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草餅よもぎ

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火災

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「きゃぁああああーーーー!!!」
教室の女子の悲鳴が上がった。他の教室からも叫び声が聞こえてくる。悲鳴をあげているのはほんの一部の人だけで、他は唖然としている様子だ。
なんだ?雷?地震?
教室がざわつく。
「落ち着け!皆静かにしろ!!なんかわからんが机の下に入っとけ!」
幸いこのクラスは丁度担任の松尾先生が担当していた授業だった。信頼する先生の言葉に皆従って机の下に隠れる。
地震っぽくはない。地面の揺れというよりは衝撃。
廊下の外から数人の足音が聞こえるが、さっきの悲鳴やざわつきは落ち着いており、校舎の二階は比較的静かだ。だが、遠くからは悲鳴や大人数の足音が聞こえる。
一階で何かあった?
『校舎一階、理科室にて火災が発生しました。生徒の皆さんは先生の指示に従い避難してください』
揺れの後数分で直ぐに校内放送が入った。
理科室で火災。さっきの衝撃は爆発?
「よぉし、黒板を先頭に皆2列で並べ!非常階段使ってグランドに出るからな。押すな、走るな、喋るな!
委員長先に行け。俺は最後に出るからな!」
少しの間があり、直ぐに生徒は机から出て教室の真ん中の空きで2列になる。
席が教室の後ろ側にあったから、私は列の最後になる。花南は中頃、実鈴はやや後ろ側。
先生も生徒をかき分けて後ろに来た。少しずつ、列が進み出す。私語が全くないとは言えないが、静かなものだった。火災という放送で気づいた生徒がハンカチで口元を覆っていた。
少しだけ、煙のにおいがする。
先生は私の後ろに立ち、肩を大きな手でぐわっしと掴んできた。汗をかいているのがわかった。
「秋野が最後だな」
「はい、たぶん」
「なんかあったら投げてやるから逃げろよ」
「死んじゃいますぅ」
こんな状況でも軽口を叩くのは、 最後に脱出する生徒である私の緊張を和らげるためかと思ったが、先生が沢山の汗をかいているのをみて自分のためでもあるのだなとわかった。
そりゃそうだ、いくら避難訓練をしていたとしても実際の緊張感を訓練で味わうことは難しい。
やっと列の半分が教室を出た。
非常階段も混雑しているからか、列は少しずつしか進まない。
煙の匂いも濃くなってきて、遠くから消防車とパトカーのサイレンが聞こえてきた。
理科室は校舎一階の端にあり、私のクラスは校舎二階のほぼ真ん中で直ぐ傍に階段がある。非常階段は理科室側とその反対にあるため、二階からは反対側の非常階段からしか避難することができない。
どれほどの火災が発生しているのかはわからないが、煙のにおいが濃くなっているので急いだ方が良いのは確かだろう。
漸く私が教室から出ることが出来る頃には、視界が靄がかっていて煙たくて仕方が無かった。制服で口元を抑え、教室を出るときに階段の方を見ると、もくもくと黒い煙が上がってきているのが見えた。
背中がひやりとして、この時になってやっと危険な状況なのだと実感した。
「煙があがってきてるからな、屈んでおけよ!」
先生が生徒に向けて大きな声で告げると、私も含めて指示の聞こえた生徒が腰を曲げて歩き出した。
早く出たいという気持ちが大きくなってきて、体中から汗が出て気持ち悪い。それでも焦らずゆっくりと進む。
私と先生の後ろにも別のクラスの列があった。二階理科室側に教室のあったクラスだろう。
少しずつ進んで、校舎を出ると雨が降っていた。全く気づかなかった。淀んだ校舎の空気とは違い、雨と薄い煙のにおいがする。校舎の中が暑く、私が汗をかいたのも相まって外の空気はとても冷たく雨が少し心地良い。
前の人について行くと、グラウンドではなく校舎横の体育館に向かっており、列は崩れて各々雨の中を走っていた。
私は先生と並んで小走りで体育館に入った。
先に避難したクラスは先生の指示を受けて整列して座っており、私のクラスも先に来た人は委員長の点呼で順番に座っていた。
「おぉい、林!みんないるか?」
「はい、先生と秋野さんで最後ですっ」
「よし、良くやった。秋野、林、並んで座っとけ」
「「はい」」
松尾先生はステージの方に走っていき、他の先生と話し始めた。
「秋野さん、最後だったけど大丈夫だった?」
可愛らしい花柄のハンカチで額の滴をぬぐいながら、話しかけてきた彼女は林 愛菜香(ハヤシ マナカ)
このクラスの委員長。ゆるふわ髪をリボンのバレッタでまとめていて、おっとりとした垂れ目。見た目通りにおっとりふんわりした女の子で可愛いからという理由で委員長に抜擢され、1年の時にも委員長をしていたらしく場慣れしていたのは意外だった。
「林さん、しっかりしてるね」
特に意識はせず、ぽろりと口から出た言葉だった。
「そんなことないよ、とっても緊張してて……こわかった」
俯いてふわふわの髪で顔を隠しながら彼女は苦笑いした。少しだけ、少しだけ髪の隙間から見えた目がやけに耀いていて恐ろしかった。思わず息を飲むほどに。
「は、林さんそろそろ並んだほうがいいかも、避難落ち着いてきたみたいだよ」
「そうだねっ。自分の場所に戻るね。秋野さんもちゃんと並んでね」
「………うん、わかった」
その表情はほんの一瞬で、すぐにいつものゆるふわに変わった。


その後、学校には警察や消防、保護者が集まりあれやこれやとごった返すことになった。
家に帰れたのは思っていたよりも早かった。
迎えに来たお母さんは心底ほっとした表情で、私も気が緩んで自然と涙が出た。
とてもこわかった。
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