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第三章

21.気負い

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 桜も散りきり、街中の景色がピンクから緑へと移り変わる。日中の気温も大分上ってきて、半袖で過ごすのがちょうどいいくらいだ。夜はまだ冷えるけど。テレビからも連日のように今年の最高気温が更新されたと流れてくる。次第に暑くなっていく中、俺の心も負けず劣らず日に日に熱さを増していく。
 団体戦のオーダー発表があった次の日から、大会に向けて俺はペアのキャプテンと猛特訓を開始した。ダブルスではペア同士の呼吸を揃えることが最も重要だ。呼吸を揃えるっていうのは、そうだなぁ……言葉にするのは難しいけど、強いて言うなら二人が試合の戦い方を〝共有〟することかな。例えば相手のボールにパワーがあってこっちの体勢が悪い時にはロブで時間を稼ぐとか、逆にこっちの打球が相手コートの深くに決まったら前衛がポーチに出るとか。色々と二人の間で決まりごとをつくっておけば、試合中でも自然と自分たちのリズムを掴むことができる。
 先輩たちも代わる代わる俺たちの相手をしてくれた。ハルも松葉杖をつきながら常に俺の横で、ああじゃない、こうじゃない、といつものスパルタ指導をしてくれた。
 練習は試合形式以外にも、ボレーやスマッシュといったダブルスでは得点源になりやすいプレーも重点的にやった。それも鬼のように。試合に出るのは俺たちだから俺たちが一番練習するのは当たり前だけど、休憩はほんの数十秒の間に水分補給をするのみ。あとは常にコートの中で打っては走り、打っては走りの繰り返し。呼吸が追いつかなくて何度も目眩をしそうになったけど、その度にキャプテンが俺の背中を支えてくれたから耐えることができた。キャプテンも苦しそうな顔をしていたけど、その目は真っ直ぐ、前だけを見つめていた。
『ただ、選ばれなかったヤツらの、コイツらの気持ちだけは決して忘れないでくれ』
 そんなキャプテンの姿を見ているとあの時の言葉を思い出す。そして周りを見る。
「いくぞ桜庭ぁ!」
「まだまだ走れるぞ桜庭ぁ!」
 俺なんかのために先輩たちは全力で練習相手になってくれたりアドバイスをしてくれている。だから弱音を吐くことだけは絶対にしないって決めた。
 経験豊富な先輩たちのサポートほど心強いものはない。お陰でこの短期間のうちにキャプテンとのダブルスを形にすることができた。俺が粘ってボールをつなぎ、キャプテンが決める。それが俺とキャプテンで導き出したスタイルだ。俺がハルみたいに上手く戦えなくて、キャプテンを失望させてしまっているんじゃないかって悩んだこともあったけど、今はそれを考えないことにした。
「俺たちは俺たちのやり方で戦えばいいんだ」
 そう言ってくれたキャプテンの顔はなんだか自信に満ちていて、俺も安心できた。そうだ。俺たちには俺たちの戦い方がある。ハルにはできない俺の戦い方が。今はそれだけを考えよう。
 そしてあっという間に二週間が過ぎていき、都大会団体戦の初戦を迎えた。
「がんばれよ、桜庭!」
「瞬、ファイト!」
 コートに向かう俺をみんなが笑顔で送り出してくれる。とてもありがたかったけど、俺はその全部に答える余裕なんてなくて、「はい」とか「うん」の言葉しか口から出てこなかった。
「瞬先輩、がんばってください!」
 土門や後輩たちもエールを送ってくれる。本来ならここで後輩の期待に応えるように「任せとけ」とかかっこよく言うんだろうけど、言葉が喉でつっかえてしまってただ頷くだけになってしまった。
 俺たちの前の試合が終わり両チームがコートから出てきた。片方は勝ち星を上げて喜び、もう片方は敗退に涙する。なぜか俺は涙を流しているチームの方に目が行ってしまい、これから試合だっていうのに気持ちがネガティブになっていく。
 闘志はもちろんある。やってやるっていう気合いも入っている。でもなんだろう、この感じ。頭が働かないっていうか……。昨日の夜あまり眠れなかったせいかな。
「瞬!」
 フェンスの扉に手をかけようとしたところを呼び止められた。
「ハル」
「なんか緊張してないか? 周りなんて気にしないで――」
 あれ? ハル、途中からなんて言ったんだ? 口が動いているのは分かるのに――二コッていつもみたいに笑った顔も――音が入ってこない。
 そうか。俺、緊張しているんだ。自分でも薄々感じてはいたけど、多分無意識のうちに「これは緊張じゃない」って考えるようにしていたんだ。緊張したらいいプレーなんてできないって心のどこかに恐怖心があるから。だから俺は緊張していないぞって認めたくなかったのかもしれない。でもハルの言葉さえ最後まで聞き取れないなんて、自分で思っている以上に緊張している証拠だ。
 それでも今日は緊張したってやるしかないんだ。俺はみんなの代表なんだから。この二週間ずっと練習につき合ってくれたみんなのためにも、不甲斐ない姿だけは絶対に見せられない。
「桜庭。肩の力、抜いていこう」
 キャプテンが優しく声をかけてくれた。
「はい!」
 それからキャプテンとタッチを交わした。手と手が弾けて乾いた音がコートに響く。よしっ、いくぞ!
