牧野

伊原亜紀

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飲み会

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「ねえ、今日って暇?」机の上に置いたスマホに、そうメッセージが届いたのは3限目の理論経済学の時間だった。
 その授業はあまりにも退屈なことで有名だったが、僕が他に取っている授業との並びが良かったため、履修していた。
 僕は講義室の硬い椅子に座り、ただ本をめくっているかS N Sを覗いたりしていた。そして、ちょうどS N Sを見ているタイミングで、そのラインが届いた。
 送り主は、僕が一応所属しているサークルの同期の北澤だった。名ばかりのバスケットボールサークルにいる女子の中では、僕的には一番仲が良いと思っている。
 僕はそのメッセージを5分ほど放置した後、「久しぶり。飲み?」と返信した。僕は牧野と会って以降、サークルのメンバーと会う機会が減っていた。
 理由は二つある。一つは単純に時間の問題。僕みたいな大学生にも一応時間に限りはある。牧野と会う回数が増えたことに比例して、読書と映画鑑賞に使う時間も増えた。牧野に勧められたものを観るようになったのもそうだし、牧野が読んでそうなものを読むようになった。牧野がそれを会話に出したときに、既に僕がそれを読んでいたり、観ていたりすると、牧野は嬉しそうな顔をした。そして、少し興奮して早口になった。僕はそんな牧野が見たかった。
 二つ目の理由は、僕が彼らとの会話に飽きてしまったからかもしれない。彼らとの会話は、僕は彼ら以外ともすることができる。彼らも、僕とする必要はない。そんな会話を積み重ねることは、僕はあまり好きではなかった。
彼女からの返信はすぐに帰ってきた。「そう。新宿で」というメッセージとともに、店のU R Lが送られてきた。その店の情報を見ていたら付け足すように、今日参加するメンバーが送られてきた。
僕は「行く」と返事をしスマホ机の上に伏せた。全体への呼びかけならスルーできるが、個人で誘われると断れない弱さが僕にはある。

 安さが売りの居酒屋は、学生で賑わっており、窮屈に座る僕の隣には、別の大学生グループがいた。
「最近何してるの?」僕と向かい合う席に座った北澤が僕にそう尋ねた。少し釣り上がった勝ち気そうな二重瞼に正面から見られると、少しの威圧感と、緊張感を覚える。色白で全体的に整った顔立ち、緩く巻かれた茶色い髪は、サークルの男子たちに人気があるのも頷ける。そしてそんな北澤は、サークルの二個上の先輩の安達さんと付き合っている。
「普通にバイトしたり、ダラダラしている。特に何も変わってないよ。山本は?」
 僕は隣に座る山本に話を逸らし、腰をずらした。硬い木の椅子は座り心地が悪く、安定性にも欠けていた。
「俺もバイトして、サークルの奴らと飲んでって感じだなー」と山本が答えた。今時の大学生にしては髪の毛が短い山本は、爽やかな、いかにもスポーツマン風な感じの男だ。身長も僕よりも五センチほど高く180に近く、体格も良い。そして、気の良いやつなので、単純に友達が多い。大学一年の十二月ごろに、中学三年の時から付き合っていた彼女と別れたのは、僕らの中では大ニュースだった。
 山本は続けて、バイト先の愚痴を言い始めた。山本は個別指導塾でバイトをしていて、そこの教室長と馬が合っていないのは、僕らの中では周知の事実だった。山本にバイトの話を振れば、面白おかしい教室長とのエピソードがどんどん出てくる。
 僕らはその話を聞き、笑って、適当に相槌を挟んだ。
 その後、話は各々のバイト先の話になった。暑い夏の中効き過ぎた冷房が、直接当たるように僕に吹き付けていたため、みんなが話している間、僕は半袖のシャツから出た腕を何度も擦った。
「てか、煙草やめたの?」突然山本に聞かれ、僕は頷いた。
「健康的な生活を送ろうと思って」
「彼女か、絶対彼女だろ!」
「いないよ。紹介してくれ」
「えーいないんだ」斜め向かいに座る土井がそう反応する。少し胸元の開いた黒い服を着ているので、目のやり場に困る。
 土井はマッチングアプリでかなり男と会っていると言う話を聞く。このメンバーの中でマッチングアプリをやっているのは、僕が知っている限り、土井だけだ。土井が遊んでいるのか、本気で恋愛を求めているのかはよく分からないが、一部のサークルの男子、僕のあまり好きではない奴らからは「勘違い女子」と呼ばれている。あまり容姿が優れてなく、マッチングアプリの性質上モテているだけの女子のことを、彼らはそう呼んでいる。僕は土井が何も悪いことはしてないだろうと思い、土井を貶す彼らへの好感度が下がった。他人を貶す人間は、一体どの目線で生きているのだろう。僕も彼らを貶している時点で、同じ穴の狢なのだが、一緒にされたくはない。
「けど、最近大学で、女の子と一緒にいるとこ見たよ」土井にそう指摘される。
「私も見たよ」北澤も笑いながら反応する。少し酔っていそうだ。
「ああ、あの子は別に彼女じゃなくて、本当に何もない」僕は事実を答える。
「何の子?クラス?」土井が体を少し前に倒すので、僕は北澤の方に目を向ける。
「いや、文学部の子。たまたま食堂で会って、趣味が近いから仲良くなった」
「趣味って?」土井は興味津々といった感じだ。確かに、他人の恋愛話は、飲みの場にはもってこいの内容だ。
「読書」僕は事実を答える。
「確かに読んでるね」北澤は言う。読書が僕の趣味だということは、ここのメンバーは知っている。
「その子のことは恋愛的に好きじゃないの?」、「悪い男だなー。お前は」と北澤と山本に同時に言われる。
「マジで全然そんな感じじゃないのよ。お互いに。その子も彼氏いるし、俺も実は別に好きな子がいるのよね。ただの友情です」僕はそう答えた。
「何だよ、好きな人いるのかよ」と山本は言い、
「紹介する必要ないじゃんか」と土井は続き、
「どこの子?」と北澤が質問を投げてきた。
「高校の子」と言い、僕はその子とのありもしないエピソードを作り上げた。恋愛話なんてものは、いろいろな所に転がっていて、それらを繋ぎ編集すれば、新しい恋愛話を作るなんてことはそんなに難しくない。
 僕の恋愛話に三人は、観客として良いリアクションをし、その子の写真を求めてきた。大抵の人は他人の恋人を見たがるのだが、僕にはその感情が全く分からない。人の恋人ほどコメントに困る対象はこの世に存在しないのではないだろうか。外見についてのお世辞は、時にあからさま過ぎるし、「良い人そうだね」という決まり文句は、外見が優れてないということを、暗に示してしまう。
 僕はスマホの写真フォルダの中から、高校の体育祭の時に撮ったその子とのツーショットを見つけ表示し、テーブルの上にスマホを置いた。
「良い子そう」、「可愛いじゃん」、「確かに好きそうだわ」と三人がそれぞれ別のリアクションをした。僕は「好きそうだわ」は今後人の恋人を見せられた時に使えそうだなと思いながら、
「可愛いでしょ」と言い、スマホをポケットにしまった。

