荒れ地に花を

グタネコ

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第四章  荒れ地

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 佐竹が渡辺久夫と飲んでいた。こちらは、おしゃれでも高級でもない、ガード下の焼き鳥屋だった。安月給のサラリーマンが、会社帰りに愚痴を言いながら飲む飲み屋だ。
 大分出来上がった会社員が、ひとしきり政治家の悪口を言った後で、
「オヤジ、ビール、もう一杯」と裏返った声で注文した。
 タバコと焼き鳥の煙で、店の中は霞んでいた。禁煙は外、喫煙は中、都合の良い分煙だった。
「久しぶりだな」
 渡辺は焼酎のお湯割りをうまそうに口に運んでいた。
「ああ」
 佐竹はビールだった。
「十年振りぐらいか」
 渡辺が言った。二人は同期だった。大学も同じ、警察学校も同じ、初めて配属された警察署も同じだった。
「芳恵さんは、元気なのか」
「ああ」
「子どもは一人だっけ」
「二人だ。上の娘が、今は高校二年、いや、三年だったかな」
「おいおい、娘の年ぐらい、しっかり覚えておけよ。で何だ、スピード違反のもみ消しか、それとも風営法違反か」
 口が悪いのは、二人共よく似ていた。
「それとも……」
 軽口に佐竹が乗って来ないので、渡辺は、真面目な表情になった。
「麻生圭子の自殺の件なんだが」
 佐竹はビールを舐めるように飲んだ。
「麻生圭子? 誰のことだ」
「二ヶ月前、東応大学のバイオ研究所で自殺した件だ。お前の管轄だよな」
「東応大学? バイオ研究所? 自殺?」
 渡辺は腕を組み、しばらく考え、
「ああ、あれか」と言った。
「何かあるのか、あれはただの自殺だぞ」
 二ヶ月前なのだが、記憶に残っていなかった。事故や事件は毎日起きていた。屋上からの飛び降り自殺は、記憶に残るような話ではなかった。
「あれには、殺しとか、他の線はなかったのか」
 佐竹が聞いた。
「ないな。遺書も残されていたし、子どもが亡くなって落ち込んでいたようだ。屋上に靴が揃えられていて、聞き込みをしても、自殺以外の線は出て来なかった。付き合いは悪かったらしく、飲み会にもほとんど参加していない。浮いた噂はなし。金銭の貸し借りもなし。生命保険も掛けていない。痴情、怨恨、金絡み、なにもない」
「遺書というのは? 手書きか?」
「いや、ワープロだ。確か、子どもが死んで、生きていく気力がなくなった、とか書かれていたような気がしたな。旦那も数年前、外国で亡くなっていて、気の毒だが自殺する気にもなるだろう」
「報告書を見せてもらえないかな」
「いいけど。何故だ? 自殺じゃないっていうのか?」
 一度、ケリがついた事件だ。管轄外の人間が疑いをもつのは気分が悪い。
 他にも事件は、山ほど起きている。誰からもクレームがついていない事件を中からひっくり返して調べることはないだろう。
 渡辺は露骨に不満そうな顔をした。
「ちょっとな……」
「おい何だよ隠すなよ。何かあるならはっきり分けを……」
 渡辺は言いかけて、何かを思い出したらしく、
「待てよ佐竹。もしかしてあれか?」と話を変えた。
「あれ?」
「ああそうか、お前が担当なんだ」
「何だよ」
「噂は聞いてるぞ。ミイラだろ」
 渡辺は、興味深そうに、佐竹の顔をのぞき込んだ。
「関係があるのか。ミイラと自殺が」
「わからない……」
 佐竹は言った。
「やっぱり、ミイラか」
 どうやらすでに、ミイラの話は他の警察署でも話題になっているようだった。
 そう言えば、鈴木がカルトだかカルタだか、インターネットでミイラが話題になっていると言っていた。
 遺体が見つかった周辺の住人に、遺体がミイラ化していたとは伝えていない。
 マスコミにもミイラの話はしていないし、新聞やテレビでも、特に取り上げてはいない。 今週は、元アイドル歌手の覚醒剤騒ぎがあって、テレビのワイドショーは、その話題で盛り上がっている。
 死んだのは男が三人だ、昼のワイドショーで取り上げたくなる話題ではないだろう。
 遺体の一部を食べたとか、まだ生きていると言って食事を与えているとか、猟奇的な味付けがされれば別だが、一人暮らしのオヤジが死んだだけでは、誰も興味がない。
 多分、鑑識の誰かが、酔って他の署の人間に話したのだろう。それが渡辺の耳に入ったようだ。
「佐竹、本当のところはどうなんだ、人間が一時間でミイラになるのか」
 話に尾ひれがつき、勝手に大きくなっていく。始めは三日だったのが、一日、半日と短くなり、今は、一時間になっているようだ。
「一時間? バカを言うな。一時間でミイラになるわけがないだろ。二、三日だよ」
 全く、世の中には無責任な奴がいるな、と佐竹は呆れた。
 話を広めている人間も、嘘だと思いつつ、面白がって一時間と書いているだけだろう。
 しかし、実際は一時間ではなく、数分でミイラになるとは、佐竹も含めて誰も想像できる分けがなかった。
「でも、二、三日か。それでもすごいな。二、三日でミイラか、いやあ、そりゃすごい」
 何がすごいのか分からないが、渡辺はしきりに感心していた。
「そうか」
 渡辺は自分の膝を叩き、
「なるほどな」と勝手にうなずいた。
「あそこから、おかしなウイルスでも漏れ出したと思っているんだな。あの研究所は遺伝子何とかをやってたからな」
「遺伝子組換え」   
「それだよ。そうか、そういうことか。自殺した女がおかしなウイルスを作って、そのせいでミイラになったのか、なるほど、その責任を感じて、ウンウン、そうか」
 渡辺は一人で納得し、焼酎のお湯割りをうまそうに飲んだ。
 佐竹は説明するのも面倒で、勝手に想像させておいた。
「おい、ウイルスだとすると、もしかして」
 渡辺は体を引き、佐竹から離れた。
「違うって。勝手に考えるなよ。調べたけど、ウイルスも病気も関係ない」
「そうなのか」
「そうさ。いいから、飲めよ。ビールはどうだ」
 渡辺のコップは空になっていた。
 佐竹がビールを注ごうとするのを、渡辺は、
「お、オレは焼酎でいい」と断った。
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