「ザ・ベスト・オブ・1セットマッチ。吹野崎、サービスプレイ」
 キャプテンのサーブから試合が始まった。俺の右後方から視界に入ってきたサーブは、センターの角という角に決まった。相手は苦し紛れに触ることしかできず、浅いロブが返ってくる。
 チャンスボール! でも足が重く、反応に一歩遅れてしまった。体勢が整っていないまま打った俺のスマッシュは目の前のネットに突き刺さった。
「0―15」
 やってしまった……。チャンスボールを外すなんて一番やっちゃいけないことなのに。
「すいません」
「ドンマイドンマイ! 切り替えだ。次、ワイドいくからな」
「はい」
 はぁ……。先輩は励ましてくれたけど本当にもったいないことをした。立ち上がりでミスなんてしてたら――
 キャプテンのサーブがワイドの深いところに入った。甘いリターンが返ってきたけど……ポーチに出遅れてボールには触れなかった。いらないことを考えていたせいだ。クソッ! こうなったらラリーの中で攻めていくしかない。
 二往復、三往復と後衛同士のラリーが続く。互いにいいラリーを見せるから前衛が中々ポーチに出れない。でもどこかで俺が出ないと。
 次出るか? いや、でも……ええい! 思いきって出ろ!
 そう思って俺がポーチに出た瞬間、待ってましたとばかりに相手の後衛は体勢を微妙にずらし、俺のいないストレート方向に打ち返してきた。俺は慌てて戻るようにしてラケットを伸ばすも、ボールはラケットの遥か先を通過していく。後ろのキャプテンもボールを追いかけるけど当然間に合うわけもなく――
「0―30」
 ストレート抜かれたっ! クソッ! クソッ! 
 焦った。思い返せばキャプテンのボールはそんなに深くは決まっていなかったし、いつもならステイ(その場に留まること)してストレートをブロックしていた。それよりかは最初のキャプテンのサーブがワイドに深く決まった時に出るべきだったんだ。それを前のポイントのミスなんか引きずって……
 なにしてんだ俺! 緊張して、体硬くなって、焦って自分のプレーすら見失っているじゃないか。
「桜庭」
 キャプテンが俺に近寄ってきて声をかけてくる。
「すいません、二本もミスしてしまって。立ち上がりこそ大事だっていうのに」
「確かにミスが重なってはいるけど、両方ともお前が積極的にポイントを取りにいこうとした結果のミスだと俺は思うぞ。だから気にすることはないさ」
「でも俺、自分でも緊張してるのが分かりますし、体も硬くなっていて動きも悪いです」
「そんなの誰だって緊張はするさ。ましてや桜庭はあまり公式戦の経験がない。緊張しない方がおかしいくらいだ。けどな、重要なのは前のポイントのミスを悔いるよりも、次のポイントをどうやって取るか考えることだ。そうやって、次、次、って思考を働かせていけば自然と緊張もほぐれてくるさ」
「フィフティーンセカンズ」
 十五秒経過を告げる主審のコール。前のポイントが終わってから二十秒以内に次のポイントを始めないと相手のポイントになってしまう。
「おっと時間だ。いいか桜庭、試合はこれからだ。まだ2ポイントしか取られてないんだから焦る必要はない。次、センターいくぞ」
「はい!」
 そうだ。まだ試合は始まったばかりなんだ。ここで気を落とすのは早すぎる。次だ!
