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21.
しおりを挟む生きている世界が違う。
他人からはっきり言われると流石に落ち込まざるを得なかった。
(わかっていた、そんなこと。言われなくたって)
旅館に戻りながら抄介は、桜川から言われた言葉がずっと頭の中で駆け巡っていた。
抄介が引っ掛かっていたのはこれだったのだ。
こんなに生きている世界が違うのに、一緒にいることなんてできるのだろうか?
事実がわかって、前のように接することができるか抄介は想像がつかなかった。
(俺と玲はもう無理ってことか)
二人の未来を考える希望を今、失った気がした。
映画の撮影が始まって一週間が経った。
あれから何も考えられず(考えたくなかったのが正しい)ぼんやりと窓から外を眺めている生活になっていた。
いつまで撮影するのかわからないが、どっちにしろ撮影が終わらない限り、あまり外をうろうろ歩くことができなかったのだ。
歩けば撮影隊に当たって玲の姿を見る可能性がある。
もう考えたくない。考えても結論が出て来ない。玲との未来は終わっているのだ。
どんどん気持ちが落ち込んで病んできそうだ。
ここ最近の抄介は、かなり窮屈な思いをしながら過ごしていた。
やることがなく、動画を見たり本を読んだりと室内で過ごすことが多くなり、ぼんやりしていると気づけば夕食の時間になっている。
そして今日もそんな生活を送っていると、夕食時間になっていた。
六時になりゆっくりと立ち上がると、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「失礼します。御夕飯をお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
抄介は立ち上がりドアを開け、女中を室内に入れる。
野菜の天ぷらやアサリの味噌汁、根菜類の煮付け等の美味しそうな料理を並べられ、全て置かれると頭を下げ部屋を出て行った。
食事は美味しいのだが全てを食べるほど食欲がない。というより、あまり動いていないから腹が減らないのだ。
食べれる限り口に運び、ある程度時間が経つと再び女中が現れ料理を下げてくれ、布団を出して準備をし、再び部屋を出て行った。
再び静かな夜が訪れる。
気づけば七月になろうとしていて、体が汗ばむ季節になっている。
虫の鳴き声が空いている窓から聞こえて来る。
あの事件以来時間の概念はなくなっていた。バタバタしているうち二ヵ月が経っていたのだ。
仕事を辞めて一月は疲れた体と心を癒すかのように眠ってばかりいた。
それからある程度、体調が戻ってくるとアキラが勧めてくれた旅行に行こうと思い、ここへ来たのだが・・・。
二ヵ月間のことを思い出すと一気に精神的な疲れが戻って来る。
大きく溜息を吐き、そろそろ風呂にでも入って寝ようと思った時だった。
再びドアをノックする音が聞こえた。
時間を見ると九時頃になっている。
不思議に思いドアを開けると、そこにはもう会うことはないと思っていた人物が立っていた。
「・・・玲」
「こんばんは。抄介さん」
ぎこちない笑顔で挨拶をする玲に、抄介は釣られてこんばんはと口が動いた。
「今、大丈夫ですか?」
「・・・どうしたんだ?」
「実は、俺の撮影が今日までで明日の朝に帰ることになりました」
「え?」
突然の話に抄介は素直に驚いた。
(明日から玲と会わなくなるのか)
そう思うと、どこか寂しさが抄介の中で漂い小さくそうかと呟いた。
「きっともう会うことはないと思ったので最後に挨拶したくて・・・思い切って来ました」
少し緊張しながら笑う姿に抄介の中で不思議な違和感があった。
(なんだ、この変な感じ)
抄介はその疑問を感じながらも玲に話しかけた。
「そ、そうか。その・・・遠くからだけど玲の演技を見たよ」
「・・・どうでしたか?」
「細かいことはわからないけど、いつもの玲じゃないように見えた」
そう言うと、玲はふわっと嬉しそうに笑った。
「そうですか。だったら俺、俳優として合格ですね」
柔らかく笑う玲に抄介は久しぶりに淡い暖かさが胸の中に広がった。
(この感覚久しぶりだな。玲と出会っている時はいつもこの感覚だった)
懐かしい感覚に浸っていると、玲は続けて話し始めた。
「俺は俳優の仕事が好きです。天職だと思ってます。やっと俳優の仕事が再開出来てすごく嬉しいです」
薄っすらと目に涙を浮かべ、震える声で玲は話している。
「三年振りで、だからこのチャンスを失いたくないんです」
「そうか・・・」
「実は、抄介さんが羨ましいなと思っていた時がありました」
「え?羨ましい?」
驚き抄介は玲を見つめた。
「ずっと俳優の仕事ができなくて辛くて、清掃業を始めた頃に抄介さんと出会って色々話している最中、仕事ばかりをしていると聞いて俺は羨ましかったんです」
「玲・・・」
まさかその時、そんな気持ちでいたとは驚くと共に意外に思った。
「好きな仕事に夢中になるってどんな気持ちなんだろうって想像してました。俺の場合は常に俳優のオファーが途切れなく来るってことなんですけど、もしそうなったら本当に嬉しいだろうなって」
言いながら顔をすっと下げた。
「まだそこまでには至ってないですけど、少しずつゲスト出演の依頼も来ていてやっと動き始めてる感じはしています」
「・・・よかったな。仕事をする上で、そういう時が一番楽しいしやりがいを感じられると思うよ。頑張って俳優業を続けて欲しいよ」
穏やかな口調で抄介は玲を励ました。
玲は目に涙を溜めながら返答した。
「ありがとうございます。もし良かったら俺の演技、また見て下さい。ドラマでも映画でも」
「・・・ああ」
そう返事をするが、抄介はどこかずっと玲に対して違和感が拭えなかった。
(なんだろう、この違和感は?)
