということもあり、母親は明らかに不信感を抱いているようだった。

「ママ…僕この人に何されるの?」
 5、6歳ほどの子どももまた、同じような不安を感じていたらしい。
「心配はいらない。俺は今から坊やの悪夢を取り除く」

 サンダルを履いて男児に近づいた駄略は、しゃがんで穏やかな声でそう言った。
「噂は耳にしています。夢野さんは今までたくさんの人たちを悪夢から救ったとか…」
女性の言葉にさして興味がないのか、クマの目立つまぶたを擦りながら駄略は彼女を見つめている。
 やがて駄略は、未来のほうへと向き直した。

「…百聞は一見にしかず。浮島未来、彼女たちをもてなしなさい」
 ぶっきらぼうに命令をする駄略に小さく舌打ちをしつつも、未来は言うとおりにした。
部屋へと案内する彼女を尻目に、マリーの言わんとすることを抑えるようにして、駄略は真っ先に口を開いた。

「金だよな? それだったら、これからお釣りがくるくらい手に入るさ」

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 玄関に入り、まず目に入るのはレンジを乗せた小さめの冷蔵庫だ。そしてその隣にはシンクがあり、風呂とトイレは別だと見てとれる。そしてその奥には、白い間仕切りが垂れ下がっている。
「何を突っ立っている。客人にはお茶のひとつでも淹れるのがマナーというものだろう」
「この家のどこにお茶があるってのよ…飲み物らしいモノつったら牛乳しかないじゃん?」

 2人のやり取りを見せられている間にも、親子は若干の居心地の悪さを感じている。それを察したマリーはぴしゃりと言い放った。
「ちょっと2人とも、おもてなししようっていうのは素晴らしい心がけだけど…本題に入るのが先じゃないかしら?」

「…マリー、なぜお前がここにいる?」
 駄略は後ろを振り返り、玄関に立ったままのマリーに冷たい視線を送った。
「あんたが本当に悪夢を取り除けるのか、実際に解決するところをこの目で見たくなっちゃって…ダメかしら?」

 マリーのその一言に、横山親子は特に見られても構わないという答えを出した。未来もまた同じであった。
 駄略は、条件付きで見学を許可した。

「…俺らが寝ている間、絶対に起こさないこと。そして…俺のやり方にケチをつけないこと。この2つさえ守ってくれれば構わないさ。横山香苗さん、これはあなたにも言えることだ」
 鋭い眼光を向けられた母親は固唾を飲んだ。再び訪れた不信感を振り払うため、彼女は言葉にした。

「…ちゃんと、この子を悪夢から助けてくれるんですよね?」
「ええ。この夢野駄略がいる限り、失敗は夢でもありえない。必ずその子を救ってみせるとも」

 爆発頭にひどいクマ、生活感がむき出しの水色パジャマ…
しかし彼の言葉には、決して半端ではない確かな自信と決意が含まれていた。
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