 その後も試合は1ポイント、1ゲームと進んでいった。しかし一向に俺の調子が好転する兆しは見えなかった。キャプテンの言う通り、ミスしても「次だ」と気持ちを切り替えるようにはしているけど、緊張がほぐれることはなく、体も硬いままで思うように動いてくれない。俺の体ってこんなに重かったっけ。
 徐々に一人では自分の気持ちを制御できなくなっていた。遂にはキャプテンの励ましの言葉さえ――俺に向かってなにか言ってくれているのは口の動きから理解できたけど、音が――頭に入ってこなくなっていた。だんだん視界も狭くなっていく。
 これが団体戦。コートに魔物でも潜んでいるかのような重たい感覚。もがけばもがくほど足元が取られていく、抜け出せない沼……
「――桜庭!」
 キャプテンに肩を叩かれたことで我に返った。
「大丈夫か?」
 かろうじて周りの様子が視界に入ってきた。審判台のスコアボードは0―2。相手は既にリターンの位置でラケットを構えている。そして俺の手にはボールが二球。……そうだ。俺のサービスゲームの途中だったんだ。早く始めないと。
「待て」
 早くサーブを打とうとベースラインへ行こうとした時、キャプテンに呼び止められた。
「キャプテン。でも早く打たないと相手のポイントに――」
 振り返るとキャプテンはじーっと俺の目を見てきた。怒っているわけでも、なにか言いたそうなわけでもなく、ただじーっと。
「キャプテン?」
「フィフティーンセカンズ」
 主審のコールがかかった。ここでようやくキャプテンが口を開いた。
「桜庭、深呼吸しよう」
「えっ、でも」
「いいから。はい、吸ってー」
 えっ? キャプテン? 今は大事な試合中――
「ほら、吸って」
「は、はい」
 言われるがまま空気を肺に目いっぱい取り込む。
「吐いてー」
 ふぅー。
「0―30」
 主審のカウントが進み相手にポイントが入ってしまった。二十秒の制限時間内にサーブを打たなかったからだ。吹野崎バックからも相手のバックからもどよめきを感じる。でもキャプテンはただ俺の目だけをずっと見て離さない。だから俺もどよめいている周囲の様子なんて気にせず、ただキャプテンの目だけを見続けた。
「どうだ。少しは落ち着いたか?」
「……はい」
 相手にポイントを与えてしまったし、訳も分からず深呼吸したけど、不思議と気持ちは落ち着いてきた。頭もさっきよりはハッキリとしている。
「相当プレッシャーを感じていたみたいだな。表情硬かったぞ」
 キャプテンに笑われてしまった。
「すいません」
「いや、俺ももう少し早く気づいてやるべきだった」
「そんなことないです! 全部俺のせいですよ。俺がこんな不甲斐ないプレーばかりしていたからもう2ゲームも取られちゃいましたし――」
「それは違うぞ」
 キャプテンはキッパリと言った。
「ダブルスにどっちかのせいなんてものはない。劣勢な状況を生み出してしまったのなら、それは必ず二人に平等に責任がある」
「二人に、平等に、ですか」
 キャプテンは頷いた。それから少しの間があって、再び主審からフィフティーンセカンズのコールが言い渡された。
「サーブ――」
 打ちますね、って言おうとしたら「まぁいいから聞け」ってその場に留められた。ベンチに座っている監督は静かに目を閉じている。
「桜庭、この試合中に一度でもみんなの顔を見たことあるか?」
「みんなの顔……ですか?」
「0―40」
「ああ」
 主審のコールなんて気にもせず、キャプテンはコートの後ろ側、相手とは反対方向にあるフェンスの方を見るように促した。そこには太一や南や先輩たちがいて、ハルがいて、「瞬がんばれぇ!」とか「まだいけるぞぉ!」って口をこれでもかっていうくらい大きく開けて俺たちにエールを送ってくれていた。
 みんな……
 こんなに近くで、こんなに大声で叫んでくれていたのに、なぜ俺は今まで気づかなかったんだ。
「あの堀内の顔おもしろすぎ。アイツら、あんな顔で叫ぶんだぜ」
 フフッ、と少し噴き出すようにキャプテンは笑った。それを見ていた堀内先輩からは「金子! なに笑ってんだ!」って言われてしまった。それに呼応するように他の先輩たちからも「そうだそうだ!」と言われる始末。でも堀内先輩も笑っているキャプテンに対して怒っているわけじゃなくて、檄を飛ばしているっていうか発破をかけているっていうか、二人は目に見えない信頼の糸でつながっているんだなって感じた。それは堀内先輩とキャプテンの二人だけじゃなくて、先輩たち全員からも感じられた。