 十一時を過ぎ、飲み会は解散された。
 僕と土井は京王線、山本と北澤は山手線なので、新宿駅で二手に分かれた。僕以外は実家暮らしなので、誰かが終電を逃し、僕の家で宅飲みをする流れだけは避けたかった。珍しくスムーズな解散は、僕にとってはありがたかった。
 土井と二人で、京王線の改札を通る。土井と二人っきりになるのは初めてだった。いつもなら、後何人か京王線に乗る奴等がいた。
 ホームへの階段を下りながら、土井が言った。
「この後、あの二人多分ホテル行くよ」
「は?あの二人ってそういう感じなの?」
「隠してるけどね。今日も全然そんな感じ出さなかったでしょ」土井が嘲笑うように言う。僕は初めて見る土井の表情に気まずさを覚える。
 北澤と山本がそう言う関係だとは全く知らなかった。まあ、最近サークルに顔を出していないので、知っているはずもないのだが。
「え、安達さんとは?」
「まだ付き合ってるよ。美佳もよくやるよね。まあ、山本もだけど」
「マジか」
「マジだ」
 北澤はともかく、山本がそういったことをするタイプだとは、僕は思わなかった。一人の彼女と長く付き合っていたと言う実績は、僕に誠実と安定性と印象を与えていた。
「いつから?」と聞き、僕は土井が端になるように座席を一つ開け座った。いつもは何も感じない座席が、あの居酒屋の後だと、とても良い椅子に感じる。
「山本が別れてから割とすぐ。二人で腕組んでラブホ街にいるところをたまたま見かけたんだよね」僕はなぜ土井がラブホ街にいたのかは聞かなかった。
「なるほどねー」仲の良い二人の関係には驚いたが、別に口を挟むことではないだろう。この後、高確率で発生するトラブルに巻き込まれるのは避けたい。
「誰にも言ってないんだ」僕は土井にそう尋ねた。
「まあ、面倒臭いからね。それに二人のことは別に嫌いじゃないし。変に顔突っ込むよりもお好きにどうぞって感じ」そう言うと土井は、僕の顔をじっと見つめてきた。酒に酔った目は力が抜け、妙な色気が出ていた。
 僕は土井から目を逸らし、つまらない大学の講義の話を始めた。土井はその話に相槌を打った。最寄駅に到着し、僕は土井に別れを告げた。電車を降り少し振り返ると、土井はスマホを弄っていた。
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