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三夜目。
しおりを挟む「助けてやりてェんだがね、ここも 傘は″お飾り″の傘しか無いんだよ…。」
″お飾りの傘しか無い″…?
「…そこは冷えるから、雨が弱まるまで少し中にいなさい。」
そう言い、少し歩いた小川沿いで長椅子があったので 私たちは そこへ腰を下ろし、しばらく話をした。
「…あの…ここの方たちは、あまり傘を使わないのですか?」
「使う機会が無いからねェ。そもそも あたしらは、この吉原から外へ出る事は出来ない。…それなら傘は必要ないだろ?」
「…どういう事ですか?」
目の前の殿方は″無い″のではなく″出来ない″と答えた。
その言葉は、自らの意思ではなく決められた事なのだという事を教えてくれた。
「ここが…あたしらにとっての家であり、働く場なのさ。」
「…住み込みで働いていらっしゃる…という事ですか?」
いくら吉原がコンセプトとはいえ、この現代にそこまで…お店だって実際はバーとさほど変わらない。
お酒を飲みながら話をするだけなのだ。
「…まぁ…人にはね、色んな事情ってのがあんのよ。ところで、あんた吉原に通い始めてそれほど経っていないね?」
「えっ…?」
どうして分かるのだろう…?
今までで 何か間違った行動をしてしまっていたのだろうか?…何にせよ、あまりに突然に聞かれたので驚いて何も言えなくなってしまった。
「分かるよ。ずっとここに通ってるとね、染み付いちまうんだ…匂いが、ね。」
「…匂い…ですか?」
ここの独特な香のかをりの事だろうか?
「んぅ…何て言うのかな…直接的な″匂い″の事じゃァなくてさ。」
「…勘…みたいなものですかね?」
刑事ドラマなどで、危険な匂いがする…などという表現の事だろうか?
「…そう、そう…まぁ、そんなもんだねェ。…あんまり ここに染まっちまうのは良くないからさ。あんた、素直で良い子じゃないか…そのまま 自分の意思をしっかり持って生きてって欲しいと思ってね。…ふふっ、こんな老いぼれの話 聞き流してくれても構わないんだよ?」
そう笑ってみせる顔とは裏腹に、とても切ない表情で、悲しそうに語るこの方は きっと色々なものを見てきたのだろう。
「…はい…。」
私は、そう続けるしかなかった。
その後ほんの数秒の沈黙…。
「…今日は花魁道中が中止になってしまって残念ですね。お客さんだけでなく、ここの方たちも 楽しみにしていたそうで。」
沈黙に耐えかねたのは私だった。
ついとっさに脳裏に浮かんだ話題を適当に投げかけてしまった。
「ん? 花魁道中が観たかったのかい?」
「はい…初めてだったので…。」
女性の花魁道中とは違う、男性の…ましてや金魚さんや、この吉原の方々も尊敬する菊花魁…さぞ美しく堂々たるものなのだろうと、楽しみにしていた。…だから、中止と聞き本当は 少し落ち込んでいたのだ。
「あのお客はね、頻繁に来るから…観る機会は、これからいくらでもあると思うよ?」
「そっか…常連のお客様なんですよね。素敵ですね…吉原の誇る菊花魁様にお迎えにあがってもらえるなんて…。」
ふと、美しく着飾った金魚さんの姿が目に浮かんだ…金魚さんの花魁道中を観てみたいと思った。
「皆、自分の指名の者を花魁にしてやりたくて通ってんだ…綺麗にして、迎えに来てもらって…。あたしらは、その思いに応えなきゃならない。…お客は…あたしらの主だから…喜ばしてやらないと、ねェ。」
そう…彼らはただの道具ではない。かつての遊女たちは、その小さな籠の中で何よりも自由を望んだ…。
最後のその嫌味とも聞こえる彼の小さな言葉は私の心を強く切なく締め付けた。
「ここの殿方たちは、花魁になる事を望んでいるんでしょうか?」