目の前に立っている人物は抄介の知っている玲で、撮影現場で見た人物は抄介の知らない玲だった。
その瞬間、ハッと何かを気づかされたのだ。
今、ここにいるのは自分が知っている玲だ。
俳優でもなく芸能人でもない、“ただの玲”なのだ。
「最後、会えてよかったです」
震える声で堪えきれず涙を零す玲は、すっと抄介の前に手の平を差し出した。
玲は最後に握手をしたがっていた。
抄介も恐る恐る手を指し出し、握手をした。
ぎゅっと握られる手の平に玲の力が籠められる。離れることを抵抗するかのようだった。
泣きながら玲は抄介から離れ、背中を見せて歩き出そうとする瞬間、抄介の中で何かが掻き立てられ、気づいたら再度玲の腕を掴んでいた。
驚いた玲は抄介に振り返ると、玲はそのまま抄介に引き込まれ抱き締められていた。
「しょ、抄介さん!」
驚いて玲の体は固まった。抄介も自分の予想外の行動に頭の中が混乱していた。
混乱はしていても、抄介の中で本当はわかっていた。
「ごめん、どんな関係であっても、玲を離したくない」
そう気づいたのだ。
抄介の違和感は、目の前にいる玲があまりにも一緒にいる時の玲のままだったのだ。
いつの間にか“俳優”というフィルターを自分の中でかけ過ぎて、本来の玲の姿を遠ざけていたのだ。
それは彼を忘れる為のある意味、術だったのだ。
そう思わないと当時の抄介の中で、悲しみが強すぎて耐えられなかった。
それくらい失望と衝撃が大き過ぎた。
「勝手なことばかり言ってごめん。玲の事を忘れることが最善だと思ってた。それがお互いの為だって」
「・・・・」
「自分は一般人で玲は芸能人とわかってから、俺の中で距離ができたんだ。おまけに玲が俳優の仕事をやっとできるようになれて、自分がその邪魔になるのは嫌だった」
「抄介さん」
「だってそうだろう?俺の存在は玲にとってリスクがでかすぎる。傍にいない方が一番いいに決まってる。所詮、生きている世界が違い過ぎたんだって」
「・・・・」
抄介の話に玲は黙って聞き入っていた。
「撮影現場にいる俳優の玲は俺の知らない姿で、正直引いてしまったのも確か。そのせいで俺は急に部屋にきた玲を受け止める根性がなかった。どれが本当の玲なんだろうって思ったんだ」
「そうですね。急に俺が俳優だと言われて驚きますよね?」
「だからどうしていいかわからなくなっていた。だけど・・・」
言って抄介は胸がいっぱいになり、言葉が出てこなくなった。
でも伝えなければいけいない。そう思うと必死で声を出した。
「今、ここにいる玲は俺の知っている玲で何も変わっていないんだって気づいたんだ。そして昔、君に感じた想いが溢れてきたんだ」
「俺に感じた想いってなんですか?」
目を潤ませ玲は抄介に尋ねた。
「玲の事が好きだったってこと」
そう言うと、抄介は玲の唇に自分の唇を重ねた。
すぐに唇は離れ、お互いそれが惜しく感じながら見つめ合った。
「玲が好きだ。俺はお前を離したくない」
「・・・俺もです」
再び抱き締め合い、そして何度も口づけを交わし始めた。
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