「フィフティーンセカンズ」
 三度コールが言い渡された。
「俺もな、実は今ものすごく緊張しているんだ」
「えっ?」
 ほら、と俺に見せるように差し出したキャプテンの手は……小刻みに震えていた。
「去年長野先輩とこの大会に出た時も、瀬尾と私学大会に出た時も、俺は常に緊張していたし、不安だった」
 常に? キャプテンが緊張していた? その二つの試合は両方とも見ていたけど、そんなそぶりなんて一切なかった。それどころかキャプテンは活き活きとプレーしていたようにさえ見えた。
「ゲーム森ノ宮。ゲームスカウント3―0」
 結局0―15から一度もサーブを打たずにゲームを取られてしまった。相手ペアは戸惑いながらベンチへ戻っていく。
「そんな時、俺はフェンス越しに見えるアイツらの顔を見るようにしているんだ。アイツらが応援してくれている姿を見ていると、なぜだか不思議と力が湧いてくる。勝てる気がしてくるんだ。いつも競ってきた、苦楽をともにしてきたアイツらが後ろにいるってだけで心強いって思える」
 みんなを一人ひとり見るように、キャプテンのまなざしは強いものだった。
「おそらくお前のことだから――」
 キャプテンは俺に視線を戻す。
「チームの代表になったんだからアイツらにかっこ悪いプレーだけは見せられない、とでも思っていたんだろう。それでプレッシャーも感じていた」
 図星すぎて頷くしかなかった。
「その考えは正しいかもしれないけど、俺からしたらそんなのは間違いだ」
 キッパリと切り捨てられてしまった。
「確かに俺たちはアイツらの代表として試合に出ている。だからアイツらの分まで戦わなければいけない。その気持ちは分かる。でも、別にアイツらにかっこ悪いプレーを見せたっていいじゃないか。そんなもん、練習の時にたくさん見せてんだから。それをいいところばかり見せようとして、ミスして、自らプレッシャーを大きくしているなんて、なんかアホらしくないか? アイツらは仲間だ。敵じゃない。味方にプレッシャーを感じる必要はないんだぜ」
 優しく笑うキャプテン。俺は再びみんなの方を見た。
 確かにキャプテンの言う通りだ。俺は心のどこかでみんなの前ではいいプレーしか見せてはいけないんだって勘違いをしていた。その考えがいつしか一緒に戦う仲間に対してのプレッシャーに変わっていた。でもそれは大きな間違いだったんだ。
 かっこ悪くたっていい。ミスしたっていい。本当にかっこ悪いのは、いいところばかり見せようとしてその結果自分のプレーもなにもできずに負けることだ。そう思ったら全身に張りつめていた力が抜けて、気持ちが楽になっていくのが分かった。
「タイム」
 第4ゲームを開始する主審のコールがかかった。相手ペアもベンチから立ち上がりコートへ入ってくる。
「もう、大丈夫だな」
「はい! ……でもすいません。1ゲーム無駄にしてしまいました」
 キャプテンは目を瞑って首を横に振った。
「お前の調子が戻るのなら1ゲームなんて安いもんだよ。それに、お互いの持ち味を発揮できれば絶対逆転できる。桜庭、お前のやるべきことはなんだ?」
 俺のやるべきこと。そんなの一つしかない。
「もちろん、粘ることです!」
 うん、とキャプテンは今度首を大きく縦に振った。
「一本でも多く返して、泥臭く戦っていこう!」
「はい!」
 パンッ、とハイタッチを交わした。互いに強く叩いたからか手がジンジンする。でも今はそれが心地いい。
 キャプテンはそのまま向こうのコートへ歩いていったけど、俺はもう一度その場で後ろを振り返った。そこには変わらずみんながいて、はち切れんばかりの顔で俺に声援を送ってくれていた。
 太一、南、川口、ハル……
 みんなの顔を見ていたらキャプテンの言う通り不思議と力が湧いてきた。と同時になぜだか笑いも込み上げてきて、「プッ」と少し噴き出してしまった。
「瞬、なに笑ってんだよ!」
 誰かに言われた。太一かな。でも笑っている。……みんな、ありがとう。
 俺を応援してくれている人がこんなにいるんだって、目の前のこの光景を目に焼きつけようとみんなのことをじーっと見た。それから、よしっ! と気合いを入れて俺も向こうのコートへ向かった。
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