「…どうだろね。まぁ、見てくれは華やかなもんさ。」
″見てくれは″…か。
この殿方の言葉は一つ一つに重みがある。
今まで生きてきた時間、経験が、彼の紡ぐ言葉に込められて…まだ 彼の半分も生きていない私には とても重い。
彼の存在は 隣同士に座っていても、全く別の世界にいるかのようなのだ。
「ごめんね、あたしも話すのが下手で…つい 暗い顔させちゃうね。」
「えっ、いえ…そうじゃないんです。」
そんな暗い顔をしてしまっていたのだろうか? 慌てて答えると、彼が続けた。
「何か 明るい話題があれば良いんだが…あたしも、もう少し若けりゃ あんたをもっと楽しませてあげられたんだろうが…。」
「ふふっ、」
あまりに深刻そうに悩んでいる姿に、つい笑ってしまった。
先程までとは打って変わって、実に人間らしい姿を見せるものだから安心と…私を楽しませたいと思ってくれていた その優しさに嬉しくなった。
「ひどいねェ…おじさんが一生懸命考えてるのに…。」
そう言って今度は頬を膨らませている。
きっと自分の父親とそう変わらないであろう歳の殿方をこうも″可愛い″と感じてしまうなんて、きっと失礼だろう。
「…じゃあ…今まで私が質問してきたので、次は私が答えるというのは? …何か質問があれば、なんですけど…。」
「ん~、あ…こないだねェ、若いお客が差し入れで甘い焼き菓子を持って来てくれたんだけど…それが何とも言えない食感で…。」
「甘い焼き菓子、ですか?」
「そう、丸くて色鮮やかで…間にクリームみたいなのが挟まってて…食べるとサクッというか、ほろっというか…でも口の中でトロッと溶けて…まるで もなか のような…とにかく甘くて美味しかったんだが…あれは おそらく洋菓子…」
メレンゲとも思ったが、色鮮やかで間にクリームとなればそれは…。
「マカロンですかね?」
「まかろん?」
「はい、たぶんそうだと思います。」
よほどマカロンに感動したのだろう…素晴らしい表現力だ…思わず頬が緩んだ。
「いろんな風味があるそうだな。その時は、抹茶と苺をいただいた。水色のものもあったが、あれはどうも…」
「色が水色でも、珈琲の風味だったりするのですよ? 」
「水色なのに珈琲…。」
「マカロンこそ味の種類は豊富ですからね。見た目も可愛いですし。凍らせて、アイスにしてあるものもあるんですよ?」
「ほぅ…」
その後も、しばらくマカロンの話で盛り上がった。まさか、歳上の殿方とマカロンの話でここまで盛り上がれるとは…。だが、そのマカロンの表現がとても面白くて 何かに使えそうとも思ってしまった。
「…そんな話をしていたら、マカロンが食べたくなってきてしまいました。」
「ふふっ…そんな話をしているうちに、外の雨も止んでしまったみたいだよ?」
「え?」
本当だ…弱まるまで待つだけのつもりが、もう すっかり止んでしまった。
「すみません、雨宿りのつもりが…こんなに遅くなってしまって。」
「いやいや、あたしは楽しかったよ。…入り口まで送ろう。」
そう言って立ち上がり、私の数歩先をカランカランと下駄を鳴らし歩く。
帰り道も途中、会話を交えて…。
入り口 近くの茶屋で預けていた荷物を受け取る。
「すまないね…ここまでしか送ってやれなくて。」
「いえ、むしろ送っていただいて申し訳ないです。」
「気を付けてお帰んなさいね。」
「はい、ありがとうございます。では…」
彼の優しい気遣いと心配りに軽くお辞儀をして、私はまた 現世へと戻って行くのだ。
マカロンが食べたくなったが、この時間にお店はやっていない…また、明日にしよう。
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