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しろやぎ

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三部

011_師弟

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「わたしが侮っていたわ。ごめんなさい」
「何、ワシも意地悪く当たったからの」

 イルグリム老人に右肩の関節を外されたマリアであるが、すぐに自分の《回復/ヒーリング》で痛みと症状を回復させた。

「秘密じゃなければ教えてもらってもいい? あの動きは何なの?」
「格闘術のひとつじゃが、ワシはもっぱら関節専門でな。攻撃を避けたり殴ったりは苦手なんじゃが、うまくいけば一撃で相手を無力化することができる」
「あんなに一瞬で肩を外されるなんて初めてだわ」
「ワシも肩を外してうめき声ひとつ漏らされんのは初めてじゃ」

 アストリアから薄い水割りを受け取ったイルグリム老人は、どこから話したものかという具合に語り始めた。

「昔は闘技場に冒険者なんかはそんなおらんで、奴隷か職業剣士みたいなもんしかおらんかった。規定で防具なんかありゃせんから、みんなお決まりの剣やちっこい盾。許されるのは袖のない革の上着くらいよ」
「今は持ち込みの武具でもありよね?」
「あの頃は場所もなくて、原っぱで奴隷同士の殺し合いでなあ。派手にケガをしてくれたほうが、客が湧いたんじゃよ。今より命の値段がもっと安かったんじゃ。かといって武具の質に違いがあるのも困る。奴隷の持ち主たちがすぐに八百長だと騒ぐからのう」

 水割りをちびりと舐めて唇を湿らせる。先程のように酔うためでなく、喋るために水分を取っているいう感じだった。

「だがそのうち、奴隷制度もおおっぴらにはなくなっちまって、あとには職業剣士たちが残った。そうそう致命傷ばかり負われたら、戦うヤツがいなくなっちまう。それでようやく闘技場にまともなルールと、ジャンル分けができたんじゃよ」
「ジャンル?」
「大まかには武器を使った戦いと、素手の戦いじゃな。無差別ってのもあったが、ワシが王者だったのは素手のジャンルじゃ。そうして半分非合法な地下闘技場ができたわけじゃな」

 なるほどとマリアは頷く。
 マリアが来てからの闘技場にはそうした区別はない。武器と防具は自由。魔法の使用は不可。相手が戦闘不能になるか降参するまでの勝負というのが、地下闘技場のルールだった。

「ワシはもともと故郷で接骨の技術を学んだんじゃが、それを活かしての。相手の身体を効率よく壊す方法を編み出したんじゃよ。当時のココじゃあ武器を使った戦いよりも、素手で戦うほうが玄人好みで上客が多かったんじゃが、今はなんでもアリじゃからな。ええ時代じゃったわい」
「無差別ジャンルには手を出さなかったの?」

 その問いかけに、老人は無言でシャツをたくし上げた。しなびた老人の肌の上からでもわかる。胸に大きくなで斬りにされた傷跡が見えた。

「ワシも若かった。一撃もらっても相手に触れることができればこっちのもんじゃった。だが、あと一歩というところで、このザマじゃよ」
「ごめんなさい」
「いい潮時じゃったよ。ここらでやめとけって神様が止めてくれたんじゃ」

 攻撃に対する防御ができない。というのは本当のことのようだ。
 だが、そのアンバランスさ。特化した何かにマリアは強く惹かれた。
 何より、相手に触れることができればこちらのものという、自分で味わった技術が今のマリアにとっては天啓のようなひらめきをもたらしたのだ。

「それからはこの地下闘技場で接骨医として働いておる。三度、素手での王者に立って金も稼いだし、なかなか楽しい人生じゃったと思えるくらいには、余生を満喫しておるよ」
「いい人生ね。羨ましい」
「じゃろう? だが、あんたはもうちょい複雑な事情があるみたいじゃの」

 イルグリム老人のしわくちゃな目が、マリアの心を覗くようだった。

「イルグリム・グライストンさん」
「なんじゃ」
「わたしにその技を教えて下さい」

 椅子から立ち上がるとマリアはそのまま片膝をついて老人に頭を垂れた。
 だが、老人はかぶりを降って屈むと、マリアと同じ目線になって肩に手を置く。

「ああ、いかん。若い娘がそんなことをするもんじゃない」
「いいえ、わたしは殺さなくちゃいけない男がいるの。教えてくれるまでやめない」
「なんじゃ、私怨か?」

 マリアの言葉にイルグリムはしぶい顔をした。だが、マリアはきっぱりと首を振って答えた。

「いいえ。その男との約束なの」
「……最近の若いモンは考えることが複雑すぎるわい」

 呆れ返ったイルグリム老人だが、節くれだったしわだらけの手でマリアの手を取ると、優しく微笑みかけた。

「ワシの技術を本気で学ぼうとする若者も珍しい。細かい事情はのちのち聞かせてもらうとして、本当にワシの技なんかでいいのか?」 
「あなたの技術でなくては駄目なの」
「あんた、なかなかスジのいい腕をしているようじゃが、冒険者として戦士。あるいは盗賊の戦いの技術を極めたほうが、強くなれるはずじゃぞ?」
「わたしは、あなたの技で強くなりたいの。あなたの技でなら、この道をずっと歩いていける気がしたの」

 これまでマリアは、数多くの技術や経験を積んできた。職業でいえば三十を越える職につき、その技のさわりをすべて身につけたといっていい。ある程度であれば、できないことはないとすら思っている。

 それらはすべて“ただなんとなく”という理由で身につけたスキルだった。
 少しやってみて確かに面白いと思うことはあっても、それ以上道を極めたいと思ったことはない。それはすべてにおいて、始める前からなんとなく感じていた。

 自分は本当に興味のあることがないのかもしれない。
 
 ハムのような強さと武具への欲求。
 ガルーダのような天真爛漫に技術を向上する純粋さ。
 アーティアのような信仰と商売が絡み合った意識も。
 リーズンのようなエルフとしては異端である炎の精霊への憧れも。
 
 そして、メテオのように苦しみ傷つきながらも、魔術の深奥に向かおうとする意志も。

 それでもよかった。
 自分にはひたすらに何かを求める友がいて、好きな男もまた自分を高めることに夢中だった。

 どうして自分がこんなにもメテオに惹かれつつも、自由奔放に生きたいと思っていたのか。別れたあともこうしてメテオに対して義理を貫こうとしているのかわかった気がした。

 道を諦めたメテオが許せないからだ。
 その道をともに行くことを選べなかった自分が許せないからだ。

 今、ようやくマリアは自分が何をしたいかわかった。
 好きな相手と、共に並んで歩ける強さが欲しい。

「そこまでいってくれるか。ワシは果報者じゃ」
「それじゃあ――」
「幸いあんたは混沌神の神官。回復魔法が使えるのなら、容赦なく身体に覚えこんでもらうがの」
「師匠――と呼んだほうがいいかしら?」
「いかんいかん。ワシゃそういう呼び方は苦手じゃ。そこの闇エルフともどもイルじいと呼んどくれ」
「ありがとう、イルじい」

 はにかむイルじいの頬にマリアはキスをした。

「ホホホ、ありがとうなんぞ殊勝な言葉がいつまで出てくることやら」
「あら? わたしが我慢強いのは知っている思うけど」

 確かにイルじいに肩を外されたとき。うめき声のひとつも出さずに耐えきったマリアだ。マリアの我慢強さ、というよりかは意地っ張りは仲間内でも随一のものだろう。

「一本取られたわね」
「なんじゃアストリア。師弟のことに口を挟まんでもらおう」
「やっぱり師匠って呼んだほうがいいかしら?」
「二本目ね」
「……うぬぬ。酒じゃ、うんと濃い酒を持ってこい!!」
「はいはい。師弟の固めの盃ね」
「これじゃから女という奴は……」

 なにはともあれ、マリアの心配事はこれでひとつの筋道を見つけたことになった。

 しかし、これだけではまだ足りない。
 もっともっと、メテオに近づけるよう。殺してあげられるように強くなる必要がある。

 だがひとまずは、マリアもこの夜は友と師と、腹蔵なく酒を酌み交わすつもりであった。
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